現在の自民との最高権力者とも言われている自民党幹事長の二階俊博さんに対して「辞めろ」などの引退を求める声が高まり注目されています。
この記事では二階俊博さんの若い頃の学歴や経歴、嫁や息子などの家族、「辞めろ」という声や引退を求める声などについてまとめました。
この記事の目次
- 二階俊博のプロフィール
- 二階俊博の若い頃の学歴① 出身小学校は御坊市立御坊小学校
- 二階俊博の若い頃の学歴② 出身中学校は御坊市立御坊中学校
- 二階俊博の若い頃の学歴③ 出身高校は和歌山県立日高高等学校
- 二階俊博の若い頃の学歴④ 出身大学は中央大学法学部政治学科
- 二階俊博の若い頃の経歴① 国会議員秘書を経て和歌山県議会議員に
- 二階俊博の若い頃の経歴② 44歳で衆議院議員に初当選し国政へ進出
- 二階俊博の嫁は小・中・高時代の同級生だった怜子さん
- 二階俊博の息子① 長男・二階俊樹
- 二階俊博の息子② 次男・二階直哉
- 二階俊博の息子③ 三男・二階伸康
- 二階俊博は現在の自民党の最高権力者とも言われている
- 二階俊博に対しての「辞めろ」と引退を求める声も高まっている
- まとめ
二階俊博のプロフィール
二階俊博のプロフィール
生年月日:1939年2月17日
出身地 :和歌山県御坊市新町
二階俊博さんは自民との幹事長で、運輸大臣や経済産業大臣を歴任され、現在の自民党で最高の権力を持つとも言われる大物政治家です。
2020年12月に、新型コロナウイルスによる自粛要請が続く中で、菅総理大臣や王貞治さん、みのもんたさんら8人でステーキ店で食事会を行ったのが問題視された件で、その食事会の主催者が二階俊博さんだったと報じられた事でも注目されています。
今回はこの二階俊博さんについて見ていきます。
二階俊博の若い頃の学歴① 出身小学校は御坊市立御坊小学校
出典:https://upload.wikimedia.org/
二階俊博さんの若い頃の学歴についてみていきます。
二階俊博さんは和歌山県御坊市の出身ですが、小学校は地元の「御坊市立御坊小学校」です。
二階俊博さんが最初に入学したのは、日高郡印南町にある印南市立稲原小学校だったようですが、終戦後に御坊小学校に転入されたという事です。
小学生時代は草野球を熱心にされていたそうです。
二階俊博さんの父親の二階俊太郎さんは和歌山県議会議員、日高郡の稲原村の村長、1943年に地元に新設された造船会社「御坊造船」の社長を兼任する地元の名士だったそうで、少年時代の二階俊博さんはそんな父の姿を見て成長されたという事です。
二階俊博の若い頃の学歴② 出身中学校は御坊市立御坊中学校
二階俊博さんは地元の御坊小学校を1951年3月に卒業後、地元の「御坊市立御坊中学校」へと進学されています。
中学生時代には、外郭団体の主催した弁論大会に出場して人権問題や差別問題について演説をされたそうです。
二階俊博さんは、和歌山県議会議員の父の演説を幼少期から聞いていたため、自然と弁論技術が身についていたのだそうです。
二階俊博の若い頃の学歴③ 出身高校は和歌山県立日高高等学校
二階俊博さんは御坊中学校を1954年3月に卒業され、和歌山県御坊市の「和歌山県立日高高等学校」へと進学されています。
二階俊博さんは高校入学後に友人に誘われてバレーボール部に入部したそうですが、身長もないしバレーボール部では先がないなと思い1年で退部されています。
高校2年からは新聞部に入部し、学校新聞作りに力を入れられたのだとか。新聞部の活動の中で初の甲子園出場を決めた野球部の激励に訪れたところ、新聞部で応援団の設立を呼びかけて欲しいと依頼されたそうです。
二階俊博さんはそれに応えて応援団の設立に奔走し、なんと自ら応援団長となってブラスバンドやチアリーダーなども手配し、募金を募って応援団員らの宿泊費まで用意して甲子園での応援を成功させています。
また、高校3年生時には生徒会長にも選ばれており、当時はタブー視されていた国旗掲揚と国歌斉唱を学校祭で企画して成功させるなどしています。
「和歌山県立日高高等学校」の最新の偏差値は「54」です。
二階俊博の若い頃の学歴④ 出身大学は中央大学法学部政治学科
二階俊博さんは和歌山県立日高高校を1957年3月に卒業された後、「中央大学法学部政治学科」へと進学され上京されています。
二階俊博さんが中央大学へと進学されたのは、父親の二階俊太郎さんの出身大学である事や、新聞部の顧問だった先生に、政治家や文学者や経済人など色々な人に会えて勉強になるので東京に行った方が良いというアドバイスを受けたためだったそうです。
当時は学生運動が盛んな時代でしたが、二階俊博さんは学生運動にはあまり興味がなく、普通の学生として勉強されていたようです。
中央大学法律学部政治学科の最新の偏差値は「57.5~62.5」となっています。
二階俊博の若い頃の経歴① 国会議員秘書を経て和歌山県議会議員に
二階俊博さんは1961年3月に中央大学を卒業された後、第二次岸内閣で建設大臣を務めた衆議院議員の遠藤三郎氏(故人)の議員秘書になり、11年間勤めています。
この遠藤三郎氏は、二階俊博さんの父の二階俊太郎さんと旧知で、二階俊博さんはその繋がりで遠藤氏の秘書になっています。
実は、二階俊博さんは、短期間議員秘書を務めて経験を積んだのちに、一般企業に就職しようと考えられていたそうです。
しかし、この遠藤三郎氏は親身になって二階俊博さんに政治の世界の事を教えて勉強させ、二階俊博さんもそうした中で遠藤三郎氏に深い尊敬の念を抱くようになったようです。
そうして、二階俊博さんは「遠藤先生が政治を続ける限りは、側にいて役に立てるように頑張ろう」と決意されたのだそうです。
そして、1971年12月27日に、その遠藤三郎氏が67歳で亡くなります。
この頃には二階俊博さんは政治の世界で頑張ろうと決意を固められていたようで、地元の和歌山県へと戻って、父の俊太郎さんの後を継ぐとの思いから、1975年に和歌山県議会議員選挙へと出馬して当選を果たし、その後2期を務めています。
二階俊博の若い頃の経歴② 44歳で衆議院議員に初当選し国政へ進出
1983年12月、44歳の頃に二階俊博さんは、自民党の公認を得て衆議院議員選挙に旧和歌山2区から出馬し2位で当選を果たし、現在まで連続当選を続けています。
二階俊博の嫁は小・中・高時代の同級生だった怜子さん
二階俊博さんの嫁は怜子さんという方で、和歌山県の同郷で父親同士が友人。小・中・高校時代の先輩と後輩の関係だったそうです。
嫁の怜子さんが大学進学で上京した際に、既に中央大学の学生だった二階俊博さんが都内を案内したのをきっかけに交際に発展したそうです。
二階氏と怜子さんは父親同士が友人で、和歌山の同じ小中高校で過ごした。怜子さんが大学進学で上京した際、二階氏が都内を案内したことがきっかけで距離が縮まり、東京・神保町の古本屋でデートを重ねた。恋愛結婚だった。
二階俊博さんと嫁の怜子さんの結婚した正確な時期は明かされていませんが、結婚生活は東京都国立市の4畳半一間の風呂なしアパートでスタートしたという事です。
2018年12月に77歳で死去
二階俊博さんの嫁の怜子さんは、2004年に肺がんを発症され、手術や抗癌剤による闘病の末に、2018年12月に77歳で亡くなられています。
大物政治家として多忙を極めていた二階俊博さんでしたが、嫁の怜子さんが亡くなる2日前に、半日だけ夫婦水入らずの時間を過ごされたそうです。
嫁の臓器移植に関する疑惑の噂も
政治問題も扱っていた情報雑誌「SAPIO(サピオ)」の2006年10月号に掲載された「蠢く!中国対日特務工作白書」という記事では、ある自民党の大物議員の嫁ががんを患った事に目をつけた中国政府が、この大物議員に中国の病院で嫁に肝臓移植を受けるように勧めた。その大物議員はその提案を受け入れて嫁の手術は成功し、それ以来その議員は中国に頭が上がらなくなったという趣旨の内容が書かれていました。
(執筆者・袁翔鳴)に「西日本選出で、大臣経験もある自民党の大物議員の妻が昨年、末期の肝臓ガンを患った。ある中国人男性は議員会館を訪ね、中国の病院で肝臓移植を受けるよう勧めた。男性の斡旋で中国軍の病院で無事に手術を終え、議員の妻は回復した」との記述があった。記事の最後に「あの先生は、奥さんのことで中国に頭が上がらなくなったとささやかれている」と書かれている。
この大物議員は二階俊博さんだと噂されています。二階俊博さんの嫁の怜子さんががんを発症した時期(2004年)や、「西日本選出で大臣経験もある大物議員」という記述がある事から、この条件に当てはまる二階俊博さんではないかと推測されています。
二階俊博さんはかなりの親中派として知られ、その事で一部からの批判も集めているため、この噂に信憑性を抱く方も多いようです。
二階俊博の息子① 長男・二階俊樹
二階俊博さんには息子が3人いる事が知られています。
二階俊博さんの長男の二階俊樹さんは、1965年4月26日生まれで、2020年の誕生日で55歳を迎えられています。
二階俊樹さんは早稲田大学理工学部電子通信学科を卒業後、国際証券株式会社勤務を経て、父・二階俊博さんの秘書となり、運輸大臣政務秘書官、経済産業大臣政務秘書官、二階俊博衆議院議員政策担当秘書を務められました。
2016年には父の二階俊博さんの地元である、和歌山県御坊市の市長選に出馬しました。父の影響力の強い土地という事もあって当選確実と見られていましたが、引退すると見られていた現職市長の柏木征夫氏が出馬を表明した事で落選しています。
週刊新潮の記事によれば、この二階俊樹さんの評判は地元ではあまり良くなかったという事で、現職の市長が出馬を表明したのも、二階俊樹さんを後継にするくらいなら自分がまだ市長を続けた方が良いという判断からだったとか。
「現職も、俊樹さんじゃなければ引退するつもりでしたよ。でも、彼はあまりに評判が悪すぎる。市役所で職員に暴言を吐いたとか、警察に対しても横柄だとか。親父さんをバットを持って追いかけた、という話もあるくらい。だから親父さんに直接“彼では厳しいですよ”と伝えたのに、降ろそうとはしなかったんです」
これを受けて、二階俊樹さんは以下のように反論されていたそうです。
「確かに自分は短気ですけど、暴言や、まして暴力なんて絶対に振るいませんよ。全部対立陣営が流しているウソなんです」
真偽の程は不明ですが、選挙の結果を見ると地元の評判があまり良くなかったというのは本当かも知れません。
こうした悪評などが関連しているのかは不明ですが、元々二階俊博さんはこの俊樹さんを後継者と考えていたものの、現在は三男を後継者にと考えていると一部メディアでは報じられています。
二階俊博の息子② 次男・二階直哉
二階俊博さんの次男は二階直哉さんという方で、1972年5月22日生まれで、2020年の誕生日で48歳を迎えています。
この二階俊哉さんも父の二階俊博さんの秘書を務められ、その後は経産省所管の一般社団法人の理事やコンサルティングなどで活躍されているようです。
この二階直哉さんの黒い噂を、週刊FLASHの2018年8月14日号が報じています。
週刊FLASHの記事によると、2018年7月に60代の中国人女性が経営する都内のエネルギー関連会社H社を乗っ取ろうと画策していたとして、電磁的公正証書原本不実記録・同供用の容疑などで警視庁に逮捕起訴された元山口組系暴力団幹部の福家博之という男と、二階直哉さんが関係しているのではないかという事でした。
記事によれば、このH社は日本海事協会が認証する風力発電機の性能の適合性を評価する「NK認証」を取得しているのですが、この認証取得のため福家が二階直哉さんを中国人経営者に紹介した事から2人はH社の役員に加わったという事でした。
このNK認証の審査は厳しいらしいのですが、二階直哉さんは「二階の息子と言えば審査は通るよ」と発言したとされます。そして、二階直哉さんの役員就任から7ヶ月後の2017年2月にH社はNK認証の取得に成功したようです。
しかし、ここで福家は偽の書類を偽造し、この60代中国女性を解任し会社の乗っ取りを画策。これに気がついた中国人女性が無効性を訴える訴訟を起こし、その後刑事告訴した事で福家は逮捕されます。
二階直哉さんは、2017年7月18日にH社の取締役を辞任しており、FLASHの取材に対して、福家が元暴力団員だとは知らなかった事、会社乗っ取り計画については知らなかった事などを回答されています。
直哉氏に取材を申し込むと、文書でこう答えた。
「福家氏が元暴力団員ということは知りませんでした。福家氏ら経営陣の関係が悪くなったという話を聞き、昨年4月ごろ福家氏に辞任の申し出をし会社を辞めました。会社の手続きの遅れで退任登記は7月になっています。(乗っ取りについては)私が辞めた時は知りませんでした」
二階俊哉さんは、「NK認証」に関連して「父の名前を出せば通るよ」といった発言をしたとされる件についても否定されています。
「二階の息子と言えば~」発言については「父の名前を出せば、認証が通るなどと言ったことはありません」などと否定した。
また、二階俊博さんはこの報道について「別人格だから、息子は。俺は知らねぇよ」と自分はこの件には何も関係していないといった回答をされています。
二階俊博の息子③ 三男・二階伸康
二階俊博さんの三男は二階伸康さんという方で、1978年1月4日生まれで、2021年の誕生日で43歳を迎えられています。
二階伸康さんは大学を卒業後に航空会社のANAに就職し、オペレーション統括本部旅客サービス部のスーパーバイザーなどとして活躍されていました。
その後、ANAを退職され、父の二階俊博さんの公設秘書になり現在も務められています。
この二階伸康さんは評判が良いようで、二階俊博さんの後継者に推す声が高まっているという事です。
「ANAに勤めていた三男坊が会社を辞めて、東京で秘書になったんです。サラリーマン生活が長いだけあって腰が低く、“彼を次に推すべきだ”との声は日増しに高まっていますね」
二階俊博さんもこの三男の二階伸康さんを自分の後継として地盤を引き継がせたいと考えているようだとも報じられています。
二階俊博は現在の自民党の最高権力者とも言われている
二階俊博さんは現在の自民党で最も権力を持つ人物と言われており、安倍晋三前首相が退いた時に、時期総理として菅義偉首相を就任させる手回しをしたのも二階俊博さんだと言われています。
2020年12月に問題になった新型コロナによる自粛要請が続く中で開かれた会食会に菅総理大臣が出席したのは、この会を主催した二階俊博さんに気を使った事が大きいと見られています。
また、二階俊博さんは、全国旅行業協会の会長を長年務めており「観光業界のドン」とも呼ばれ、政府が新型コロナの影響で業績が悪化する観光業界への支援策として行った「Go To トラベルキャンペーン」は二階俊博さんが権力を発揮した結果だと見られています。
二階俊博に対しての「辞めろ」と引退を求める声も高まっている
現在、二階俊博さんに対して「辞めろ」と引退を求める声が高まっています。
Twitterでは「#二階辞めろ」というハッシュタグをつけたツイートが多く投稿されており、多くの国民が二階俊博さんへの不満を抱いているようです。
拡散希望
— mochebran🇺🇸🇯🇵大和撫子親衛隊🇯🇵 (@mochebran) January 5, 2021
二階を降ろしたい人は是非署名を🙏
以下のキャンペーンに賛同をお願いします!「自由民主党: 親中派議員、二階俊博の自民党幹事長及び志帥会会長の辞任を要求!」 https://t.co/uVVFRSYNTF @change_jpより#怒りの大拡散#鬼滅の刃#親中派#二階は国賊#二階辞めろ#二階はボケ老人
#二階俊博
— サチ (@sachi0466hanawa) December 31, 2020
本当に最悪の老害ですね
このコロナ禍で毎日露頭に迷う国民が居るのに自分たちの特権ばかりに重きを置く。
絶対に許されない💢💢💢#二階幹事長の議員辞職を求めます #二階辞めろ #二階は老害 #議員年金復活反対 https://t.co/idTyQhWTLT
こうした二階俊博さんへの「辞めろ」という声や引退を求める声が出ている理由は、新型コロナの新規感染者に歯止めがかからない中で「Go Toキャンペーン」を強行した事や、それに関連して多額の献金を受けていた事が発覚した事、また、国民世論を無視して過度ともいえる親中国的な態度を取り続けている事などから、一部からは国賊議員とも批判されている事などが関連しているようです。
それでも二階俊博さんが引退を表明せずに権力の座を死守している理由は、自分の築いた地盤を息子の二階伸康さんに引き継がせたいためだとの見方も出ています。
まとめ
今回は、自民党の幹事長で党内の最高権力者とも言われている二階俊博さんについてまとめてみました。
二階俊博さんは若い頃は和歌山県御坊市の小中高校を卒業した後、中央大学へと進んだ学歴を持ちます。その後は和歌山県議会議員を経て衆議院議員となり、運輸大臣や経済産業大臣などを歴任して現在の最高権力者とも言われる地位に上り詰めた経歴を持っています。
二階俊博さんは現在「Go Toキャンペーン」に関連して献金を受けていた事や、過度な新中国的な言動などによって国民からの批判が高まっており、「辞めろ」という声や引退を求める声も強まっています。