元サッカー日本代表・城彰二さんは現役時代の若い頃に水かけ被害がありましたが、現在はサッカー解説者として活躍しています。
城彰二さんのプロフィールや経歴、実家と家族(父親/弟)、結婚した嫁の亀井育代さんや子供(娘と息子)など昔から現在までを総まとめしました。
この記事の目次
城彰二のプロフィール…現在はサッカー解説者に
かつての日本代表エースストライカー・城彰二
城彰二さんはJリーグのJ1では230試合中95得点、J2では151試合中44得点、日本代表では36試合中7得点を挙げた日本サッカー史上でも”エースストライカー”の名にふさわしい活躍をした選手でした。
現在はサッカー番組、情報番組などで解説者やコメンテーターをしている他、S級コーチライセンスを持っており指導者としても活躍しています。
本名: 城 彰二(じょう しょうじ)
愛称: ジョウ
生年月日: 1975年6月17日
出身地: 北海道室蘭市
身長: 179cm
体重: 72kg
引用:Wikipedia – 城彰二
城彰二さんは最後に所属した横浜FCでは「キング・ジョー」と呼ばれ、2006年シーズンにJ2だったところ初めてJ1に昇格させるという快挙を置き土産として現役を引退しました。
城彰二さんといえば日本代表チームのストライカーとして1997年にFIFAワールドカップ・フランス大会アジア最終予選に出場し、代表決定戦となるイラン戦で1得点を挙げて本戦出場に貢献し「ジョホールバルの奇跡」と呼ばれました。
現在はサッカー解説者としてサッカー番組に登場することが多く、現役時代とは違い激太りした容姿でも話題になっています。
俺的(素人的)サッカー解説者ランキング
— ちーわん (@furitennkun) 2018年6月24日
1位 岡ちゃん
2位 松木さんw
3位 金田喜稔
4位 城彰二
賛否あるでしょうが、この人たちの解説はわかりやすく聞きやすい🙂
城は現役時代、失望させられてばかりだったが見直しました
引退後、がんばってる~!
長嶋一茂と同様、天職みつけたなと笑
この大事なセネガル戦は後輩の城彰二が解説でした。
— 前園真聖 (@zono23) 2018年6月24日
そして、素晴らしい解説をしてくれました。
帰ってきたら今度こそは、食事でも行こう(^^;
城彰二の生い立ちと家族(父親/弟)~実家は旅館と建築会社を経営
城彰二は父親に厳しく育てられた
城彰二さんの実家は旅館を経営し、父親は建築会社も経営していましたが非常に厳しい父親だったようです。
城彰二さんには弟がおり、4人家族でしたが、建築会社社長の父親は九州男児で幼い頃から一人の男として接され、間違ったことをすると鉄拳制裁を受けていたようです。
そのため、城彰二さんは子供時代から自立心が強く、よく考えて行動する性格だったようで、そのことがサッカー人生に大いに役立っているようです。
幼少期から北海道の室蘭に住んでいた城彰二さんは、氷点下の気温の中でも半袖半ズボンで平気だったようです。
城彰二の経歴と若い頃
城彰二、サッカーの強豪校・鹿児島実業高校に進学
城彰二さんの出身小学校はわかりませんでしたが、中学校は姶良市立加治木中学校に通っており、中学校時代に両親の出身地である鹿児島県に引っ越しました。
サッカー名門校である鹿児島実業高等学校に進学した城彰二さんは、松澤隆司監督の指導の元才能を伸ばし、2年先輩の前園真聖さん、藤山竜仁さん、遠藤拓哉さん、同級生に遠藤彰弘さん、横山博敏さん、2年後輩に平瀬智行さんがいました。
城彰二さんは高校サッカー選手権大会に出場してベスト4になっていますが、それ以上の成績は残せませんでした。
しかし、当時から高い注目を集めていた城彰二さんは、U-16日本代表に選抜されてアジアジュニアユース選手権に出場した他、高校卒業後にはU-19日本代表としてアジアユース選手権に出場しています。
城彰二、高校卒業後にジェフユナイテッド市原に入団
城彰二、1994年にJリーグデビュー
城彰二さんは高校卒業後、Jリーグ発足翌年にジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド千葉)に入団しました。
城彰二さんはプロデビュー戦から4試合連続で得点を挙げるなど、ルーキーらしからぬ活躍を見せました。
ジェフユナイテッド市原では入団後すぐにチームの主力として活躍しますが、城彰二さんは日本代表入りや海外挑戦に向けてスキルアップを図るために強豪クラブチームである横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に移籍しました。
城彰二、横浜マリノスへの移籍と日本代表への初選出
城彰二、目標通り日本代表入りを果たす
城彰二さんは横浜マリノスに移籍では高校時代の同同級生だった遠藤彰弘さんとチームメイトになり、エースストライカーとして活躍しました。
城彰二さんは横浜マリノスに入団直後にアトランタオリンピックに向けた西野朗さんが監督を務める日本代表チームに招集され、当時のエースストライカーだった小倉隆史さんが最終予選目前に負傷して戦線離脱したためトップを務め、日本サッカー史上28年ぶりとなる本大会出場を果たしました。
1996年のアトランタオリンピック本大会ではグループリーグ敗退をしたものの、サッカー王国ブラジル相手に城彰二さんからのアシストで伊東輝悦さんがゴールを挙げて勝利し、「マイアミの奇跡」として語り継がれるようになりました。
1997年のFIFAワールドカップ・フランス大会にも出場した城彰二さんは格上であるイラン相手に1点ビハインドを許しながらも同点ゴールを決め、アジア最終予選で本大会出場に大きく貢献して「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれました。
城彰二、フランスW杯全敗の戦犯としてサポーターから批判の嵐
城彰二さんは1998年に開催されたフランス大会本戦では得点を挙げることができず、3戦全敗という屈辱を味わいました。
アルゼンチン戦でシュートを外しながら笑っていたことが解説者のラモス瑠偉さんに厳しく批判され、それが3戦全敗の”戦犯”として全国のサポーターからも批判を浴びるようになりました。
その後、フランス大会以降も日本代表チームを務めていましたが、2001年3月のフランス戦を最後に日本代表を引退しました。
城彰二、空港でサポーターから水をかけられる
W杯フランス大会で3戦全敗という最悪の結果を残して帰国した日本代表チームは暗いムードで空港に登場しましたが、城彰二さんは戦犯扱いをされてサポーターから水をかけられました。
城彰二さんを含む日本代表チームは3戦全敗という汚名を着て帰国したため暗いムードでの帰国となりました。
うつむき加減で記者団やサポーターに囲まれている空港構内を歩いていると、栓のされていないペットボトルを投げつけられ、撒き散らされた水が城彰二さんのスーツにかかりました。
選手の中にはペットボトルが飛んできた方向を睨めつけていましたが、城彰二さんは怒ることなく駆けつけた広報担当にガードされながら出口へ急ぎ、ペットボトルを投げた男は警備員に取り押さえられ逮捕されました。
「水をかけられたときは『なんだよ』って思ったよ。たぶん、普通の精神状態なら『ふざけんな』って怒っていたと思う。もしかしたら、殴り合いになっていたかもしれない。でも、そういう精神状態じゃなかった……」
当時はインターネットが登場したばかりで現在のような掲示板やツイッターなどSNSを使った陰湿な書き込みはありませんでしたが、城彰二さんは世間からバッシングを浴びることが分かっていたためあえて何も反論せずにいたそうです。
その後も脅迫電話など嫌がらせが相次いだことで城彰二さんは精神的に追い込まれ、一時は現役引退も考えたそうです。
しかし、そんな精神的に最悪な状況の時に”キング・カズ”こと三浦知良さんに電話で相談すると、以下のような言葉をかけて貰ったそうです。
「おまえ、そんなのに負けていたら”エース”なんかつとまんねぇぞ。(空港で)水をかけられたらしいけど、水でよかったよ。俺なんか、卵をぶつけられたし、いろんなものを投げられた。それは、期待の裏返しだ。気にすんな」
この言葉を貰った城彰二さんは気持ちを切り替えることができたようで、当時の様子を以下のように語っています。
「カズさんにそう言われて、もう泣きそうになったね。ほんと、カズさんの言葉に救われたよ。俺が経験したプレッシャーとか、重圧を理解できるのは、カズさんしかいないわけで、そのカズさんから言われたことだから(その言葉は身に沁みた)。気持ちを切り替えてJリーグでがんばろうと思ったし、カズさんのように精神的にもっと強くならないといけないって思った。もしカズさんの電話がなかったら、しばらく自分の殻に閉じこもっていただろうね」
完全に立ち直った城彰二さんは汚名返上するかのようにJリーグで得点を量産して世界的評価を上げ、念願だったスペインリーグであるリーガ・エスパニョーラへの挑戦が実現することになりました。
城彰二、スペイン・レアル・バリャドリードに移籍
城彰二、スペインリーグに挑戦
完全に立ち直った城彰二さんはスペインのリーガ・エスパニョーラ1部所属の名門クラブ、レアル・バリャドリードにシーズン途中からレンタル移籍しました。
城彰二さんはチーム加入後すぐにほとんどレギュラーメンバーとして活躍しましたが、ポストプレーでの得点力が高く評価されたものの総合的な能力は評価されなかったため横浜F・マリノス時代に2億円の年棒を貰っていたところ同チームでは3,500万円にとどまりました。
城彰二さんは高校時代から膝の前十字靭帯を切ったままとなっており、そのことが同チームが完全移籍やレンタル期間延長に難色を示し、城彰二さんは帰国して横浜F・マリノスに復帰しました。
城彰二、横浜F・マリノスに復帰するも活躍出来ず…
2000年1月に横浜F・マリノスに復帰した城彰二
城彰二さんは復帰してからも度重なる怪我や体調不良などが祟り得点数が激減してしまいました。
城彰二さんの不調に反して横浜F・マリノスは絶好調であり、スペインにいた頃の2000年のJ1ファーストステージで5年ぶりの優勝を果たしたばかりでした。
しかし城彰二さんが復帰直後から失速して同年12月のJリーグチャンピオンシップでは得点を挙げられず敗退、リーグ終盤にはJ2降格の危機に直面したため、城彰二さんは再び”戦犯”としてサポーターから批判を浴びヴィッセル神戸への移籍を余儀なくされてしまいました。
城彰二、ヴィッセル神戸を経てJ2・横浜FC移籍し引退へ
ヴィッセル神戸でも不調続きだった城彰二
城彰二さんは2002年にヴィッセル神戸にレンタル移籍したものシーズン通して1ゴールのみと結果は厳しいもので、年末に同チームから翌シーズンの契約延長を見送られ、横浜F・マリノスからも戦力外通告を受けたため同シーズンを以てJ1を引退することになりました。
城彰二さんは2003年に三浦知良さんの所属するJ2・横浜FCに移籍し、同チームで主力メンバーとして活躍しながらサッカー現役を引退した後のためにスポーツ番組やバラエティ番組などに出演するようになりました。
同チームでは城彰二さんはチームリーダーとして率いて活躍し、次第にサポーターは三浦知良さんの”キング・カズ”にあやかって「キング・ジョー」と呼ぶようになりました。
2006年には城彰二さんは三浦知良さんとのツートップとして同チームをクラブ初となるJ1への昇格を果たし、同年11月23日に三ツ沢公園球技場で行われた徳島ヴォルティスとの試合を最後に現役引退しました。
城彰二が現役を引退した理由は膝の古傷が原因
城彰二、31歳で現役引退~カズは「俺より若い」とは早い引退惜しむ
城彰二さんは31歳となった2006年11月、古傷の左膝が限界となり引退を表明しました。
なんと高校生時代に左膝の前十字靭帯を切ったまま、手術もせずプレーを続けたことによることが原因のようです。
この高校生時代の怪我は、スペインの完全移籍話をも頓挫させる原因となっており結局契約を見送られてしまいました。
また、当時39歳だった三浦知良さんは「俺よりも若い」と早い引退を惜しみました。
城彰二が結婚した嫁はCAの亀井育代さん
城彰二、交際3ヶ月でCAの亀井育代さんとスピード結婚
城彰二が結婚した嫁は日本エアシステムのキャビンアテンダント・亀井育代
城彰二さんは2001年に当時日本エアシステムのキャビンアテンダントだった亀井育代さんと知り合い3ヶ月後に結婚しています。
出会ったきっかけは知人の紹介だったようですが、亀井育代さんに一目ぼれした城彰二さんは同郷であったことからも意気投合して交際がスタートしました。
そして同年9月に城彰二さんは亀井育代さんにプロポーズをし、11月に入籍、2002年1月に結婚式を挙げました。
城彰二の子供は娘2人と息子1人…次女と長男は双子
城彰二の子供(娘と息子)は有名私立小学校に入学
城彰二さんには明らかになっている情報として2004年に長女(第1子)の夢叶(ゆめか)さんが誕生しています。夢叶ちゃんは城彰二さんの引退試合にも参加しています。
その後、兄弟が生まれたかどうかは不明でしたが、2016年に長男と長女が有名私立小学校に入学したという記事が掲載されました。
しかし、長女はすでにこの時には小学校6年生か中学1年生のどちらかになっているはずです。
このことから、城さんには子供が3人おり、下の娘と息子は双子ということが判明しました。
長男(6)と長女(6)、妻の4人でこの小学校にやって来ていたのは、元サッカー日本代表の城彰二(40)。先頭を歩いていた城は、子供たちが車道に出ないよう何度も振り向いていた。子どもたちもかつて日本を背負っていたパパに、しっかりとついて歩いていた。
芸能人ママ、パパたちは、我が子の晴れの日に満開の笑顔を見せていた。
引用:レギュラー9本の内村光良 長女の小学校入学式で鞄持ち奮闘 記事投稿日:2016/04/13
ちなみにこの小学校の入学式には内村光良夫妻、宮沢りえさんも出席していたことから、子供の学校名は成城学園初等学校(小学校)ということも判明しています。
城彰二の子供で長女・城夢叶は女優として活動中
出典:https://www.bing.com/
長女の城夢叶(じょう ゆめか)
城彰二さんの長女である夢叶さんは、現在女優として活動しています。小学校3年生の頃から舞台やミュージカルに出演しているそうです。
2022年1月にはフジテレビ系「ワイドナショー」に10代のコメンテーター「ワイドナティーン」として出演し、城彰二さんの娘ということで話題となりました。
「お父さんに似てる!」「かわいい」といった声が寄せられた城夢叶さん。今後はドラマなど映像作品にも出演していきたいと抱負を語っていました。
城彰二の昔の若い頃や現在の激太り画像特集
城彰二の現役時代の若い頃や激太りの画像①
城彰二さんの若い頃は当然現在太った姿と違いかなり引き締まっていたようです。
城彰二の現役時代の若い頃や激太りの画像②
城彰二さんは若い頃は太る余地も無かったと思いますがどうやら甘いもの好きだったようです。
城彰二の現役時代の若い頃や激太りの画像③
この頃も甘いものを食べていたと思いますがその分消費されていたため太らなかったのでしょう。
城彰二の現役時代の若い頃や激太りの画像④
城彰二さんは現役引退してまもなく激太りしてしまいました。
城彰二の現役時代の若い頃や激太りの画像⑤
城彰二さんの現役時代を知らない若い世代からしたら「サッカー選手だったの!?」と思うかもしれません。
城彰二の現役時代の若い頃や激太りの画像⑥
城彰二さんは激太りして見るも無残な中年太りをしてしまいました。
城彰二の現役時代の若い頃や激太りの画像⑦
太った城彰二さんはスレンダートーンというダイエットグッズで1ヶ月チャレンジで見事に痩せました。
城彰二の現役時代の若い頃や激太りの画像⑧
ネット上ではライザップと間違われることがありますが、城彰二さんが痩せたダイエットはスレンダートーンというグッズです。
城彰二が痩せるCMにでていてびっくりしたw サッカークラブで教えてる子たちからはあの太ったおじさん何しに来てるんだろ?としか思われてないって言ってたけど、さすがにサッカー教えに来てるとは思われてるわwww
— pinkyฅ•ω•ฅ (@PinkyEmiri) 2018年6月24日
城彰二の私生活エピソードから分かる性格
城彰二の私生活エピソードから性格を探る
ネット上で公開されている城彰二さんの私生活エピソードから性格の傾向を探ってみましたのでご紹介しましょう。
城彰二の好きな食べ物
城彰二さんの大好物は甘いもので特にプリンが好きなようです。嫌いな食べ物はトマトだということです。
城彰二の得意料理
城彰二さんの得意料理は肉じゃがで料理はしなくもないようですね。
城彰二の好きなサブカルチャー
城彰二さんの好きな作家は西村京太郎で、好きなアーティストはB’zであり、過去に松本孝弘さんと音楽番組内で対談をしたこともありました。
城彰二はカラオケが好き
城彰二さんのカラオケの十八番はサザンオールスターズだということです。
城彰二の今後の目標
城彰二さんは将来的に「チョイ悪オヤジ」を目指しているそうです。
城彰二はチャリティーをしていた
城彰二さんは現役時代に1998年から試合出場1分につき100円を積み立てるという「JO基金」を設立し、交通遺児に寄付していました。
城彰二の一発芸
城彰二さんはサンプラザ中野のモノマネができるようです。
城彰二さんの私生活エピソードから分かる性格を一言で表すなら「ザ・昭和の男」というイメージがピッタリかもしれません。
温厚そうな性格で人当たり良さそうな城彰二さんがちょいワルおやじに憧れるのは建設会社を経営していた父親の影響もあるのでしょうか。
これからも城彰二さんには日本のサッカー界を盛り上げる活動に尽力していって欲しいですね。
サッカー観てますが、何よりも城彰二の解説が素晴らしい!
— みいくら あらた (@60723196newlily) 2018年6月24日
城彰二について総まとめすると…
・城彰二はCAの亀井育代さんと2001年11月に結婚した。
・城彰二には子供が3人いるとみられ、長女は2004年に誕生、次女と長男は双子で2016年に成城学園初等学校(小学校)の入学式に参加していた。長女の夢叶(ゆめか)は現在女優として活動している。
ジェフユナイテッド市原でプロデビューをし、日本代表のエースストライカーとしても活躍した城彰二さんについて総まとめしてきました。
城彰二さんの子供がサッカーをしているという情報はありませんでしたが、多くの子供たちにサッカーを教えているようです。
城彰二さんはJリーグチームの監督や日本代表監督も務められるS級ライセンスも取得しているため、今後はプロのコーチや監督としても活躍するかもしれませんね。