井川意高さんは大企業・大王製紙の創業家出身の実業家ですが、逮捕や芸能人との交遊関係も話題です。
今回は井川意高さんの家族(父親や兄弟)、若い頃の経歴や逮捕、芸能人との交遊歴、結婚した嫁や子供、自宅や資産、出所後の現在をまとめました。
この記事の目次
- 井川意高とは
- 井川意高の家系図
- 井川意高の家族① 祖父は叩き上げの実業家だった
- 井川意高の家族② 父親は製紙業界の風雲児だった
- 井川意高の家族③ 兄弟は弟・井川高博
- 井川意高の家族④ 親戚も有名な実業家だった
- 井川意高の若い頃の経歴① 父親から受けた英才教育が凄すぎた
- 井川意高の若い頃の経歴② 東京大学法学部に入学
- 井川意高の若い頃の経歴③ 大王製紙時代は優秀だった
- 井川意高の若い頃の経歴④ 銀座や六本木で豪遊していた
- 井川意高の芸能人交流歴① 宮沢りえや市川團十郎に塩対応されていた
- 井川意高の芸能人交流歴② 藤原紀香は元愛人?
- 井川意高の芸能人交流歴③ ブレイク前のほしのあきとも遊び仲間
- 井川意高の芸能人交流歴④ 滝川クリステルとも交流があった?
- 井川意高の若い頃のスキャンダル:カジノにハマり特別背任事件で逮捕
- 井川意高の資産は逮捕後もすごかった
- 井川意高の自宅はとんでもない豪邸だった
- 井川意高が結婚した元嫁&子供
- 井川意高の逮捕&出所したその後
- 井川意高の現在
- 井川意高のまとめ
井川意高とは
井川意高(いかわ もとたか)
生年月日:1964年7月28日
出生地:京都(東京育ち)
井川意高さんは2022年8月に、次のツイートで世間を騒がせた元実業家です。
今だから言います
— 井川 意高 本アカ (@mototaka728) August 7, 2022
4月4日に故安倍元総理と食事をご一緒したとき「林さんは中国のハニートラップにかかってるでしょうね」と仰ってた。
根拠もお話になっていた。https://t.co/RNbcLe5IbD
「林さん」とは自由民主党所属の衆議院議員である林芳正さんです。
こちらの騒動の真偽は不明ですが、井川意高さんは2022年7月に銃撃事件で亡くなった政治家の安倍晋三さんと交流があったことは間違いないようです。
そんな井川意高さんのツイートに対しては、ネット上では賛否両論がありました。
15オピツツス(最果ての町) [US]2022/08/09(火) 09:18:01.22ID:kebtac7t0
本当だったら安倍晋三は国家や政府や内閣、そして同僚の情報を
一般人にペラペラ喋ってまう危機管理の出来ない政治家失格の人間
嘘だったら嘘で仲間を陥れるとんでもない卑怯な人間
こんなのとはとても一緒に仕事なんて出来ないと誰もが思うだろう何でどっちに転んでも安倍晋三の評価が落ちる事を書いてしまう?
59テルモアナエロバクター(茸) [NL]2022/08/09(火) 09:54:38.04ID:5YoLiXxq0
本当に言ったかわからんし、言ったとしても安倍は冗談のつもりだったろ。そうじゃなきゃ安倍政権で長く閣僚やれない。
問題は林の場合洒落ですまないんで、告発するからには責任持って証拠を出すべき。引用:大王製紙前会長 「林外相は中国のハニートラップにかかってるだろうと安倍さんが以前仰ってた」 [886559449]
とはいえ、当の井川意高さんはネット上の批判などお構いなしに、その後も林さんに対して攻撃的なツイートを続けていました。
#拡散希望 #ハニトラ #売国
— 井川 意高 本アカ (@mototaka728) November 18, 2022
林訪中は大臣たっての希望で、夫人を伴わない単独訪問の希望であり、
「いわば林大臣へのご褒美で慰安旅行」
「ミサイルが飛んできた時でさえコメントを控えた林大臣が、今の中国相手に何も言える訳が無い」
↑
弱腰の日本国外務省内でさえ
こう囁かれてるらしいぞ
・林芳正の家系図&嫁と子供など家族!経歴と英語力・中国のハニートラップにかかった説・安倍晋三との不仲説・コロナで自宅療養も総まとめ
井川意高の家系図
大王製紙の創業者一族で元会長だった
今やネット界のお騒がせ男になってしまった感のある井川意高さんですが、実は日本を代表する名家出身なんです。
井川意高さんの実家は「エリエール」ブランドでお馴染みの「大王製紙」の創業者一族。
近所のスーパーに「エリエール i:na(イーナ)ソフトパック」が入荷されるようになって大歓喜、愛用してます。10個パックでもコンパクト。ティッシュ自体が一回り小さいのですが、簡易パッケージも工夫されていて単体でも取り出しやすいです。とにかくゴミ捨てが楽でいい。お勧め。#エリエール #愛媛FC pic.twitter.com/Pp2hDKlLKl
— 能田 達規 (@tatsukino) May 18, 2021
おはようございます♪
— 株式会社宝木スタッフサービス公式 (@takaragistaff) July 12, 2022
宇都宮の天気は曇り☁
自宅では『エリエール消臭+』というトイレットペーパーを愛用しています
芳香剤要らずで柔らかいのでお気に入りです
何よりも求めるのは、柔らかさ
こんな世の中、せめて自宅ではお尻に優しくしてあげたいものです#企業公式が毎朝地元の天気を言い合う pic.twitter.com/IcL5iLxQJG
1位:王子HD(売上1兆4701億円)
2位:日本製紙(売上1兆450億円)
3位:レンゴー(売上7469億円)
4位:大王製紙(売上6123億円)
ちなみに、井川意高さんは創業者から数えて3代目に当たり、一時期は「大王製紙」の会長まで務めていました。
井川意高の家族① 祖父は叩き上げの実業家だった
井川伊勢吉(いかわ いせきち)
生年月日:1909年11月7日
出身地:愛媛県四国中央市
「大王製紙」の創業者は、井川意高さんの祖父にあたる井川伊勢吉さんです。
伊勢吉さんの実家はもともとクズ紙原料商を営んでおり、伊勢吉さんも高等小学校を卒業後は、家業を手伝っていました。
その後、1928年に製紙原料商を開始した伊勢吉さんは、愛媛県西条市にある和紙工場を買収したことをきっかけに、1940年頃より製紙業界にも参入。
1943年には、四国の機械すき和紙メーカー14社を統合し、「大王製紙」を設立しました。
ちなみに「大王製紙」の企業名に関しては、日本No1の製紙メーカーとして君臨する王子製紙を超えるとの野望が秘められていたとか。
井川家の繁栄の礎を築いた伊勢吉さん自身については、倹約家で働き者だったとの逸話が残っています。
伊勢吉について、地元商店街の関係者によると「創業者の井川伊勢吉氏は、身長が百五十センチに満たない小柄な人でしたが、働き者でね。ボロ服を着て リヤカーを引いていた姿が印象的でした。各家庭を回って、製紙の原料に使う段ボールなどの古紙を集めるのです。古紙を原材料に混ぜて製紙を作ると程よい柔らかさになって需要があった。…(中略)伊勢吉氏は、遠方に行く時は旅館には泊まらず、車の中で寝泊りしていた倹約家でした。」という。
引用:井川伊勢吉
井川意高の家族② 父親は製紙業界の風雲児だった
井川高雄(いかわ たかお)
生年月日:1937年8月28日
出身地:愛媛県
「大王製紙」の2代目は、井川意高さんの父親である井川高雄さんとなります。
高等小学校卒だった父親とは違い、慶應義塾大学文学部卒のボンボン育ちだった高雄さんでしたが、入社早々に「大王製紙」の経営が傾き倒産するなど、修羅場も多かったと言われています。
大王製紙は、1962年、支払手形1億6900万円が不渡りとなり、自主再建を断念し、会社更生法の適用を申請した。紙市場の不況と原料高という負担に加え、積極経営による無理な設備投資が重なって収益と資金繰りの両面が悪化、そのため大口の債権者と経営再建について話し合っていたが、折り合いがつかず会社更生法申請に至った。
引用:大王製紙
また、「エリエール」ブランドの生みの親であり、「大王製紙」を一時は業界3番手まで押し上げるなど、非常に優秀な人物でした。
井川意高の家族③ 兄弟は弟・井川高博
井川高雄さんには、2歳年下の弟・井川高博さんもいます。
高博さんはかつては「大王製紙」の取締役をしていたそうですが、後述する騒動により大王製紙を追放されています。
とはいえ、そんなアクシデントがありながらも零落することはなく、レーシングチームの活動で有名な自動車会社「童夢」のオーナーに就任するなど、別分野で活躍されているようです。
株式会社童夢は、1978年に京都府で創業した自動車関連会社である。主に自動車ショーでのモデルカーの制作を行う一方、レーシングカーの設計・製造事業(コンストラクター)、レーシングチームの運営など、業務は多岐にわたる。
引用:童夢 (自動車会社)
ちなみに、高博さんが「童夢」のオーナーに就任した背景には、「大王製紙」時代からレーサーとして活動していた車道楽だったことが大きかったといいます。
また、「大王製紙」が以前に「童夢」のスポンサーをしていたことも影響していたそうです。
井川意高の家族④ 親戚も有名な実業家だった
井川意高さんは、実は親戚筋も有名な実業家一族なんです。
井川意高さんの祖父・井川伊勢吉さんの弟が、「カミ商事グループ」という企業グループを創業しています。
・カミ商事(2020年6月期売上1019億円)
・愛媛製紙(2021年9月期269億円)
・三洋製紙
・オークラ製紙
・株式会社丸和
カミ商事グループの一覧はこちら→カミ商事グループ一覧
また、井川伊勢吉さんの妹とその夫が、「タイカワグループ」という企業グループを立ち上げています。
・タイカワ商事(売上250億円)
・兵庫パルプ工業(売上160億円)
・タイカワ運輸(売上35億円)
井川意高の若い頃の経歴① 父親から受けた英才教育が凄すぎた
井川意高さんは京都府京都市で生まれた後、小学校入学直前までアメリカで過ごしています。
その後は日本に戻り、「大王製紙」の四国本社のある愛媛県四国中央市で育つことになりました。
小学生時代は夏休みや冬休みになると、東京の学習塾の集中講座に飛行機で通っていたそうで、大金持ちならではのエピソードを持っています。
また、普段も「大王製紙」の東大卒の社員が家庭教師についていたとのこと。
チートすぎる英才教育を受けた井川意高さんは、中学受験にも成功し、筑波大学附属駒場中学校に合格しています。
そのため、以降は一家そろって東京へ移住し、東京で暮らすことになりました。
井川意高の若い頃の経歴② 東京大学法学部に入学
井川意高さんが進学した筑波大学附属駒場中学校は、東京都世田谷区にある国立の中高一貫校で、日本一偏差値の高い名門中学としても超有名です。
また、東京大学への進学者数が全国TOP5に入るような超進学校です。
・東京大学87名
・慶應義塾大学71名
・早稲田大学97名
・上智大学24名
・東京理科大学16名
・明治大学17名
井川意高さんも同級生たちと切磋琢磨した結果、東京大学法学部に合格するなど、エリート街道まっしぐらでした。
井川意高の若い頃の経歴③ 大王製紙時代は優秀だった
東京大学卒業後の井川意高さんは、大原簿記学校で1年間会計を勉強した後、1988年4月に「大王製紙」に入社しています。
「大王製紙」時代は創業者一族の御曹司の地位から、とんとん拍子に出世。
1988年4月、大王製紙に入社する。三島工場次長、常務取締役、専務取締役などを経て、1998年6月に代表取締役副社長となった。2006年4月からは、子会社であった名古屋パルプの社長を約1年間務める。
引用:井川意高
ただし、井川意高さん本人は「創業者一族だから出世したと言われたくない」との思いが強かったため、必死に勉強していたようですね。
また、マーケティング会議などに出席した際は、誰よりもアイデアを提案していたと言います。
その他、家庭紙事業を黒字転換させるなど経営面の実績も大きかったことから、2007年には42歳の若さで「大王製紙」の社長に就任。
まさに栄光に満ちた実業家人生を送っていた井川意高さんですが、周囲からは「そのくらいやって当たり前」との評価が多かったそう。
そのため、「大王製紙」時代は創業者一族の義務感だけで仕事をしていたらしく、常に砂をかむような心境だったと語っています。
井川意高の若い頃の経歴④ 銀座や六本木で豪遊していた
一見すると、勉強と仕事に明け暮れた青春時代を過ごしていたかに見える井川意高さんですが、実は遊び人エピソードもたくさんあります。
井川意高さんが遊びを覚えたきっかけは、若手実業家仲間の存在が大きかったようです。
25~26歳の若さだった私は、四国新聞や西日本放送のオーナーだった平井卓也さん(現・自民党衆議院議員)や、平井さんの親友だった穴吹工務店の穴吹英隆社長らに連れられて銀座や六本木の店を開拓していった。穴吹さんや平井さんらは「ヤングプレジデントオーガニゼーション」(通称・YPO)という若手の社長会に所属しており、彼らにくっついていればYPOに所属している経営者との人脈を構築できた。
引用:川意高
井川意高の芸能人交流歴① 宮沢りえや市川團十郎に塩対応されていた
井川意高さんは若い頃、女優の宮沢りえさんに塩対応されたことがあります。
2人が出会ったのは西麻布のバーだったらしく、宮沢りえさんは当時交際していた大物歌舞伎役者の男性とデート中でした。
そのため、井川意高さんも声をかけるのは野暮だと思ったそうですが、知人が宮沢りえさんに挨拶し、井川意高さんのことを紹介したそうです。
気が進まない中、宮沢りえさんに挨拶したところ、愛想笑いさえしてもらえずに追い返されてしまったといいます。
大王製紙は、宮沢りえさんの初主演映画でヒット作となった『ぼくらの七日間戦争』(88年公開)に1億円ほど出資している。ふとそのことを思い出し、挨拶をした。
「はじめまして。大王製紙の井川意高と申します。宮沢さんは『ぼくらの七日間戦争』のころからのファンなんですよ」
すると宮沢さんは私のことをキッと睨み、
「そんな昔のことなんか忘れてるわ」
また、酔っぱらった市川團十郎さんに「あんたがどんな立派な会社の社長だろうが全然興味はないんだ」と絡まれたこともあったそうです。
なお、夜の街を通して、山下智久さんや田口淳之介さん、大島麻衣さんといった元アイドルたちとも面識があったと言われております。
その他、石田純一さんと東尾理子さんの結婚式にも参加したことがあるようです。
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井川意高の芸能人交流歴② 藤原紀香は元愛人?
社会人になって以降、遊び人として夜の街を騒がしていた井川意高さんですが、女優の藤原紀香さんを愛人にしていたとの噂も存在します。
ただしこれはまったくのデマで、ブレイク前の藤原さんと一緒に食事に行ったりカラオケに興じたりする遊び仲間だっただけのようです。
井川意高さんが所有していた軽井沢の別荘に一緒に泊まったこともあるとのことですが、常に数人の仲間も同行しており、男女の仲になるようなことは一切なかったと言われています。
井川意高の芸能人交流歴③ ブレイク前のほしのあきとも遊び仲間
井川意高さんは、元グラビアタレントのほしのあきさんがブレイクする以前に遊び仲間だったそうで、月1~2回程度の頻度で食事をする仲でした。
井川意高さん曰く、ほしのさんはとにかく律儀な性格だったそうで、飲みの席で「遊びにこない?」と連絡を入れると、用事があっても必ず20~30分は顔を出してくれたそうです。
井川意高の芸能人交流歴④ 滝川クリステルとも交流があった?
井川意高さんは、フリーアナウンサーの滝川クリステルさんとも遊び仲間だったとの噂もあります。
しかしこの噂はまったくのデマで、井川意高さんは滝川さんと会ったことすらないとか。
デマが流れた原因は、井川意高さんがハーフ美女好きだったことから噂が独り歩きしてしまったものと思われます。
また、元グラドルの熊田曜子さんや山本梓さんを愛人にしていたとの噂もあったようですが、彼女たちとも顔を会わせたことがある程度で、ほとんど交流がなかったと言われています。
井川意高の若い頃のスキャンダル:カジノにハマり特別背任事件で逮捕
我が世の春を謳歌していたかに見えた井川意高さんですが、2011年になると「大王製紙事件」を起こし逮捕されています。
「大王製紙事件」とは、カジノにハマった井川意高さんが、種銭を捻出するために会社のお金を私的流用した背任事件です。
大王製紙事件(だいおうせいしじけん)とは、2011年に発覚した背任事件。
日本の大手製紙会社「大王製紙」の創業家出身である井川意高・大王製紙代表取締役会長(当時)が、個人的なカジノの掛け金に充てることを目的に、大王製紙のグループ会社から資金を不正に引き出し、私的流用(横領)を行った事件である。
引用:大王製紙事件
ちなみに、井川意高さんが私的流用したお金は106億円もの額だったと言われており、前代未聞の横領事件となりました。
カジノにはまった原因はビキナーズラック
元々遊び人だった井川意高さんですが、カジノにハマったきっかけは2000年代前半頃のオーストラリア旅行でした。
家族でオーストラリアに行ったところ、現地のカジノで100万円が2000万円になるビキナーズラックを経験し、すっかりハマり込んでしまったとか。
その後は、週末になるとマカオやシンガポールのカジノに急行し、バカラ賭博に打ち込む日々を送っていたといいます。
懲役4年の実刑判決&お家騒動が勃発
特別背任罪で逮捕された井川意高さんは、2013年6月、懲役4年の実刑判決を受けています。
また、「大王製紙事件」をきっかけに大王製紙内の反創業者一族派の発言力が増した結果、お家騒動まで起こってしまいました。
意高前会長の子会社からの巨額借り入れ事件を受け、佐光社長ら現・経営陣と大王が設置した「特別調査委員会」は、事件の背景に創業家の井川一族支配があったと結論付け、高雄顧問を追放。創業家に対し、大王と関連会社の株式を売却するよう求めた。高雄氏は「事件に名を借りた、会社乗っ取りだ」と猛反発。一時は、ティッシュペーパー「エリエール」などの家庭用紙は高雄氏側、新聞用紙などは経営陣が経営する工場で生産するという分裂寸前までいった。
このお家騒動は、北越コーポレーションが仲裁役となり、創業者一族の保有する株式を買い取る形で決着がついており、その結果、井川家は「大王製紙」から追放されました。
井川意高の資産は逮捕後もすごかった
カジノに没頭しすぎた結果、井川家が大王製紙から追い出されることになってしまった井川意高さんですが、資産はまた別の話でした。
お家騒動を一刻も早く収める必要があった「大王製紙」側の思いを理解していた井川家は、保有する株式を売却する際に徹底的にゴネたと言われています。
その結果、本来は140億円程度の時価だった保有株を440億円で売ることに成功。
なお、井川意高さんが私的流用したお金のうち59億円が未返済だったため、実際に手元に残ったのは380億円ほどで、そのすべてが井川意高さんの財産になったわけではありません。
しかし、刑務所に服役中に20台近い高級外車を購入するくらいのお金が井川意高さんの取り分としてあてられました。
ちなみに、服役中に購入した外車はセルリアンタワー東急ホテルの地下駐車場に止めっぱなしだったようで、1台につき月8万円の駐車料金がかかっていたという話です。
井川意高の自宅はとんでもない豪邸だった
祖父の代から富豪一族な井川意高さんだけに、実家もとんでもない豪邸となります。
井川意高さんの実家については、まずは愛媛県四国中央市にある井川家本邸が挙げられます。
また、東京都渋谷区の高級住宅街にも敷地面積120坪の豪邸を所有し、地価だけで7億円の価値があると言われています。
ただし、父親である井川高雄さん名義の物件だったため、2019年に高雄さんが亡くなった後は遺産相続の関係上、渋谷の豪邸はどうなったかは不明です。
井川意高が結婚した元嫁&子供
井川意高さんは、東京大学のヨット愛好会で知り合った「陽子さん」という女性と結婚していました。
しかし、前述のように井川意高さんは家庭を省みないタイプの遊び人だったため、40歳の時に離婚しています。
子供は3人
井川意高さんは陽子さんとの間に一男二女をもうけています。
自身は東大卒の井川意高さんですが、受験地獄を我が子に体験させるのは酷だと思ったのか、子供たちは慶應義塾幼稚舎に入学。
そのため、3人の子供たちは慶應義塾大学卒と思われます。
井川意高の逮捕&出所したその後
出所後の井川意高さんは一文無しになったわけでもなく、むしろ世間的にはまだまだ大金持ちの部類だったため、再び海外のカジノに入り浸るようになっていました。
ただ、急に勝負運が強くなるわけもなかったため、服役中に購入した高級外車を売却して博打の資金を作る日々が続いていたとか。
そんな井川意高さんの博打熱が薄れたのは、シンガポールのカジノで1ヶ月間バカラに打ち込んだことがきっかけでした。
1カ月バカラをやり続けたおかでで、いい加減に満足した部分もある。大王製紙に勤めていた時代は、時間制限があった。カジノに入り浸るのは2泊3日が基本だったし、長くても夏休みの1週間が最長だ。丸1カ月バカラをやり続けた結果、1年分の疼きが1カ月に凝縮したような感覚に囚われた。端的に言って、バカラへの情熱は突然燃え尽きた。“バカラED”に陥り、とうとうバカラに飽きてしまったのだ。
引用:出所後、ソウルのカジノで3000万円を9億円に…だがそのカネもすべて熔けた 大王製紙・井川意高の「熔ける 再び」(2)【話題沸騰】
ただし、それ以降も時折海外のカジノに足を運んでいたらしく、完全に博打絶ちができたのは、コロナ禍以降だったといいます。
井川意高の現在
SNSでの暴言が話題に
井川意高さんの現在の動向は X(旧Twitter)やInstagramで確認できます。
井川意高さんは、2022年10月にもサッカーW杯絡みの暴言で注目を集めていました。
井川意高さんが暴言を吐いたきっかけは、日本人サポーターが現地スタジアムでゴミ拾いをしている光景が海外メディアに賞賛されたことでした。
こういうの
— 井川 意高 本アカ (@mototaka728) November 24, 2022
気持ち悪いから
やめて欲しい
ただの自己満足
掃除人の仕事を
奪ってる https://t.co/Jtyfja4y2t
そもそも
— 井川 意高 本アカ (@mototaka728) November 24, 2022
海外で評価されてる
ということを
喜ぶ
奴隷根性が
嫌いだわ
奴隷根性とは
— 井川 意高 本アカ (@mototaka728) November 26, 2022
自分の頭で考えず
自分の基準で判断出来ず
他者の物差しで判断し
他人の指図で動く
精神性
まさに
日本人だろ
オレが
ツイート始めた時から
言い続けている
オレは
ニーチェのいうところの
超人を目指したい
なんども
— 井川 意高 本アカ (@mototaka728) November 24, 2022
繰り返すが
サッカー場の
ゴミ拾いを
褒められて
有頂天になる
日本人が
悲しい
そんな
ちっぽけな
自尊心が
満たされて
うれしいか?
オレには
世界からの誉め殺し
としか
思えない
「よしよし
日本人て偉いでちゅね!
よく出来まちゅたね〜
花マル
三っちゅ
あげまちゅからね〜」
しかし、日本人サポーターたちの行動は一般的には賞賛されるに値する善行なため、ネット上では井川意高さんへの批判が多い状況となっていました。
自己満足でも偽善でもいいじゃん。
— カプディーゴRS (@EA21R_ND5RC) November 25, 2022
この人が持ってるサッカー場でもなければ、そこを掃除する作業員でもなく、
サッカー日本代表でもなく、現地人ですらない人が、
他人の行為を気持ち悪いとか、やめろとか言う方が筋違い。
お前はお前の好きにしろよ、他人に口出すな。 https://t.co/onsT21KtwP
刑務所生活について語る
井川意高さんは、2023年10月に実業家の青汁王子こと三崎優太さんのYouTubeチャンネルに出演し、3年2カ月に及んだ刑務所生活について明かしました。
刑務所内は完全禁酒のため酒豪の井川意高さんも健康的になったといい、また、本を読み漁り多くの知識をインプットできたとのことで、獄中生活については「いいこと、多かったですよ」と語っていました。
保釈前の酒豪生活を続けていれば、普通の平均寿命よりも早く死んでいたかもしれないとまずは健康面のメリットを語ります。デトックスしたおかげで、全ての数値が綺麗に正常値に戻ったといい、10年普通の人より早く死んでいたから、7年得したと続けました。もう一つのメリットは、膨大な時間で知識を再インプットできたことだと言います。49歳から52歳という人生の折り返し地点で再び3年間勉強できたことは大きいと語りました。雑誌から本まで興味のあったことや苦手だった数学や物理のをもう一度勉強し直したんだとか。
オンラインサロンやトークライブなどで精力的に活動
2022年6月に著書『熔ける 再び そして会社も失った』を幻冬舎から出版した井川意高さんは、同年にメルマガ「井川意高の溶ける日々」とオンラインサロン「井川意高と熔ける夜」といったサービスも始めました。オンラインサロンは月額99,000円という強気の価格設定となっています。
また、井川意高さんは「井川塾」と題したトークライブを開催したり、自身のYouTubeチャンネルで政治に関する話題や時事ネタに切り込んだりと発信活動を続けています。
暴言により批判を浴びることも多い井川意高さんですが、知的で話術が巧みなため、多くの支持者も獲得しているようです。
井川意高のまとめ
井川意高さんは、大企業の創業一族出身で敏腕実業家としての能力がありながらも、博打にハマったせいで身を滅ぼしてしまった人物です。
井川意高さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させていただきます。