ガッツ石松さんは元プロボクサーですが、過去の喧嘩最強伝説はすさまじいものがあります。
今回は、ガッツ石松さんのプロフィール、結婚した嫁と娘、喧嘩最強伝説、また最近出た死亡説の真相や現在の様子をまとめました。
この記事の目次
ガッツ石松プロフィール
名前:ガッツ 石松(ガッツ いしまつ)
本名:鈴木 有二(すずき ゆうじ)
通称:鈴木石松
生年月日:1949年6月5日
出身:栃木県上都賀郡清洲村
身長:172cm
リーチ:172cm
ガッツ石松はアジア初のWBC世界ライト級チャンピオン
ガッツ石松さんは、元プロボクサー、元WBC世界ライト級チャンピオンでありながら、引退後は俳優、タレントとしても活動し、更に広島国際学院大学現代社会学部客員教授、ガッツエンタープライズ代表取締役社長も務めています。
元々はヨネクラジム所属で、アジア人で初のWBC世界ライト級チャンピオンでした。当時のライト級は非常に層の厚い階級で、そうそうたる世界の強豪を抑えタイトルを5度も防衛しているのです。
中学生時代は学校の体育の教師を目指していましたが、家庭の経済的事情のため進学を断念し、中学卒業とともに上京。
様々な職業を転々としながら、ボクシング修行を続けていきました。世界王者になるまでは鈴木石松というリングネームでしたが、試合で少しでも形勢が悪くなると、試合放棄に近い行動を取り勝てる試合を落とすことがしばしばあり、ランニングが嫌いで「ランニング行って来ると言ってはジムを出て帰りに水を被ってくる」ということがしばしばあったので、ジム側が「ガッツのあるボクサーになってくれるように」との思いを込めて今の名前に改めたそうです。
また、現在普通に使われているガッツポーズはガッツ石松さんが由来となっており、勝利が決まった後に両手の握り拳を上へ突き上げる万歳をしたような独特の勝利のポーズをしたことから、そのポーズが「ガッツポーズ」と名づけられたといわれています。
ガッツ石松、プロボクサーとしての輝かしい戦歴
プロデビューは1966年12月11日、ボクサーとしてはオーソドックススタイルの典型的なボクサータイプです。4回戦時代は当初、勝ったり負けたりの状態であり、1回KO負けの経験もありますが、1969年、全日本ライト級新人王を獲得し、1970年6月6日にはWBA・WBC世界ライト級王座挑戦するもののTKO、更に1971年3月3日、日本ライト級王者高山将孝に挑むが、10回引分でタイトル奪取となりませんでした。
そして1972年1月16日東洋ライト級タイトルに挑戦すると、今度は判定勝ちで王座奪取します。
その後1974年4月11日WBC世界ライト級王座に挑戦し、8回KO勝ちで王座奪取となりました。それからは1976年5月8日6度目の防衛戦でエステバン・デ・ヘススに15回判定で敗れるまで王座を防衛しています。
1977年4月2日、WBC世界ジュニアウェルター級王座に挑戦するものの、センサク・ムアンスリンに6回KO負けで2階級制覇ならず、1978年、後の日本スーパーウェルター級王者・新井容日に判定負けし、引退となり、生涯戦績は、51戦31勝(17KO)14敗6分でした。
ボクシング引退後はタレントや俳優として活動し、俳優としては自ら監督、企画、脚本、製作、製作総指揮を務めた作品に「カンバック」「罪と罰」などがあり、テレビドラマでは「おしん」や「北の国から」など、多数出演しています。
タレント活動としては、現在数多く存在する元ボクサータレントの草分け的存在で、クイズ番組の解答者などにおける珍解答、何を聞いても「OK牧場」と答える天然キャラとして人気者となっています。
また、その他の活動として1996年、森喜朗さんの勧めで第41回衆院選に東京9区から自由民主党公認で出馬したが落選、2010年からは元世界王者により発足される「プロボクシング・世界チャンピオン会」初代会長に就任しています。
ガッツ石松が結婚した嫁はデパート勤務の一般女性
テレビ番組などにおいても家庭のことなどは語らないガッツ石松さんですが、結婚して嫁もいるのです。嫁は結婚当時上野のデパートに勤務していたという正子さんという女性です。
そもそもガッツ石松さんは嫁のことをそこまで語りませんし、嫁も一般人ということで情報は出回っていません。
ガッツ石松の子供情報~娘の鈴木佑季は芸能界デビュー、息子はいるの?
こちらもあまり語られていませんが、ガッツ石松さんには娘さんが一人います。息子がいるという情報も出回っているようですが、実際には娘さん一人しかいません。
そんな娘さん、実は芸能人として活動されています。
ガッツ石松の娘・鈴木佑季
子供の頃には器械体操に励み、運動神経の良さは父親譲りで、スポーツ全般を自身の特技に挙げています。
1994年1月2日、父ガッツ石松さんとともにテレビ東京の新春スペシャルドラマ「織田信長」に出演して芸能界デビューを飾り、以来、ドラマ・バラエティ番組・旅番組などにゲスト出演、主なレギュラー番組に、栃木放送のラジオ番組「鈴木佑季のオーマイ・ガッツ!」があります。
また、その活動と並行して2004年10月からは、Wishful BLankというロックバンドのボーカルを務め、CDなどもリリースしているようです。
娘の鈴木佑季さんは、結婚しているかどうかは不明ですが、現在は男の子のママで、子供の名前は「りく」君だそうです。
ガッツ石松の孫・りく君
ガッツ石松の喧嘩最強伝説~武勇伝の数々と珍言・名言を総まとめ
ガッツ石松さんには数々の喧嘩武勇伝があります。その一部をご紹介します。
ガッツ石松伝説① ヤクザ8人を1人で全員ノックアウト!
それはガッツ石松さんが東洋ライト級王者時代、池袋で白タクの利権がらみで弟にからんだヤクザ8人を相手に喧嘩をし、たった一人で全員KOしたという事件です。この事件では後から正当防衛を認められ釈放されるものの、当初は現行犯として逮捕されてしまいました。
その事件の事情聴取でガッツ石松さんは「チャンピオンは“いついかなる時でも誰の挑戦でも受けなければならない”と賞状に書いてある」と供述しています。
また、この喧嘩について、大勢の相手を一度に倒したように扱われていますが、実際はガッツ石松さんは大勢と一度に相手にすると勝ち目はないと判断し、ビルの隙間に逃げこみ、追いかけてきた相手を一人ずつ、全て一発目のパンチで倒しました。
このとっさの判断と行動力はさすが格闘家と言えます。戦い方としては、先ずボディーブローを叩き込んで、相手が腹を抱えて前のめりになった所に顔面を思い切り蹴飛ばすという2つの動作で、相手集団顔面は流血と嘔吐物にまみれで横たわっていたそうです。
プロが素人相手に喧嘩してしまうのは良くないことですが、弟を守る為に複数の相手と喧嘩するというのはさすがというところでしょう。
ガッツ石松伝説② 陣内智則にブチギレして、番組をボイコット
ガッツ石松さんの喧嘩と言えば、これだけではありません。実は過去にはお笑い芸人の陣内智則さんとも喧嘩になっているのです。
それはある番組内にて、当時まだ陣内智則さんは若手として出演しており、有名になるきっかけを掴みたいが為だったのか、ガッツ石松さんの頭を叩く、いわゆるツッコミをしてしまいました。
芸人からのツッコミなので、理解しなければいけないところなのですが、そのツッコミに対してガッツ石松さんはマジギレしてしまい、本番中にも関わらずスタジオを出ていってしまったのです。
この流れは実際に放送される際にはカットされていますが、番組の途中から突如ガッツ石松さんがいなくなるという不思議な流れとなってしまいました。
騒動に関しては後のテレビ番組で和解したようで、喧嘩というよりもガッツ石松さんが一方的に怒ったというものでした。
また、ツッコミに関しては実は裏で糸を引いている人物がおり、その人物が東野幸治さんなんです。
この本番前、先輩の東野幸治から「お前は若いからドンドン行ったらいい。次の全国(放送)の時はドンドン行けよ」というアドバイスを受けていたこと
後日談として陣内智則さんは東野幸治さんは本番で助けてくれなかったというエピソードをのテレビ番組で語っていました。
ガッツ石松伝説③ 「元祖どっきりカメラ」で本気で激怒
ガッツ石松さんは「元祖どっきりカメラ」で嵌められたことがあり、その内容は若者たちに人生は何たるか云々と講演するために呼ばれるものの、遅刻して来る者、ガッツ石松さんの話を聞かず騒ぐ者などがいて徐々に怒らせていくというものでした。
しまいには全員でガッツ石松さんに対して帰れコールが飛び交います。
そんな中野呂圭介さんがプラカードを持ってネタばらしをする…という設定だったのですが、ガッツ石松さんはマイクや教卓を投げつけるなど激怒してしまったため、なだめる言葉も全く耳に入らなかったそうです。
ガッツ石松伝説④ 大爆笑の珍言・名言
ガッツ石松さんといえば、数々の珍言・名言の数々を残しています。今回はその一部をご紹介します。
ラッキーセブンの3byガッツ石松
— 名言・迷言・珍言bot (@_meigen_) June 11, 2013
東海大相模を東海大すもう byガッツ石松
— 名言・迷言・珍言bot (@_meigen_) June 10, 2013
相模女子大学って女相撲の養成所でしょ」byガッツ石松
— 名言・迷言・珍言bot (@_meigen_) June 9, 2013
同窓会に参加して、ガッツ「お~、老けたな~!いくつになったんだ?」byガッツ石松
— 名言・迷言・珍言bot (@_meigen_) June 8, 2013
司会者「世界の三大珍味です。トリフ、フォアグラ、もうひとつは?」ガッツ「サキイカ!」司会者「残念ですが違います」ガッツ「あっ、思い出した・・・キャタピラ!」byガッツ石松
— 名言・迷言・珍言bot (@_meigen_) June 6, 2013
思わずクスっと笑ってしまう珍言・名言ばかりですね。
ガッツ石松の現在~ネット上には死去説も??
ガッツ石松、某巨大掲示板が原因で「死んだ」と噂される
最近はテレビで観る機会も減ってきたガッツ石松さんですが、ネット上では死亡説まで噂されています。
しかし、実際はガッツ石松さんは現在も元気に生きています。
この噂の発端は、某巨大掲示板などにガッツ石松さんが事故で死去したというスレッドがたったことが原因となります。
2 :2017/04/14(金) 19:25:30.69 0
ガッツさんご冥福をお祈りします
3 :2017/04/14(金) 19:25:55.94 0
伝説の呂布
4 :2017/04/14(金) 19:25:57.70 0マジか
体悪かったんだな
6 :2017/04/14(金) 19:26:23.42 0
速報はいってないからガセ
また、最近もインタビューなどで登場しているので、ガッツ石松さんが死去したというのは完全なデマです。
ガッツ石松、マジギレが原因でテレビ露出が激減
前と比べるとメディア露出なども少なくなったように感じますが、現在も相変わらず怒っているようです。
世間を騒がせているレスリングパワハラ問題に関して同誌や「週刊新潮」は、告発文を勧めたキーマン・X氏の存在に言及し、注目を集めているが、ガッツも過去、彼にハメられたと告白。「あいつはまったくOK牧場じゃない。許せないという感情を通り越していますよ」と怒りを滲ませ、「俺の名前を使って、いろんな人から金を集めていることがわかったんです。怪しげなビジネスをぶち上げ、『出資してくれ。バックにはガッツがいるから大丈夫だ』と(周りに言っていた)」とトラブルに巻き込まれていたと明かした。
このように元気なようですが、やはりテレビへの露出は少なくなっており、その原因はガッツ石松さんのキレやすさにあると言われています。
『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)の“サルっぽい”タレントを集めたロケ企画にもガッツは出演しましたが、ここでも途中で帰っています。帰った理由は明かされていませんが、出演者たちはサルの格好をしてプライドを捨て、サルになり切らないといけない企画でしたから、企画内容に不満があったようですね。番組内容も問題があるかと思いますが、あまりにキレるイメージが定着しすぎるとスタッフも戦々恐々で使いづらくなる。
有名なものだけでも本番中にマジギレしてしまったエピソードがこれだけあるのですから、スタッフとしてもかなり扱いづらい存在になってしまっているのかもしれません。
ガッツ石松について総まとめすると…
・ガッツ石松の子供は娘が1人で、鈴木佑季の芸名で芸能活動をしている。
・ガッツ石松は喧嘩が強く武勇伝や伝説が多くあり、過去にはヤクザ8人をノックアウトした。
・ガッツ石松死去の噂は完全なデマである。
・ガッツ石松は現在、マジギレするキャラが災いしてテレビ露出が激減している。
OK牧場でかわいいような雰囲気も出しているガッツ石松さんですが、やはり元々の熱い血は消えないのでしょう。
しかし、今はもう良い年齢ですから、そろそろ落ち着いてもらいたいですね。