デビューとともに名曲「TOMORROW」を世に送り出し一躍時の人となった岡本真夜さん。
結婚した旦那とは離婚してしまいましたが、現在も華々しい活躍を続けています。
岡本真夜さんの生い立ちから現在に至るまでをまとめたのでご紹介します!
この記事の目次
アーティスト・岡本真夜のプロフィール&生い立ち
「TOMORROW(トゥモロー)」で一躍ブレークした岡本真夜
岡本真夜さんと言えば歌手デビュー曲の「TOMORROW」ですね。ドラマ『セカンド・チャンス(TBS系)』の主題歌にもなりました。
1995年5月に歌手デビューを果たした岡本真夜さんは、「TOMORROW」の他にも、「FOREVER」「Alone」「そのままの君でいて」「サヨナラ」などの代表曲を持っています。
しかし、「TOMORROW」は長い間カラオケランキングの1位にランクインしたり、2015年にはカラオケ情報メディア「Kara Fan」が選ぶ”音痴でも歌いやすい楽曲ランキング”で堂々の1位に選ばれています。
覚えやすく馴染みやすいキャッチ―なメロディラインが20年経っても色あせない魅力を持っているのでしょう。
そんな岡本真夜さんを徹底的にご紹介していきましょう!
岡本真夜の生い立ち&経歴
岡本真夜さんの名前の由来は”真夜中”に生まれたため
1974年1月9日に高知県中村市(現:四万十市)に生まれた岡本真夜さん。名前の由来が”真夜中に生まれた”からのようで、両親の思い出深い夜だったことが伺えますね。
岡本真夜さんは身長が意外と高く165cmもあるようです。
ウィキペディアの簡単なプロフィールがこちら。
出生名: 岡本 真夜
別名: mayo
生誕: 1974年1月9日
出身地: 高知県四万十市
学歴: 高知県立高知南高等学校
ジャンル: J-POP
職業: シンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、ピアニスト
活動期間: 1995年 –
レーベル: 徳間ジャパン・エイベックス
日本クラウン
岡本真夜さんの音楽のルーツは小学校3年生の頃から始めたピアノで、高校1年生まで続けましたがピアニストを目指した本格的なレッスンを受けていたそうです。
そして岡本真夜さんは小学校の5、6年生頃はバスケットボールに打ち込みます。
しかし、岡本真夜さんの両親は早くに離婚し、祖父母の養女となったことが影響したのか極度の人見知りで大人しかったため小学校や中学校ではいじめの対象になっていたという。
岡本真夜さんは中学2年生からは吹奏楽部に入学。そして、岡本真夜さんは高校1年生の頃にラジオでDREAMS COME TRUEの「未来予想図II」を聞いてから嫌いだった歌を好きになり、密かに歌手を目指し始めたようです。
高校2年生の頃に祖父の仕事の関係上高知へ引越した岡本真夜さんは、高知県立高知南高等学校へ編入します。
岡本真夜の代表曲「そのままの君でいて」のモチーフとなった友達と出会う
岡本真夜さんは高知県立高知南高等学校在学中にプロ歌手へのきっかけを掴むことになります。
高校時代に楽曲の創作活動に没頭した岡本真夜さんは自身の歌をテープに録り溜めていたようです。
そして、友人や母親から後押しされる形で、岡本真夜さんは現在も所属している事務所・日本クラウンにデモテープを送りました。
そして、岡本真夜さんは高校卒業後に東京に来ることを誘われて上京を決めます。しかし、岡本真夜さんのデビューまでの道のりは決して楽ではありませんでした。
岡本真夜、作曲の才能を開花しデビュー
岡本真夜、デビューの条件は”100曲作曲”だった!
岡本真夜さんは歌手デビューをするために事務所から出された条件は作詞・作曲を”100曲”提出することでした。
高校を卒業した岡本真夜さんは祖父母の反対を押し切って、半ば家出するように家を飛び出して上京しました。
そこで岡本真夜さんはアルバイトをしながらボイストレーニングを受け、シンガーソングライターを目指して活動を開始。
この頃にデビュー曲である「TOMORROW」とカップリング曲の「BLUE STAR」を作曲しています。
ただ、作曲に必要な環境があったわけではなく、岡本真夜さんは鼻歌をテープや留守番電話に録音して曲を録り溜めていたようです。
岡本真夜、1995年5月に徳間ジャパンからデビュー
岡本真夜さんは1995年5月に徳間ジャパンから「TOMORROW」でデビューを果たしました。
岡本真夜さんは結局40曲作曲したところで事務所に認められ、シンガーソングライターとしてデビューすることが決まりました。
当時のプロデューサーは岡本真夜さんの作曲能力について下記のように語っています。
「キャリアがある者が作れないような曲をあっさり出してくる。非常に幅の広い、しかも新鮮な曲です」
そして、岡本真夜さんの制作楽曲の中で最も売れたデビュー曲「TOMORROW」は異例の大ヒットを記録し、社会現象を巻き起こしました。
岡本真夜の「TOMORROW」がオリコン1位に
岡本真夜の「TOMORROW」はオリコンシングルチャート登場8週目で週間1位を獲得
音楽業界の”黄金期”と呼ばれた1995年においてオリコンシングルチャート1位を獲得した岡本真夜さんの「TOMORROW」。
1995年と言えば音楽業界において最も名曲・ヒット曲が誕生した年だと言っても過言ではないでしょう。
1995年にリリースされた楽曲の一部をご紹介すると…。
LOVE PHANTOM(B’z)
シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~ (Mr.Children)
LOVE LOVE LOVE(Dreams Come True)
ら・ら・ら(大黒摩季)
ロビンソン(スピッツ)
TRY ME~私を信じて~(安室奈美恵 with SUPER MONKEYS)
ズルい女(シャ乱Q)
KNOCKIN’ ON YOUR DOOR(L⇔R)
OVERNIGHT SENSATION(trf)
HELLO(福山雅治)
…などなど。
まだまだたくさん誰もが知る名曲が揃っていますが、改めてみると1995年にはそのアーティストが代表するような名曲が示し合わせたかのようにリリースされており、まさに奇跡の年だと思えます。
このそうそうたる楽曲の中でオリコンシングルチャートで1位を獲得した岡本真夜さんの「TOMORROW」はやはり多くの人に受け入れられたことを証明しています。
若干18歳の少女が作曲したデビュー曲だと考えると、岡本真夜さんの恐ろしい才能を感じますね。
岡本真夜さんの「TOMORROW」はいつ聴いても色褪せない名曲ですね!
オリコン集計での累計売上は177.3万枚で、出荷枚数は200万枚を突破。岡本真夜さんの作曲した楽曲の中で最高のセールスを記録しました。
しかし、世間の反応とは裏腹に、岡本真夜さんは本当にイチオシしたい曲は「TOMORROW」ではなく、リリース後15年もの間葛藤が続いたという。
岡本真夜、「TOMORROW」大成功の裏側
岡本真夜は「TOMORROW」でデビューしたくなかった
国民的楽曲となった今では衝撃的なエピソードですが、岡本真夜さんは「TOMORROW」以外のお気に入りの曲でデビューしたかったそうです。
岡本真夜さんは「TOMORROW」を友人を励ますために作曲したもので、元々ミディアムバラードの曲だったそうです。
しかし、ドラマ『セカンド・チャンス』の主題歌になることから、元気になれる曲調が良いということでドラマのプロデューサーからアップテンポに変えるように指示されます。
岡本真夜さんは「TOMORROW」以外のイチオシの曲でデビューしたかった上に、曲調まで変えることになり非常に強い不満を感じていたという。
ところが、岡本真夜さんの葛藤をよそに世間では「TOMORROW」が大ヒット。それが岡本真夜さんにとっては自分の楽曲だけが一人歩きし始めてしまったようで悩んだそうです。
岡本真夜、大ヒットの影響で露出を迫られる
岡本真夜、紅白歌合戦でテレビ初露出
岡本真夜さんは目立ちたくない性格からメディアへの露出はしたくなかったようですが、「TOMORROW」が異例の大ヒットを飛ばしたことでラジオの露出に加えて『第46回NHK紅白歌合戦』でテレビ初出演をすることになりました。
上の画像は「TOMORROW」のシングルジャケットですが、岡本真夜さんの顔が分からないように敢えて見切れた写真を使っています。
そしてPVでも岡本真夜さんのシルエットだけだったため、「岡本真夜はどういう人なんだろう」と話題になりました。
そこまでしてメディアへの露出を控えていた岡本真夜さんですが、「TOMORROW」があまりに大ヒットとなったためNHKからオファーがあり『第46回NHK紅白歌合戦』に出演することが決定。
岡本真夜さんは紅組で出演し、初めてその姿を公に晒しました。その年の大ブレーク歌手がボーイッシュなカットで登場し全国の視聴者は注目したことでしょう。
岡本真夜、中国でも「TOMORROW」がカバーされる
中国人歌手・呉Peici(ペース・ウ)にカバーされる
台湾出身の女優で中国人歌手の呉Peici(吴佩慈)さんに岡本真夜さんの「TOMORROW」がカバーされていました。
岡本真夜さんの代表曲「TOMORROW」は国内に留まらず、お隣中国でも歌手の呉Peiciさんにカバーされていたようです。
日本の楽曲が中国語で歌われると変な感じがしますね。逆に海外のアーティストの曲を日本人がカバーすると同じような感じなのでしょうか?
岡本真夜の「TOMORROW」が教科書へ
岡本真夜の「TOMORROW」は教科書に載り、合唱コンクールの定番曲に
岡本真夜さんの「TOMORROW」はメロディーもさることながら、歌詞も合唱コンクール向きですね!
岡本真夜さんの「TOMORROW」がリリースされた1995年は阪神淡路大震災が遭った年でした。
「TOMORROW」の歌詞が希望に向かうイメージにピッタリだったため、震災復興のテーマソングにもなりました。
改めて「TOMORROW」の歌詞を見てみると、当時18歳だった岡本真夜さんの作詞能力の高さも伺えますね。
ちなみに、「TOMORROW」以外で教科書に掲載されているJ-POPはこちら。
翼をください(赤い鳥)
さくら(独唱)(森山直太朗)
島唄(THE BOOM)
夜空ノムコウ(SMAP)
どのアーティストの曲も一大ブームを起こしたので納得ですね。
15年悩み続けた岡本真夜
ファンからの言葉で岡本真夜の葛藤は消えた
岡本真夜さんは握手会の時に「TOMORROWは人生を変えてくれた曲です」とファンに涙ながらに言われたことで、15年続いた葛藤は消えたそうです。
「TOMORROW」の冒頭の歌詞の通り、そのファンの人は涙を流しながらも辛いことを乗り越えたのでしょう。
そんなファンの言葉に、岡本真夜さんは「曲をもっと大切にしなければならない」という意識に変わったようです。
曲を愛する人たちにより成長した曲でもある「TOMORROW」は、岡本真夜自身も育ててくれたと感謝を持つようになったようです。
岡本はファンの言葉に「この楽曲って自分が思っている以上に育っているし、もっと自分がこの曲を大切に歌わなきゃいけないな」「それがなければ、今の自分もなかったと思いますし20年続けられていたかどうかも分からない」と考えられるようになったという。
デビュー曲に支えられた20年というのもドラマチックですね!
岡本真夜、スタッフだった岡井一貴と結婚
2000年1月17日に美術スタッフだった岡井一貴と結婚した岡本真夜
岡本真夜さんは結婚発表と同時に妊娠4ヶ月目だったそうです。
岡本真夜さんは華々しくデビューした5年後の2000年に、当時コンサートの美術スタッフをしていた岡井一貴さんと結婚しました。アーティストとしてはかなり早い結婚でしょう。
結婚の発表と同時に妊娠4ヶ月だったようなのでデキ婚ということだと思います。
そして2000年11月に第一子を出産。男の子のようですが名前は公表していません。
2017年現在では16歳なので高校1年生か2年生でしょう。
どこの学校に通っているかも明かされていませんが、芸能人の子供がよく進学されるとされる私立学校だと噂されているようです。
ブログで見る感じでは岡本真夜さんと息子さんはかなり仲が良いようで、今年も母の日にダンボールで作ったお手製のピアノをプレゼントしたり、マリオカートで対戦したり、映画を一緒に観たり、ライブに一緒に行ったりと岡本真夜さんは息子さんとの日々を満喫しています。
しかし、実は岡本真夜さんは2015年に夫・岡井一貴さんと離婚していたのです。
岡本真夜が夫と離婚。子供は母側へ
2015年12月31日にブログで離婚していたことを告白した岡本真夜
岡本真夜さんはアメブロでオフィシャルブログを書いていますが、2015年12月31日に2年前に旦那の岡井一貴さんと離婚していたことを明かしました。
岡本真夜さんの息子さんが高校を卒業するまでは離婚していたことを公表するのは控えていたようですが、実生活で公表せざるを得ない状況になったようで2015年12月31日にブログで報告しています。
高校を卒業するまでは公表してほしくないという成長期の息子の気持ちをいちばん大切に生活してきましたが突然そういう状況ではなくなってしまったので自分の言葉でご報告させていただきます。
2年前にシングルマザーになりました。
芸能人によくありがちな泥沼協議離婚というわけではなく、岡本真夜さんが音楽家としてやりたいことが年々増え、子育てに注力したことで旦那への妻としての役割が十分果たせず、愛情のすれ違いから離婚して離れることを夫と決めたそうです。
息子さんは岡本真夜さんと暮らしているようですが、父親である岡井一貴さんの元にもしょっちゅう泊まりに行っているようで、3人でご飯をすることも頻繁にあるようです。
また、岡井一貴さんの両親も変わらず岡本真夜さんを応援してくれているようで、ライブにも見に来るという。
岡本真夜さんと岡井一貴さんは離婚して夫婦から良き友達へと戻ったようで、良好な関係を続けているそうです。
岡本真夜さんは2016年3月2日から”mayo”名義でピアニストとして活動を始めましたが、その裏ではこうした旦那との離婚劇があったことに世間は驚きを隠せなかったようです。
岡本真夜の現在!ピアニストデビューで新境地へ
岡本真夜は昔からの夢だったピアニストになった
小学校3年生から高校1年生まで本気でピアニストを目指して練習していた岡本真夜さんですが、その夢をデビュー20周年目に叶えたようです。
岡本真夜さんは2016年でデビューから20周年を迎えました。ちなみに2015年には所属事務所を日本クラウンからドリーミュージックに変わっています。
高校1年生の頃にドリカムの「未来予想図II」を聴いたことで歌手へ目標が変わった岡本真夜さんでしたが、2011年頃からピアニストの夢が再燃し練習をしていたという。
「クラシックのピアニストになるのが夢でした」と明かす。ピアノは高校1年まで習っていた。「5年ほど前から、心の奥にしまっていた夢が抑えきれなくなったのです」。レッスンを再開し、オリジナルのピアノ曲を書き始めた。
2016年春から”mayo(まよ)”名義でピアニストとして活動を始めた岡本真夜さんは、2016年3月2日にピアノアルバム『always love you』をリリース。ヒット曲「TOMORROW」のセルフカバーも収録されています。
4月からは全国各地でピアノ・コンサートを開催しています。
また、タイトルナンバーでもある「always love you」はチェロとのアンサンブルが印象的な曲で、7月公開の映画『夢二〜ほとばしり』のテーマ曲になるそうです。
岡本真夜、ピアニストデビューの背景とは?
縁があり予想より早くデビューした岡本真夜
岡本真夜さんはピアノのレッスンを本格再開して間もない頃にレコード会社からオファーがあり、演奏技術に不安は残るものの縁を大切にしてピアニストデビューを決めたそうです。
小学校3年生から高校1年生まで本気でピアニストを目指して練習していたなら、普通にお稽古として習っている人よりはずっと高い演奏技術を持っていたでしょう。
それこそ歌手時代にも作曲に使用し、コンサートでも作曲したピアノ曲を1、2曲披露していたそうですので、ブランクは無いと思います。
そして、人の心の琴線に触れるような楽曲を世に送り出してきたシンガーソングライターとしての岡本真夜さんの感性から紡がれるピアノ曲は唯一無二のものでしょう。
岡本真夜のピアノ曲も”覚えやすいメロディ”
「TOMORROW」が覚えやすくて歌いやすい国民的な歌として定着したように、ピアニスト”mayo”として世に送り出す曲も根幹には同じ考え方で作曲されているようです。
岡本真夜さんの歌の作曲のスタイルは、鼻歌を録音したものをパズルのように組み合わせてひとつの曲へと昇華させていく方法ですが、ピアノ曲でも同じ方法で作曲しているようです。
そのため、曲の印象はいわゆる器楽曲というよりは歌詞を乗せて歌えそうな、”シンガーソングライター・岡本真夜”ならではのピアノ曲に仕上がっているという。
また、ピアノ作曲家の中で一番ショパンが好きだと語っているように、岡本真夜さんのピアノ曲も”キラキラ感”を意識して作曲しているようです。
岡本真夜の現在!タレント千秋と雑貨をプロデュース
岡本真夜、千秋とともにハンドメイド雑貨をプロデュース
岡本真夜さんはタレントの千秋さんととても仲が良いそうで、千秋さんを団長に主婦を応援するママ友企画「ハロー!サーカスプロジェクト」としてハンドメイド雑貨をプロデュースしているようです。
「ハロー!サーカスプロジェクト」は、ハンドメイド応援プロジェクトとして、千秋さんと岡本真夜さん、そしてハンドメイド好きのママ友達によって2013年に発足したそうです。
かなりレベルの高いハンドメイド雑貨を制作しているようで、プロジェクトに参加したいハンドメイド作家のママ友は多いようでオーディションもしているという。
ハロー!サーカスカフェという雑貨店もあるようで、かなりクオリティの高いかわいいハンドメイド雑貨が揃っていて話題になっているようです。
千秋団長が取り仕切る「ハロー!サーカスカフェ」
ママ友たちとのハンドメイド雑貨と侮るなかれ、千秋さん主催の「ハロー!サーカス」は本格的なかわいい雑貨を集めた「ハロー!サーカスカフェ」もプロデュースしているようです。
上の画像に写っている雑貨は全てハンドメイドの雑貨だと思いますが、趣味の域を完全に超えているように思います。
その活動の功績が讃えられて、「ハロー!サーカスプロジェクト」は日本ホビー協会から「JAPAN handmade of THE YEAR」という賞を受賞したそうです。
岡本真夜さんは音楽活動が忙しいため現在は本格的な参加はできていないようですが、たまに時間を見つけては雑貨を作っているようですね。
岡本真夜の数々のエピソードを検証
最後に岡本真夜にまつわるエピソードについて紹介
芸能人には根も葉もない噂はつきものですが、岡本真夜さんにも当然そうした噂は立っているようです。また、その他にも岡本真夜さんに起きた事件になどについてもひとつひとつを検証してみましょう。
岡本真夜の顔の整形疑惑の真相
岡本真夜は整形している?
岡本真夜さんは鼻筋がよくなり、奥二重が二重になっているということで「整形した」と言われているようですが実際にはどうなのでしょうか?
上の画像は岡本真夜さんがデビューした1995年の大晦日の紅白歌合戦に出場した時のものです。
この時は岡本真夜さんは21歳のようですが、画像が不鮮明ながら奥二重のように見えます。パッチリした二重ではないようですね。
鼻はほぼ正面なのでわかりづらいですが、当時の横からの画像は「TOMORROW」のジャケットが比較的わかりやすいです。
岡本真夜は元々鼻が低くない?
この「TOMORROW」のシングルジャケットを見る限りでは岡本真夜さんは割としっかりとした鼻をしている印象です。
この画像の時代から今年で約22年が経過したわけですが、岡本真夜さんの目と鼻は激変しているでしょうか?
岡本真夜は整形はしていない?
現在の岡本真夜さんは目は二重になっていますが、鼻はさほど変わっていないように見えますし、整形した痕跡は見当たりません。
岡本真夜さんの二重を見る限りでは加齢によるものでしょう。特に元々奥二重だった人などは加齢によって肌の張りや弾力が失われることでシワができやすくなるため、奥二重が二重になることはよくあります。
岡本真夜さんの左目は二重というよりは三重になっているので、間違いなく加齢によるものだとおもいます。
鼻に関しても、仮に整形していたとしても失礼ながら鼻頭が丸いイメージですし、鼻筋も純日本人的でとても整形した鼻には見えません。
ということで、岡本真夜さんの”整形疑惑”はデマだったということですね!
それにしても、年を取るほど美しくなる岡本真夜さんは良い年齢の重ね方をしているのでしょう。
岡本真夜は大病をしていた【病気】
岡本真夜は”チョコレート嚢胞”だった
何やら美味しそうな名前の病名ですが、岡本真夜さんが罹患した”チョコレート嚢胞”は癌になる可能性があったようです。
2016年11月16日の岡本真夜さんのブログで、3年前に”チョコレート嚢胞”という病気を患ったことを明かしています。
そのきっかけとなったのが、ブログ執筆の前日に放送された『情熱大陸』で、出演した歌手・大黒摩季さんが”チョコレート嚢胞”に罹っていたというエピソード。
ちなみに”チョコレート嚢胞”という病気は…
卵巣に病巣を形成した子宮内膜症が進むと、卵巣内に嚢胞を形成します。この嚢胞内に主として月経の時に出血を繰り返すことにより、内腔に古い血液がたまったものが子宮内膜症性卵巣嚢胞、すなわち、チョコレート嚢胞です。エストロゲンに依存する疾患であるため、初経から閉経までの生殖可能年齢の女性に発症します。
古い血液が固まった嚢胞がチョコレートに見えることからこの名前がついたそうです。
岡本真夜さんは最初の異変を感じてから数ヶ月放置してしまい、発見した時には嚢胞が7cmになっていたそうで、放置しておくと癌になっていた可能性もあったようです。
2度目の警告を体が発した時は、意識が朦朧とするような激痛だったと岡本真夜さんは語っています。
また、現在は完治しているようですが岡本真夜さんは2010年にもメニエール病を患ったようです。
どんなことでも、ちょっとでも体に違和感を感じたら病院に行った方がいいということですね。
岡本真夜は歌が下手になった?
2015年7月8日の水曜歌謡祭に出演した岡本真夜
岡本真夜さんは2015年に放送された『音楽の日』『水曜歌謡祭』で「TOMORROW」を歌いましたが、あまりにも音程がひどく「下手になった」とネット上で話題となったようです。
問題の動画がYOUTUBEなどのサイトに上がっていないのが残念ですが、『音楽の日』『水曜歌謡祭』のふたつの番組に出演して「TOMORROW」を歌った岡本真夜さんは高音が出ないばかりか音程も度々外し酷かったと話題になりました。
岡本真夜さんは酷い歌を披露してしまったことについてブログで謝罪。原因は、息子の風邪が伝染ってしまい扁桃腺が腫れてしまったからだったようです。
今週、息子の風邪が移ってしまい昨日まで熱と闘っておりました。移らないようにと対策はしていたんですが(-_-;)難しいものですね。扁桃腺にきていたので医師から本番まで声帯を使うなと言われその間にあったリハなどは違う人に歌ってもらったり、薬ももらって、できることはやったのですが本番までに間に合わず。楽しみにしていてくれたみなさんに申し訳なかったと反省しております。
扁桃腺の腫れがありながらも番組に出演して歌ったのは、岡本真夜さんが2015年でデビューからちょうど20周年という節目だったからでしょう。
普段はコンサートを開くなど歌えているわけですから、岡本真夜さんは無念で仕方なかったと思います。
ツイッターでも岡本真夜さんの歌を楽しみにしていた人が残念がっていたようです。
岡本真夜さんLIVEで緊張してるの??
— greedy (@hirot_veg) 2015年6月27日
音はずしたり、声出てなかったり。
歌うま歌手さんだと思ってたのに何だか残念。。
ただ、岡本真夜さんが歌が下手になったわけではないので、その点は安心したでしょう。
岡本真夜、中国に曲をパクられた
上海万博のPRソングで岡本真夜の「そのままの君でいて」がパクられる
2010年に中国で開催された上海万博で使われたPRソング「2010等你来」が岡本真夜さんの代表曲のひとつ「そのままの君でいて」に酷似していたとしてパクリ疑惑が浮上しました。
岡本真夜さんの「そのままの君でいて」が上海万博のRPソングでパクられたという疑惑はまず台湾で起こりました。
そして、疑惑は中国本土にまで広がり非難の声が上がります。
岡本真夜さんが作曲した「そのままの君でいて」と聴き比べてみましょう。
こちらが上海万博のPRソング「2010等你来」です。
…確かに、言い逃れができないレベルで酷似していますね。
この盗作疑惑を受けて、日本を含めた世界で報じられた結果、上海万博実行委員会は岡本真夜さんに楽曲の使用許諾申請をしたそうです。
岡本真夜さんは心が広くこれを許可。
盗作問題は収束しましたが、「2010等你来」の作曲家・繆森が盗作疑惑を否定したことで再び批判を蒸し返す形となったようです。
ちなみに、岡本真夜さんはこの一件で再び注目が集まり、『ミュージックステーション』や他の音楽番組からオファーがあり出演し「そのままの君でいて」をはじめ、「TOMORROW」「I believe」などを歌う機会を得たようなので結果的にはプラスに働いたようです。
岡本真夜についてまとめると…
1995年に「TOMORROW」でデビューして一躍国民的歌手のひとりとなった岡本真夜さんについてまとめてきました。
まとめていくにつれて、岡本真夜さんの人柄は音楽にとても熱心でとても暖かい人柄をしている人だと感じました。
旦那は愛情のすれ違いが原因で離婚してしまいましたが、現在も活動を応援されて良好な関係が続いているのは岡本真夜さんの誠実な人柄があるからでしょう。
現在はピアニスト・mayoとしての活動がメインのようですが、「TOMORROW」はこれからもずっと歌い継がれていくことでしょう。