2014年に膀胱がんが発覚した元プロボクサーの竹原慎二さんですが、医師の誤診もあり判明時にはすでにステージ4の余命1年以内で、その闘病は壮絶なものでした。
竹原慎二さんの膀胱がん闘病・現在についてまとめてみました。
この記事の目次
竹原慎二のプロフィール
竹原 慎二(たけはら・しんじ)
通称: たけ
誕生日: 1972年1月25日
出身地: 広島県安芸郡府中町
階級: ミドル級
身長: 186cm
血液型: A型
スタイル: 右ボクサーファイター
竹原慎二さんは元プロボクサーで、現在はタレントとしても活動し、株式会社カンピオーネ代表取締役社長、竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム会長を務めています。
1995年に、日本人で初めてミドル級世界王座に挑戦し、第19代WBA世界ミドル級の王座を獲得。日本人初の世界ミドル級王者となりました。
その後24歳の時に、ボクサーには多いと言われている網膜剥離や、白内障による視力の低下が原因でプロボクサーを引退しています。
竹原慎二は2014年に膀胱がんが判明!その経緯と闘病生活
膀胱がん判明までの経緯・病状
2013年、当時41歳だった竹原慎二さんは、1日に10回以上という頻尿が気になり病院へ行きましたが、そこで告げられた診断は「膀胱炎」。薬を飲んでもよくならず症状は続き、飲み過ぎとも言われ断酒もしたそうですが良くならなかったそうです。
4~5ヶ月後には尿道に痛みが走り、再度病院を受診するも今度は「前立腺炎」「前立腺誇大」と診断されます。竹原慎二さんは年齢もまだ40代と若かったため、医師も「膀胱がん」だとは考えにくかったと言われたそうです。
最初の診察から1年後、ついに尿道から真っ赤な血が出たため、慌てて病院に行くと医師から、やっと別の病院を紹介され診てもらうと「ステージ4のがんです」と衝撃の診断を受けたという。
自覚症状を感じてから1年後の2014年1月、専門医の精密検査を受けた。 膀胱がんだった。尿をためておく膀胱の奥に直径2・5センチの大きながんの塊があった。病巣が膀胱の内部組織に拡大。膀胱の周りのリンパ節に転移していた。
1年後、ステージ4の「浸潤性膀胱がん」という衝撃の真実を告げられた竹原慎二さんは、数人の医師に診断を仰いだところ余命は1年以内との見解もあり、42歳で死ぬのかと毎晩泣いていたと言います。
浸潤性膀胱がん
悪性度の高い癌で、根が広く膀胱の壁の深いところまで浸潤する傾向があり、転移することもあります。
膀胱摘出、抗癌剤の使用、放射線療法など、体に負担のかかる治療が必要となります。
膀胱がんのステージ分類
この表を見ると、竹原慎二さんが診断された「ステージ4」は最終段階でかなり深刻な状態であったことがわかります。
誤診を続けたA氏とB氏、東大病院への転院
竹原慎二さんは現在自身のブログで膀胱がんの闘病記を連ねており、そこで詳細がいろいろと語られています。
竹原慎二さんが膀胱がんだとわかるまでに時間がかかってしまったのは、初期段階で診てもらっていたホームドクターで友人としても親しくしていた大学病院医師のA氏の誤診だったことを明かしています。
また、そのA氏から紹介された横浜にある総合病院の泌尿器科医師であるB氏から膀胱がんであることを告げられ、B氏のもとで詳細を調べるための手術を受けています。
この時にも、A氏からは「初期癌だから内視鏡でちょちょと取ればおしまい」と言われています。
その2週間後病理検査結果が出ますが、B氏より先にA氏から連絡が入り、「がんは浸潤していなかった」との報告を受け喜んだのも束の間、数日後にB氏から「やはり浸潤している」と告げられパニックになったと語っています。
同時に2人への不信感が増し、奥さんと共にセカンドオピニオンを受けることを決意。
セカンドオピニオン・サードオピニオンを求めましたが、どちらも膀胱の温存療法はできず、本来ならばもっと早い段階で発見できたはずとも言われます。
絶望に陥った竹原慎二さんでしたが、畑山隆則さんの助言により東大病院を受診したところ患者の希望を最大限に聞いて治療計画を立ててくれる姿勢に「この病院で治療を受けたい」と転院を決意。
そのときにはB氏のところでの入院が明日に迫っていましたが、東大病院への転院を果たします。A氏、B氏とはその後決別しており、そのこともブログには綴られています。
竹原慎二 オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/shinji-takehara/
膀胱がん手術・闘病
竹原慎二さんは手術に向けて抗がん剤治療を2クール行い、2014年の6月にダビンチというロボット支援を用いた手術を受けています。
医師からはぼうこうを全摘出する手術を提案されたが、香織夫人はその手術を避けたいと奔走。インターネットなどを駆使していろいろと調べ、3軒目の病院で自分の小腸を切ってぼうこうをつくる最先端の治療法にたどりついたという。
竹原慎二さんは手術前に医師からの説明で膀胱の全摘出と人口膀胱の装着を告げられ、装着を試してみたところ今後ずっと付けていくのは耐えられないと思ったと語っています。
膀胱の全摘出は避けられないものの、奥さんのおかげで人口膀胱ではなく自分の小腸を使用する最先端の治療法に挑むことになり、希望が見えてきたそうです。
手術は13時間かかった。開腹せずに、腹部に開けた小さな穴から内視鏡カメラと、細かい作業をする医療ロボットのアームを入れた先端技術で行われた。
痛みや出血量は少ないと言われていた。だが、1リットルの出血があり、とても痛かった。「でも、ボクシングで痛みに耐えるのは慣れていたから。術後半年の検査で良い結果が出て、ようやく一安心できました」
ICUは地獄だったと語る竹原慎二
出血量が多かったためもあり、術後のICUでの痛さは相当辛いものだったようです。
術後13日目にわかった病理検査の結果は、転移のあった骨盤のリンパ節からがんがなくなっていたという大変嬉しいものでした。
食事療法 ビワの葉自然療法 長風呂 足湯 フコイダン 野菜ジュース ノ二ジュース ヤクルト400 ゴルフ 散歩 笑うこと あとは…気持ちの切り替えとかかなぁ?細々したものを入れたらもっと色々やった
「僕の自己免疫力は癌のミスコピーに負けたことは確かだ 僕は癌がわかってから徹底的に生活全般を見直した 食事から睡眠の生活習慣を整え治療中もこの『免疫力』をアップさせることを強く意識してきた」
竹原が採ったのは「自己治癒力で治していく」療法。手術前に採取していた自身のリンパ球を培養し、自分の体に戻す。
竹原慎二さんはがんになってから自分の免疫力を上げるため様々な方法を試してきたそうです。
その総額は1000万を超え、借金も覚悟したと言います。
B氏からは「そんなもの効果があるというエビデンス(証拠)がない」といって鼻で笑われたそうですが、術後の病理検査の結果がよかったのも「なんらかの免疫機能が働いたと考えられる」と東大病院の医師から伝えられています。
退院後に原因不明の血尿が出て再発だと思い落ち込んだそうですが、後にこの血尿は腎臓結石が原因だったことがわかっています。
竹原慎二の現在① 発症前と変わらない生活…奥さんへの感謝も
現在は発症前と変わらない生活、奥さんへの感謝も
現在竹原慎二さんは発症前とほとんど変わらない生活を送れていると言い、大好きなお酒も以前ほどではないものの普通に楽しんでいると言います。
小腸によってつくられた膀胱は容量に限りがあるため、夜もそれを超えないように起きるそうですが、それにも慣れたそうです。
がんの方は今は年に2回検査に行っとって、先月の検査は問題なし。次は5月じゃ。で、今度、6月12日が来たら手術から丸2年。たぶん、この日は女房と乾杯じゃろうな。「ご苦労さま。ありがとう」言うての。
膀胱がんの寛解は5年と言われていますが、竹原慎二さんは2019年6月に、手術を受けてから丸5年が経過したことを報告しています。自身はすっかり忘れていたものの、奥さんから「今日で術後丸5年だよ」と知らされたようです。
竹原慎二さんはそんな奥さんへ感謝の言葉も述べていました。
病気になる前は家族思いの夫ではなく、「ひどい旦那だった」という。しかし闘病中は妻の「パパ、絶対に死なせないから」という言葉や献身的なサポートに支えられたといい、「こんなに愛されていたんだなと。女房には頭上がらないし、大事にしないと」と涙を浮かべて感謝。「凄い、いい人見つけたと思います。独りだったらあきらめていますよ、もういいやって」と妻のお陰で今の自分があるとの思いを明かした。
竹原慎二の闘病に対するネットの声
竹原慎二さんの闘病に関しては、「セカンドオピニオンは大切」「奥さんがすごい」などの声や、最初の2人の医師に対しての批判の声が見られました。
小林麻央さんも、竹原慎二さんのことも、10年以上前からバリバリ活躍しているときを見ているから、病気で変わってしまった姿を見ると悲しくなる。
— r_clutch (@r_clutch_spirit) 2016年9月7日
それでも負けずに闘う姿を見せてくれて…なんとか自分や家族のために乗り越えてほしいと思う。https://t.co/FdeyjJ4aSS
竹原慎二「歳をとるのが、こんなにも嬉しい」ステージ4のがんを克服して知ったこと –https://t.co/7nQ6pKFPbd
— ★クリオネ★ (@kurione0707love) 2016年9月7日
そう。
1番は、まともな担当医に出会えるかが運命を左右する。
少し遠くても、腕の良い医者に診てもらう事です。
竹原慎二さんのブログに出てくる奥さんすごい。奥さんいなきゃ精神的にもたなかっただろうな。
— 学年部長 (@gakunenbuchou) 2016年9月6日
膀胱がん克服の竹原慎二さんの闘病記。
— tomomi (@tomomi077) 2016年7月16日
この記事から最新記事まで読んだけれど、大学病院のヤブ医者のせいでがん発見が遅れて膀胱全摘になった経緯、怖すぎる。セカンドオピニオン、本当に大切。https://t.co/I7eFCcOJff
竹原慎二氏の闘病記。最初の医者2人は酷えな。これはクソだね。こういう医者は患者のために医師を辞めてほしいね。初診の医者なんて誤診だろ。バカ医者というのは様々だがこのクソ医者はもはや医者と呼べる資格はない。#竹原慎二
— masahiro.o (@maoz67) 2016年7月15日
がん闘病の小林麻央にエール
また、竹原慎二さんはブログ内でがん闘病中であった小林麻央さんにエールを送っていました。
14年に膀胱がんが判明し手術を受けた竹原。ブログでは自身の体験をつづっているが、3日には「麻央ちゃん 頑張れ~ 負けるな祈ってるよ」と麻央へエール。これに対し麻央も4日に更新したブログで「竹原慎二さんからの『麻央ちゃん、頑張れ~』すごい パンチ力で どストレートに深く響きました!ありがとうございます」と感謝した。
竹原慎二さんはその後、小林麻央さんにエールを送った理由を明かしています。
2人の間に交流はないが、竹原は麻央にメッセージを送った理由について、抗がん剤治療の副作用を挙げた。「髪の毛も抜けたりするし、ぼくは男だから良かったけど、麻央さんは女性で髪の毛が抜けて…。でも敢えて明るく家族の前で『大丈夫だよ』って振る舞っていて、本当にすごいと思うんです」。
小林麻央さんは闘病の末に2017年6月に亡くなられましたが、竹原慎二さんの思いはしっかり伝わっていたことでしょう。
竹原慎二の現在② YouTuberとして活動
竹原慎二さんは2020年にYouTubeチャンネル「竹原テレビ」を開設し、現在はYouTuberとして活動しています。
概要欄には「元気のない人達の為に 全てを投げ捨てYouTubeに挑戦!何でもやります!」と記載されており、癌を患っていたとは思えない体当たりな企画が話題を呼んでいます。
特に人気を集めているのが、YouTuberやケンカ自慢の素人と対決するという内容の動画。700万回や800万回といった驚異的な再生回数を記録している動画もあります。
かつて放送されていた番組『ガチンコ!』内の人気企画で竹原慎二さんも出演していた「ガチンコファイトクラブ」を彷彿とさせる内容となっていますが、番組ファンだけでなく若い世代の間でも話題となっているようです。
YouTubeを通して、竹原慎二さんの元気そうな姿を見られるのも嬉しいですね。
「竹原は20年以上前に放送された人気番組『ガチンコ!』(TBS系)で、不良少年をプロボクサーへと転身させる企画『ガチンコファイトクラブ』の講師を担当。腕っぷしに自身があるも素人に過ぎないヤンキー達にも手加減せず、超スパルタ指導で時には胸ぐらを掴み合う一触即発の厳しさを見せてきました。はっきり言って、現在のYouTubeでやっているのは、これの焼き直しのような企画に過ぎません。しかし、YouTubeのメイン視聴者である若い世代は昔のテレビを知らないため、こうした企画が逆に新鮮に見えて興奮をそそるのでしょう」
まとめ
発見が遅れ膀胱は全摘出となってしまったものの、奥さんや友人の助けもあり最終的にいい医師に巡り合え手術は成功、現在は回復している竹原慎二さん。
本人も語っていた通り、自身の体験を綴ったブログは他の闘病している方たちの参考にもなり、勇気を与えてくれる内容となっています。ぜひこのままいい状態が続いていってほしいですね!