クリエイティブ・ディレクターの箭内道彦さんですが、女優の箭内夢菜さんが娘ではないかとの説があったりと、何かとネットの噂の的になりやすい人物のようです。
この記事では、箭内道彦さんの経歴などプロフィール、実家と家族、元彼女・南野陽子さんとの交際、嫁である平井真央(平井理央さん姉)さんとの結婚と子供、そして娘が箭内夢菜さんの噂の真相もまとめました。
この記事の目次
箭内道彦は天才クリエイター
箭内道彦(やない みちひこ)
生年月日:1964年4月10日
出身地:福島県郡山市
箭内道彦、数々のCMやMVを手掛けた天才クリエイターだった
箭内道彦さんは、フリーペーパー「月刊 風とロック」を創刊したり、コミュニティFM「渋谷のラジオ」を立ち上げたりしたことで知られているクリエイティブ・ディレクターとなります。
博報堂出身のCMプランナーである箭内さんは、本業の方でも抜群の実績を残しており、タワーレコードの「NO MUSIC NO LIFE」のキャッチコピーを考えた他、東京メトロやゼクシィのCMなども手掛けていました。
また、MVのプロデューサーとしても活躍している箭内さんは、福山雅治さんの「蛍」やAKB48の「しあわせを分けなさい」といった作品を手掛けてもいるそうですね。
そんな箭内さんの実績は業界内でも高く評価されており、2008年から2011年にかけてNHKのトーク番組「トップランナー」の司会に抜擢された他、現在は東京藝術大学美術学部デザイン科教授の肩書まで持っています。
この記事では、そんな箭内さんのこれまでの経歴や家族情報の他、箭内さんにまつわる数々の噂について紹介させて頂きます。
箭内道彦の経歴…実家は駄菓子屋で貧乏だった
箭内道彦、実家は駄菓子屋でいつも店の手伝いをしていた
福島県郡山市内に住む箭内家の長男として1964年4月10日に生まれて来た箭内道彦さんですが、実家は駄菓子屋であり牛乳配達なども請け負っていました。
とはいえ、実家の方は決して裕福な状況ではなかったそうで、10坪程度の店舗の二階にある八畳一間に両親や弟と暮らしていたそうですね。
勉強が良く出来た優等生だった箭内さんは、そんな実家の窮状をすぐに察してしまったため、小学時代から朝4時に起きて牛乳配達を手伝っていた他、店番の手伝いなどもしていたと言われております。
土曜の午後も日曜も、友だちと遊びに行かずに店の手伝いをしていました。親は「遊んでこい」って言うんだけど、僕は天邪鬼なので、そう言われると絶対に遊びに行きたくなくなって。もし「家の手伝いしろ」って言われたら、手伝いしないで遊びに行ったんだろうけど(笑)。
箭内道彦、超名門進学校安積高校のOBだった
中学に進学後の箭内道彦さんは、「季節の中で」や「長い夜」のヒット曲でお馴染みなフォーク歌手の松山千春さんのファンとなり、ギターを弾き始めていたそうですね。
そんな文化系少年だった箭内さんは、ふと思いついた松山さんのあだ名を友達相手に披露するなど、後の天才クリエイティブ・ディレクターの片鱗を見せていました。
ある日、『松山千春のちょっと可愛い呼び名を考えたんだよね』って紙を見せられたんだけど、そこには『まちゃまちゃはる』って書いてあった。それで『これ、かわいーと思わね?』とかいうわけ。言葉にするとどうってことない呼び名だけど、あいつが書くと文字のバランスとかがセンスある感じになるんですよね
中学を卒業後の箭内さんは、福島県下で3本の指に入るような進学校の県立安積高校へ入学することになりました。
130年以上の歴史を誇る名門校・安積高校は、外務大臣や内閣府特命担当大臣を歴任した政治家の玄葉光一郎さんや元福島県知事・佐藤栄佐久さんなど、各方面に多くの人材を輩出していることでも知られています。
また、進学実績の方も全国でトップクラスであり、「旧帝一工+医学部」に毎年数十人単位の卒業生を送り込んでいたりもします。
とはいえ、せっかく進学校に入学した箭内さんでしたが、今まで優等生として生きて来た反動からとにかく自由に憧れる気持ちが強くなっていたため、他の生徒たちとは違い東京芸術大学への進学を希望するようになっていました。
ずっと人の顔色ばかりうかがって暮らしてきた。実家が商店だったせいと生来の気の弱さ。とにかく周囲から嫌われないように。みんなからいいやつだと思われるように。それは誰にも言えない強烈なコンプレックスだった。もっと自由に天真爛漫に力強く伸び伸びと真っすぐ個性的に生きてみたかった
箭内道彦、浪人中に故郷に戻されたこともあった
箭内道彦さんの目指した東京芸術大学美術学部に関しては、現役合格者数が全体の4分の1程度の難関でした。
当然ながら箭内さんも現役合格には失敗し、東京で浪人生活を送る羽目になりました。
この頃には、既に八畳一間で一家4人が暮らすような状況から抜け出していた箭内家でしたが、
子供に東京で浪人生活を送らせることが出来るほどの経済力はありませんでした。
そのため、箭内さんが美術予備校に通う費用や生活費などは、母方の親戚からかなり援助して貰っていたと言われております。
そんな状況の中で受験に失敗し続けた箭内さんは、3浪目の6月にいよいよ郡山に呼び戻されることになってしまったそうですね。
この辺の事情については、祖父母の介護に加えて店の手伝いもしなければならなかった母・伸子さんの苦境も影響していました。
志半ばで故郷に戻ってくる羽目になった箭内さんですが、自暴自棄にならずに祖父母の介護や店の手伝いを続けていたとか。
箭内道彦、4度目の正直で東京芸術大学へ合格していた
実家の都合から故郷に戻された箭内道彦さんですが、郡山にいる間はデッサン1つ出来ない状況でした。
とはいえ、その年の年末から年始にかけて祖父母が相次いで他界したことにより、東京に帰ることが出来たそうですね。
そのため、下準備は不十分ながらも4度目の受験に挑むことが出来た箭内さんは、駄目元で挑んだ気楽さが功を奏したのか、東京芸術大学に合格しています。
3浪の身で東京芸術大学に進学することとなった箭内さんですが、悪いことばかりではなかったらしく、バブル時代に就活することが出来たため、最終面接の点数が最低点だったものの博報堂に入社することが出来ました。
箭内道彦、博報堂時代はスランプもあった
博報堂時代の箭内道彦さんに関しては、入社早々にドライヤーズアイスクリームの競合プレゼンに勝って広告担当になって以降は、プレゼンに負け続けて仕事がまったくない日々が続いたそうですね。
同期どころか後輩にもがんがん追い抜かれていったというスランプ時期の箭内さんは、社内の制作チームの若手同士で作った草野球チームの雑務で気を紛らわせていました。
土日の草野球を中心に日々が回ります。土日に試合をして、月曜にその試合結果を手書きの新聞にしてメンバー全員にファックスもしくは社内メール(当時は電子メールでなく封筒)。全員の最新の打率を常に計算したりして。火曜・水曜でグラウンドの抽選予約をしたり対戦相手を探して、木曜・金曜は昼休みにバッティングセンターに行く。
また、先輩と一緒に営業フロアを回り、自ら仕事を探すような泥臭い真似もしていたと言われております。
この時期の箭内さんは、パルコに小包でデモCMを勝手に送り付ける営業を仕掛けたことまでありました。
とはいえ、箭内さんの不遇時期は中々終わらずに、スランプ期間は7年ほど続く羽目になったそうですね。
箭内道彦の彼女情報…南野陽子と交際過去があったった
箭内道彦、女優・南野陽子と交際していた時期もあった
箭内道彦さんは、2003年4月に博報堂を退社した後は、1人広告代理店を設立しクリエイティブ・ディレクターとして活動しています。
そんな箭内さんは、2000年代中盤頃より女優の南野陽子さんと交際していた時期もあったそうですね。
2人の馴れ初めについては、音楽関連の仕事を通して知り合い交際に至ったと言われております。
一時期は結婚秒読み説も流れた2人でしたが、子供を産みたがっていた南野さんに対して箭内さんは子なし夫婦を望んでいたりするなど相違があったため、2010年に破局してしまうことになりました。
箭内道彦の嫁は平井真央(平井理央の姉)で子供はいない
箭内道彦、嫁は平井真央だった
箭内道彦さんは、人気フリーアナ・平井理央さんの姉として知られている16歳年下の一般女性・平井真央さんと結婚しています。
真央さんに関しては、慶應義塾大学出身で嵐の櫻井翔さんとは同級生で友人同士という間柄でもありました。
大学を卒業後の真央さんは博報堂に入社しており、箭内さんと一緒に働いていた時期もあったそうですね。
その後、会社の同僚と結婚した真央さんですが、2011年に博報堂を退社して箭内さんの個人事務所の社長となっています。
そのため、業界内でも仲が怪しまれていた2人は、真央さんが2014年に離婚したことで極秘入籍説も説も報じられたことがありましたが、この時は箭内さんが結婚説を否定していました。
とはいえ、後に2人が結婚していた事実が週刊誌にスクープされているため、巷の噂もそれなりに正しかったことが実証されてしまう形となりました。
箭内道彦、子供はいなかった
平井真央さんと結婚している箭内道彦さんですが、子供の方は生まれていないと言われております。
そのため、南野陽子さんとの交際時期に子供を欲しがらなかったのも、結婚を避けるための口実ではなく本心だったことになります。
そのため、都内の超高級住宅街にあると言われている7億円の豪邸には、夫婦2人きりで住んでいるようですね。
箭内道彦は紅白歌合戦に出場したこともあった…東日本大震災で大活躍した
箭内道彦さんは、大学時代に本気でミュージシャンを目指したものの、夢破れて就職した過去がありました。
そのため、博報堂から独立して以降の箭内さんは、音楽関連の仕事を積極的に手掛けており、2009年より故郷・福島で「風とロック芋煮会」という音楽フェスまで開始していました。
そんな箭内さんは、2010年になると「サンボマスター」の山口隆さんら福島出身のミュージシャンたちと共に「猪苗代湖ズ」という4人組ロックバンドまで結成しています。
ちなみに、その後起こった東日本大震災では、「猪苗代湖ズ」としてシングル「I love you & I need you ふくしま」をリリースし収益を福島県災害対策本部に寄付したりと、復興支援に大活躍することになりました。
箭内さんの復興支援はNHKにも大いに評価されたらしく、2011年末の紅白歌合戦に「猪苗代湖ズ」として出場したことまでありました。
箭内道彦の噂…女優の箭内夢菜は家族で娘だった?
箭内道彦、女優の箭内夢菜が娘との噂はガセだった
箭内道彦さんは、「ゆるキャン△」シリーズの犬山あおい役で有名な女優・箭内夢菜さんの父親ではないかとの説も存在していました。
2人の間に父子説が生まれた理由については、同じ福島県郡山市出身で箭内という変わった苗字同士だったことが大きかったようですね。
また、箭内道彦さんと箭内夢菜さんが36歳差だったことも父子説の説得力を高める要素でした。
とはいえ、箭内道彦さんに離婚歴はなく、箭内夢菜さんの父親の方も日大東北高校出身で「たんぽぽ」の白鳥久美子さん(1981年生まれ)の同級生との話なため、2人が父子である可能性はあり得ない状況となります。
箭内道彦、熊田曜子の不倫相手と間違われた
箭内道彦さんは、2021年に勃発したタレント・熊田曜子さんの不倫騒動のとばっちりを受けたこともありました。
こちらの騒動については、DV離婚をしたはずの熊田さんが、実は以前より不倫をしていたというスキャンダルとなります。
熊田曜子、頑張れば頑張るほどウーマナイザー避妊具なし不倫性行が真実味を帯びてくる。
— 僕はチョコミント★フォーエバー (@semetatei) November 11, 2021
そんな熊田さんの不倫相手と目されている人物が平井理央さんの夫のテレビ局員となりますが、その姉・平井真央さんの夫である箭内さんのことを不倫相手と誤解しているネットユーザーたちもいるようですね。
有名税にしてはあまりに酷い濡れ衣となりますが、どのような誤認からあらぬ風評被害が発生するか分からない世の中と言えます。
箭内道彦についてまとめてみると…
箭内道彦さんに関しては、天才肌のクリエイティブ・ディレクターなれど、実際はかなりの苦労人ということになります。
箭内さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。