将来の総理大臣候補と目されている河野太郎さんですが、実は政界でも屈指な華麗なる一族だったりします。
この記事では、河野太郎さんの出身大学など学歴と経歴、父親・結婚した嫁と子供など家族、顔いろが悪い理由や特徴的なマスクなどをまとめました。
この記事の目次
河野太郎のプロフィール
河野太郎(こうの たろう)
生年月日:1963年1月10日
出身地:神奈川県平塚市
所属政党:自民党
河野太郎、第二次安倍政権時代に初入閣を果たしていた
河野太郎さんは、第二次安倍政権時代の2015年10月に国家公安委員長や内閣府特命担当大臣などに抜擢されて、初入閣を果たした政治家となります。
以降は、第二次安倍政権下で外務大臣や防衛大臣などの要職を任された他、続いて誕生した菅政権下でも行政改革担当大臣や国務大臣を任されている河野さんは、次期総理大臣候補と目される有力な政治家へと台頭しています。
河野さんの評判に関しては、政界のみならずネット界隈でも非常に高い状況が続いており、ツイッターを駆使した情報発信やネットユーザーたちの交流が話題を博しております。
そんなことも自分で決められないなら、やめとけ。 https://t.co/qrl7UMebz7
— 河野太郎 (@konotarogomame) April 17, 2021
河野太郎の家系図…先祖は豪農で政治家の一族だった
出典:https://johotu.info/wp-content/uploads/2021/02/-e1614079325748.jpg
河野太郎、祖父は政治家の河野一郎で先祖は豪農だった
自身も大物政治家な河野太郎さんですが、先祖たちにも偉人が並ぶ華麗なる一族としても有名です。
河野家の先祖は、神奈川県足柄下郡豊川村(現:小田原市)の豪農だったらしく、曾祖父の代から郡会議員や神奈川県会議長などを務める名家でもありました。
そんな河野家に1898年に生まれた祖父・河野一郎さんは、早稲田大学で長距離陸上選手として活躍しており、箱根駅伝の優勝メンバーとなったこともあったそうですね。
大学を卒業後は朝日新聞の記者を務めていた一郎さんは、1932年に行われた「第18回衆議院議員総選挙」に出馬して初当選を果たしたことをきっかけに政界へ転身しています。
戦後は公職追放の憂き目にあった一郎さんですが、1951年に追放解除となると再び政界に復帰しており、農林大臣や建設大臣などを歴任する自民党の大物政治家へと成長しました。
河野太郎、父親は自民党総裁を務めた河野洋平だった
河野太郎さんの父親に関しては、政治家の河野洋平さんとなります。
1937年生まれの洋平さんは、早稲田大学時代は競争部に所属する駅伝選手でもあったそうですね。
大学を卒業後は、大手商社の「丸紅」に勤務し、「富士スピードウェイ」の運営会社の副社長を務めていた時期もあった洋平さんですが、1965年に河野一郎さんが大動脈解離で急死したことをきっかけに政界に転身しています。
政界転身後の洋平さんは、外務大臣や科学技術庁長官(国務大臣)などを歴任した他、1993年から1995年にかけて自民党の総裁に就任したこともありました。
とはいえ、当時の自民党が数々のスキャンダルにより野党に転落していたこともあり、自民党の総裁でありなら総理大臣になれなかった唯一の政治家との不名誉な肩書も得てしまいました。
河野太郎、大叔父の河野謙三も政治家だった
河野太郎さんは、祖父・河野一郎さんの弟(大叔父)の河野謙三さんも政治家でした。
早稲田大学時代は、一郎さんと同じ駅伝選手だったという謙三さんは、箱根駅伝で2度優勝した経験があったそうですね。
早稲田大学卒業後は、大日本人造肥料(現:日産化学工業)に入社することとなった謙三さんは、戦後に一郎さんが公職追放されたことをきっかけに政治家に転身することになりました。
その後、政治家を6期務めることとなった謙三さんは、1971年から1977年にかけて参議院議長を務めるなど、兄同様に一廉の成功を掴んでいます。
河野太郎、弟・河野二郎は実業家として成功していた
河野太郎さんは、弟の河野二郎さんも社会的な成功を掴んでいるようですね。
二郎さんは、太郎さんとは違い政界ではなくサラリーマンとして実績を積み続け、現在は「日本端子株式会社」の代表取締役社長の地位を得ています。
河野太郎、母方の祖父や先祖も凄かった
河野太郎さんは、母・武子さん側の一族も華麗すぎる血統の持主です。
太郎さんの母方の祖父は、大手商社「伊藤忠商事」や「丸紅」の創業者一族であり、「東洋紡績(現:東洋紡)」の会長を務めた伊藤恭一さんでした。
そのため、太郎さんの母方の高祖父は、「伊藤忠商事」や「丸紅」の創設者であり、明治の伝説的な起業家である伊藤忠兵衛(初代)さんとなります。
河野太郎の経歴と学歴…ジョージタウン大学卒のインテリだった
河野太郎、名門・慶應義塾大学へ入学するもアメリカ留学していた
河野太郎さんは、中学受験をして慶應義塾中学に入学をした秀才であり、高校は内部進学で慶應義塾高校に入学しています。
慶應義塾高校時代の河野さんは、競争部(陸上部)の主将を務めた経験があり、将来的には箱根駅伝への出場を目指していました。
しかしながら、河野さんは慶應義塾大学に進学後はわずか2か月で大学を中退しており、アメリカへ留学することになりました。
この辺の事情に関しては、政治家一族の4代目としての将来を見据えた考えがあったようですね。
河野議員は義塾経済学部入学後2ヶ月で退学し、渡米したエピソードを紹介。「将来の首脳会談では英語で話が出来なければと思っていた」と、当時から政治への強い思いがあったと語った。
アメリカ時代の河野さんは、ジョージタウン大学で比較政治学を専攻した他、大学を休学してポーランド中央計画統計大学へ留学するなど、西側と東側の政治体制の違いをじっくりと観察する機会もありました。
ジョージタウン大学を卒業後の河野さんは、日本へ帰国して「富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)」や「日本端子株式会社」でサラリーマンをしていました。
帰国後、1986年に富士ゼロックスに入社し、調査統計部に配属された。企画部に転じた後に、サテライト・オフィスの実験を担当し、日本初の本格的サテライト・オフィスと称された「志木サテライトオフィス」の立ち上げにも関わった。国際事業部に転じた後、シンガポールの富士ゼロックスアジアパシフィックで勤務した。1993年、日本端子に転じた。自動車や電気機器の部品メーカーで開発生産や海外輸出を担当。
引用:河野太郎
そんな河野さんが政治家に転身したきっかけについては、小選挙区比例代表制度が導入された結果、父・河野洋平さんの選挙区が分割されたことが大きかったそうですね。
その後、1996年に「第41回衆議院議員総選挙」へ出馬した河野さんは、現在まで神奈川県第15区の地盤を守り続けています。
河野太郎は孝行息子…父・河野洋平に肝臓を移植していた
河野太郎さんは、父・河野洋平さんに自身の肝臓の3分の1を提供した孝行息子としても知られています。
洋平さんがC型肝炎を患ったのは30代中盤の頃だったそうですが、インターフェロン治療の効果も薄く、体調は日々悪化する一途だったそうですね。
そんな中で肝硬変まで症状が悪化してしまった洋平さんは、2002年4月に信州大学付属病院で生体肝移植手術を受けることになりました。
太郎さんが父親の命を助けるためにドナー役を買って出たのは、1995年に子宮がんで母・武子さんを亡くしていた手前、肉親の命を助けるためならばどんな犠牲も厭わないという強い覚悟がありました。
ちなみに、生体肝移植手術は見事に成功し、術後20年以上経った2021年現在でも洋平さんは元気に暮らしています。
一方で太郎さんの側には後遺症もあるそうで、特に腹筋の状態がいまだにしっくり来ない状況が続いているとか。
一方、私のほうは、ドナーになった後遺症が今でも残っています。一番深刻なのは、切って縫い合わせた腹筋が今でもよくつることです。靴の紐を縛ったり、足の爪を切ったり、地下鉄の中で変な格好に押されたりしたときに、腹筋がこむら返りのようになります。食べる量も減りました。しかし、おかげさまで私の肝機能は全く問題ありません。
引用:生体肝移植を振り返って
河野太郎の顔色は悪い?…原因はアトピーだった
河野太郎さんといえば、顔色の悪い政治家としてもお馴染みです。
自民党の河野太郎さんの顔色が悪いどころか土色になってて怖いんだが
— 白羽☽ (@shirahadegozai) December 5, 2011
河野さんの顔色が悪い原因については、巷では父・河野洋平さんに肝臓を提供した際に生じた後遺症説が流布されているそうですね。
河野太郎氏のブログ読んで感心したんだーって話を家族にふったら話それまくった。母「肝臓だかを父親に移植のために与えたので顔色悪いのよねー」妹「平塚駅で良く見るよ。ほんと顔色悪いよ。大丈夫かなー」だと。
— Susuki (@onoborichan) December 6, 2011
とはいえ、実際のところは、河野さんは幼少期からアトピー性皮膚炎を患っていたらしく、父親に肝臓を提供したことと顔色はまったく関係ないとか。
河野太郎の家族情報…嫁は帰国子女で子供も生まれていた
河野太郎さんは、1990年代前半頃に香さんという女性と結婚しているそうですね。
東京都出身の香さんは、食品関連の専門商社に勤務する父親の都合で幼少期にオーストリアに移住した後、小学5年頃に日本へ帰国した帰国子女でした。
その後、中学受験をして聖心女子学院に進学した香さんは、そのまま内部進学して聖心女子大を卒業することになりました。
大学を卒業後の香さんは、モルガン系銀行に勤務しながら社長秘書を務める才女ぶりを発揮していたものの、30歳手前頃に河野さんと結婚したとか。
そんな2人の馴れ初めについては、香さんの兄が河野さんの慶應時代の同級生だった縁で知り合うことになったそうですね。
結婚後の香さんは、政界に転出した河野さんを支える政治家の妻の役割を完璧に演じ切っていると評判になっています。
「太郎さんは選挙になると同僚議員の応援に引っ張りだこで地元にほとんど入れない。その穴を埋めているのが奥さんです。支援者回りや、後援会行事での挨拶を精力的にこなしている。出しゃばらず、腰の低い方という印象です」
ちなみに、結婚後8年間子供が生まれなかった河野さん・香さん夫妻でしたが、9年目にようやく妊活に成功し、2002年に長男の一平くんが生まれることになりました。
河野太郎のマスクとは?…鬼滅マスクやベルマーレマスクで話題に
河野太郎さんは、コロナ禍以降に様々なマスクをして国会などに出席しており、ネット上でも話題になっています。
《河野大臣の鬼滅マスクが気になりすぎて、菅総理の話がまったく入ってこない》 pic.twitter.com/RvPEg6BKOC
— 三条友美 (@tomomisanjo) February 17, 2021
河野さんが使用した主なマスクについては、下記をご覧ください。
湘南ベルマーレマスク(地元のJリーグクラブなうえ河野太郎は湘南ベルマーレの元取締役)
日の丸ロゴ・ブルーマスク
恐竜の化石マスク
富士山・日の丸・自衛隊マスク
浮世絵マスク
顔写真&ネーム入りマスク
茅ヶ崎アロハマスク
湘南オリーブマスク
ブルーインパルスマスク
迷彩柄マスク
NY地下鉄マスク
河野太郎についてまとめてみると…
河野太郎さんに関しては、政財界の名門血統の政治家であり、次期総理大臣候補と名高い人物ということになります。
河野さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。