731部隊

731部隊の人体実験の真実と嘘|7つの凄惨な所業まとめ

2017年8月に放送されたNHKスペシャル『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』で衝撃的な事実に視聴者は震撼しました。

 

戦時中に非人道的な人体実験が日本で行われており、医学界のエリートが多数関わっていました。

 

731部隊の人体実験の真実と嘘について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。

731部隊について

 

ナチスの人体実験に並ぶ極悪非道な日本の「731部隊」

2017年8月に放送されたNHKスペシャル『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』で明らかにされた第二次世界大戦中に行われた日本の「731部隊(ななさんいちぶたい)」による人道無視の人体実験の数々。戦時日本の闇が語られたこの番組に戦慄を覚えた人も少なくないでしょう。

 

”極悪非道な人体実験”といえば真っ先に思い出されるのがドイツ・アウシュビッツ収容所などでのナチス・ドイツによる人体実験や、現在も行われていると言われる北朝鮮の強制収容所での人体実験でしょう。

 

しかし、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の731部隊により同じような人体実験が行われており、そこには当然人権というものは皆無でした。

 

この731部隊の正式名称は「関東軍防疫給水部本部」で、その活動内容の秘匿性から通称として「満州第七三一部隊」と呼ばれていました。

 

満州に拠点をおいて、防疫給水の名のとおり兵士の感染症予防や、そのための衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあった。そのために人体実験や、生物兵器の実戦的使用を行っていたとされている。

 

引用:Wikipedia – 731部隊

 

NHKスペシャル『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』では、この731部隊に当時の東京大学や京都大学、慶應義塾大学など名だたる名門大学の医学界のエリートが人体実験に参加していたことが明かされ、研究の第一人者である常石敬一神奈川大学名誉教授が解説をしていました。

 

 

 

731部隊の母体「陸軍軍医学校防疫研究室(防研)」とは?

 

防研を創設したのがのちに731部隊長となる石井四郎

731部隊の目的は生物兵器の研究・開発であり、ペストやチフスなどの細菌や毒ガス、その他生きたままの生体解剖を含めた拷問とも言える医学的実験を繰り返し3,000人以上の犠牲者を出したと言われています。

 

第一次世界大戦では化学・生物兵器が使用されて甚大な被害を出したことから終戦後の1925年に化学・生物兵器を禁止する「ジュネーブ議定書」が交わされましたが、日本がそれに批准したのは第二次世界大戦後の1970年でした。

 

731部隊が行ったような人道無視の人体実験は日本の内地で行うことはできないとして、日本が侵略により建国した満州国のハルビンに始まり、北京、南京、広州、そして南はシンガポールに至るまで幅広い範囲に設置された施設で行われていました。

 

これらの東アジアに設置された防研を総称して「石井機関」と呼ばれていました。

 

731部隊の長である石井四郎について以下のように語られています。

 

石井四郎は医学研究のオーガナイザー(組織者)として、ものすごく優れていたんです。当時、世界では“巨大研究(ビッグ・サイエンス)”といって、多数の科学者を組織し多額の予算を集中させて研究を進めるという考えが出始めていました。日本でも1935年くらいからさまざまな科学分野で巨大研究が奨励されるようになります。でも各分野でなかなか成功例が出ないなか、おそらく日本で一番最初に大規模に展開して成功したのが石井機関じゃないかと思いますね。

 

引用:まなナビ – なぜ731部隊は罪悪感なく人体実験ができたのか

 

石井四郎が目指した731部隊の最終目標は「ロックフェラー医学研究所」だったと言われています。

 

この731部隊は石井四郎の変名である「東郷ハジメ」を元に「東郷部隊」とも呼ばれていたようです。

 

そして、731部隊が解体されたのは第二次世界大戦終戦直前である1945年8月に、ソ連対日参戦によって本土への撤退が余儀なくされました。

 

 

731部隊は生物兵器を実戦投入していた

 

731部隊

出典:https://twitter.com/

731部隊は実験だけでなく実戦投入をしていた

先述の731部隊研究の第一人者である常石敬一さんによれば、731部隊は生物兵器の研究のために人体実験をしていただけでなく、実戦にも投入していたと言われています。

 

731部隊は敵対勢力を生物兵器で壊滅させる実験として中国の寧波、常徳、浙贛などの地域で実際にペストやチフスなどの菌を撒いて大量殺戮をしていたことが明かされています。

 

731部隊の傭兵を務めていたという鶴田兼敏によれば、以下のように当時の様子が語られています。

 

731部隊の傭人として3年間勤務した鶴田兼敏は、ノモンハンでの生物戦での実体験について次のように語っている。「8月下旬の夜、急に集められ、トラックに乗せられ真っ暗な道を現場のホルステイン河に向かった。別に血判などはつかなかった。トラックは3台で、2台にそれぞれ兵隊が10人ほど乗り、残りの1台に細菌の培養液を入れたガソリン缶を積んだ。」さらに、中身を河に流す際、鶴田の内務班の班長だった軍曹が培養液を頭から浴び、腸チフスで死亡している。

 

引用:Wikipedia – 731部隊

 

また、当時関東軍の大尉だった小島隆男によれば、731部隊と一緒にコレラ菌をバラまく作戦に参加したことについて以下のように語っています。

 

コレラ菌は対象地域に撒きました。まず病気が発生したことを確認し、対象地域に入ります。日本軍が侵入すると中国人たちは逃げて、新しい人たちに次々に感染させ、我々の計画通りに病気を蔓延させます。死者の死体や動けない人々が、あたりに横たわっていました。夏になると蝿がたかり、ぞっとする風景でした。私たちは2週間これらの作戦を続け、任務成果報告書に中国人およそ2万人がコレラで死亡したと記入しました。」

 

引用:Wikipedia – 731部隊

 

アメリカ軍の細菌戦研究機関「キャンプ・デトリック(現フォート・デトリック)」に当時所属していたノーバート・フェル博士などが731部隊の関係者から聴取した話によれば、当時日中戦において731部隊によって12回に渡る生物兵器が使用されたと言われています。

 

 

731部隊の被害者の声

731部隊により被害を受けた中国人の声

731部隊による生物兵器の被害を受けた村の少年が語る内容からは、まさに地獄絵図という表現がピッタリな凄惨な状況を体験したことが分かります。

 

当時15歳だった中国の少年・王栄良は、731部隊によるペスト菌の生物兵器で両親と4人の弟、叔父などの命が奪われたようで、1942年9月に少年が住んでいた崇山村で行われた生物兵器攻撃について以下のように語っています。

 

日本の軍用機が低空で円を描きながら、煙のようなものを落としました。小麦やトウモロコシなどでした。数日後死んだネズミが見つかるようになり、開明街の一帯で高熱や痛みに苦しんでどんどん人が死んで行きました。街のみんなは一体何が起きたのかまったく理解できませんでした、自分の家族が次々と死んでいくのです。

 

引用:Wikipedia – 731部隊

 

少年が見た光景はまさに地獄のような様子だったことでしょう。

 

大勢の人々がペスト菌に感染して苦しみ死んでいく中で、実験の様子を観察に来たであろう731部隊員が現れて処置をしていったようです。

 

本当に悲惨な状態でした。みんな死ぬ時は苦しみもだえて、全身痙攣しながら死んでいきました。その体ははじめ赤くなって、死んだあとはだんだん黒くなりました。母は私の目の前で水をくれ、水をくれと叫び、父も喉をかきむしりながらライオンのようなうなり声をあげて死んでいきました。(中略)村民380人が死亡しました。20人も亡くなる日もありました。最初の死人が出ると、保護衣とマスクを着用した日本人が村に入り、3日間村中を巡回して村人に注射をしました。

 

引用:Wikipedia – 731部隊

 

いくら敵対する国の人間とはいえ、ここまで人道外れた行為をしてしまう戦争は過去のもので終わらせる必要があるでしょう。

 

 

 

731部隊による人体事件の真実と嘘~7つの人体実験の詳細

 

731部隊で行われていた身の毛もよだつ人体実験の数々

常石敬一さんによれば、731部隊では戦争で使用する生物兵器の開発や、それを敵国から受けた際の治療法の研究開発を目的として、主に敵国の捕虜を人体実験に使っていたと言われています。

 

731部隊の長である石井四郎は日本国内ではできない種類の研究として、ハルビンでの研究施設を皮切りに非道な人体実験を行える施設を増やしていきました。

 

そこに収容された人々には当然人権は一切なく、”マルタ(丸太)”と呼ばれ「1本、2本」とまるで資材のように扱われていたようです。

 

 

731部隊で「マルタ」と呼ばれた人体実験被害者

”マルタ”と呼ばれた人体実験の被害者たち

731部隊に人体実験に使われた人々は主に敵国の捕虜やスパイの容疑がかけられて拘束された中国人、朝鮮人、モンゴル人、アメリカ人、ロシア人等であり、「マルタ(丸太)」と呼ばれていました。

 

収容された人の中には直接戦争に関係の無い一般人の女性や子供も含まれていたと言われています。

 

731部隊の真実を追い続けてきたジャーナリストの西野瑠美子さんによれば、男女とも幅広い年齢層、人種を集めていたようで、それらの人々に人体実験を行って細かい実験データを集めていたようです。

 

収容された人々は丸坊主にされて、打ってある丸太の杭に縛り付けておいたことから”マルタ”と隠語で呼ばれていたようです。

 

当時、731部隊の人体実験に関わったという上田弥太郎は、自ら集めた実験データの手記の中で様子について以下のように綴っています。

 

すでに立ち上がることさえできない彼の足には、依然として重い足かせがくいこんで、足を動かすたびにチャラチャラと鈍い鉄の触れ合う音をたてる。同胞を囲んで8つの眼がかたずをのんで見守っているが、誰も口を開く者はいない。(中略)ここに押し込められている人々は、すでに人間として何一つ権利がない。彼らがこの中に入れば、その名前は胸につけられたアラビア数字の番号とマルタという名前に変わるのだ。私たちは、マルタ何本と呼んでいる。

 

引用:Wikipedia – 731部隊

 

人種が違うとはいえ同じ人間を丸太扱いして無残に殺す仕事に、当時の医学界のエリートが多く関わっていたと考えると恐ろしい話ですね。

 

 

731部隊による人体実験① ペスト・チブスなどの細菌実験

731部隊の実戦投入が行われた人体実験

資源が少ない日本にとってコストのかからない細菌兵器は非常にコストパフォーマンスに優れた戦略兵器でした。そして、世界の大国でも生物兵器開発が行われたいたことから日本でも導入されることになったようです。

 

731部隊は実戦投入ができる対人生物兵器の開発のために、集めた”マルタ”に対してペストやコレラ、チフス、赤痢、梅毒スピロヘータなど致死性のある細菌を注射するなどして経過観察をする人体実験を行いました。

 

そして、マルタはそのまま死ぬことは許されず、内蔵の状態などを詳しくデータを取るために生きたまま解剖されていました。

 

生きたまま解剖する理由としては、細菌感染によって死亡してしまうと雑菌が入って正しいデータが取れないからのようで、この人体実験を施された男性の死に間際を見た研究者は以下のように様子を語っています。

 

ワクチンなしでペスト菌を注射されたその男性は(中略)、2、3日後には、高い熱が出て顔色が悪くなり、その翌日くらいには瀕死の状態で顔が黒っぽく変わっていきました。(中略)
細田中尉が、目でメスをわたすように私に合図します。足かせ手かせで固定された男は、カッと目を見開き、この凶行を確かめるように首を回しましたが、体の自由はききません。男は無念の涙を目にたたえ、天井の一点を見つめています。何か叫びを発しようとしているようですが、乾ききった口からは声は出ず、わずかに口を動かすだけです。男の首をなで回していた細田中尉が、右手のメスでズバリと頸動脈に沿って切り下げました。血がジューッと流れ出しました。男は、ペスト病の苦しみと、切りさいなまれた痛さで首を左右に振り回します。そのたびに顎にかかっている首かせが食い込み、ついにガクリと首をたれ失神しました。

 

引用:Wikipedia – 731部隊

 

生きたまま人体実験されたマルタは麻酔で眠らされていたという話もあれば、当時高価だった麻酔は使用されなかったとする話もありますが、上述の話を見る限りではほとんどが前者だったのでしょう。

 

 

731部隊による人体実験② 全採血

体の血を生きたまま全て抜き取る”全採血”

全採血など現代では当然聞くことはありませんが、当時1644部隊に所属していた松本博は細菌の感染実験をしたマルタの体から血液を全て抜くとどうなるのかを観察する人体実験を行ったことを明かしているようです。

 

この実験においてマルタは鳥かごのような床板に鉄棒で囲われた檻に全裸で入れられていたようです。

 

そしてマルタは麻酔により眠らされており採血を始めますが、1瓶ほど血液を抜いた頃に全身が激しい痙攣を起こして絶命してしまったようです。

 

血液をほぼ抜き終える頃には大きな痙攣とともに気泡が出てくるため、実験を施す軍医についていた兵士がマルタの心臓部に靴のまま乗って思い切り踏みつけて心臓から血液を絞り出していたということです。

 

 

 

731部隊による人体実験③ 低圧実験

気圧を下げ続けて人体の崩壊の実験をした

731部隊は高高度を飛行する飛行機でどの程度の気圧の変化に体が対応できるかを研究するために。気圧を下げていってマルタの人体がどのように破壊されるかを人体実験しました。

 

マルタは裸のまま減圧室に入れられて、次第に気圧が下がっていく中で苦悶の表情に変わっていき、気圧が低すぎて声も出ないため窒息しながらも眼球が飛び出し、腸など内蔵が腹を割って飛び出して破裂したと言われています。

 

しかし、後に人間は真空状態でもここまで肉体が破損することは証明されていないことから、こうした実験の報告は後に語られた嘘なのでしょう。

 

 

 

731部隊による人体実験④ 片肺切除実験

人間は肺を片方摘出しても生きていけるかを実験

731部隊は人間の片肺を摘出しても人間が生きていけるかを調べるためにマルタの片肺を摘出する人体実験をしました。

 

現代医療でも実証されているように人間は片肺でも生きてくことが可能なため、731部隊の人体実験は成功して担当の教授は満足していたと言われています。

 

しかし、肝臓の一部を一度除去したあとに縫合しなおす実験は出血多量により失敗に終わったようで、他にも胃の切除など人体実験を行っていたようです。

 

こうした生体解剖の成果が現代の日本の医療に役立っているとは考えたくないですが、当時の医療界のエリートが関わっていたとなれば全く関係無いことはないのでしょう。

 

 

731部隊による人体実験⑤ 細菌爆弾の効果判定

細菌爆弾の効果を判定するための人体実験

731部隊の目的でもある細菌兵器の爆弾を受けたマルタがどのような経過を経て死に至るのかを観察する人体実験が行われました。

 

731部隊が開発した炭疽菌爆弾を受けたマルタは破片等で全身を負傷して血だらけになり、どのような傷なら細菌に確実に感染するか、感染から何日で発病するか、そしてどのように死んでいくのかを人体実験されました。

 

この人体実験の犠牲になったマルタのほぼ全員が細菌に感染し、数週間の内に死亡したと言われていますが、その後内蔵のどの部分に影響が出ているのかを確認するために解剖されました。

 

 

 

731部隊による人体実験⑥ 凍傷実験

凍傷を作って体を破壊する人体実験

当時、日本軍はロシアや北朝鮮など極寒の地に赴く必要があり、凍傷は克服の課題として挙がっていました。

 

当時の日本の凍傷対策はわらで擦るという原始的なものしかありませんでした。

 

そのため、731部隊はマルタに意図的に凍傷を作って、棒で叩いて凍傷の具合を確認するという人体実験を行っていました。

 

凍傷実験を担当した元731部隊の吉村寿人以下隊員は以下のような手順で実験を行いました。

 

マルタを零下20度以下の屋外に縛り付けて、腕などに塩水をかけて凍傷を促しました。

 

そしてマルタの腕が凍傷で固まったところで棒で叩き、どの程度凍っているかを確認する実験でした。

 

その他、冷凍庫で急速冷凍するという手法もあったと言われています。

 

マルタの凍傷になった腕は灰白色になり、まるで業務用の冷凍肉のように霜が降りてもはや人間の体の一部とは言えない有様だったようです。

 

それを棒で強くたたくと弾力が失われているためつららが折れるように砕けてしまいました。

 

中国人マルタの凍傷実験では凍った指を一本ずつ打って音を鳴らし、マルタは自分の体が砕かれていく恐怖と絶望で絶叫していたと言われています。

 

 

731部隊による人体実験⑦ 生理学的実験

 

人体の限界を確かめるための生理学的実験

731部隊ではこれまでご紹介してきた細菌、ガス、爆弾、凍傷などに加え銃器を使ってマルタの体を破壊し、どれくらいまでなら死なずに耐えられるか、破壊された体をどのように修復すれば生きながらえるかをマルタが完全に死亡するまで繰り返されたようです。

 

ガスを使った人体実験では、マルタはガラス越しの部屋に閉じ込められ、ガス発生機から発生した様々なガスを吸うことで体に変調をきたし、その様子をつぶさに観察するというものでした。

 

ガラスを通してみるマルタの表情、動きは刻々に変わる。ガスの種類によって突然、泡を吹き出す者もあれば、苦痛に顔をゆがめる者もあり、鼻水を出したり、時には喀血する者もいる。使用ガスは、イペリット、ホスゲン、ルイサイト、青酸ガス、一酸化炭素ガスなどさまざまである。(中略)絶命したマルタは解剖室へ、半死半生のマルタは特別室へ入れて、二度、三度と実験に使い、決して生かしておくことはない。

 

引用:Wikipedia – 731部隊

 

マルタは死ぬまで何度も実験に使われるなら自ら死のうと自殺を試みたマルタも多かったことでしょう。

 

 

脱出不可能な731部隊、「逃げれば轢き殺す」

 

マルタは殺される以外に731部隊から逃れる方法はない

731部隊の人体実験の施設は高い外壁で囲まれており、頑強なコンクリート造りの「丸太小屋」と呼ばれる監獄に収容されていたため、逃げ出しても殺されるだけでした。

 

731部隊の長である石井四郎の運転手を務めていた越定男は、安達細菌爆弾実験場で逃げ出した40人ほどのマルタを全員トラックでひき殺したと言われています。

 

「一度、縛られていたマルタおよそ40人が、お互いに縄をほどき合って、散り散りになって逃げたことがあります。しかし、遠隔地の空港ですから、逃げおおせる場所はありません。トラックで次々に彼らを轢き殺しました。前輪でひっかけたり(中略)、轢いた時は衝撃を感じました

 

引用:Wikipedia – 731部隊

 

第二次世界大戦中に中国で30万人の一般市民などが虐殺された「南京大虐殺」があったという事実はネット上などで中国側の虚言だと言われています。

 

しかし、こうした731部隊のような鬼畜の人間たちによる愚行が行われていた事実がある時点で日本は戦時中に非常に罪深い業を背負ったことは間違いないでしょう。

 

この731部隊による非人道的な人体実験はほんの7、80年前のことであり、現在も日本は世界で「人身売買大国」と呼ばれるほど人権無視の愚行が繰り返されてる深い闇を抱えた国でもあるため、そうした現実もあるとどこかで認識しておくことは大切なのかもしれません。

 

 

 

 

 

731部隊での人体実験の真実と嘘を総まとめすると・・・

・「731部隊」とは第二次世界大戦中に人間の所業とは思えぬ凄惨な人体実験をしていた医学界のエリートが多数関わっていた部隊である。

 

第二次世界大戦中に大日本帝国の731部隊により行われていた人体実験の数々について総まとめしてきました。

 

こうした身の毛もよだつ人体実験を行っていた731部隊ゆかりの人物がまだ生きていることを考えると恐ろしいですね。

 

こうした人権無視の大量殺戮が良心の呵責も無く繰り返されたのは、分業式になっていたのも一つの要因だと考えられています。

 

おそらく、屠殺工場で家畜を殺すような感覚で人体実験を行っていた部分もあるのでしょう。

 

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