女子高生コンクリート詰め殺人事件は、1988年11月から1989年1月の間に東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称です。
今回は、女子高生コンクリ事件の被害者の古田順子さんや遺族の現在について、また加害者(犯人)の詳細や現在の様子などを総まとめしました。
この記事の目次
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」とは
女子高生コンクリート詰め殺人事件は、1988年11月から1989年1月の間に東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称です。
この事件は、加害者が全て未成年者であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどから、社会に大きな衝撃を与えた事件となりました。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の概要
犯行への関与が認定されたのはいずれも犯行当時未成年の4名でした。少年らの先輩には足立区を根城にしている暴力団の組員がおり、少年らはその組の青年部組織を気取って「極青会」と名乗っていました。
少年らは暴力団の花売りをしたり、町でひったくりを繰り返し、少女の監禁中にも十数件のひったくりを重ねていたばかりか、別の婦女暴行事件も起こしていたそうです。
事件がおこったのは1988年11月25日夕方、少年らは通行人からひったくりをするか、若い女性を狙って強姦しようとして、それぞれ原付バイクに乗って埼玉県三郷市内を徘徊していました。
その中で自転車でアルバイト先から帰宅途中の女子高生を見つけ女子高生もろとも自転車を蹴倒して側溝に転倒させました。
少年らの一人は仲間ではないフリをしながら「今、蹴飛ばしたのは気違いだ。俺もさっきナイフで脅かされた。危ないから送ってやる」などと申し向けて少女を信用させて近くの倉庫内へ連れ込み、一転して「自分はさっきのやつの仲間で、お前を狙っているヤクザだ。俺は幹部だから俺の言うことを聞けば命だけは助けてやる。セックスをさせろ」「声を上げたら殺すぞ」などと少女を脅迫して関係を迫り、同日午後9時50分ころ、タクシーで少女をホテルへ連れ込み強姦に至りました。
そこから少年らは合流し、少女を連れて翌26日午前零時半頃公園に移動し、そこで少女を猥褻目的で略取、監禁することを決めます。
少年らは少女に対し「お前はヤクザに狙われている。仲間がお前の家の前をうろうろしているから匿ってやる」などと嘘を申し向けて脅迫し、4人で少女を拉致し、同日からこの日から少女を殺害するまでの間監禁しました。
少女連れ込んだ後、4人は少女を交替で監視し、同月28日頃の深夜、4人に加えて不良仲間の2人の少年がたむろし、その際、仲間たちに少女を輪姦させようと企て共に代わる代わる覚醒剤を飲んで半狂乱になったように装って少女に襲いかかり、必死に抵抗する少女の口や手足を押さえ付けて馬乗りになるなどの暴行を加え、少女の着衣をはぎ取り、順に少女を強姦しました。
その際、Aは剃刀を持ち出して少女の陰毛を剃り、更にその陰部にマッチの軸木を挿入して火をつけるなどの凌辱に及び、少女が熱がるのを見て仲間らで面白がるなどしました。
少女は当初、逃げ出そうとしたり、隙を見て自宅に電話しようとしたが、激しい暴行に加え、少年らがヤクザ言葉を使っているのに怯えて抵抗を諦めてしまいました。
しかし、同年12月上旬頃、少女が逃走しようとした上に警察への通報を図ったことに腹を立て、少女の顔面を拳で多数回にわたって殴り、少女の足首にライターの火を押し付けて火傷を負わせるなどします。
その後も、時に別の不良仲間を加えるなどして、少女を全裸にしてディスコの曲に合わせて裸踊りさせたり、自慰行為を強要したり、少女の顔にマジックペンで髭を描いて興じたり、少女の陰部に鉄筋を挿入して何回も出し入れしたり、肛門にガラス瓶を挿入するなどの異物挿入をしたりしたそうです。
そして、少女にシンナーを吸引させてウイスキー、焼酎などの酒を一気飲みするよう強要し、寒気の厳しい夜中、少女を半裸でベランダに出して牛乳や水などを多量に飲ませ、たばこを2本一度にくわえさせて吸わせるなど度重なる暴行、凌辱を繰り返します。
同月中旬から下旬頃、少女が失禁した尿を踏んだということを口実に、少女の顔などを拳で何度も殴りつけ、少女の顔面が腫れ上がり変形したのを見て「でけえ顔になった」などと言って笑ったなどということもあります。
更に少女の太もも、手などに揮発性の油を注ぎライターで点火し、火が消えると更に同じような行為を繰り返して火傷を負わせ、この頃になると少女は度重なる暴行に耐えかねて「もう殺して」などと哀願することもあったそうです。
その後から少女は少量の食物しか与えられず、年末頃には牛乳をわずかに与えられる程度になり、栄養失調と少年らの度重なる暴行により心身ともに極度の衰弱状態に陥り、食欲は減退して顔面は腫れ上がり、手足などの火傷は膿みただれて異臭を放つなどし、階下のトイレへ行くことも困難で、終日監禁場所で横たわるようになります。
そして1989年1月4日、少年らは賭け麻雀に大敗した後、麻雀に負けた鬱憤を少女へのいじめによって晴らそうと考え様々な方法で少女へのリンチを開始しました。しかしこの頃には少女はされるがままになっていました。
その日の一日の暴行は当日の午前8時頃から10時頃まで、約2時間にわたって休みなく続けき、少女は重篤な傷害により、同日午後10時ころまでの間に死亡してしまいました。
その翌日少年らは少女が死んでしまったことを知り、遺体を遺棄しようと企て、遺体を毛布で包み、大型の旅行かばんに入れてガムテープを巻きつけ、仕事先からトラックを借り出したり、セメントを貰い受けて近くの建材店から砂やブロックを盗み出し、トラックで遺体と付近で取ってきたごみ入れ用のドラム缶運び、そこでコンクリートを練り上げて遺体の入ったかばんをドラム缶に入れ、コンクリートをドラム缶に流し込み、更にブロックや煉瓦を入れて固定し、ドラム缶に黒色ビニール製ごみ袋を被せてガムテープで密閉しました。
その後トラックでドラム缶を運び京都江東区若洲の埋め立て地に遺棄しました。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の捜査
平成元年3月29日、被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚します。
警視庁綾瀬警察署と同庁少年二課は、前年12月に発生した別の婦女暴行事件及び、さらに別の婦女暴行1件・ひったくり20件の容疑で逮捕されていた少年二人を少年鑑別所で余罪について取り調べたところ、供述通り江東区若洲の埋め立て地で発見したドラム缶の中から遺体を発見したため、翌30日に2人を殺人・死体遺棄容疑で逮捕しました。
遺体の衣服は少年らが監禁中に与えたものらしく、失踪当時に着ていたものとは違った上、腐敗が進んでおり、少女の家族も身元を確認できなかったため、遺体の指紋を少女の所持品の指紋と照合するなどして身元確認を進め、少女と断定しました。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の裁判
東京地方検察庁は最初に逮捕された少年ら3人を、4月20日付で「刑事処分相当」の意見書付きで、殺人、わいせつ目的誘拐・略取、逮捕・監禁・強姦、死体遺棄の各罪で東京家庭裁判所に送致しました。
更に警視庁少年二課・綾瀬署は4月24日、監禁現場となった家の少年の兄も殺人、死体遺棄容疑で、同家に出入りして被害者に乱暴を働いたとして東京地検に書類送検したました。
その後、東京家裁は5月18日までに、送致されていた少年ら4名を、少年審判の結果「刑事処分が相当」として東京地検に逆送致します。5月25日、東京地検は少年ら4人の少年を殺人、わいせつ目的略取・誘拐、逮捕・監禁、強姦などの罪で東京地方裁判所に起訴しました。
1989年7月31日の第一審、東京地方裁判所刑事第4部にて初公判が開かれました。罪状認否で加害少年らの認否を代弁した弁護人らは、故意による殺人を認め、他の3人は殺意を否認し、傷害致死に留まると主張しました。
検察側は冒頭陳述で、加害少年らは監禁から約1か月後の12月下旬頃から、少女の扱いに困り「コンクリート詰めにして海に捨てよう」などと話し合っていたと指摘ました。
更に4人は、本事件以外にも別の女性2人への婦女暴行、後輩へのリンチ、被害総額約220万円に上る店舗荒らし・ひったくりなどでも起訴されており、閉廷と同時に、被告人のうち1人が気を失って倒れる程でした。
第2回公判は9月4日に開かれ、加害少年らが非行に走った背景として、弁護側は「複雑な家庭環境や学校でのいじめ・体罰などがあった」と指摘した上で「被告人らは、集団的なヒステリー状態とでもいうべき異常な心理状態の中で犯行をエスカレートさせた」と主張します。
1990年4月23日に第23回公判が開かれ、被告人4人に対する証拠調べが終わりました。この日は「被告人らが逮捕された当時、「自分が犯人に何をするかわからない」「この手で殺してやりたい」といった心境だったが、それは現在も変わらない」という被害少女の父親の証言の要約が読み上げられました。
1990年5月21日に論告求刑公判が開かれ、東京地検は「稀に見る重大・凶悪な犯罪で、犯行の態様も極めて残虐・冷酷である。人の仮面をかぶった鬼畜の所業であり、被告人らが犯行当時少年で、うち3人は家庭環境が良好とは言い難いことを考慮しても、厳しい刑をもって臨む以外にない」として、それぞれ以下のように求刑しました。
リーダー格に対しては「一連の犯行の首謀者」として無期懲役を求刑します。
リーダー格少年の片腕的な存在に懲役13年を求刑、他二人に対しては「被害者に対する加害行為には積極的だったが、リーダー格少年の指揮下にあり、追従していた」として、それぞれ懲役5年以上10年以下の不定期刑を求刑しました。
1990年7月20日に東京地裁刑事第4部で判決公判が開かれ、東京地裁は「被害者をなぶり殺しにした非人道的な犯行で刑事責任は重いが、少年による集団犯罪の特殊性などを考慮すると、精神的に未熟な少年らが事態を打開できないまま、不幸な結末に陥った側面もある。拘置中、被告人らはそれぞれ人間性に目覚めた成長が著しいなどの情状も考慮すべきである」として、以下のように判決を言い渡します。
情状としては、リーダー格少年の両親が被害者遺族に慰謝料5000万円を支払ったこと、他3人は恵まれない家庭環境にあり、学校でいじめにあったことなどを考慮し、「家裁や少年鑑別所・弁護人・両親や鑑定人の接触によって人間性に目覚め、罪の重大性を認識し、その責任の自覚を深めている」ことなどから、検察側の求刑に対しいずれも酌量減軽をしました。
主犯格の少年に対しては「犯行の発端を作り、主導的地位にいた為その刑事責任は最も重い」として、懲役17年を言い渡します。
準主犯格とされる少年に対しては「リーダー格少年に次ぐ地位で、自ら被害者に暴行を加えたこともあった」として、懲役5年以上10年以下の不定期刑を言い渡しました。
監禁場所に自室を提供した少年に対しては懲役4年以上6年以下の不定期刑、最も関与が薄いとされた少年に対しては「従属的ではあったが、過激な暴行は被害者に深刻な打撃を与えた」として、懲役3年以上4年以下の不定期刑が言い渡されました。
検察側は少年ら全員に関する量刑不当を主張し、8月2日付で東京高等裁判所に控訴します。
そして1991年3月12日に控訴審が東京高等裁判所で開かれます。検察側は「犯行の悪質さと少年らの非行性の根深さを考えると。第一審判決は寛大に過ぎる」と指摘し、検察庁・裁判所に判決を批判する投書・電話が多数寄せられたことなどを引きながら、「犯した罪の責任に応じ、社会一般の感情を納得させる量刑が求められる」としました。一方で弁護側は「少年法の理念を踏まえて、少年の社会復帰を手助けするという観点から処分を考えるべきだ」などと述べました。
同年7月12日に判決公判が開かれ、東京高裁は検察側の「被告人らの反省や、その後の人間的成長などの情状を酌んでも、原判決の量刑は軽すぎる」とする主張を認めて、第一審判決を「著しく軽すぎて不当」と破棄、それぞれ以下の判決を言い渡しました。
主犯格の少年に対しては「主犯格で罪責は極めて重大」として懲役20年の判決、自宅を提供した少年に対しては「被害者を自宅に監禁し、手加減なく強度の暴行を加えた」として懲役5年以上9年以下の不定期刑の判決、関与が薄いとされる少年に対しては「終始犯行に加わり、すさまじい暴行に及んだ」として懲役5年以上7年以下の不定期刑の判決を言い渡します。
リーダー格の片腕となる少年に関しては懲役5年以上10年以下の不定期刑とした第一審判決を支持、双方の控訴を棄却しました。
東京高裁は、少年に対する刑事処罰の在り方について「少年法が少年の健全な育成を図ることを目的とし、種々の配慮をしていることなどを慎重に考慮しなければならない」とする一方で「成人に比べて、常に一律に軽い量刑をもって臨めば足りるわけではなく、犯罪内容が悪質で、被害者の処罰感情が強いような場合には、それに応じた刑を科すことが社会正義を実現することになる」との判断を示しました。
その上で、被害者に対する犯行について「人間としての尊厳に対する一片の配慮もうかがうことができず、同情すべき点も認められない」「被告人らが犯行当時いずれも少年だったことや生育環境などを考えても、責任を大幅に現実ことは相当とは言えない」としました。
少年らのの3名は上告せず、そのまま判決が確定した一方、一人の少年のみ判決を不服として最高裁判所に上告しますが、上告を棄却する決定をされました。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」被害者や被害者家族の現在は?
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の被害者・古田順子さん
この事件では犯人のその後も注目されましたが、それよりも心配なのが被害者や被害者の家族のその後です。
被害者の女性はかわいらしい17歳の女子高生・古田順子さんでした。
当時身長165cmで事件前は体重が51kgあったそうですが、遺体発見時にはなんと35kgにまでやせ細っていたそうです。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」被害者家族の現在は?
被害者家族に対しては当時はインタビューなども受けていましたが、その後どうなったかはわかっていません。当時から比べると被害者への人権などに重きを置く風潮も出てきているので、現在は知ることが出来ないでしょう。
噂では両親共に心を病んで自殺してしまったという噂もありますが、それが本当かもわかりません。しかし、実の娘があんなにひどい被害にあってしまえば、心を病んでしまうのは当然のことです。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」犯人の詳細
本来ならば犯人の人権の為に本名などは公開されないのですが、ある週刊誌は「鬼畜共に人権は必要無い」という編集部の判断から当時から実名などを公開していました。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人・リーダー格少年 宮野裕史
宮野裕史は1970年4月30日生まれで、中学時代は柔道で軽量級の選手として実績がありました。高校進学後は中退してしまい、暴力団と仲を深め半グレ集団を立ち上げます。
懲役20年の刑を受け千葉刑務所に服役していましたが2008年に出所しました。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人・リーダーの右腕 小倉譲
1971年5月11生まれ、後に両親が別居するなど家庭環境には恵まれていなかったそうです。私立修得高校に入学するも1年の2学期で中退し、宮野裕史と共に事件を起こします。
裁判では5年~10年の不定期刑が確定し、1999年8月3日に出所します。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人・自宅を監禁場所とした 湊伸治
1972年12月16日生まれ、足立区内の名門中学校を卒業し、都内で唯一の科学専門工業学校に進学する優等生であったものの、上記二人と親しくなったことでコンクリート事件にも関わりをもってしまいます。
被害者女性を監禁した先の自宅は湊伸治の部屋で、不良たちのたまり場になっていたそうです。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人・関与が薄いとされる 渡邊恭史
1971年12月18日生まれ、内気な性格であり、中学卒業跡は定時制高校に入学するもののすぐに登校拒否し退学します。退学後に宮野裕史と出会い、犯行を共に行います。
判決は5年~7年の不定期刑となりました。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」犯人の現在
少年ということがありながらも裁判の判決は甘いという声が多くありました。実際に少年らはその後も事件を起こしています。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人・宮野裕史の現在
主犯格である宮野裕史は刑務所から出所後、なんと2013年に振り込め詐欺容疑で逮捕されています。
結果的に反省することもなく事件を繰り返しているのですから、やはり判決が甘かったのではないでしょうか。
ちなみに養子縁組し、名前を横山裕史と改名しています。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人・小倉譲の現在
小倉譲は出所後は神作譲に改名し、なんと出所後に同じような犯罪を犯し、逮捕されています。小倉譲に関しても同じような事件を起こしているということは甘かったという他ありません。
ちなみに、息子の人生を狂わされたと逆切れし、被害者の女子高生のお墓を小倉譲の母親が壊したそうです。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人・湊伸治の現在
犯行現場の部屋の提供者である湊伸治は出所後はムエタイ選手としてデビューし、綾瀬のタイ料理屋で試合をしていたそうです。
当然の事ながら味方は少なく、入場するたびに彼を快く思わない観客からブーイングを浴びせられ、結果的に大した戦績も上げられないまま引退しました。ちなみに観客に「コンクリ」というあだ名で呼ばれていたそうです。
現在は噂では嫁と娘をもうけて関東でひっそり暮らしているのだそうです。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人・渡邊泰史の現在
渡邊泰史は引きこもり症候群になっているという噂があります。
小倉(神作)譲の再犯で世間が騒がしくなった時期には報道ステーションに渡邊泰史のインタビューが放送されたようです。
元々メンバーの中でも一番気が小さかったので、出所後の風当たりに耐えられなかったのかもしれません。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の中傷被害を受けた芸能人
犯人とデマを流された「スマイリーキクチ中傷被害事件」とは?
お笑いピン芸人のスマイリーキクチさんは事件から10年後の1999年頃から犯人の1人であると
ネット上でいわれなき誹謗中傷をされるようになりました。
何故突然スマイリーキクチさんが犯人だと中傷されるようになったかは「出身地が犯行現場である足立区」「犯人グループと同世代」「10代の時にグレていた」とこの理由だけででいつのまにかネット上で犯人に仕立て上げられ、10年にもわたる長期間辛い思いをしてきたそうです。
その後、スマイリーキクチさんは長期間に渡り中傷と戦い続け2008年9月から2009年1月までにはキクチに対する中傷犯19人が検挙されました。
中傷犯は上は47歳位から下はなんと17歳で妊娠中の女性もいたそうです。
ネット中傷と戦ったスマイリーキクチさんの著書
開成中学、高校の学校教材にも採用されたそうです。
スマイリーキクチさんは中傷犯と戦い続けた記録を本にまとめ出版。
誰にでも起こりえるネットのトラブルに巻き込まれないためのマニュアルも載っているそうです。
飯島愛と「女子高生コンクリート詰め殺人事件」
犯人グループの一味の彼女だったと噂された飯島愛
かなり有名な都市伝説の1つで、飯島愛さん本人は事件への関与を「私は、殺人事件に関わった事実はありません」ときっぱりと否定しています。
飯島愛の死因・真相まとめ!エイズ・薬・病気など様々な説を検証
2008年12月に亡くなった飯島愛さん。長年に渡り事件との関係を噂されてきた1人でもあります。
また、銀座のホステス時代の友人・倉地明美さんが暴露本を出版し、飯島愛さんが事件に関与していたことを匂わせる証言をしています。
・飯島愛が綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件関係者に脅されまくっている
また、亡くなる2年前の2006年には飯島愛さんは事務所の経理担当者に1億円近い金額を横領されたことを告白。
しかしこれが「何者かに弱みを握られて1億円近い金をゆすられていた」という噂と金額も一致することから事件への関与が蒸し返されたようです。
あくまでもネット上の都市伝説であり、本人が亡くなっている今、真偽のほどを確かめるすべもありません。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人・湊伸治が2018年8月にまた事件を起こした
2018年8月19日、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人・湊伸治が再び事件を起こして逮捕されています。
8月19日、埼玉県川口市の路上で、32歳の男性の肩を警棒で殴った上、首をナイフで刺したとして45歳の男が殺人未遂の疑いで緊急逮捕された。逮捕された男は川口市の無職、湊伸治――。
殺人未遂罪の法定刑は、死刑または無期懲役、もしくは5年以上の懲役である。しかし、死刑や無期懲役になることはめったになく、多くは懲役3年前後からおよそ7年程度とされる。
ちなみに正当な理由なく、刃渡り6センチを超える刃物を携帯すれば、銃刀法違反で2年以下の懲役、または30万円以下の罰金となる。
「異常者は更生なんてしない」「死刑にするべき」とネットでは怒りの声が飛び交っています。
まとめ
・「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の被害者は当時17歳の女子高生・古田順子さんである。
・「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人は当時全員未成年の少年たちで、現在は出所するも、主犯の宮野裕史は2013年に振り込め詐欺容疑で逮捕。小倉譲は監禁・暴行事件を起こしている。
30年たった今も語り継がれる残忍で人間の所業とは思えぬ史上最悪の事件でした。
かわいらしい何の罪もない女子高生を死に追いやり、自分たちは名前を変え今ものうのうと生活していることに憤りを隠せません。