佐々木つとむさんは元祖ものまね四天王として活躍しましたが、愛人に刺されて亡くなっています。
今回は佐々木つとむさんの経歴と結婚した嫁や息子など家族、事件の経緯と犯人の中野美沙の動機、心霊現象などその後と現在を紹介します。
この記事の目次
- 佐々木つとむは愛人に殺害された元祖ものまね四天王
- 佐々木つとむの他の「元祖ものまね四天王メンバー」も紹介
- 佐々木つとむのものまねのネタ
- 佐々木つとむの家族① 結婚した嫁とは別居していた
- 佐々木つとむの家族② 子供は2人
- 佐々木つとむは殺人事件で死亡・犯人は愛人だった中野美沙
- 佐々木つとむの殺人事件の経緯
- 佐々木つとむの殺人事件の犯人・中野美沙の動機① 金銭の要求がエスカレート
- 佐々木つとむの殺人事件の犯人・中野美沙の動機② ギャンブルにのめり込む
- 佐々木つとむの殺人事件の犯人・中野美沙の動機③ 中野美沙や飼い犬へのDV
- 佐々木つとむの殺人事件のその後① 犯人・中野美沙は自殺
- 佐々木つとむの殺人事件のその後② 犯人・中野美沙の人物像が判明
- 佐々木つとむの殺人事件のその後③ 殺害現場で心霊現象が起こっていた
- 佐々木つとむの殺害事件の現在:アパートはどうなった?
- まとめ
佐々木つとむは愛人に殺害された元祖ものまね四天王
佐々木つとむさんは、ものまね四天王の1人として「ロッキード麻雀」、「渥美清さんのものまね」などで一世を風靡した人物です。
佐々木つとむさんのプロフィールや、人気だったネタ、同時期に活躍した「ものまね四天王」のメンバーについても紹介します。
佐々木つとむのプロフィール
出典:https://colaboy.ocnk.net/
本名: 佐々木 宏幸(ささき ひろゆき)
生年月日: 1947年7月23日
没年月日: 1987年9月4日(没年: 40歳)
出身地: 兵庫県神戸市
佐々木つとむさんは、まだ素人だった高校生の頃に演芸番組に出演したことがきっかけで注目を集め、プロの芸人になることを目指して高校を中退しました。
17歳で浅草松竹演芸場の司会に抜擢されると、同時に佐々木つとむさんはものまね芸人としての活動を開始。
渥美清さんのものまねや、政治家4人を演じ分ける「ロッキード麻雀」ネタが人気を博します。
そして、1970年代のものまね芸人の中ではトップクラスの実力者として「元祖ものまね四天王」と呼ばれていました。
しかし、佐々木つとむさんは40歳の若さで壮絶な最期を遂げました。死因や殺人事件については後ほど詳しくお伝えします。
佐々木つとむの他の「元祖ものまね四天王メンバー」も紹介
今の世代に「ものまね四天王と言えば?」と聞くと、清水アキラさん、栗田貫一さん、グッチ裕三さん、コロッケさんあたりを想像される方が多いのではないでしょうか。
彼らはフジテレビで放送された「ものまね王座決定戦」で火花を散らし、それぞれ優勝経験者。
1990年頃からは「ものまねブーム」が巻き起こり、バラエティ番組では欠かせない存在となりました。
佐々木つとむさんは現在のものまね四天王の前身でもある、「元祖ものまね四天王」でした。
もともとは、佐々木つとむさん、はたけんじさん、堺すすむさんの3人が「ものまね御三家」と呼ばれていましたが、団しん也さんが加わり「ものまね四天王」と呼び方が変わったようです。
元祖ものまね四天王: はたけんじ
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三波春夫のものまねが人気のはたけんじ
はたけんじさんは、20歳の時にフジテレビで放送された「しろうと芸能大賞」に出場し、優勝したことをきっかっけに芸能界入りしました。
デビュー当初は、歌謡ショーの司会や前座を担っていたのですが、1973年に三波春夫さんのものまねが大うけしてブレイク。
1978年には、当時人気絶頂だったピンクレディーの「ペッパー警部」をカバーした「演歌ペッパー警部」をリリース。
この「演歌ペッパー警部」は、竹村次郎さんが音頭風の楽曲にアレンジ。
歌詞も「ぺっぱ~けいぶ~ アッソレ。 盆踊りでぶちかましたい!老いも若きも笑顔でダンシン間違いなしやで」と、原曲とはかなり異なる曲調になっています。
1979年には、日本放送演歌対象部門を受賞し、人気を不動のものとしました。
2023年現在のはたけんじさんの年齢は75歳。テレビにはあまり出演しておらず、もっぱらライオンズクラブなどの企業から講演依頼を受けて、話し方や接し方などの講師しています。
プライベートでは趣味のゴルフを継続し、毎年のように仲間と「マネマネ・カップ」という名前のコンペを主催することが楽しみなんだとか。
元祖ものまね四天王: 堺すすむ
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ギター漫談が人気の堺すすむ
堺すすむさんは中学生の頃から素人演芸番組に出演し、1960年に19歳でものまねギター漫談で芸人デビュー。地元の大阪で活動を開始しました。
1967年に上京すると、主にものまねショーを活躍の場として、絶妙の客いじりが人気を博します。
1990年代後半になると、「堺すすむさんとTMレボリューションの西川貴教さんは顔がソックリ」と再び脚光を浴びることに。
2人は「うたばん」に出演し、西川貴教さんと共に半裸の衣装で大型扇風機の前で「WHITE BREATH」を熱唱したことも話題になりました。
1998年1月25日の東京スポーツでは「西川貴教・堺すすむは親子だった!?」という衝撃的な飛ばし記事が報じられています。
2023年現在の堺すすむさんの年齢は80歳。テレビなど表舞台に立つことはなくなりましたが、ラジオの演芸番組や地方で公演の活動をしているようです。
元祖ものまね四天王: 団しん也
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団しん也さんは若い頃に歌手を目指し、古賀政男さんに弟子入りしました。
しかしなかなか芽が出ず、演芸場やキャバレーで漫談やものまねを披露して、生活費の足しにしていたそうです。
そんな中、口コミで団しん也さんのものまね人気が徐々に広がっていき、日本テレビの「やじうま寄席」に出演するようになりました。
永六輔さんや三船敏郎さん、田中邦衛さん、橋幸夫さんなど、幅広いジャンルのものまねで人気者になります。
1980年からは、フジテレビの「新春オールスターかくし芸大会」に毎年のように出演。
タモリさんが司会を務めた「今夜は最高!」では、団しん也さんが最多ゲスト出演者となるなど、定期的に番組に出演してきました。
また、ものまね芸人以外にも、俳優としてドラマ「5年3組魔法組」、「青春はみだし刑事」などの作品に出演しています。
2023年現在の団しん也さんの年齢は79歳。以前ほどテレビで見かけることはなくなりましたが、YouTubeで自身のチャンネルを開設するなどマイペースな活動をしているようです。
佐々木つとむのものまねのネタ
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佐々木つとむさんの、ものまねで最も有名なのは田中角栄さん、大平正芳さん、三木武夫さん、春日一幸さん4人の声を使い分けた「ロッキード麻雀」です。
その他には、渥美清さんの「それを言っちゃ~オシマイよ」を好んでネタ落ちのフレーズとして使っていました。
佐々木つとむさんのネタは政治から芸能まで幅広いジャンルをカバーし、精巧な声の使い分けがファンから高い評価を受けており、1974年と1977年には放送演芸対象部門を受賞。
佐々木つとむさんのネタを集めたレコードもリリースされています。
佐々木つとむの家族① 結婚した嫁とは別居していた
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佐々木つとむさんは既婚者で、嫁はどうやら一般人のようです。嫁の素性や結婚した時期についてはわかっていません。
佐々木つとむさんは無類のギャンブル好きで、受け取ったギャラをその日のうちに全てギャンブルにつぎ込み、常に借金の取り立てに悩まされていました。
一説によるとポーカーで1000万円の借金を作ったこともあったんだとか。もちろん結婚生活に支障をきたしており、嫁とは1987年4月頃から別居していたようです。
ただし、同年9月に佐々木つとむさんは殺害されてしまうため、離婚をしないまま2人の結婚生活は終わりを迎えました。
佐々木つとむの家族② 子供は2人
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佐々木つとむさんの子供について調査したところ、嫁との間に子供が2人誕生していることが判明しました。
ネットで佐々木つとむさんについて検索すると、関連ワードに「息子」というワードが表示されていることから、息子について調査している人が多いようです。
しかし、佐々木つとむさんの子供に関する具体的なことは公表されておらず、性別や名前、生年月日といった個人を特定できるような情報はわかっていません。
また、自ら「佐々木つとむの子供です」と名乗っている人物も見当たらないため、2人の子供が息子なのか、娘なのかすら今でも不明です。
佐々木つとむさんは凄惨な事件で命を落としていることから、子供としても積極的に素性を明かして注目を集めたくはないのかもしれませんね。
佐々木つとむは殺人事件で死亡・犯人は愛人だった中野美沙
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佐々木つとむの死去を報じた紙面
1987年9月4日、佐々木つとむさんが40歳の若さで刺殺されたことが新聞やテレビで報じられると、日本中から注目を集めました。
事件が報じられた時点では「同居の女性が姿を消す」とされていましたが、佐々木つとむさんを包丁でメッタ刺しにして殺害した犯人は、当時39歳だった愛人の中野美沙です。
佐々木つとむさんが中野美沙と出会ったのは、新宿のポーカーゲーム屋とのこと。
すぐに意気投合し交際へ発展した2人は、東京都板橋区高島平のアパートで同棲生活を始めました。
なお、中野美沙は輸入下着の販売をしていた女性で、フェアレディ―Zを乗り回す羽振りの良い生活を送っていたようです。
また、中野美沙は佐々木つとむさんの借金を一部肩代わりしていたとも言われています。
佐々木つとむの殺人事件の経緯
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佐々木つとむさん殺害事件が発覚したのは、死亡から数日経過した1987年9月4日です。
この日、高松の公演に出演する予定だった佐々木つとむさんと連絡が取れなかったことから、事務所社長が、高島平にあるアパートを訪ねたことで遺体を発見しています。
部屋は血の海だったそうで、その中で佐々木つとむさんが毛布を被った状態で倒れていたとのこと。
社長は慌てて警察に連絡し、警察官が到着して現場を調査すると、遺体の傍には「あの世で、二人でやり直そう」という女性の筆跡のメモが残されていました。
さらに、遺体の前には水を入れたコップが置かれ、凶器の包丁はきれいに洗われた状態で転がっていたそうです。
佐々木つとむさんの死因は、包丁でメッタ刺しにされたことによる失血死です。警視庁は現場の様子から、突発的な犯行であるという見立てを発表しています。
なお、同棲していた犯人の中野美沙は事件発覚当時、連絡がつかず行方不明となっており、指名手配されました。
新聞、ニュース、ワイドショーでは、衝撃の事件として大きく報じられています。
佐々木つとむの殺人事件の犯人・中野美沙の動機① 金銭の要求がエスカレート
中野美沙は、なぜ佐々木つとむさんを殺害したのでしょうか。その理由は様々あると言われていますので、ここからは動機を1つ1つ見ていきましょう。
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まずは、佐々木つとむさんの金銭の無心が原因という説です。
前述の通り、経済的に自立し豊かな生活を送っていた中野美沙は、佐々木つとむさんの借金を一部肩代わりするだけでなく、「お金が足りない」としつこく要求されていたと言われています。
さらに、佐々木つとむさんは中野美沙の預金を勝手に銀行からおろしたり、家にあった貴金属類などを無断で換金したりもしていたようで、いつしか2人の仲は険悪になりました。
なお、佐々木つとむさんは所属事務所の社長に中野美沙との関係について相談していたそうで、死去後にこういったエピソードが公開されています。
佐々木つとむの殺人事件の犯人・中野美沙の動機② ギャンブルにのめり込む
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この頃の佐々木つとむさんは、人気に陰りが出ていて仕事に行き詰まりを感じていたようです。
また、中野美沙から出資してもらった資金を元に経営していたショーパブの経営がうまくいっていませんでした。
こういった背景から、佐々木つとむさんには焦りもあったのかもしれません。
ギャンブルにさらにのめり込むようになり、中野美沙との関係がますますギクシャクしていったそうです。
佐々木つとむの殺人事件の犯人・中野美沙の動機③ 中野美沙や飼い犬へのDV
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佐々木つとむさんは事件当時、中野美沙と飼い犬に対して当たり散らしていたと言われています。
「家から出て行って欲しい」と言う中野美沙に暴力を振るい、「お前は一生俺の金づるだ」と恐怖を植え付けて心理的に優位に立とうとしていたようです。
そんなある日、酒におぼれた佐々木つとむさんは飼い犬を蹴飛ばして骨折させてしまいました。
カッとなった中野美沙は、これまでの仕打ちへの恨みも手伝って、自宅アパートにあった包丁でメッタ刺しの犯行に及んだと見られており、これが直接的な原因だったと言われています。
ペットを飼う人にとって動物はただのペットではなく、大切な家族の一員であり、人間同様に深い愛情を与える人が多いようです。
そんな家族の一員がパートナーからの暴力で骨折してしまったことで、冷静ではいられなくなってしまったのでしょう。
佐々木つとむの殺人事件のその後① 犯人・中野美沙は自殺
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中野美沙の遺体発見を報じた紙面
佐々木つとむさん殺人事件のその後について見ていきましょう。
高島平署から指名手配をされた中野美沙は9月6日朝、青森県むつ市の海岸で水死体となって発見されています。
当日、むつ市の海岸に女性用のバッグと靴があるのを住民がみつけ、むつ署に通報。付近の海中を捜査したところ、中野美沙の水死体が浮いていたそうです。
中野美沙の遺体には鼻と額に擦り傷がありましたが、それ以外の目立った傷はなく、自殺であると断定されました。
むつ署によると、中野美沙は青森市内にあるホテルのマッチを持っていたそうです。
警察官がホテルの部屋を捜査すると「いろいろ迷惑をかけました。母のところへ連絡してください」というメモと宿泊のためのバッグが残されていました。
ホテル側の証言によると、中野美沙は9月5日午後9時頃に1人でチェックインし、午前0時頃に「1時間ぐらい外出してきます」とフロントマンへ声をかけて外に出て行ったとのこと。
ホテルの部屋に残されたバッグには、現金50万円が入っていました。
佐々木つとむの殺人事件のその後② 犯人・中野美沙の人物像が判明
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中野美沙は遺体が発見されると、遺体の解剖だけではなく、過去の経歴についても捜査が行われ、いくつかの情報が出てきました。
中野美沙は中学校を卒業すると進学をせずに、工場で1年間勤務。結婚したもののすぐに離婚したと言われています。
その後、下着の販売事業を立ち上げたのですが、愛人業も裏で行っていました。中野美沙が当時関係を持った男性は判明しているだけで4人います。
佐々木つとむさん以外は、主に反社会勢力に関連する男性が多く、中野美沙が羽振りの良い生活を送っていたのはこういった背景があったようです。
青森県むつ市で発見された水死体を解剖した際には、中野美沙の背中には大きな観音菩薩の刺青が入っていたという事実も公表されています。
なお、佐々木つとむさんが骨折させた愛犬は、中野美沙が自殺する前にペットの病院に入院させていたことが判明しました。
佐々木つとむの殺人事件のその後③ 殺害現場で心霊現象が起こっていた
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佐々木つとむさんの殺害現場となった高島平のアパートはその後、お笑い芸人のピグモン勝田さんが住み、心霊現象が起こる心霊スポットとして有名になりました。
ピグモン勝田さんのプロフィールや悲惨な末路、怪談にもなった心霊現象についても紹介します。
ピグモン勝田のプロフィール
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本名: 勝田啓司
生年月日: 1965年4月1日
没年月日: 1994年10月24日
出身地: 東京都
ピグモン勝田さんは、かつて大川興業に所属していたお笑い芸人で、父親は元テレビ朝日のプロデューサーをしていた勝田康三さん、母親は若い頃に一時期女優をした経歴を持っています。
青山学院大学を卒業後、広告代理店に勤務していましたが、1990年に大川興行に入り、お笑い芸人に転向。
大島勝美さんと「トーキング」という名前のコンビを組んで活動していました。
生前、佐々木つとむさんが殺害されたアパートの一室を借りて住んでいましたが、1994年に29歳で死去しています。
死因は謎の転落死
ピグモン勝田さんが死去したのは1994年10月24日です。
その前日、ピグモン勝田さんは埼玉県新座市にあるニチイ(現在はイオン)の店頭広場に設置された舞台でパフォーマンスを行っていました。
舞台を降りると、敷地内にあるケヤキの木にサルのような動きで登ったところ、ピグモン勝田さんがぶら下がった木の枝が突如折れてしまったのです。
転落したピグモン勝田さんは後頭部を強打し、すぐに病院に運び込まれました。
事務所の社長を務める大川豊さんは「勝田の無事を祈ってください」と会見で涙をこぼしながら訴えましたが、その願いもむなしく、ピグモン勝田さんは死去。没年29歳でした。
事故が起こったことで、大川興業の公演そのものが中止になりかけましたが、ピグモン勝田さんの父親が「舞台が一番の供養になる」と語り、舞台は続行されています。
稲川淳二の怪談ネタになっていた
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ピグモン勝田さんは生前、佐々木つとむさんが殺害された現場となった高島平のアパートの同室に住んでいたのですが、心霊現象に悩まされていたという証言がありました。
ピグモン勝田さんは当初、「安くて良いアパートを借りることができた」と周囲に語るなど、喜んでいたといいます。
ところが、しばらくするとピグモン勝田さんは沈んだ表情で関係者に相談を持ち掛けました。
それによると、引っ越してからというもの、ピグモン勝田さんは夜中に奇妙な体験をすることが多くなったそう。
なんでも、夜中にふと目を開けると隣の和室の電気がついていて、男性が麻雀をしていたとのこと。
男性がおいでおいでと手招きをしてくるので、ピグモン勝田さんは和室に移動して麻雀を始めますが、ふと気が付くと畳に1人で倒れていたといいます。
夢だったのかとも思いましたが、やけに麻雀の感覚がリアルに手に残っています。
ただ、相談を受けた関係者には「夢遊病なんじゃないか」と一笑にふされてしまったようです。
しかし、その後もたびたび同じような体験をし続け、非常に不気味だとまた相談したものの、やはり笑い話として片付けられてしまいました。
事故物件であることを知らなかった
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後日、ピグモン勝田さんは車をガードレールにぶつけてしまったことで、警察署で書類を書いていると、警察官から意外な情報を耳にします。
警察官は「あー、あんた芸人さんなの。あのあたりは多いんだね。そういえば、佐々木つとむさんが殺害されたのもあのあたりだね」と言われたといいます。
そこで改めて調べてみると、現在自分が住んでいる部屋がまさに殺人現場の部屋だったことを知ることになったのです。
つまり、ピグモン勝田さんは借りた部屋が、佐々木つとむさん殺害現場だったことを知らなかったということになります。
法的には、事故物件に認定されてから最初に入居する時には、心理的瑕疵物件であることを告知する義務がありますが、それ以降は義務になりません。
佐々木つとむさんが殺害されたのは1987年で、ピグモン勝田さんが高島平のアパートに住み始めたのは少なくとも1990年以降なので、間に誰かが部屋を借りていた可能性が考えられます。
もし、事故物件だったことを知っていたら、ピグモン勝田さんは部屋を借りることを見送ったかもしれません。
また、理解のうえで入居した場合、夜中に麻雀をしながら手招きをする男性が誰なのか、すぐにピンとくるのではないでしょうか。
ピグモン勝田さんが事故で死去したこと、夜中に奇妙な体験をしたことが、本当に殺人現場だった部屋を借りたことと関連があるのかは不明ですが、何とも不気味ですよね。
ちなみにこの心霊現象の件は、怪談の語り部として有名な稲川淳二さんの持ちネタの1つであり、長年語り続けられています。
佐々木つとむの殺害事件の現在:アパートはどうなった?
出典:https://twitter.com/
佐々木つとむさん殺人事件の現場となったアパートは、今どうなっているのでしょうか。
現場の住所は東京都板橋区高島平8-22-11で、建物の名前は三高高島平コーポ。1階の2号室で事件は起こっています。
今もGoogleストリートビューで現地の様子を見てみると、古い建物が表示されますし、賃貸サイトにも登録されていることから、現在もこの建物に人が住んでいると考えて良いでしょう。
なお、賃貸サイトによると、現場のアパートは1981年に建設と記載されているため、事件後もアパートは建て替えられてはいないようですね。
佐々木つとむさんやピグモン勝田さんが住んでいた頃は、まだ築年数が浅く、先進的な建物だったのかもしれません。
なお、建物名でネット検索すると、心霊スポットや事故物件を紹介するサイトがヒットします。
この部屋にかつて住んだ人物が3人も変死しているので、ネットでは気になってしまう人が多いのも頷けますね。
まとめ
元祖ものまね四天王・佐々木つとむさんについて、嫁や子供など家族、殺人事件の経緯と犯人の中野美沙の動機、心霊現象の噂などその後、現場アパートの現在をまとめました。
事件後、殺害現場に住んでいたお笑い芸人のピグモン勝田さんが奇妙な体験をして悩んでいたこと、1994年10月に転落事故で死去したことは、稲川淳二さんが怪談で語っています。
そして2023年現在も、三高高島平コーポという名前の建物は現存していて、1階の2号室は誰かが住んでいるようです。
ネットでも、事故物件や心霊スポット、稲川淳二さんの怪談として取り上げられて注目を集め続けています。
心霊現象が果たして佐々木つとむさんの霊の仕業だったのかはわかりませんが、亡くなった3人のご冥福をお祈りします。