2003年7月に小学生4人をマンションに拉致監禁し、わいせつ行為や買春をさせようとして逮捕された吉里弘太郎容疑者。
日本社会の深い闇を感じると言われたこの「プチエンジェル事件」は、事件終幕とともにその闇の深さが露呈しました。
「プチエンジェル事件」について現在までに分かった真相などを総まとめしました。
この記事の目次
「プチエンジェル事件」の現在までに分かった真相【閲覧注意】
闇に葬られた「プチエンジェル事件」の真相がヤバい
「プチエンジェル事件」とはその事件そのものの悪質性はもとより、日本が法治国家ではないことをまざまざと思い知らされた事件でした。つまり、金と権力さえあれば法さえも無視できてしまうということを世間にわかりやすく証明した事件だったのです。
この「プチエンジェル事件」は事件発覚直後に裏社会の権力者によりもみ消されてしまったため真相は闇の中であり、主犯格の吉里弘太郎容疑者は逮捕前に自殺してしまいました。そして本当に自殺だったのか、「プチエンジェル事件」の真相について現在までに分かっていることを総まとめしました。
犯人の29歳の男性は無店舗型の非合法の未成年者デートクラブ「プチエンジェル」を経営。女子高生数人をスカウトとして雇い、渋谷や新宿で「カラオケ5,000円、下着提供10,000円、裸体撮影10,000円」などと書かれたチラシを配ってローティーンの少女を勧誘し、男性客に斡旋、その他わいせつビデオの販売も合わせて多額の利益を得ていた。また本人も過去に買春で逮捕歴があり執行猶予中だった。
引用:Wikipedia – プチエンジェル事件
この「プチエンジェル事件」は主犯格である吉里弘太郎容疑者が非合法による児童買春斡旋を行う無店舗型の「プチエンジェル」の経営と、日本政財界の大物を始めとした弁護士、医師などの名士と呼ばれる顧客2,000名以上が名を連ねる顧客リストが発覚したことで当時世間に衝撃を与えました。
しかし事件発覚後は連日児童誘拐事件として報道されていたマスコミもぱたりと報道を止め、証言から組織的犯罪であることが確実でありながら警察は”単独犯”だと決めつけ、顧客リストの大半が偽名だということを理由に捜査を打ち切るという、前代未聞の終わり方をした事件でした。
その陰には「プチエンジェル」の顧客だった裏社会の大物が圧力をかけたことは明白で、金と権力さえあれば法が意味を成さないということを分かりやすく世間に知らしめた事件でもありました。
その「プチエンジェル事件」の真相を現在分かっているところまでご紹介していきますが、まずは事件の全貌を振り返ってみましょう。
7月上旬…被害者少女の一人が吉里弘太郎容疑者に勧誘され、会ったことで謝礼を貰う
7月11日…犯人がフェラーリ2台を売却
7月11日…ヤマザキという男が事件現場となった赤坂のウィークリーマンションを借りる
7月12日…勧誘役の女子高生が少女を誘って”アルバイト”をさせ、翌日の仕事も紹介
7月13日…少女らが吉里弘太郎容疑者ともうひとりの男性に声をかけられ「部屋掃除をして欲しい」と頼まれる
7月13日…少女ら4人が赤坂のマンションに監禁される
7月13日~16日…少女らは手錠をかけられ、ポリタンクの重しを付けられ身動き出来ない状態で5日間監禁される。スタンガンで脅されており一人の少女が背中を負傷。
7月13日深夜…少女らの家族が捜索願を出す。
7月16日…警視庁が2002年3月の中学2年生との児童買春容疑で吉里弘太郎容疑者の逮捕状を請求し、周辺に聞き込み調査を開始。
7月16日…マスコミで少女らの失踪事件が報じられ始める。
7月16日…吉里弘太郎容疑者がリビングでビニールテントを張り、練炭自殺を図り死亡。
7月17日…吉里弘太郎容疑者の声がしなくなったため少女一人が手錠を外し脱出。裸足のまま部屋を飛び出して隣接する花屋に助けを求める。
7月17日12時…花屋が警察へ通報、駆けつけた警察官が4人の少女を保護。
以上が「プチエンジェル事件」の一連の概要となりますが、これはマスコミが報じた内容であり、湾曲した偏向報道だったことから実際は不可解な点が多くあると言われています。
「プチエンジェル事件」の真相について総まとめしましたのでご紹介していきましょう。
プチエンジェル事件の真相明らかになんねーかなー(他力本願)
— ₲eŇʘϲآƊe (@Despair012) 2017年9月12日
「プチエンジェル事件」犯人・吉里弘太郎容疑者とは
「プチエンジェル事件」犯人・吉里弘太郎容疑者の生い立ち
吉里弘太郎容疑者はエリート家系に生まれた
凶悪犯罪者の家系は底辺かエリートか極端なことが多いようですが、吉里弘太郎容疑者は後者だったようです。
吉里弘太郎容疑者の父親は元警視庁キャップであり、朝日新聞に転職して幹部社員から西部本社社会部長に転属しています。
この経歴から見ると吉里弘太郎容疑者の父親はなかなかのエリートで、裕福な家庭だったと推測できます。
吉里弘太郎容疑者は東京芸術大学の出身でデザイナーをしていたようですが、大学時代から複数の女性と交際しヒモ生活を送っていたそうです。
その後、ホストクラブに2年間アルバイトをしていましたが、吉里弘太郎容疑者はロリータ趣味だったため当時からロリータデートクラブに入り浸り、顔なじみになっていたという。
吉里弘太郎容疑者は非合法の買春斡旋を始めますが、最初は人妻など児童ではなかったと言われています。
吉里弘太郎容疑者は若い頃にニューヨークやパリなど海外を転々としていたことがあるようで、外国人の友達が多いと言われていますが、イケメンと言われるほどルックスが良かったことから魅力的な人物に見えていたのでしょう。
吉里弘太郎容疑者はロリータクラブである「プチエンジェル」を開業し、莫大なお金を稼ぐようになります。
事件発覚直前頃は都内の高級ホテル暮らしで、愛車として2,500万円のシルバーのフェラーリともう一台フェラーリを所有していたようです。
事件後に発覚した吉里弘太郎容疑者の預金総額は35億円と言われていました。
吉里弘太郎の居住地だった住所は「横浜市港北区篠原東1-2」や「埼玉県久喜市」だと言われています。
「プチエンジェル事件」吉里弘太郎容疑者の家族が次々に自殺
吉里弘太郎容疑者の家族は全員自殺者だった
吉里弘太郎容疑者は大学在学中の頃あたりから立て続けに肉親を自殺で失っています。
吉里弘太郎容疑者の父親は前述のとおり朝日新聞社の元記者でしたが、1993年に難病指定されている頭頸部ジストニアを発症し、病苦によるものなのか、西部本社に異動になったためなのかわかりませんが1996年に自殺しています。
そして、その後を追うかのように吉里弘太郎容疑者の兄が1999年に自殺。
立て続けに夫と長男を自殺で亡くした母親は悲観して2001年に自殺を図りましたが未遂で終わっています。その後、沖縄に移住しているようです。
吉里弘太郎容疑者は横浜に父と兄のお墓を建てましたが、本人も酷いアトピー性皮膚炎に長年苦しんでいたようで、周囲によく「死にたい」と漏らしていたと言われています。
こうした背景から吉里弘太郎容疑者は自暴自棄になっていったのかもしれませんね。
「プチエンジェル事件」吉里弘太郎容疑者の前科とは?
吉里弘太郎は複数の買春容疑があった?
情報元により前科が異なるものの、吉里弘太郎容疑者は「プチエンジェル事件」発覚前に指名手配を受けていたようです。
吉里弘太郎容疑者は高校生2人との買春により一度逮捕されており執行猶予中だったようですが、2002年3月に中学2年生との買春が発覚し指名手配中だったようです。
吉里弘太郎容疑者は元々東京都多摩地区を中心に主婦売春組織を運営していたことから警視庁にマークされていた人物だったという。
「プチエンジェル事件」事件の経緯~犯人の自殺や少女の保護まで
「プチエンジェル事件」事件の発端とは?
「プチエンジェル事件」は吉里弘太郎容疑者を葬るための工作だった?
結果的に「プチエンジェル事件」の被害者である小学6年生の少女4人は性的被害がありませんでしたが、この事件は逮捕が時間の問題だった吉里弘太郎容疑者を抹殺するためのものだったのかもしれません。
2003年7月上旬に、吉里弘太郎容疑者は被害者少女のひとりを渋谷で勧誘し、会ってくれたお礼として1万円を渡したそうです。
吉里弘太郎容疑者は友達を連れてくればお金をあげるという甘い誘いで少女を釣り、携帯番号を渡しています。
その少女は友達を連れて再び渋谷を訪れ、吉里弘太郎容疑者が雇っていた女子高生の勧誘役に会って”アルバイト”をしてお金を貰っています。
さらに女子高生は翌日の仕事も紹介し、少女らは他の友人らにも「渋谷でいいアルバイトがある」と持ちかけています。
報道の証言者の話では、紹介するごとに報酬が貰えるシステムだったようで、小学生を紹介すると3万円だったということから、この少女らも「友達を連れてきたら一人あたり3万円あげる」と持ちかけていたのでしょう。
その少女らは7月13日10時頃にも友達を連れて地元稲城市の京王線稲城駅から渋谷へやってきて、渋谷モヤイ像前で吉里弘太郎容疑者らと待ち合わせをしていました。
少女らに「部屋の掃除を1万円でして欲しい」と持ちかけた吉里弘太郎容疑者が先にふたりの少女をタクシーに乗せて監禁先のマンションであるインターナショナルプラザ赤坂No.1に向かい、遅れてもう一人の男が残りふたりをタクシーに乗せてマンションに連れていきました。
太陽フレアやミサイルなんかより日本国民はプチエンジェル事件に目を向けるべき。
— みづのめ (@miduno_me) 2017年9月9日
「プチエンジェル事件」を起こす前の吉里弘太郎容疑者の不可解な行動
これまでほとんどバレずに買春を行ってきた吉里弘太郎容疑者が、少女ら4人を拉致監禁すれば世間が騒ぐことが明白であるにも関わらず決行したこと、事前にフェラーリ2台を売却したことなどが挙げられます。
同月11日に、なぜか吉里弘太郎容疑者は愛車である2台のフェラーリを売却しています。
さらに吉里弘太郎容疑者は翌12日には少女たちを監禁するための重しとなる20Lポリタンクと鉄アレイを購入し、同時に自殺用の練炭と七輪2個も買っていたという。
この二つの行動が不可解だと言われており、吉里弘太郎容疑者は警察から逃げられないと悟って自殺するつもりで練炭や七輪を購入するのはわからないでもないですが、フェラーリ2台を処分する必要はどこにもありません。
国外逃亡するためだとすればお金に変えておくということも考えることはできますが、それならば練炭と七輪を購入する説明がつきません。
かなり警察とマスコミに湾曲した報道をされていたようなので、もしかしたら練炭と七輪を購入したという情報は吉里弘太郎容疑者を自殺に見せかけるための後付けで、吉里弘太郎容疑者は本当は国外逃亡するつもりがあったのかもしれませんね。
自殺はその人の性格が色濃く反映されると言われており、練炭自殺はひっそりと楽にこの世を去りたい人がよく用いる自殺方法で、鬼畜外道の人間が選ぶ自殺方法ではないと言われています。
死ぬ直前まで少女らで性欲を満たそうとしていた吉里弘太郎容疑者が練炭自殺をするというのはどうにも繋がらないようです。
「プチエンジェル事件」小学生少女4人を監禁
吉里弘太郎容疑者らが少女4人を監禁
吉里弘太郎容疑者と男はタクシーでマンションに到着すると計画通りに小学6年生の少女ら4人を11階の部屋へ監禁しました。
監禁先のインターナショナルプラザ赤坂No.1に到着すると、吉里弘太郎容疑者は先に少女らふたりを借りていた11階の部屋に招き入れ、「どうしてここに来たか分かるよね?」と言ってスタンガンを手に脅し、少女らに手錠をかけて部屋に監禁しました。
後から到着した少女ふたりも同様に監禁し、購入しておいた20リットルのポリタンクや鉄アレイを重しにして逃げられないようにし、ふたりは洋室の部屋のベッド、もうふたりは脱衣室に監禁しています。
なお、2人の少女が逃げようとした時に、ひとりが背中にスタンガンで負傷しているようです。
「プチエンジェル事件」少女らの保護者が捜索願を出し捜査開始
少女ら4人が監禁された同日深夜に保護者が捜索願を出した
夜になっても娘が帰ってこないことから保護者らは警察に捜索願を出したようで、犯人に心あたりのあった警察はすぐに捜査が開始しました。
7月13日深夜に稲城市に住む保護者ら4人は多摩中央署に捜索願を出し、すぐに同署の警官らにより4人の少女が通う小学校の同級生や保護者などに事件について心当たりがないか聞き込み調査が開始しました。
その中で、行方不明になっている少女一人から「渋谷でアルバイトをしてお金を貰える」として誘われた女児が見つかり、そのことを母親に相談していたため保護者間でも話題になっていたそうです。
女児誘拐事件だと睨んだ警察は、渋谷で少女をターゲットにアルバイトを持ちかける人物・吉里弘太郎容疑者に心当たりがあり、指名手配中であったことからも正式に逮捕状を取って捜索が始まりました。
吉里弘太郎容疑者はインターネットの掲示板などは使わなかったものの、女子高生を雇って渋谷界隈で小中高の少女らに「いいアルバイトがある」と声をかけていました。
拉致監禁されている少女の自宅からは吉里弘太郎容疑者が作成したアルバイトのチラシが見つかり、そこには吉里弘太郎容疑者の電話番号も掲載されていたため、警察はおとり捜査も考えていたかもしれませんね。
しかし、「プチエンジェル事件」は警察が知ってか知らずか、意外な結末を迎えることになります。
「プチエンジェル事件」報道開始と吉里弘太郎容疑者の異常な行動
事件発覚から3日後に報道が開始される
この「プチエンジェル事件」の数々の不可解な点のひとつとして、報道の遅さがあります。通常、事件が発覚すれば行方不明の児童の名前とともに即日報じられることが多いものの、この事件では3日後に報道が開始され少女ら4人の実名は伏せられていました。
16日未明から少女4人が行方不明になっていることについて報道が始まりました。
ちなみに、報道が3日間遅れた理由として考えられるのは、社会的に重大な性犯罪であるということや、事件のバックにいる組織や人物を考えて慎重になっていたのかもしれません。
少女らの実名が報じられていないのも、性犯罪被害者(実際に受けていなくても)であることを考慮してのことでしょう。
報道を知った吉里弘太郎容疑者は焦っていたようで、不可解な行動に出ています。
吉里弘太郎容疑者は同日の11時~12時頃に、とある無店舗型の派遣風俗店へ電話を入れています。
そのお店の店長は吉里弘太郎容疑者からの電話での要望について下記のように語っています。
「今、めいっ子といて、その友達の少女たちも一緒。場所は赤坂のマンションだ」と話す男は「少女たちに、大人の人が○○○なことをしているところを見せたい。おたくの店から女の子を派遣してほしい。僕と女の子の本番を見せたいんだ」と要望を伝えてきた。
これらは完全に違法行為なため店長は丁重に断ったようですが、吉里弘太郎容疑者はお金には糸目を付けないことを強調して「今日しかない」と何度も必死にお願いしていたようです。
再び電話をかけて来た吉里弘太郎容疑者は挙句の果てには店長の彼女でもいいのでふたりで部屋に来て少女らにプレイを見せてやってくれと懇願したという。
当然店長は断ってその日の営業時間も終了し、吉里弘太郎容疑者とのやり取りは終わったようですが、そのやり取りを「変な客」として友人に話していたそうです。
すると翌日にニュースを見た友人から「お前が言っていた変な客が死んだぞ」と店長へ電話が入ったそうです。
吉里弘太郎容疑者はすでに逮捕状が出て捕まるのは時間の問題だったため確かに”今日”しか無かったようで、もしかしたら自殺する前に最後に性癖を満たしたかったのかもしれませんね。
「プチエンジェル事件」吉里弘太郎、練炭自殺で死亡
吉里弘太郎容疑者は自殺したのではなく殺された?
裏社会の権力者が「プチエンジェル事件」をもみ消したという前提で考えれば、吉里弘太郎容疑者は例え絞殺されたり刺殺されていたとしても良かったかもしれません。
「プチエンジェル事件」が最も不可解だと言われるのは、この吉里弘太郎容疑者の練炭自殺でしょう。
吉里弘太郎容疑者は椅子を中心軸にしてビニールテントを張り、周囲には目張りをした状態で足元に七輪を2つ置いて練炭自殺を図り、急性一酸化炭素中毒で死亡したと警察に断定され報道されました。
この自殺方法は各局でも「無理がある」として特集が組まれ、情報番組『真相報道 バンキシャ!』での検証では練炭が発する高熱のせいでビニールが溶けてしまい、窒息死をすることができないと結果が出ました。
例えビニールが溶けるのが遅くとも密閉された中は非常に高温になり、吉里弘太郎容疑者には火傷の痕が残るはずですが火傷は負っておらず、少女たちも肉の焦げる匂いなどは無かったと証言しています。
しかし、その後『真相報道 バンキシャ!』で再び検証がなされ、気絶寸前の状態か睡眠薬などで意識が混濁している状態でビニールテントの内側からきっちりと目張りし、練炭の熱を直接浴びないように椅子の下に置けば不可能ではないと訂正されました。
とはいえ、用意周到に少女らを誘拐して監禁しようという犯罪者が、死ねるかどうかも分からない上にかなり面倒臭い鍛錬自殺をするために事前に七輪と鍛錬を購入するというのは無理があるような気がします。
「プチエンジェル事件」少女ら4人を保護、事情聴取
大きな被害に遭う前に保護された4人の少女
一人の少女の背中にスタンガンによる負傷と、精神的ショックはあったものの最悪な事態を免れたことに保護者らは心の底から安堵したことでしょう。
吉里弘太郎容疑者が練炭自殺した16日深夜から夜が明けた17日に、脱衣所に監禁されていた少女一人が手錠を外すことができたため、声がしなくなったことから脱衣所を出ました。
他3人の手錠が外れなかったためその少女は裸足のまま外へ飛び出し、マンションに隣接している生花店に逃げ込みました。
生花店の店員は少女の事情を聞くとすぐに110番し、駆けつけた警察官に少女自ら事情を説明したようです。
警察は残りの少女3人の身柄を確保すると、すぐに学校へ連絡を入れました。
同時に吉里弘太郎容疑者の遺体もリビングで発見し、死後十数時間が経過している状態だったようです。
警察は少女ら4人を病院へ搬送しましたが、中には自分の名前も言えないほどパニックに陥っていた少女もいたそうです。
病院で手当を受け、落ち着きを取り戻した少女らは16時半頃には警察へ移動して家族らと対面を果たしました。
そして18時には少女たちは無事自宅に戻っています。
ちなみに、報道では保護した時に少女たちの着衣に乱れはなく、性的な乱暴を受けた形跡は無かったようです。
一部、証言にばらつきがあった
報道と警察が発表した内容にはいくつか食い違いがあり、事件隠蔽の統制が取れていないことを露呈していたと言われています。
少女らの証言や通報した生花店の店員の証言には一致しない点があり話題を呼んだようです。
4人の少女の中にひとり世話役を任されて手錠をかけられていなかった子がいたと報じられましたが、警察の発表では手錠が外れたとされていました。
また、生花店の店員は「少女が窓から助けを求めていた」と証言しましたが、警察の発表では「裸足で花屋に駆け込んできた」に変わっていたようです。
そして、吉里弘太郎容疑者は少女らを監禁してから何度か外出していたと報じられましたが、警察は「容疑者は一度も外出しなかったため自殺の可能性が高い」としました。
少女らを脅すための凶器となったスタンガンは当初「押収していない」と発表されましたが、数日後に「押収した」とだけ発表しています。
世話役の少女は外に外出をしていた?
監禁されている3人の少女の世話役を任された少女は吉里弘太郎容疑者の代わりにATMで出金するために外出しているところが目撃されていたと言われています。
世話役の少女は吉里弘太郎容疑者から「戻ってこなければ3人を殺す」と言われていたのであれば外出も有り得ますが、自殺するつもりなら何のために出金させたのか疑問が残ります。
ちなみにこの情報はCNNによるもので、少女が銀行ATMのカメラに記録されていたと報じていたようです。
「プチエンジェル事件」の名簿・顧客リストにヤバい人物?
「プチエンジェル事件」捏造報道と報道・捜査打ち切り
「プチエンジェル事件」は急に収束を迎えた
「プチエンジェル事件」の顧客リストにヤバい人物がたくさん載っていたのか、警察も報道陣も示し合わせたようにこの事件から手を引きました。
「プチエンジェル事件」の翌日には警察による一斉補導が渋谷で行われ、約1,500人もの少年少女が補導されています。
また警察は、吉里弘太郎容疑者が借りていた埼玉にあるアパートからは1,000本以上のビデオテープと2,000人以上が記された顧客リストを押収しました。
この顧客リストに載っていた人物の中に、政財界の超大物や裏社会で手を出してはならない人物がいたのか、警察は「顧客リストの大半は偽名だった」と発表し顧客の摘発に動くことはありませんでした。
同時にマスコミも警察と示し合わせたように「プチエンジェル事件」について報道をしなくなり、潮が引くように事件は終幕を迎えてしまいました。
事件直後はマスコミが「顧客名簿に載っていたのは医者、弁護士、政治家など」と報じていたことから、顧客の職業が分かっていたということであり、例え偽名が多かったとしても中には本名で登録されていた人物もいたのかもしれません。
事件現場は赤坂ではなく、渋谷として強調して報道された。 ・少女達の情報公開(実名)したとたんに事件が解決。(公開捜査の前日であった)
少女達の目撃証言から容疑者以外にも、客引き・運転手・部屋の名義人などの数人の共犯者がいるとされているが、吉里一人での単独犯とされている。
吉里弘太郎容疑者以外の共犯者は全て不問
前述のとおり、吉里弘太郎容疑者に加担していた共犯者は複数いたものの、警察は客引きの女子高生や誘導役の男などは追求せず、吉里弘太郎容疑者による単独犯と決めつけて事件を終わらせました。
また、上記のふたり意外にもマンションに出入りしていたふたりの男女が目撃されており、ある捜査官は後に「男の方は警視庁幹部の息子だった」と暴露しており、「プチエンジェル事件」はその警視庁幹部の働きかけもあって捜査打ち切りになったとも言われているようです。
警察は「ふたりの男女について名前は分かっていない」と発表しながらも、全く捜査はしていなかったことでしょう。
「プチエンジェル事件」裏社会から圧力がかかった?
少女らを監禁したマンションは小沢一郎の息がかかっていた?
吉里弘太郎容疑者が少女ら監禁に利用したマンション「インターナショナルプラザ赤坂No.1」は小沢一郎さんの資金管理団体「陸山会」が所有する物件だと言われています。
2006年に政治家・小沢一郎さんが自身の資金管理団体「陸山会」の所有となっていた不動産の名義が小沢一郎さんであり、6億円越えの隠し資産を所有していたとして騒動となった「陸山会事件」。
「プチエンジェル事件」の現場となったウィークリーマンション「インターナショナルプラザ赤坂No.1」も陸山会所有の物件だと言われています。
この事件について小沢一郎さんは一切触れていませんが、もしかしたら圧力をかけたのは小沢一郎さんである可能性はゼロではないのかもしれません。
辻元清美の黒幕は小沢一郎か。。
— おはな @国防最優先! (@ohanalomi) 2017年8月23日
小沢一郎といえば、いつも思い出すのは【プチエンジェル事件】←検索
解明して欲しい一番は、未成年児童売春組織の不審死容疑者の手元から消えた顧客名簿。
政界法曹界経済界の大物氏名がズラリだったとか。
事件を追った人やら何やら不審死複数。
今も闇のまま。
顧客リストには大富豪・糸山英太郎も載っていた?
「プチエンジェル事件」の顧客リストの中に載っていた人物として名前が上がったのが、日本の大富豪である糸山英太郎さんだと言われています。
糸山英太郎さんは「変態エロじじい」とも揶揄される人物ですが、1974年には石原慎太郎さんの後押しで全国区出馬して当選するも、財力に物を言わせた露骨な金権選挙を展開して公職選挙法違反で1287人が検挙されるという前代未聞の事件を起こしていますが、逮捕されて実刑を受けたのは義父の笹川了平さんでした。
糸山英太郎さんは実業家であり個人投資家で、テレビ東京の大株主である他、過去には日本航空の筆頭株主だったこともある日本屈指の富豪で、2007年のフォーブス発表の「日本の富豪ランキング」では7位にランクインし、総資産額は4,500億円でした。
どこにでも美女を侍らせる好色じじい・糸山英太郎
突き抜けた財力を持つ糸山英太郎さんはどこにでも左の画像のように美女を侍らせてハーレム状態を楽しんでいるようです。
「プチエンジェル事件」の顧客リストに載っていた筆頭顧客とも言える糸山英太郎さんですが、事件が発覚する4日前の2003年7月12日に所有する自社ビル「ザ・イトヤマタワー」の18階にある自宅で、16歳の少女に15万円を支払って買春をしていました。
この少女を斡旋したのは元暴力団組長で、警察の捜査にひっかかり組長ら3人が児童福祉法違反で逮捕されています。
しかし、買春をした本人である糸山英太郎さんは相手が18歳未満だとは知らなかったと容疑を否認して罪には問われなかったという。
この事件は当時の五代目山口組若頭補佐だった後藤組組長の後藤忠政さんにより揉み消されており、糸山英太郎さんは後に慰労金を支払ったと伝えられています。
吉里弘太郎は組織に殺された?
普通に考えたら吉里弘太郎容疑者は大きな犯罪組織に抹殺されたというのが大筋のようです。
大物政治家、あるいは裏社会の権力者から圧力がかかったのか、警察は吉里弘太郎容疑者の自殺動機や遺書の有無、そして司法解剖をする前に自殺と断定し、”単独犯”による事件だとして書類送検しました。
少女らの証言により、客引きの女子高生やマンションへの誘導役の男、部屋を借りた名義人である”ヤマザキ”という男など、確実に3人以上は共犯がいるにも関わらず、警察は強引に「吉里弘太郎容疑者が単独で起こした事件」だと断定して捜査を止めてしまいました。
そして、連日検証などで賑わせていたマスコミ各社も示し合わせたかのように報道を止めてしまいました。
それまでに報じられていた政財界や弁護士、医師などの名士2,000人が名を連ねる顧客リストや、吉里弘太郎容疑者の総預金額が35億円という情報からも、単独犯というのはあまりに無理がある終幕となりました。
「プチエンジェル事件」フリージャーナリスト・染谷悟が殺される
染谷悟は「プチエンジェル事件」を深追いしすぎて殺される
権力により封殺されてしまった「プチエンジェル事件」を暴こうとしたフリージャーナリストの染谷悟さんは踏み込んではいけない領域に踏み込んでしまい中国マフィアに殺されてしまいました。
「プチエンジェル事件」から約2ヶ月後となる9月12日に、東京都江東区東雲2丁目の東京湾に男性の死体が浮いているのを通りがかりのトラック運転手が発見し通報しました。
男性は「柏原蔵書(かしわばら くらがき)」の名前で活動していたフリージャーナリストの染谷悟さんで、背中8箇所を刃物で刺された痕があった他、頭部に2箇所殴られた痕があったようです。
発見当時、染谷悟さんは岸壁から2メートルほどのところに浮いており、服の上から鎖で巻きつけられて縛られ、両手は紐で縛られている状態で、両足も紐の痕が残っていた他、腰には潜水用の重しの入ったベルトが巻かれていたという。
「プチエンジェル事件」は中国人身売買に通じていた?
染谷悟さんは殺される直前に周囲に「中国人マフィアに命を狙われている。殺されるかもしれない」とこぼしていたようで、「プチエンジェル事件」と中国人マフィアはなんらかのつながりがあったのかもしれません。
警視庁東京水上署の捜査本部が染谷悟さんの刺殺体が発見された2日後の14日に発表した内容では、染谷悟さんは「プチエンジェル事件」が明るみになる前から身の回りに起こる不可解な出来事に悩まされており、2002年頃から自宅の窓を割られたり、空き巣に入られたりしていたそうです。
染谷悟さんは組織的な児童買春の実態を暴くために動いていたようですが、2002年9月には当時住んでいた豊島区のアパートで空き巣被害に遭い、取材で使っていたカメラやパソコンなど計77点が盗まれていたそうです。
さらにその後も幾度か嫌がらせが続いていたようですが、それは中国マフィアによる警告だったようです。
それでも「プチエンジェル事件」を負うことをやめなかった染谷悟さんはとうとう命を狙われるようになったそうです。
「プチエンジェル事件」染谷悟を知る人間が真相を語る
2ちゃんねるで染谷悟殺害事件の真相を語る人物とは?
2ちゃんねるということで信ぴょう性のほどは定かでないものの、作り話というにはあまりにリアリティのある染谷悟さんと近しい関係にあった出版社の人間が事件の真相について語っています。
染谷悟さんが殺害されてから2日後に、2ちゃんねるに大手出版社の編集員を名乗る人物が事件の詳細について語りました。
この編集員は染谷悟さんからのスクープネタを受け取る立場にあったようで、殺される前に染谷悟さんは「中国マフィアのしっぽを踏んでしまった」と語っていたという。
このことを編集員は「(「プチエンジェル事件」を追う内に)中国マフィアと日本やくざの児童売買ネタに当たってしまった」と解釈したようです。
染谷悟さんはペドフィリアの嗜好がある政治家らのネタも握っていたようですが、どこの出版社も圧力を恐れて出版出来ない状態で、このままだと御蔵入りになってしまうため編集員はWEBで公開することを辞さないことも語っています。
「プチエンジェル事件」は児童売買に繋がる?
この編集員の話が真実なら、「プチエンジェル事件」には中国マフィアと日本のやくざが密接に絡んでおり、児童売買もされていたのかもしれません。
もしそうだとしたら、吉里弘太郎容疑者が小学6年生の女児4人を拉致監禁した理由は中国マフィアに売り飛ばすつもりだったのでしょうか?
そのつもりが少女らを監禁した翌日にはすでに警察が吉里弘太郎容疑者が犯人だと目星をつけて捜査を開始したため進展が早く、このままだと捕まるのは時間の問題だと踏んだ中国マフィアが吉里弘太郎容疑者を葬ったのかもしれません。
まったく憶測の域を出ませんが、もし日本の政治の中枢にいる政治家が人身売買に関与しているような事実が万が一明るみになれば、国民の政治家を見る目は一変してしまうでしょう。
この「プチエンジェル事件」の真相とはもしかすると、国家を揺るがしかねないほど深い闇に繋がる可能性のあった事件なのかもしれませんね。
あの手の連中は何でもありでしょ、名前が出ないだけで。
— Mr.F.G 世界ウェハー党 肉球新党 (@MayamaWoodged) 2017年9月21日
こういう事件がかつてあったんですがね、色々著名人が関わっていたとか、当時報道されていた記憶が。
プチエンジェル事件https://t.co/DL3GjA9GC2
世の中ってどうして、例えば芸能じんの浮気だのなんだのって個人的なことをその人が落ちるまで追求するのに、政治家や官僚や宗教などが、罪になるような大事件があっても、最後どうやむやにして終わるのかな。
— リリー (@conejo3usa) 2017年9月6日
プチエンジェル事件も気になるー
結局、権力、金?
「プチエンジェル事件」皇族や秋篠宮眞子の名前も顧客リストにあった?
事件の噂がエスカレートして天皇家の名前まで噂になった
「プチエンジェル事件」の捜査や報道が打ち切りになった背景には、吉里弘太郎容疑者の顧客リストに天皇家の名前が入っていたからだという噂まで飛び出しました。
結論から言えばそんなことがあるわけがないですが、「プチエンジェル事件」の真相が闇の中ということで天皇家の名前が入っていたという憶測まで飛び出すようになりました。
皇太子さまの名前が入っていたという噂や、顧客リストとは関係ないものの秋篠宮眞子内親王殿下(眞子さま)が「プチエンジェル事件」絡みの殺人容疑で逮捕された錦野昌行容疑者と遊んでいたことを隠蔽するために、眞子さまに酷似した女性を殺害したというとんでもないこじつけまで飛び出しました。
公表しなかったのは皇太子の名前があったからだと当時騒がれましたね。プチエンジェル事件の時も。最近また取り上げられてるみたいです。
— 川尻雛子 (@fukuzawayumi) 2017年9月16日
「プチエンジェル事件」に対する世間の反応
誰もが気になる「プチエンジェル事件」の真相
吉里弘太郎容疑者の単独犯ということにされてまったく事件の全貌が見えないまま収束させられてしまった「プチエンジェル事件」ですが、真相を知りたがる世間の反応をご紹介します。
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2chねらーもこんだけたくさんいれば、
警察官に就職して、内部からプチエンジェル事件を
暴こうとする人が居てもおかしくないはずなんだけどな
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ネタかどうか分からんが、何年か前に
「赤坂署に配属になったから事件資料を調べようとしたら全て処分されていた」
って書き込みを見た覚えがある。
引用:パラス ダイアリー 日本/Japan – 【閲覧注意】プチエンジェル事件その後、真相が今になり暴露 (小沢一郎陸山会との真っ黒な繋がり?)
22: 会員名簿あるならなんで芋づる式に逮捕されないんだろうね???
44: この事件に触れるのはガチでやめとけ45: 日本社会の闇ですなぁ
引用:パラス ダイアリー 日本/Japan – 【閲覧注意】プチエンジェル事件その後、真相が今になり暴露 (小沢一郎陸山会との真っ黒な繋がり?)
顧客リストには本名でないにしても電話番号やメールアドレス、住所などは載っていたはずであり、個人を特定するには容易だったと考えられます。
その理由として幾人かの名士は疑いをかけられ、裁判沙汰になっているようです。
もしかしたら暴かれても問題ない人物だけは隠蔽の対象から外されているのかもしれませんね。
「プチエンジェル事件」についてまとめると・・・
2003年7月に起きた女児誘拐事件「プチエンジェル事件」の首謀者だった吉里弘太郎容疑者が自殺した真相について総まとめしてきました。
「プチエンジェル事件」は発生直後は警察もマスコミも通常通り報じていましたが、ある時を境にピタリと報道するのをやめてしまいました。
世間を震撼させた児童買春事件にも関わらず深追いを辞めた警察やマスコミに反し、フリージャーナリストの染谷悟さんは追求し続けた結果殺されてしまいました。
裏では中国マフィアも絡んでいたようで、「プチエンジェル事件」の真相は児童の人身売買とも密接な関係にあったのかもしれません。