近年の美白ブームにより再注目を集めている実業家の鈴木その子さんですが、その恵まれすぎた人生の中には1つの悲劇も存在したようですね。
この記事では、鈴木その子さんのプロフィール、昔や若い頃の様子、結婚した旦那や息子と娘など家族、そして死因の詳細などをまとめました。
この記事の目次
鈴木その子のプロフィール
名前:鈴木その子(すずき そのこ)
本名:鈴木荘能子(すずき そのこ)
生年月日:1932年1月20日
出身地:東京都
最終学歴:学習院女子短期大学卒業
鈴木その子、裕福な実業家の家庭に生まれていた
鈴木その子さんの実家に関しては、父・山中力松さんが実業家として成功を収めていたことから大変に裕福であり、子供たち1人1人にお手伝いさんがついて回るような名家でした。
山中家は、仕事で忙しい力松さんに加え、母・末野さんもボランティアに熱心だったため家を留守にすることが多く、幼少期の鈴木さんの遊び相手はお手伝いさんだったそうですね。
そのため、お手伝いさんと一緒に台所にいる機会が多かった鈴木さんは、物心がつく前から自然に料理に関心を持ち始め、自宅にやって来るお客さんたちを手料理でもてなすことが趣味な少し変わった少女として育ちました。
また、薬科大出身だった力松さん譲りの知的好奇心の旺盛さがあった鈴木さんは、今で言う食品科学の分野にも関心を抱き、松葉でお酒を造ろうとしたり、人参から砂糖が作れないかと試みてみたりと、理系女子的一面もありました。
晴れて女子短大生となった鈴木その子さんですが、若い頃は女優になってもおかしくないレベルの美女だったようですね。
名門女子短大に通うお嬢様として、周囲の男性たちにとって高嶺の花であった鈴木さんですが、在学中に実業家の鈴木康郎さんとお見合いをしており、卒業と同時に結婚をしています。
鈴木さんが若くして結婚をした理由については、「女の子はお嫁に行くのが一番幸せ」という価値観を持った、母・末野さんの意向が強かったようですね。
明治生まれの母・末野も、当然のように「女の子はお嫁に行くのが一番幸せ」という考えの持ち主でした。ですから、親のすすめで事業家の鈴木康郎と見合いをし、短大卒業と同時に結婚。
引用:鈴木その子の生涯
鈴木その子、旦那・鈴木康郎との間に子供2人(息子・娘)を出産
鈴木康郎さんと結婚後の鈴木その子さんですが、子宝(一男一女)にも恵まれ、何不自由のない専業主婦生活が続いていたようですね。鈴木その子さんの息子については後程ご紹介しますが、娘についての情報は全くありませんでした。
父・山中力松さん同様に、康郎さんも実業家として成功収めていたため、鈴木家は何人ものお手伝いさんを雇い入れるようなセレブ家庭でした。
お嬢様育ちで面倒見の良い鈴木さんは、お手伝いさんたちに礼儀作法を教え込むだけではなく、嫁入り道具の世話までするなど、身内同然の扱いをしていたと言われております。
鈴木その子の経歴…実業家として無添加食品や化粧品事業で成功
鈴木その子、父の遺産を受け継ぎ42歳で実業家に転身
生まれてこの方、何不自由のない暮らしをしていた鈴木その子さんに転機が訪れたのは、42歳の時でした。
実業家として成功を収めていた父・山中力松さんが亡くなり、鈴木さんの元へ多額の遺産が舞い込んでくることになりました。
ちょうど子育てにも手のかからなくなった時期に父親の遺産が舞い込んできたことは、鈴木さんの起業意欲を盛り立てることになったようですね。
母・末野さんは、力松さんに先駆けて動脈硬化で亡くなっていたため、事業家転身に反対する身内もいなかったことから、鈴木さんは、1974年になると「株式会社ときの商事」を設立しています。
「株式会社ときの商事」の最初の事業に関しては、鈴木さんが幼少期から料理好きだったこともあり、レストラン経営となりました。
鈴木さんは、1974年7月になると、東京・銀座に新日本料理店「トキノ」をオープンしております。
鈴木その子、息子の事故死をきっかけに鈴木式食事療法を生み出した
レストランのオーナーとして成功を収めつつあった鈴木その子さんでしたが、起業して3年目となる1976年5月に、長男・康之さんが事故死するという悲劇が待っていました。
当時の康之さんは、無理なダイエットから拒食症を発症するという王道パターンに苦しんでいたようですね。
そのため、体が極端に衰弱していた康之さんは、家に遊びに来て帰る友達をベランダから見送っている最中に貧血を起こしてしまい、マンションから転落死をしてしまったと言われております。
わずか20歳で息子が事故死をしてしまったことに大きなショックを受けた鈴木さんは、当時の主流となっていた食事抜きダイエット方法の犠牲者をこれ以上出さないようにするという使命感に燃えることになりました。
康之さんの死後は、以前から研究していた健康で美しくなれる「鈴木式(現SONOKO式)食事療法」の完成に邁進した鈴木さんは、やがて美容健康食品の分野で頭角を現すことになります。
鈴木その子、1980年にダイエット本がミリオンセラーに
「鈴木式(現SONOKO式)食事療法」が全国的な注目を集めたきっかけは、1980年に発売された鈴木その子さん著作のダイエット本「やせたい人は食べなさい」のミリオンセラーが要因となりました。
鈴木式で特筆すべきは白米の扱いである。鈴木式ではその白米を1日3回食べることが必須となる。しかもその量はハンパではなく、女性であれば1食180〜240グラム、男性であれば300グラムが推奨される。
これだけでもすでに驚きであるが、鈴木式はそれだけにとどまらない。やせ気味の人には饅頭やアメのような脂質が低く、糖度の高い食べ物をおやつと夜食として食べることが勧められるのだ。
机上の空論のダイエット本ではなく、「トキノ」のお客にダイエット指導をして得たデータを元に完成した「鈴木式(現SONOKO式)食事療法」への反響は大きく、全国各地でダイエットの成功例が続出したようですね。
一方で、「吐くダイエット」すら容認されていた当時のダイエット業界では、「食べないダイエット神話」が根強かったため、当時の専門家たちにより「鈴木式(現SONOKO式)食事療法」はバッシングも受けています。
しかしながら、バッシングの声に萎縮することもなかった鈴木さんは、その後もダイエット本の出版や美容健康食品の開発にフル回転しております。
鈴木その子、開発した野菜菓子が東京都発明特別賞を受賞
1980年より「トキノエバグリーン料理研究所」を開設するなど、美容健康食品の開発にさらなる注力をしていた鈴木その子さんは、1982年になると、「野菜菓子の製造方法」にて自身初の特許を獲得しています。
この頃になると、鈴木その子さんの名声も高まって来ており、「野菜菓子」は、西武百貨店池袋店にて特設コーナーが作られて販売されていたようですね。
1983年に「東京都発明特別賞」も受賞している「野菜菓子」は、1985年頃より通信販売も開始されるなど、大ヒット商品となりました。
1983年には、「株式会社ときの商事」を「株式会社トキノ」へと社名変更している鈴木さんは、以降も様々な特許を獲得するなど、革新的な美容健康食品の開発を続けました。
〇鈴木その子さんが取得した主な特許例
★「脱海草臭処理をした海草入りの洋菓子類の製造方法」
・鈴木その子女史の発明。食用可能な海草を軟化脱臭させ、その海草を洋菓子類の材料の一部として使用するという発明です。
★「マヨネ-ズ様風味を有する低カロリ-型ソ-ス及びその製造方法」・これも、鈴木その子女史の発明。卵、食酢、食塩及び水等を原料とし、油脂を使用しない比較的低カロリーの代用マヨネーズを製造するという発明です。
引用:特許の事例
鈴木その子、1989年より化粧品事業に参入
鈴木その子さんが化粧品事業に参入したのは、1989年のことでした。
元々、手作り化粧品を作って利用するほど美へのこだわりがあった鈴木さんは、既存の化粧品メーカーの研究データを使用することもなく、オリジナルの化粧品開発を志していたようですね。
人々の健康を見つめ、間違いだらけのダイエットに歯止めをかけようと、奮闘する毎日。業務を拡げる中で、人々の化粧品に対する無知と、世の中に溢れるスキンケアやヘアケアの危険性に対する問題意識が高まっていきました。
その子はもともと美に対する関心が高く、手作りで化粧品をつくるほどの人だったため、自分の思う理想の化粧品づくりを目指そうと、満を持して立ち上がりました。
引用:鈴木その子の生涯
鈴木さんが世に送り出した化粧品には、スキンケアライン「トキノコスメ」や「荘」シリーズなどがあります。
鈴木その子は“美白の女王”としてテレビタレントとしてもブレイク
鈴木その子、「笑っていいとも!」の準レギュラーに抜擢される
実業家として一代で成功を収めた鈴木その子さんですが、自社の美白化粧品を宣伝するために、1998年よりバラエティ番組「未来ナース」にレギュラー出演したことが、タレントとしての予期せぬブレイクのきっかけとなりました。
鈴木さんが「未来ナース」で請け負ったコーナーは、巷で流行していたガングロギャルを真逆の美白女子に変身させる「その子の花園」という企画でした。
以降は「美白の女王」としてテレビ番組に引っ張りだこになった鈴木さんは、国民的人気を誇っていた昼のバラエティ番組「笑っていいとも!」の準レギュラーにまで抜擢されています。
当時の鈴木さんは、創業者社長としてまだまだ前線指揮を執っていたため、本来ならば本格的なタレント活動をするスケジュール的な余裕はありませんでした。
しかしながら、「未来ナース」で接した少女たちの肌の荒れ具合を見た鈴木さんは、自身の美容理論をさらに普及させる必要性を感じ、自ら広告塔役になることを決意したようですね。
しかし、驚いたのは、番組で出会う女の子達の肌の汚さ。アトピーだったり、シミだらけだったり、キメがとても粗かったり…。かつて間違ったダイエットが蔓延していたように、誤った美白法や美容法を鵜呑みにした結果ではないだろうか。もっと自分を大切にしてほしい。「ここにも自分の使命がある」と感じた彼女は、肌をいじめず内側から美肌をつくる「美容理論」の普及に力を注いでいきました。
引用:鈴木その子の生涯
鈴木その子は68歳で死去…死因は肺炎だった
鈴木その子、2000年12月5日に68歳の若さで死去
鈴木その子さんにとって、2000年は新たなチャレンジの年でもありました。
美容健康食品や化粧品事業で成功を収めていた鈴木さんは、アパレル事業への進出にも熱意を燃やしており、10月にはパリコレに出展するところまでこぎ着けていました。
最後に残されたテーマは、「衣」。やせている人はより素敵に、太っている人もやせたように見えるファッションに挑み、2000(平成12)年秋のパリコレへ出品します。すると、そのデザインが、注目すべき4ブランドのひとつを意味する“エヴェヌマン”の称号を獲得。また、パリ市に貢献した功績を称えられ、“ヴェルメイユ金メダル”の栄誉を受けたのです。
引用:鈴木その子の生涯
一方で、タレント業との二足の草鞋を続けた結果、睡眠時間が1日2~3時間な状況が続いていた鈴木さんは、1999年には腸閉塞を患って手術を経験するなど、体がボロボロになっていたそうですね。
2000年9月に風邪をひいた際も、療養よりも仕事を優先していた鈴木さんは、パリコレから帰国すると本格的に体調が悪化してしまい、車いすがないと移動出来ないほど体が衰弱してしまうことになりました。
そんな状況下でも、11月23日の「笑っていいとも」に出演した鈴木さんでしたが、年末の仕事に備えて極秘入院した際に肺炎をこじらせ、12月5日に68歳の若さで亡くなってしまいました。
鈴木その子、遺産額は88億円だった
志半ばで倒れてしまった鈴木その子さんですが、2000年当時の「株式会社トキノ」は年商91億円もの企業に成長しており、その遺産額の多さでも話題となりました。
鈴木さんの遺産に関しては、「株式会社トキノ」所有の不動産や預金だけでも69億円もの遺産があったと言われています。
鈴木さんは生前に、実業家の故・横井秀樹さんの田園調布の豪邸(時価13億6000万円)を購入するなどしていたため、個人名義の不動産もいくつか所有しており、長女・まゆみさんが受け継ぐことになった遺産総額は、88億円にものぼりました。
鈴木その子のすっぴんをMAKEAPPでみたいとの声も…
タレントとしてはわずか3年足らずの活動期間だった鈴木その子さんですが、見た目のインパクトも手伝い、視聴者にとっては印象深い芸能人の1人だったようですね。
そのため、死後十数年が経過した今でも、ネット上では定期的に鈴木さんの話題があがっています。
近年では、スマホアプリ「MAKEAPP」が流行った際に、「MAKEAPP」で鈴木さんのすっぴん顔が見てみたいと話題になりました。
どれだけ念入りにメイクしても、一瞬で「すっぴん」を晒されてしまう――。そんな、世の女性たちを震え上がらせるようなアプリがインターネット上でじわじわと注目を集めている。
名前は「MAKEAPP」。2017年5月ごろにリリースされた無料のiOSアプリで、「ニューラルネットワーク技術」によって写真に「メイクアップ」「メイクオフ」のデジタル加工を施すことができるという。
化粧してる人をすっぴんにするアプリ……
— かっぺ (@rian11021) 2017年7月30日
亡くなってるけど鈴木その子さんのすっぴんを見てみたい
めっちゃ見てみたい…#ニノさん
実際に、鈴木さんの生前の画像を利用して、「MAKEAPP」でのすっぴん化を試みたネットユーザーもいたようですが、白塗りの部分までは落とせない仕様だったため、失敗に終わっています。
鈴木その子について総まとめすると…
・鈴木その子の長男は1976年5月、拒食症からの貧血を起こしマンションから転落死した。
・鈴木その子は40代で無添加食品や美白化粧品事業で大成功。“美白の女王”としてテレビタレントとしても人気を博した。
・鈴木その子は2000年12月、肺炎のため68歳で亡くなった。
・鈴木その子はその独特な白塗り顔から、すっぴんをみてみたいとネット上で話題となった。
若くして息子が亡くなる悲劇はあったものの、裕福な家庭に生まれ育ち、40代から始めた事業も大成功を収めるなど、鈴木その子さんは理想的な人生を送って来た人間の1人と言えます。
鈴木さんが残した「株式会社トキノ」に関しては、現在は「丸亀製麺」で有名な「トリドール」の完全子会社となっているようですね。
鈴木さんのご冥福を祈りながら、この記事のまとめを終了させて頂きます。