2000年代に一世を風靡した投資家の村上世彰さんですが、「村上ファンド事件」により失脚した後は表舞台から消えていた時期もありました。
村上世彰さんの経歴と資産、結婚した嫁と息子や娘、村上ファンド事件の真相や現在をまとめました。
この記事の目次
村上世彰のプロフィールと生い立ち
村上世彰(むらかみ よしあき)
生年月日:1959年8月11日
出身地:大阪府大阪市
村上世彰、小3で大学卒業するまでの資金として100万円を貰う
村上世彰さんの投資人生の始まりは、小学3年頃に父・勇さんにお小遣いをねだっていたところ、大学を卒業するまでの前払いとして100万円を渡されたことから始まります。
今でも大金である100万円ですが、当時の大卒初任給が3万円程度だった時代背景を踏まえると、現在の紙幣価値で700万円相当の大金となります。
一方で裕福な家庭で育った村上さんにとっては、100万円を大卒までの14年で割ると年7万円ちょっとにしかならないことに不満があったそうですね。
そのため、100万円を受け取る前に勇さんとの交渉を試みた村上さんは、大学入学までの前払いに条件を変更させるなど、後の大物投資家の片鱗を見せつけることになりました。
100万円を手にした後の村上さんは、父親が食卓でいつも口にしていたという理由でサッポロビールの株を2000株購入したそうですね。
村上世彰、父親に投資家の英才教育を受けていた
村上世彰さんの父親は台湾華僑の投資家・村上勇さんだったそうで、子供の頃から投資に関する英才教育を受けていました。
小学3年生にして投資家デビューを飾った村上さんですが、勇さんに連れられて(父親の)投資先の見学に行くことも増えていきます。
当時小学生であった村上さんは、香港で「香港フラワー」の工場を見学した際に、自分と同世代の少女たちが働いている姿にショックを受けるなど、色々な社会勉強を重ねることにもなりました。
ちなみに、勇さんはお金儲け一辺倒の人物ではなかったそうで、香港フラワー工場の現実にショックを受けた村上さんが、泣きながら投資を辞めることを懇願すると、あっさりと工場を手放したりもしたそうですね。
村上世彰の学歴と経歴…東大卒業後は経済産業省のキャリア官僚に
村上世彰、灘中学・高校に進学
大阪市立南小学校を卒業した後の村上世彰さんに関しては、日本が誇る名門進学校である灘中学に進学しています。
中高一貫校であるため、そのまま灘高校にも進学することにもなった村上さんですが、純情だった小学時代とは打って変わり、勉強のために学校行事や当番などをすっぽかすエゴスティックな少年へと変貌してしまいました。
とはいえ、名門進学校の競争は厳しく、そこまでして勉強に打ち込んだ村上さんですら、成績が下位に低迷することも珍しくなかったとか。
一方で投資家としての嗅覚は冴えわたっていた村上さんは、石油ショックの影響で金価格が高騰すると読み、同和鉱業の株を80万円分ほど購入したところ、100万円以上の含み益を得た経験もしたそうですね。
ただし、欲張り過ぎた結果、売り時を見失ってしまい株価は急落したそうで、父・勇さんより「上がり始めたら買え。下がり始めたら売れ。一番安い値段で買えると思うな。一番高い値段で売れると思うな」との投資哲学を授かることにもなりました。
村上世彰、一浪して東京大学法学部に進学
灘高校を卒業後の村上世彰さんに関しては、一浪後に東京大学法学部に進学しています。
大学時代の村上さんは、東京港区にある父親所有の高級マンションに住みながら、ポルシェを乗り回すセレブすぎる学生となりました。
とはいえ、この頃になると、父・勇さんから前払いを受けたお小遣い・100万円が1億円を超える資産に化けているなど、村上さん本人の実力で掴んだお金の方も大きかったそうですね。
わずか10年ちょっとで資産を100倍にした村上さんでしたが、同じ時期のTOPIXの推移が5倍増程度だったため、村上さんの投資センスがいかにずば抜けていたか分かります。
村上さんの資産には、その他にも父・勇さんが生前贈与の一環として村上さん名義で購入していた株が2000万円ほどあったとか。
また、村上氏が1~2歳の頃から、父親が生前贈与の一環で同氏名義の株を買っており、「三井不動産や近鉄などの株も大量にあり、30~50倍に値上がりした」そうだ。
村上世彰、大学卒業後に経済産業省に入省
父親に連れられて世界の投資先を回り、投資家のイロハを叩きこまれていた村上世彰さんだけに、大学を卒業後はそのまま投資家に専念する予定でした。
しかしながら、息子のさらなる成長を望んだ勇さんより「国家というものを勉強するために、官僚になれ」とのアドバイスを受けたこともあり、村上さんは経済産業省に入省しています。
経済産業省時代の村上さんは、キャリア官僚の身でありながらも小説を執筆して出版しようとしたり独特の放言癖があったため、上司の不興を買いアパルトヘイト時代の南アフリカに左遷されたこともありました。
村上世彰、1999年に退職して投資ファンド設立
エリート官僚人生まっしぐらとは行かなかった経済産業省時代の村上世彰さんでしたが、多くの企業経営者と顔を合わせていく内に、日本企業に対する危機感が募っていったそうですね。
経済産業省時代から、多くの上場企業の役員に会い、面会の度に有価証券報告書を読み込み、その会社の経営状況をイメージした上で話をしていたという。しかしながら面談相手の上場企業の役員には自身の会社の財務状況をよく理解していない人物が多かったことに驚き、日本企業はこのままではグローバルな競争に負けてしまうのではないかと危機感を持つ。
引用:村上世彰
そのため、株主が経営者を監視するコーポレート・ガバナンスの意識を高める必要性を痛感した村上さんは、自分がその第一人者となろうという使命感にも目覚めました。
その後、1999年に経済産業省を退職した村上さんは、「株式会社M&Aコンサルティング」や「株式会社MACアセットマネジメント」を設立し、「ものを言う株主」として注目を集めていくことになります。
村上世彰の資産…絶頂期は200億円の個人資産があった
通称「村上ファンド」と呼ばれている投資ファンドを率いていた時代の村上世彰さんは、海外の大学財団などから託されたお金を中心に、最盛期には4444億円もの資産運用額を誇ってたそうですね。
この時代の村上さんは、2002年に「東京スタイル事件」で名を挙げた後も「企業資産を有効に活用しないのは経営者の怠慢であり、内部保留分は株主に配分するべき」との哲学の元、企業との対立姿勢を強めて行くことになりました。
2000年代中盤頃には、経済関連ニュースの常連となっていた「村上ファンド」は、2005年には大阪証券取引所や阪神電気鉄道の筆頭株主となったことでも話題を集めていました。
・東京スタイル(2001~2006年)
・ニッポン放送(2003~2006年)
・住友倉庫(2004年)
・タカラ(2005年)
・大阪証券取引所(2005年)
・東京放送(2005~2006年)
・阪神電気鉄道(2005~2006年)
・松坂屋(2006年)
・サークルKサンクス(2006年)
・UESN(2006年)
まさに人生の絶頂期を迎えていたと言える村上さんですが、ファンドの成功報酬などもあり、この頃には200億円もの個人資産を築いていたそうですね。
村上世彰が語る「村上ファンド事件」インサイダー取引疑惑の真相
村上世彰、ニッポン放送株を巡るインサイダー疑惑で逮捕
世間から注目を集め続け、我が世の春を謳歌していた村上世彰さんですが、2006年6月に起こった「村上ファンド事件」によりすべてが暗転してしまいました。
「村上ファンド事件」の概要については、ニッポン放送株を巡る「インサイダー取引」疑惑となります。
当時ライブドア代表取締役だった堀江貴文さんは、2005年2月になると、フジテレビを手中に収めるためにその親会社だったニッポン放送に敵対的買収を仕掛けたことがありました。
村上さんは、その堀江さんより事前にニッポン放送への敵対的買収の意向を示唆されていたのにも関わらず、ニッポン放送の株式を追加取得した疑いにより、警察に逮捕されることになりました。
村上氏は当時を振り返って、「堀江(貴文氏)がたった一言、『フジテレビがほしい』『ニッポン放送(の株)を買うことはできますか?』と言っただけ。何のインサイダーでもない」と冗談めかして説明。「僕は当時『堀江ごときに買えるわけがない。お金もないし』と思っていた」と明かした。
「村上ファンド事件」後の「村上ファンド」ですが、2006年11月時点で所有する株式のほぼすべてを処分したうえで、日本から完全撤退する憂き目となってしまったとか。
また、村上さん本人も2011年6月になると、最高裁の方で「執行猶予3年、罰金300万円、追徴金約11億4900万円」の判決が確定しています。
村上世彰、有罪判決後にシンガポールへ移住
「村上ファンド事件」後の村上世彰さんですが、2007年7月に保釈された後は、生活拠点をシンガポールに移しています。
村上さんがシンガポールへ移住した背景には、お金儲けが悪いことのように言われてしまう日本は、投資家の住む場所じゃないとの想いがあったようですね。
一方で、故郷としての日本へは思い入れも強かった村上さんは、2011年に東日本大震災が起こった際には、被災地に足を運び積極的な支援活動を展開していたとか。
その後の村上さんは、2013年になると、個人資産200億円を元手に投資家としての活動を再開しており、黒田電気の経営陣との対立騒動で世間を再び騒がすことになりました。
とはいえ、この頃になると「ものを言う株主」以外の一面も見せ始めていた村上さんは、出光興産と昭和シェルの経営統合の際には、旧知の財界人より出光創業家の説得役に駆り出され、見事に場を収めるネゴシエイターぶりも発揮しています。
また、近年は社会貢献活動にも目覚めている村上さんは、2016年に「村上財団」というファミリー財団を設立しており、働く女性や子供への支援活動を展開しているようですね。
村上世彰の結婚した嫁と子供(息子・娘)について
村上世彰、嫁との間に息子2人と娘が3人
村上世彰さんは、大学時代からの付き合いだった聖心女子大学出身の一般女性・Aさんと結婚しています。
2人の間にはこれまで5人の子供が生まれているそうですが、年の離れた末っ子が生まれた際には、高齢出産を頑張った妻へのプレゼントとして渋谷区に豪邸を建てるなど、村上さんには愛妻家の一面もありました。
「村上ファンド事件」後は、村上さんと一緒にシンガポールへ移住していた時期もあったAさんでしたが、現在は末っ子と一緒に日本へ戻って来ており、都内で暮らしているとの情報もあるようです。
ちなみに、既に成人している2人の息子がいるようですが、一般的な社会人として日々を送っているせいか、これといった個人情報などは存在しない状況となります。
村上世彰、長女・村上絢も美人投資家として活躍
村上世彰さんの子供たちに関しては、村上家のプライベートファンド「C&I Holdings」の代表取締役や「村上財団」の代表理事を務めている長女・村上絢さんが最も有名な存在です。
慶応義塾大学法学部卒の絢さんは、大学を卒業後はモルガン・スタンレーMUFG証券で働いていたそうで、野村ひろゆきさんという年上の金融マンと結婚しています。
村上絢氏の夫の「野村」氏は、Yukihiro Nomura氏の様だ。この人は、オックスフォードに留学経験がある様だが、FBではそれ以上は判らない。
— 佐々木 (@WBJPPP) July 14, 2015
一見すると順風満帆な人生を送っているかに見える絢さんでしたが、妊娠中だった2015年に、金融商品取引法違反(相場操縦)容疑により強制調査を受けたストレスで死産してしまうなど、人並み以上の不幸も経験しているとか。
旧村上ファンドを率い、「物言う株主」として知られた村上世彰元代表(56)が株価を操作した疑いが強まり、証券取引等監視委員会は25日、金融商品取引法違反(相場操縦)容疑で東京都内の元代表の長女宅を捜索するなど強制調査した。
現在の絢さんは、シンガポール在住で2児の母親となっている一方で、引き続き投資家としても活動中となります。
村上世彰の現在…N高の投資部特別顧問に就任していた
村上世彰さんの現在については、投資家活動の傍らで、角川ドワンゴ学園が運営する「N高校」の投資部特別顧問に就任しております。
村上さんが「N高校」の投資部特別顧問に就任した理由については、日本の子供たちがお金に振り回される人生を送らないためにも、若い頃からの金融教育の普及を促したいという想いがあったようですね。
一見すると好々爺になってしまった感もある村上さんですが、「ものを言う株主」としての活動は相変わらずとなっており、レオパレス21の経営陣と対立してみたり、東芝機械に敵対的買収を仕掛けてみたりと、八面六臂の活躍ぶりとなっています。
村上世彰についてまとめると…
・村上世彰は絶頂期に200億の個人資産があった
・村上世彰は2006年6月にニッポン放送株を巡るインサイダー取引疑惑で逮捕(村上ファンド事件)され、有罪判決後にシンガポールに移住している
・村上世彰と嫁との間に息子2人、娘が3人おり、長女・絢さんも投資家として活躍している
・村上世彰は現在、日本の子供たちへの金融教育活動に力を入れており、N高校の投資部特別顧問に就任している
村上世彰さんについては、「村上ファンド事件」で失脚した後も難なく復活しており、「ものを言う株主」として活動中ということになります。
村上さんの今後のより一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。