元サッカー日本代表のラモス瑠偉選手ですが、2016年10月に不倫報道がありました。
この記事では、ラモス瑠偉と亡き元妻の初音夫人のことや2人の息子について、その後に再婚した嫁・俊子夫人の情報、そして浮気相手の情報や現在をまとめています。
この記事の目次
ラモス瑠偉のプロフィール
名前:ラモス瑠偉
愛称:カリオカ(「リオっ子」の意)
出身地:ブラジル リオデジャネイロ
生年月日:1957年2月9日
身長:181cm
元サッカー選手
ラモス瑠偉はブラジル出身で1989年に帰化、その後日本代表としても活躍した元プロサッカー選手です。
1977年に読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)のスカウトにあい、来日。幼少期よりサッカーで生計を立てるという目標のもと、日本でのプロ加入を決意したといいます。
サッカー選手としての技術は一流でボランチ・FW・MFと幅広くこなし、当時の同僚たちからは「ラモスのように正確でやわらかいパスを出せる選手はその後現れていない」と評価されていたといいます。
また闘志あふれる姿が印象的でしたが、時にはそれが熱くなりすぎて対戦相手との激しいやり合いにつながることもありました。たとえば1978年にはラモスがファウルした相手選手が執拗な痛がりを見せ退場処分、その後相手選手が笑っているのを発見し追いかけ回したため1年の出場停止、1984年11月にも大乱闘騒ぎをおこし3月末までの停止処分が下されています。
色んな話題を提供してくれた日本サッカー界のスーパースター・ラモス瑠偉は、1995年の日本vsブラジルの親善試合にて代表引退、1998年11月の柏レイソル戦にて現役引退しました。
引退後には解説や評論家、監督業などいずれもサッカーに関わるお仕事をされています。最近ではFC岐阜監督を務めていましたが、成績不振や新体制への移行を理由に2016年7月にて解任されています。
ラモス瑠偉の死別した元嫁は初音さん~馴れ初めと結婚や死因について
真ん中が初音さんとラモス瑠偉。
2010年時の永井秀樹さん(現東京ヴェルディ所属サッカー選手)の結婚式より。
ラモス瑠偉は1984年に清水初音さんと結婚し、1985年に第一子ファビアノさん、1988年に第二子ファビアナさんが誕生しましたが、2011年に初音さんに先立たれています。
馴れ初めとは
二人は1980年に出会い、ラモス瑠偉の一目惚れからの猛アプローチで交際が始まりました。
1980年10月、当時、読売クラブの所属選手だった23歳のラモス氏と、21才の初音さんの出会いは、友人からの紹介がきっかけだったという。ラモス氏はその時の様子を「胸がドキドキして、足が震えましたね」と一目惚れだったと明かしている。その後、ラモス氏は初音さんへ猛アプローチを行い、2人の交際はスタートした。
ラモス瑠偉は、1981年に選手生命が危ぶまれる大怪我をした際に初音さんにひどい八つ当たりをしてしまったことがあったそうです。しかし、それでも献身的なサポートを続けてくれた初音さんとの結婚を決意。
1984年にブラジルサンパウロと東京四谷のセントイグナチオ教会で挙式しています。
おしどり夫婦。
その後は二人の子供に恵まれ、おしどり夫婦として知られていました。
ラモス瑠偉が1989年に帰化した背景にも初音さんの存在が大きく関わっています。当時所属していたクラブから外国人枠が3人だったのに対し、4名いたために帰化を勧められたそうですが、もちろん当初いい顔はしませんでした。
しかし、一人娘である初音さんやそんな彼女を嫁にくれた義実家のために、帰化を真剣に考えたといいます。またたびたび問題を起こしていた自分を見捨てずにいてくれたクラブへの恩返しという意味も含め、1989年に帰化を決意したと言われています。
2011年初音さん急逝…死因は転移性肝がん
おしどり夫婦として知られたラモス夫妻でしたが、2011年に初音さんが転移性肝がんのため急逝しています。享年52歳でした。
初音さんが腹痛を訴え入院してがんが判明した時には「余命1ヶ月」と言われ、その後は10日もせずに亡くなられたそうです。
結婚後も、ラモス氏を陰から見守るように支え続けた初音さんだったが、ある日突然の病に倒れることになる。ラモス氏がビーチサッカー日本代表監督として中国遠征から帰ってきて6日後、初音さんは脇腹に激痛を訴えて緊急入院、担当医からラモス氏に告げられた初音さんの診断結果は転移性肝ガンで、「おそらく持って1ヶ月」という残酷なものだった。
茫然自失のラモス氏だったが、初音さんには「出血がしばらく収まらないから、入院だって」と伝え、ガンの告知は一切せずに看取ることを決断した。ラモス氏は、かつて初音さんが行ったように、笑顔で献身的な看病を行ったが、病室の一歩外では人知れず涙を流していたという。
2011年7月17日、病室でなでしこジャパンがW杯で優勝する様子を初音さんと見ていたラモス氏に「次はあなたの番ね。私退院したら、イタリアに応援に行くわ」と、8月に控えていた、ビーチサッカーのイタリアでのワールドカップに行くと言う初音さん。「わかった、約束するよ」と答えるラモス氏だったが、その後初音さんの病状はさらに悪化、入院からわずか10日で亡くなることとなり、約束が果たされることはなかった。
初音さんの葬儀より。
ラモス瑠偉と子供達です。
ラモス瑠偉は、初音さんの告別式の喪主挨拶で、彼女への想いを打ち明けています。
遺影を胸に抱いた長女のファビアナさん(23)と、長男のファビアノさん(25)にはさまれるようにして立った彼は、憔悴しきった様子でこう話した。
「19年間選手生活をしていろんなトロフィーをもらったけど、いちばん大切なトロフィーは初音ちゃんでした。もう少し幸せにしてあげたかったし、守ることができず悔しく、つらいです。もう一度生まれ変わっても、初音ちゃんと出会って、もう一度結婚したい」
その後のブログ更新でも、亡き妻への変わらぬ愛を語っていました。
「とっても悲しかったし、寂しかった 31年の付き合いだったけど 自分がここまでこれたのは本当に彼女のおかげ 出逢った時から彼女を想う気持ちは変わらず、魂で愛し続けた これからも、もちろん変わらない……かな? 絶対に変わらない」と、妻への愛に溢れる心情を吐露した。
ラモス瑠偉と元嫁・初音夫人の子供は息子と娘が1人ずつ
ラモス瑠偉と初音さんの間には、子供が二人います。
名前:ラモス・ファビアノ(第一子)
生年月日:1985年10月11日
子供の頃から東京ヴェルディのスクール生やサッカー留学などもしてきたファビアノさん。2009年にB級ライセンスを取得し、フットサル・少年サッカーなどで指導者として活動。2014年からはFC岐阜のセカンドチームの監督を務めています。
名前:FABiANA/ファビアナ(第二子)
生年:1988年7月2日
歌手として活動し、父親・ラモス瑠偉との共演もあります。
(画像左がラモス、中央がファビアナさん)
ラモス瑠偉の再婚した嫁・俊子さんについて
ラモス瑠偉は、2011年の最愛の妻・初音さんの死から約4年後の2015年11月に約20歳年下の一般女性・俊子さんと再婚しています。
2015年11月・ラモス瑠偉再婚!
再婚相手は「エキゾチックな顔立ちの日本人女性」とのこと。
再婚した嫁とは、初音さんの三回忌が過ぎてから真剣に交際しゴールインしたそうです。
「奥さんは大阪出身。知り合いの誕生会で会ったんですが、(初音さんの)三回忌が過ぎてから、マジメに付き合うようになった。再婚するまで約3年間、ずっと待ってくれたんだ。ボクには奧さんしかいないんだよ、ホントに」
今年2月、沖縄で身内だけの結婚式を挙げたという。
「奧さんと一緒に、もちろん初音ちゃんのお墓参りもして、再婚の報告もしたよ」
再婚した嫁とは、以前から知己の仲であったかのような言い方です。つまり2012年12月号のフライデーにて元妻似の美女との熱愛をスクープされていますが、こちらの方という可能性も捨てきれなさそうですね。
ラモス瑠偉のフライデー。
この時は、初音さんの死から1年ほどの時のことでしたので、「もうか」という声もありました。
2012年のフライデー画像。
確かに初音さんと似た雰囲気の女性ですね。
俊子さんの顔画像
3回忌過ぎてから本格的にお付き合いした女性と再婚したラモス瑠偉。2012年末のフライデーされた女性が再婚した嫁かは定かでありませんが、好みの女性のタイプは初音さんから変わっていないようですね。
また再婚した嫁とは、初音さんと住んでいた豪邸ではなく賃貸で暮らしているそうです。
亡き妻の母親のため、豪邸を明け渡したというのだ。新妻と住むこのマンションは「賃貸だよ」とラモスはこともなげに話した。
ラモス瑠偉の浮気・不倫報道まとめ
死別した元嫁・初音さんの3回忌まで待ってくれた方と2015年11月頃に再婚したラモス瑠偉。2016年2月に挙式をあげたばかりだったようですが、同年10月に週刊誌「女性自身」にてアラフォー美人OLとの浮気・不倫報道がありました。
「不倫じゃないヨ!」と否定したラモス。
浮気相手と見られる女性は、アラフォーの独身OLと見られ、車中キスを繰り返していたと伝えられています。
背が高いB子さんは、切れ長の目がどことなく吉田羊(42)に似ているスレンダー美女。ラモスのサッカーの話にも「そうなんだあ!」と興味津々でうなずくB子さん。髪をかきあげる真っ赤な爪が印象的だ。その横にいるC子さんは、盛り上がる2人を見守っている。
「B子さんはアラフォーの独身OL。ラモスが好きなタイプで、最近ずっと口説いていたそうです。C子さんは、その友だちだそうです」
そして、赤信号で車が止まったときだった。ついに2人のシルエットが完全に重なった。本誌記者が目撃したのは、隣に座るC子さんを気にもせず濃厚な“車中不倫キス”を繰り返す2人の姿――。
ラモス瑠偉は女性自身の直撃取材に対し浮気・不倫を否定し、奥さま一筋だと30分に及ぶ猛アピールをしたと言います。
――タクシーの中で、B子さんとキスをされているのを目撃しました。
「キス!?ほっぺ!ほっぺにキスしたと思うけど」
身振り手振りで答えるラモスの左手薬指には、ゴールドの結婚指輪が輝いている。
――いえ、口と口でした。
「いや、いや、覚えてない。私はほっぺだと思ってるけど。(口づけは)奧さん以外、絶対やらない」
――奥さまが知ったら“イエローカード”では?
「(イエローカード)間違いないヨ……。でも彼女は恋人なんかじゃないよ!」
――最近、不倫が流行ってますが、ラモスさんもB子さんを狙って……。
「ない!まったくない!ボクは奥さんを心から愛している。あり得ない、絶対!」
ラモス瑠偉は脳梗塞で倒れるも驚異の回復で復帰~救急車を呼んだのは俊子夫人
2016年12月29日、自宅で睡眠中に痙攣しベッドから落ちてしまったラモス瑠偉さん。
すぐに奥さんが異変に気付き救急車を呼んだそうです。
昨年12月29日朝、ラモス氏は都内の自宅のベッドから落ちた。異変に気付き、救急車を呼んだのは一昨年11月23日に結婚した俊子夫人だった。「奥さんは命の恩人」とラモス氏。脳梗塞と診断され、すぐに入院。会話こそできたが、予断を許さない状況で「最初はつらかった。誰とも会いたくなかった」。それでも、60歳の誕生日の今月9日には一般の病院からリハビリ病院に移り、自身のブログで近況を報告した。
その後、2017年1月6日からリハビリを開始、同24日にはリハビリテーション病院へ転院、2月14日に退院を果たしています。
退院後のラモス瑠偉さんは、当時を振る返り、「そのまま寝ていたら死んでいたかもしれない。
妻には感謝している。」と語っています。
再発の恐れもあるとのことで、これからは不倫どころではないかもしれませんね。
ラモス瑠偉の現在~東京ヴェルディのチームダイレクターとして活躍
ラモス瑠偉の近況についてまとめました。
2018年2月に3度目となるビーチサッカー日本代表監督に就任するも、2019年12月にビーチサッカー日本代表監督を退任しています。
そして2020年2月、東京ヴェルディのチームダイレクターに就任しており、現在に至ります。
ラモス瑠偉のブログやTwitterは更新が止まっており、現在はインスタグラムだけ更新しています。ラモス瑠偉の近況を知りたい方はインスタグラムを除いてみて下さい。
インスタグラム
ラモス瑠偉 RuyRamos (@ruyramos10official)
まとめ
・ラモス瑠偉は初音さんの死から約4年後の2015年11月に約20歳年下の一般女性・俊子さんと再婚。
・ラモス瑠偉は2016年10月に週刊誌「女性自身」にてアラフォー美人OLとの浮気・不倫報道がされた。
・ラモス瑠偉は2016年12月29日、脳梗塞を発症。驚異の回復力で約2ヶ月退院した。
・ラモス瑠偉の現在は東京ヴェルディのチームダイレクターとして活躍している。
2016年10月には、ラモス瑠偉だけではなく”口止め料20万円のジュビロ磐田・藤田義明選手の不倫”報道がありましたが、今後はこういったサッカー関係者の不倫報道が増えていくのでは?と見られています。
(ジュビロ磐田・藤田義明ゲス不倫の実態「口止め料は20万円」)
すでに世間は不倫報道に飽き飽きし、例えば漫画家の不倫報道もありましたが「そんな人の不倫まで報じるの?」という声があるほどです。もうあまり不倫の話は聞きたくありませんが、以前誰かが言っていた「不倫は文化」という言葉もあながち嘘ではなかったのか…と思わせますね。
そんな、ラモス瑠偉は現在は東京ヴェルディのチームダイレクターとして活躍しています。不倫騒動から5年以上経っており、世間はほぼ不倫の件を忘れかけています。最近では日本代表の監督へと推薦する声もあるそうで、今後に注目が集まります。
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