2018年3月に、突然の引退発表をしたプロ野球選手の川崎宗則さんですが、その原因をめぐっては、ネット上では様々な噂が流れていました。
この記事では、川崎宗則さんの引退原因から現在までの活躍、また結婚した嫁と子供など家族情報などに関してまとめてみました。
この記事の目次
川崎宗則のプロフィール
名前:川崎宗則(かわさき むねのり)
出身地:鹿児島県姶良市
生年月日:1981年6月3日
学歴:鹿児島県立鹿児島工業高等学校卒業
身長:180cm
プロ入り時期:1999年ドラフト4位
五輪出場歴:北京五輪(2008年)
出場国際大会:WBC(2006年/2009年)
最終所属球団:福岡ソフトバンクホークス
ドラフト4位でホークスに入団した川崎宗則
川崎宗則さんは、高校時代に甲子園出場なしのうえ、ドラフト4位で福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に入団した雑草組だったりします。
高校生の場合、ドラフト下位指名なら大学進学という条件をスカウトに提示する選手も珍しくないほど、1軍昇格の優先度に直結していると言われているドラフトの順位。
しかしながら、不利なドラフト下位指名ながらも入団2年目には1軍昇格を果たし、4年目には1軍でレギュラーを奪取するなど、後に3度の日本代表を経験する才能の片鱗を若くして発揮していた川崎さん。
そんな川崎さんの現役時代ですが、NPB通算12年で「打率292 本塁打27 盗塁267 OPS.720」の成績をあげた他、MLB通算5年でも「打率237 本塁打1 盗塁12 OPS.609」の成績を残しています。
川崎宗則の現役時代~スター選手の座を捨てて渡米
日本球界を代表するアイドル選手だった川崎宗則
川崎宗則さんは、2000年代のNPBを代表するスター選手でした。
打撃タイトルこそ、2004年の盗塁王と最多安打しか獲得していない川崎さんですが、端正な容姿により福岡ではアイドル的な人気を誇っていたため、2004年から2011年にかけて8年連続でオールスターゲームにも選出されていました。
そんな川崎さんが、日本での安定した地位を捨ててMLBへ挑戦をしたのは、2011年のシーズンオフとなります。
元々、イチローファンとして知られていた川崎さんだけに、海外FA権を取ってのMLB挑戦はある意味既定路線とは言えました。
イチローの成績・安打数・海外の反応まとめ!日米通算記録でピートローズ超え&3000本安打達成
イチローの大ファンとして知られており、イチロー本人から「(川崎は)イチローマニアですね」と言われるほど。「イチロー(51)の一つ後の番号」という思い入れから、背番号52には強いこだわりを持っており、ホークス時代は背番号変更を打診されても断り続け、日本代表でも52を付けた。2011年オフに海外FA権を行使してのメジャー挑戦を表明した際にも「イチロー選手と同じチームを希望しています」と語り、念願かなってマリナーズと契約した。
引用:川崎宗則
一方で、日本では紛れもない1流選手だった川崎さんでしたが、あくまでショートという守備が重視されるポジションの補正も大きく、打撃自体はOPSの指標を見てもせいぜい並レベルといったデータがありました。
OPS(オプス、オーピーエス)は On-base plus slugging の略であり、野球において打者を評価する指標の1つ。出塁率と長打率とを足し合わせた値である。
OPSによる打者の格付けに関しては、.7000-.7666の範囲は並という評価となる。
引用:OPS (野球)
そのため、日本時代より数ランクは成績が落ちると言われているMLBでは、川崎さんの打撃力では通用せずに、マイナー暮らしになるのではないかという予想が日本の野球ファンの間でも支配的でした。
奇抜なキャラでMLBに爪痕を残した川崎宗則
MLB時代の川崎宗則さんですが、MLBでは案の定メジャー契約を結べずに、在籍期間中はメジャーとマイナーを往復する生活が続くことになりました。
川崎さんのMLB在籍期間は5年となりましたが、「OPS.609」という数字が示す通り、打者としての実力不足が足を引っ張り、出場試合数は通算でわずか276試合(MLBの年間試合数は162)に留まっています。
しかしながら、渡米後に始めた奇抜なパフォーマンスがMLB関係者やファンの間でウケて、トロント・ブルージェイズなどの所属球団で、川崎さんはマスコットキャラ的な人気となります。
周囲のこの好反応ぶりに関しては、「愛されムネリン」などと日本でも大々的に報道され、知名度も福岡ローカルから全国区へなるなどと、MLB時代は成績以外での話題が目立っていた川崎さん。
川崎選手はその明るいキャラクターでインタビューや試合のときも含めて、いつでもどこでも大人気です! 踊りだしたり、通訳なしで爆笑インタビューを展開したり、おまけにジョークまで繰りだす面白さ。そんな川崎選手はもはやチームを和ませるムードメーカーとして重要な存在です。メジャーリーグとマイナーリーグを行ったり来たりする中でいつも温かく迎えられているのは、川崎選手の明るさがチームメイトやファンに愛されているからでしょう!
一方で、渡米後の2013年には、円形脱毛症を発症していたとの記事も出ていたため、ネット上では「アメリカで無理をしすぎでは?」などと、MLBでの川崎さんのハイテンションぶりを心配する野球ファンの声などもありました。
9月。川崎の髪型に変化があった。サイドの部分はこれまでどおり刈り上げていたが、それ以外の部分を少し伸ばしていた。思わず、後頭部の右側に目がいく。今季最後の取材だった。本人にさりげなく聞いてみた。
「ああ、これね。円形脱毛症ね。これ、初めてできたのよー」
そう言って「はははは」と笑う川崎。「だいぶ生えてきたでしょ?」。少ししゃがんでこちらに向けた後頭部を間近で見せてもらう。直径1センチほどの〇があった。
川崎宗則が突然の引退~ネットではうつ病説も
チームで唯一契約未更改だった川崎宗則
2016年オフに、6年ぶりの日本復帰を果たした川崎宗則さんですが、2017年は故障などもあったため、1軍では42試合の出場に留まり、「打率241 本塁打0 盗塁2 OPS.623」という不本意な成績でシーズンを終了しておりました。
とはいえ、MLB帰りの選手が日本野球に再対応するまでに時間がかかることは定説化しており、川崎さんも復帰2年目以降の成績に期待が寄せられていた立場でした。
しかしながら、年が明けた2018年1月あたりから、川崎さんに関する不穏な噂が野球メディアを賑わせ始めます。
ソフトバンクは25日、チームで唯一契約未更改の川崎宗則内野手(36)と今月中に契約更改交渉を行う方針を示した。簑原孝宏球団統括本部副本部長が、週明けの29日にも直接交渉する予定を明かしたうえで「そこである程度の方向性を(出す)」と今月中の決着に意欲を見せた。
最初は、2017年中に川崎さんと所属先の福岡ソフトバンクホークスとの契約が更改されなかったという記事から始まったこの騒動でしたが、次第に川崎さんの深刻な状況が報じられ始めました。
ソフトバンクの川崎宗則内野手が、2月1日から宮崎市で始まる春季キャンプに不参加の可能性があることが29日、分かった。体調不良のため十分に練習ができていないといい、契約は未更改のまま。ある球団幹部は「(2月1日からの)キャンプインは無理だろう」との見通しを示した。
突如、球団HPから名前が消えた川崎宗則
川崎宗則さんの契約未更改騒動ですが、2018年3月1日に、福岡ソフトバンクホークスの公式HPの選手名鑑から、川崎さんの名前が消えるという新展開がありました。
ソフトバンクと未契約の川崎宗則内野手が、球団公式ホームページの選手名鑑から消えた。チームは3日の阪神戦(ヤフオクドーム)からオープン戦をスタートするが、それに合わせてホームページも更新されている。
選手名鑑の項目で「掲載されている情報は2018年3月1日時点のものです。」と注釈をつけており、未契約の川崎が消えた。
この段階まで来ると、ネット上でも川崎さんの現状をめぐって様々な憶測が囁かれるようになります。
36風吹けば名無し2018/03/01(木) 15:28:02.35ID:+f2EHpHT0
マジでガンとか重病なんやないの
38風吹けば名無し2018/03/01(木) 15:28:34.54ID:WWuAYiEt0
今までやってたオフの慈善事業も全部キャンセルしとるから闇が深い56風吹けば名無し2018/03/01(木) 15:30:23.11ID:Jnh1A0AEa
意志表示と判子押せる能力あるなら残留させるやろ鬼畜球団じゃないわけやし
それが出来ないほどの重症ならそもそもメディアに出るよって病気の線はないやろ
67風吹けば名無し2018/03/01(木) 15:31:07.38ID:Bh/RebBw0
年俸で揉めてるなら退団で他球団
犯罪やったら速攻で解雇&報道
まぁ心の病気しかないわな
137風吹けば名無し2018/03/01(木) 15:37:40.99ID:SB7cRGtap
ここまでくるとテロップでいきなり死去の速報流れても驚かんわ
熱心なソフトバンクファンの間では、オフ期間中に福岡での川崎さんの目撃情報がなかったことにより「川崎宗則入院説」が囁かれるなど、騒動は拡大の兆候を見せ始めました。
ソフトバンクからの退団が発表された川崎宗則
野球ファンの大注目を浴びることとなった川崎宗則さんの契約未更改騒動ですが、2018年3月25日には、川崎さんの父・正継さんに突撃取材を敢行した「週刊ポスト」記者の記事が、各種ポータルサイトにアップされました。
鹿児島県にある川崎の実家を訪れると、川崎の背番号「52」が入ったスウェットパンツを穿いた父親が対応した。
「(川崎の近況については)何も答えられないんです。でも、生きてますよ、ハッハッハッ。野球チームを作る? すごい話だね(笑い)。まァ、時期が来たらあの子なり球団なりから発表があると思いますから、待っていてください」
取材記事中の正継さんの楽観的な言動に、思わずホッと胸をなでおろした野球ファンたちでしたが、続く26日の早朝には、各種スポーツメディアのサイト上で「川崎宗則引退へ!」という記事が相次いでアップされるという急展開を迎えます。
ソフトバンクは26日、契約未更改だった川崎宗則内野手(36)の退団を発表した。任意引退ではなく、他球団へ移籍も可能な自由契約となるが、健康面や年齢的にも、このまま引退の可能性が極めて高い。
川崎は球団を通じ「昨年の夏場以降からリハビリを続けてきましたが、同時に自律神経の病気にもなり体を動かすのを拒絶するようになってしまいました。このような状態で野球を続けるのは、今の自分には考えられません。ホークス球団と協議して自由契約という形で、野球から距離をおいてみようと決断しました」とコメント。
川崎宗則の病気はうつ病?
川崎宗則さん引退の一報に関しては、事前情報から覚悟はしていた野球ファンが少なくなかったものの、大きな反響を呼ぶことになりました。
球団側も川崎さん側も引退理由となった「自律神経の病気」の具体的な病名は濁していますが、ネット上では鬱病説が支配的となっております。
川崎宗則の家族情報~嫁が元グラドル・原田麻衣説はデマ
嫁が元グラドル・原田麻衣説があった川崎宗則
突然引退発表しネット上でも心配の声が多かった川崎宗則さんですが、2011年に一般女性と結婚しており、苦境を支えてくれるパートナーは存在していることになります。
結婚相手が一般人ということもあり、妻の詳しい情報などは現在も非公開を貫いている川崎さん。
しかしながら、渡米後の2014年に出演したスポーツドキュメンタリー番組「アスリートの魂」をきっかけに、「川崎宗則の妻は元グラドルの原田麻衣(35)ではないか?」という説がネット上で急浮上し、一時期は定説化しておりました。
要するに、「アスリートの魂」での家族団欒のシーンに登場した川崎さんの妻が、原田さんに良く似ていたために発生した噂だと言えますね。
おそらくは、原田さんの往年のファンが、たまたま川崎さんの特集番組を見た際に、両者のそっくりさ加減に気が付き、ネット上でこの説を唱え始めたのではないかと思われます。
当の原田さんも2008年を境にグラビア活動を含めた芸能活動を停止しており、2011年は原田さんの芸能活動停止から4年目という時期になりますから、「一般人」扱いでも嘘にはならない身の上でもありました。
川崎宗則の嫁は福岡出身の女性
肝心の「川崎宗則の嫁は原田麻衣説」の真偽ですが、出身地の違いという意外な盲点から、最終的にはガセネタ扱いされることで落ち着いております。
埼玉生まれの兵庫育ちという経歴の原田麻衣さんに対して、川崎宗則さんの妻は福岡県出身であることが、川崎さんの結婚会見でのコメントで確認されています。
つまりは、川崎さんの妻と原田さんはたまたま良く似ていただけの他人という、嘘のような本当の話だったようですね。
川崎宗則には子供が2人
川崎宗則さんには、現在までに2人の子供が生まれています。
第一子となる長男・逸将(いっしょう)くんは、2013年8月16日生まれ。
噂では、2016年の川崎さんの日本球界復帰に関しては、逸将くんが幼稚園に通い出すタイミングに合わせたとも言われています。
第二子となる長女に関しては、2016年12月2日に生まれています。
川崎宗則の生涯年俸は多い?少ない?
小さな子供を2人抱えての突然の引退劇となってしまった川崎宗則さんですが、気になる話題の1つに川崎家の家計の問題があります。
川崎さんのNPB時代の最高年俸は、2011年の2億4000万円となります。
一方でMLB時代に関しては5年間で276万ドルを稼いだに過ぎず、日本に残っていれば1年で稼げたであろう額に留まっております。
年俸が上がり始める稼ぎ時にMLB移籍をした事情などもあり、川崎さんの生涯年俸は11億円弱程度となっており、我々庶民からすると大金を稼いだ成功者となりますが、近年の大物プロ野球選手としては些か寂しい数字だと言えます。
とはいえ、年俸だけで10億円以上も稼いだ成功者が引退後ただちに経済的に困るという展開は考えにくいため、川崎家の経済問題に関しては心配するに及ばないでしょう。
川崎宗則の現在① 恩師・王貞治は指導者と球界復帰を熱望
病気により予期せぬ引退へと追い込まれてしまった川崎宗則さんですが、ソフトバンク側は王貞治球団会長(77)を筆頭に、川崎さんの野球界復帰を気長に待つ方針を明らかにしていました。
王貞治球団会長が、前日に退団が決まった川崎について口を開いた。心情をおもんぱかりながら、長くチームを支えた功労者に向けたエールだった。
「体調のこともあって、一番つらいのは本人。残念だが受け入れるしかない。体調を取り戻して指導者として後輩に伝えたいこともあるはず。若い人にチャレンジする素晴らしさを教えて、野球に夢中にさせてほしい」
王さんにとって川崎さんは、新人時代から2008年まで監督として成長を見守っていた可愛い教え子ということもあり、病気療養後の野球界への復帰を全力でサポートするとしていました。
川崎宗則の現在② 川崎宗則が台湾でコーチ就任&選手復帰
出典:https://akaiakina.diarynote.jp/202002060346387104/
病状が心配されていた川崎宗則さんですが、2019年7月に台湾プロ野球の味全ドラゴンズの客員コーチに就任し、選手としてもプレーすることが発表されました。会見では「体調は75パーセント回復している。」と語っています。
特別試合では投手としても登板し、最速140km/hを記録するなど新天地での活躍が期待されていましたが、試合中に太ももを傷めたこともあり2試合のみの出場となりました。
2018年3月にソフトバンクを退団した川崎は、昨年7月に味全に加入。年末のアジア・ウインターリーグにも参加したが、故障の影響もあり出場2試合だった。
味全は昨年CPBLに再加盟。この日、台湾・斗六でキャンプインした。今季は2軍に参入し、来季から1軍に参入する。
その後、選手としての契約を希望した川崎宗則さんと兼任コーチを打診したチーム側とで合意がされず、川崎宗則さんはチームを離れることとなりました。
報道によると味全の呉徳威ゼネラルマネジャー(GM)は今季、川崎が選手、コーチのいずれでも味全に所属しないことになったと説明。昨年同様に兼任コーチの契約を打診したが、川崎は選手での契約を希望したという。
川崎宗則の現在③ 栃木ゴールデンブレーブスに入団
出典:https://www.jiji.com/
2020年8月には独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスへの入団が発表されました。川崎宗則さんは台湾での選手としての活動を希望していたようですが、新型コロナウイルスの影響もあり断念。ソフトバンク時代のコーチである五十嵐章人氏の誘いを受け栃木ゴールデンブレーブスの練習に参加したことで、入団に至りました。
24日から27日までの4日間、チームの練習に参加し、初日の練習後には「NPBは考えていない」と話し、独立リーグと台湾での現役復帰を目指していた。「4日間で決められたら決めたい。ギョーザがおいしくなかったら考えさせてもらいます」とムネリン節で栃木入りも示唆していた。
引用:川崎宗則がBC栃木に入団合意 背番52で9月から – プロ野球 : 日刊スポーツ (nikkansports.com)
ソフトバンクや米・大リーグで活躍して今月にBCリーグ・栃木に加入した川崎宗則内野手が「2番・三塁」で先発し、独立リーグデビューした。初回1死からの第1打席。初球を完璧に捉え、初打席初アーチを右翼スタンドに突き刺した。
いきなりの活躍に詰めかけたファンからの大歓声を浴びた。三塁守備でも初回から2度ゴロを冷静にさばくなどブランクを感じさせない動き。“元気印”として積極的に声を出すなど早くも存在感を放っている。
引用:さすがムネリン!栃木・川崎宗則が初打席初球本塁打!独立リーグで鮮烈デビュー/野球/デイリースポーツ online (daily.co.jp)
まとめ
・川崎宗則は復帰後2年目のシーズンでチームで唯一契約未更改の状態が続き病気説が流れた。その後、2018年3月に球団より引退が発表された。
・川崎宗則の退団の理由は詳しく明かされていないが、自律神経の病気やうつ病と噂されている。
・川崎宗徳は引退後、台湾のチームで選手兼コーチとして活動、2020年からは独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスでプレーしている。
・川崎宗則は福岡出身の女性と結婚。子供は2人おり、2013年8月に長男、2016年12月に長女が誕生している。
一度は引退となった川崎宗則さんですが、その後見事に復帰し地道に野球選手として活動を続けています。今後も体調に気を受けながら活躍を続けてもらいたいですね。