イチロー選手は、2016年6月16日にピートローズを超える日米通算4257安打を達成しました。その後、8月8日にはメジャー通算3000本安打を達成しています。
この記事では、改めてイチロー選手の安打数・打率などの成績を所属チームに分けて振り返るとともに、海外の反応もまとめています。
この記事の目次
イチロー選手のプロフィール
登録名:イチロー
本名:鈴木一朗(すずきいちろう)
出身地:愛知県西春日井郡豊山町
生年月日:1973年10月22日
血液型:B型
最終学歴:愛知工業大学名電高等学校
身長:180cm
現所属チーム:マイアミ・マーリンズ
イチロー選手は1992年にプロ入りして以来、日米のクラブを渡り歩き、数々の偉業を成し遂げてきました。
2016年6月16日には日米で通算4257安打を記録し、メジャーリーグのピート・ローズ氏の4256安打が打ち立てた最多安打数を抜きました。
イチロー、日米通算4257安打 大リーグ最多ローズを抜く【画像集】
そして、2016年8月8日にはメジャー通算3000本安打を達成しています。
イチローの小学生時代
彼は、小学校の時からすでに天才の片鱗が現れていたようで、当時通っていたバッティングセンターでは、普通の球速で満足できなかった少年イチローのために、専用打席まで作られたという逸話の持ち主です。
(現在もイチロー専用8番打席があるそう)
イチローの高校時代
高校時代も、愛知の名門野球部のある愛工大名電高校に進学し、1年生の時からレギュラーを獲得し、活躍していました。
高校時代の通算成績は、ちなみに以下の通りです。
3年間の高校通算成績は536打数269安打、打率.501、本塁打19本、二塁打74本、三塁打28本、盗塁131である。
引用:イチロー wiki
また高校時代には投手としても有望視されていましたが、通学中の接触事故で野手へと転向しています。
1992年にドラフト4位でオリックスウェーブに入団し、イチローさんのプロ野球選手としての人生が始まります。
私生活では、1999年に7歳年上女房の元TBSアナウンサーの福島弓子さんと結婚しています。
イチロー選手の成績まとめ
イチロー選手は日米あわせて、1992年のプロ入りから2019年までの間に4つの球団に所属しています。
最新の通算成績のまとめこちらより
http://nipponbaseball.web.fc2.com/personal/batter/ichiro.html
以下、それぞれの球団ごとに、安打数などの成績や主だった経歴をご紹介していきます。
オリックス・ブルーウェーブ 1992年~2000年
オリックスは、イチロー選手がプロ入りした球団で、2016年現在彼が所属した唯一の日本チームです。
1992年のデビュー当初はまだ「鈴木一朗」という本名で登録しており、1994年から「イチロー」に変更しています。現在は何人か名前登録の選手もいますが、日本人で初の名前登録がイチロー選手でした。
1993年以前は2軍と1軍を行き来していましたが、1994年以降は1軍に定着し主力選手として活躍していきます。
オリックス時代の打席や安打数などの主だった記録は、以下のようになります。
年度 | 打数 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 | 敬遠 | 出塁率 |
1992年 | 95 | 24 | .253 | 0 | 3 | 0 | .276 |
1993年 | 64 | 12 | .188 | 1 | 0 | 0 | .212 |
1994年 | 546 | 210 | .385 | 13 | 29 | 8 | .445 |
1995年 | 524 | 179 | .342 | 25 | 49 | 17 | .432 |
1996年 | 542 | 193 | .356 | 16 | 35 | 13 | .422 |
1997年 | 536 | 185 | .345 | 17 | 39 | 14 | .414 |
1998年 | 506 | 181 | .358 | 13 | 11 | 15 | .414 |
1999年 | 411 | 141 | .343 | 21 | 12 | 15 | .412 |
2000年 | 395 | 153 | .387 | 12 | 21 | 16 | .460 |
(イチロー wikiより)
イチロー選手のオリック時代の打率は、1994年に当時のパリーグの記録を更新、2000年には自身でさらにその記録を塗り替えました。この記録は、2015年度を終えた時点で見ても日本野球史上の歴代2位(2000年.387)と3位(1994年.385)という記録です。(※歴代1位は1986年に阪神タイガースに所属していたランディ・バース選手の.389。)
そのほかもオリックス在籍中には、1994年から2000年までの間に首位打者・ベストナイン・ゴールデングラブ賞を7年連続獲得、1995年から2000年までの間に最多敬遠を記録、1994年から1996年まで3年連続MVP獲得などをしています。
シアトル・マリナーズ 2001年~2012年
イチロー選手は、ポスティングシステムを経て、2000年11月19日にメジャーリーグのシアトル・マリナーズへの移籍が決定しました。野手としては、初めての日本人メジャーリーガーとなります。
日本では名実ともに大スターであったイチロー選手ですが、メジャーリーグでは活躍できないのではないか?という声も当初は根強く、現地のファンやメディアなどもその活躍を期待してはいませんでした。しかし、イチロー選手はそんな声とは裏腹に、移籍初年度から大活躍を見せ、チームの主力となっていきます。
初年度の成績はメジャーリーグの最多安打数(242安打)を放ち、かつ新人最多安打記録を更新。
タイトルも新人王・MVP・首位打者・盗塁王・シルバースラッガー賞・ゴールドグラブ賞を受賞し、この6つのタイトル同時獲得は現在もイチロー選手が達成したのみとなるそうです。
シアトル・マリナーズ時代の打席や安打数などの主だった記録は、以下のようになります。
年度 | 打数 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 | 敬遠 | 出塁率 |
2001年 | 692 | 242 | .350 | 8 | 56 | 10 | .381 |
2002年 | 647 | 208 | .321 | 8 | 31 | 27 | .388 |
2003年 | 679 | 212 | .312 | 13 | 34 | 7 | .352 |
2004年 | 704 | 262 | .372 | 8 | 36 | 19 | .414 |
2005年 | 679 | 206 | .303 | 15 | 33 | 23 | .350 |
2006年 | 695 | 224 | .322 | 9 | 45 | 16 | .370 |
2007年 | 678 | 238 | .351 | 6 | 37 | 13 | .396 |
2008年 | 686 | 213 | .310 | 6 | 43 | 12 | .361 |
2009年 | 639 | 225 | .352 | 11 | 26 | 15 | .386 |
2010年 | 680 | 214 | .315 | 6 | 42 | 13 | .359 |
2011年 | 677 | 184 | .272 | 5 | 40 | 13 | .310 |
2012年 | 402 | 105 | .261 | 4 | 15 | 4 | .288 |
※2012年度はシーズン中盤の7月にトレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍しているので、上記は年間通しての成績ではなく、あくまで2012年のシアトルマリナーズでの成績になります。
(イチロー wikiより)
シアトル・マリナーズでの在籍年数は約12年で、その間の成績を表にまとめていますが、どこをイチロー選手の全盛期と見れば良いのかわからないぐらいに、毎年好記録を残していきます。
2004年に記録した262という安打数は、1920年にジョージ・シスラーが記録した歴代最多安打数の257安打を、84年ぶりに塗り替えるという偉業を達成しています。(ちなみに、2001年の242安打は歴代10位)
2010年にはメジャー通算8度目の210安打を達成し、これもまたメジャーリーグの記録(タイ・カップの持つ通算7度)を塗り替えています。2012年にはメジャー通算2500安打を達成しています。
しかし2011年以降は調子を落としていき、「さすがのイチロー選手も年齢には勝てない」という見方も出てきました。
ニューヨーク・ヤンキース 2012年~2014年
イチロー選手は、2012年7月にヤンキースのマイナー2選手とのトレードが成立し、移籍しました。
ヤンキースのマイナー、ミッチェルとファークワーのともに25歳右腕投手2人とのトレードが成立した。背番号は31。
イチローは移籍会見で、目をはらし声を詰まらせながら「11年半ありがとうございました。良かったときも悪かった時も同じ時間を共有してきたと思うと感慨深い。どんなときもファンの方が支えだった。ユニホームを脱ぐのは寂しい」とマリナーズに対し感謝し、続けて「今回の決断は大変難しいものだった。オールスター休みに自分なりに考え出した結論は、20代の若い選手が多いこのチームの未来に自分がいるべきではない。自分も環境を変えて刺激を求めたいと思ってきた。そうであれば、できるだけ早くチームを去ることがいいのでは」と、移籍に至った経緯を説明した。
2012年のシアトルマリナーズでの成績は上記の表で見てきた通り、自己最低記録とも言える数値でしたが、7月にヤンキースに移籍以降はだいぶ盛り返してきます。
ニューヨーク・ヤンキース時代の打席や安打数などの主だった記録は、以下のようになります。
(2012年年度の()内は、2012年度通算数値です)
年度 | 打数 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 | 敬遠 | 出塁率 |
2012年 | 227 (629) | 73 (178) | .322 (.283) | 5 (9) | 14 (29) | 1 (5) | .340 (.307) |
2013年 | 520 | 136 | .307 | 7 | 20 | 4 | .297 |
2014年 | 359 | 102 | .297 | 1 | 15 | 1 | .324 |
ニューヨーク・ヤンキース時代には、忍者のように捕手からのタッチを2回もかわしてホームインする姿が話題にもなりました。
[ https://www.youtube.com/watch?v=WG5KSi1NewM]2013年、2014年と成績も徐々に下降してきて、2014年度のオフにはFAとなりました。
マイアミ・マーリンズ(2015年~2017年) マリナーズ(2017年~2019年)
2015年1月にマイアミ・マーリンズと契約を発表したイチロー選手。開幕戦におけるファンからの歓迎には、感動したと言います。
地元ファンの温かい歓迎ムードは痛いほど伝わった。打席に向かうイチローに対し、完売札止めのスタンドには、立ち上がって拍手を贈るファンの姿。背中にはマリナーズ時代の12年7月以来となる背番号「51」。「あんな風に迎えてくれれば…。僕だって心は動くでしょう」と感慨に浸った。
すでにこの時点でさまざまな偉業を達成しているイチロー選手。近年最下位や戦績がふるわないマイアミ・マーリンズに暖かく迎えられました。
マイアミ・マーリンズでの打席や安打数などの主だった記録は、以下のようになります。
イチロー選手の日米通算成績
これまではイチロー選手が在籍したチームごとにその成績をご紹介してきましたが、通算成績もあわせて表にまとめてみます。
年度 | 打数 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 | 敬遠 | 出塁率 |
日本 | 3619 | 1278 | .353 | 118 | 199 | 98 | .421 |
メジャー | 9929 | 3089 | .314 | 117 | 509 | 181 | .355 |
通算 (~2019年) | 13548 | 4367 | .311 | 235 | 708 | 279 | .365 |
2016年度には、日米通算700盗塁を達成(6月2日)。
6月16日には最初にご紹介した通り、日米通算4257安打を達成しました。イチロー選手は自身のこの記録達成について、以下のように語っています。
「ここにゴールを設定したことがないので、実はそんなに大きなことという感じは全くしていないんですけど、それでもチームメートだったり、記録の時はいつもそうですけどファンの方だったりと、ああいう反応をしてもらえるとすっごくうれしかったですし。そこですね。それがなかったら、何にも大したことないです」と胸中を明かした。日米通算での成績とあって、大きなこだわりはなかったようだ。
また、「僕としては日米合わせた数字ということで、どうしたってケチがつくことは分かっているし、ここに目標を設定していなかった」とも振り返ったイチロー。
4257安打の大記録達成にも、どこか客観的で淡々とした印象を受けます。
続けて会見では、「人に笑われてきた悔しい歴史」と「それを達成してきた自負」に言及。
試合後にイチローは「僕は子供のころから人に笑われてきたことを常に達成してきたという自負がある」とNHKが放送した会見で述べた。MLBに挑戦する際にも首位打者になりたいと言ってやはり笑われたが2回達成したとしている。その上でイチローは「常に人に笑われてきた悔しい歴史が僕の中にあるので、これからもクリアしていきたいという思いはもちろんある」と話した。
なんというか……イチロー選手のプロフェッショナルに、もはや感服するしかありません。
イチロー選手の成績に対する海外の反応とは
1992年にプロ入りして以降、日本でもメジャーリーグでも、さまざまな記録を更新達成してきたイチロー選手。
日米通算でピートローズ超えに対する海外の反応
海外からはその偉業を讃えるとともに、やはり「日米通算」という点に着目すると、メジャー記録ではないとする見方もあります。
たとえば、メジャーリーグの最多安打数の記録保持者であるピート・ローズ氏です。
(ピートローズ氏は、1989年の野球賭博問題で、MLBを永久追放処分になっています。)
ピートローズ一家。
「おれをキングからクイーンにしようとしているのか? 日本の野球とメジャーは同じレベルではない。彼は私の記録を抜いていない」
その少し前は、日米通算でもいいから抜いてみろと、語りかけていたんですが……。
日米通算でいいから4256安打を超えてみろ、と熱く語りかけた。
記録としても、やはり日米通算になるため、参考記録になります。
日米通算はあくまで参考記録で、日米双方で公式とは認められない。それでもイチローが注目されるのは、メジャーで日本時代を超える圧倒的な実績を積み重ねているからだ。
マーリンズのマッティングリー監督は「記録とは1つのリーグ内で比較するもので(日米)両リーグの数字を一緒にすることはできない」とした上で「ここ(大リーグ)で打っただけでも相当な安打数。信じられないキャリアだ」と強調する。
イチロー選手自身もやはり日米通算記録ということで「ケチがつく」と言っていましたが、一方で”世界記録”であるという見方をする人々もいます。
イチローと親交が厚くマリナーズ時代には共にプレーしたケン・グリフィー・ジュニアと、シニアの親子もスポーツイラストレイテッド誌にイチローの快挙への関連コメントを寄せていた。
ケン・グリフィー・ジュニアは、「(イチローを新しい通算最多安打記録の保持者と見なすことは)難しいのではないか。2つのリーグでの記録なので。とにかく、イチローは驚異的なアスリート。彼は年間に他の選手の2倍ものをヒットを打っている。敬意を表する。本当にすばらしい」と、ローズの記録を抜いたという見方に関しては否定的なコメントをしながらも、「マリナーズがワールドレコードと呼んだそうだが、それはすばらしいと思う」と、世界記録という捉え方に賛同する考えであることを明らかにした。
確かに見まごうなき、世界記録です。まだ他に誰も達成していない偉業です。
メジャー通算3000本安打達成に対する海外の反応
大リーグ通算3000本安打を達成したのは、140年に及ぶ大リーグの歴史でイチロー選手が30人目です。
大リーグ通算3000本安打を達成後、今まで異論を唱えていたピートローズも祝福しています。
メジャー16年目シーズンでの達成は、通算安打の最多記録4256本を持つピート・ローズ(レッズなど)と並ぶメジャー最速での偉業達成となった。
これにピート・ローズ氏はMLB公式サイト上でコメントを発表し、「3000安打した選手は皆素晴らしい打者で、イチローもとんでもない打者。 少なくとも私が思うに、3000安打を達成したので自動的に殿堂入りということになるだろう。彼は素晴らしい打者であると同時に、スピードと強肩を兼ね備えている。 3000安打を打つのはどれだけ難しいかを、私も知っているよ」とイチローを賛辞した。
イチロー3000本安打の全打球図
イチロー選手の3000本安打の全打球図を見た全米に衝撃が走っています。
3000安打の全打球位置を記した「スプレーチャート」によると、 イチローのヒットは本塁打と三塁打を除き、レフト、センター、ライトとほぼ均等に打ち分けられている。
この“神業”とも言える打撃技術は米CBSスポーツ電子版でも取り上げており、 「国宝的存在であり、未来の殿堂入り選手でもあるイチローは、卓越したバットコントロールで『誰もいないところに打つ』ということを実践してきた」 とレポート。
記事では野球専門の米データサイト「ファングラフス」のデータも紹介しており、 2002年以降のイチローの打球方向の割合は、ライトが31.3%、センターが35.3%、レフトが33.4%となっているという。
日米通算でのピートローズ超えの時には異論もありましたが、メジャー通算3000本安打達成に対してはどこのメディアでも絶賛されています。
イチロー選手が2019年3月21日に現役引退発表…通算安打数は4367安打(日本1278、米国3089)
イチロー選手は2019年3月21日に現役引退を発表しました。通算安打数は4367安打(日本1278、米国3089)で終了となりました。
「ひとつの時代が終わった」と思いますが、日本や海外からはこれまでのイチロー選手の活躍を称える声が大きく聞かれています。
イチロー今後は不透明「今日をもって元イチロー」 #イチロー #イチロー引退 #ICHIRO #ThanksIchiro #マリナーズhttps://t.co/VpDiC4oAM0
— 日刊スポーツ (@nikkansports) 2019年3月21日
イチロー選手引退かあ
— 武井壮 (@sosotakei) 2019年3月21日
同い年で若い頃から途轍もない活躍をしてメジャーリーグに行っても歴史を作り世界の野球界の歴史を作ってしまったスーパースターだ
嫉妬したり尊敬したり学んだり共感したりして眺めてきた日本の生んだ最高の野球選手
寂しいしまだ見たいけど
引退後のイチローも楽しみだなあ