元プロ野球選手の林昌範さんですが、2018年11月になると、意外なセカンドキャリアが発覚しています。
この記事では、林昌範さんの現在の仕事に加えて、嫁や子供など家族や過去のスキャンダル情報についてまとめてみました。
この記事の目次
林昌範のプロフィール
名前:林昌範(はやし まさのり)
生年月日:1983年9月19日
出身地:千葉県船橋市
最終学歴:市立船橋高校卒業
身長:186cm
プロ入り年:2001年ドラフト7位
林昌範、ドラフト7位で読売ジャイアンツに入団
林昌範さんの母校に関しては、サッカーの名門として名高い市立船橋高校となります。
部活動が盛んであり、全国レベルの名門が多い市立船橋高校では、影の薄い存在である野球部ですが、2018年までに林さんを含めて8人のプロ野球選手が輩出されています。
・大野和哉(1989年ドラフト外:読売ジャイアンツ)
・立石尚行(1998ドラフト3位:日本ハム・ファイターズ)
・小笠原孝(1998年ドラフト3位:中日ドラゴンズ)
・岩嵜翔(2007年ドラフト1位:ソフトバンク・ホークス)
・山崎正貴(2007年ドラフト4位:オリックス・バッファローズ)
・村田和哉(2007年ドラフト4位:日本ハム・ファイターズ)
・福元敦史(2008年育成ドラフト4位:読売ジャイアンツ)
高校時代は甲子園に出場することは叶わなかった林さんでしたが、長身で三振の取れる本格派投手ということで、2001年のドラフト会議では7位で読売ジャイアンツ指名されました。
読売ジャイアンツ入団後の林さんは、19歳の若さで1軍デビューを果たすと中継ぎ投手として1軍に定着するなど出足はかなり好調でした。
しかしながら、浮き沈みが厳しいプロの世界の厳しさを身をもって体験することにもなった林さんは、20代中盤以降はトレードや戦力外通告なども経験し、日本ハム・ファイターズやDeNAベイスターズのユニフォームも着ております。
2017年オフに引退することとなった林さんの現役通算成績は、「421試合 22勝26敗22セーブ 防御率3.49」となっています。
林昌範、2017年12月29日に現役引退を発表
林昌範さんは2017年10月、横浜DeNAベイスターズから戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトに参加するも獲得球団は現れませんでした。
そして、2017年12月29日に現役からの引退を発表し、16年間のプロ生活にピリオド打ちました。
現役時代の林さんは、23歳の若さで4300万円の年俸を得るなど将来の1億円選手は確実視されていました。
しかしながら、その後は成績の低迷が影響した結果、23歳時の年俸が最高年俸になるという些か不本意な結果に終わっております。
そんな林さんのプロ野球選手としての生涯年俸は、4億9096万円でした。
超1流のプロ野球選手なら、日本でプレーしていても1年で稼いでしまう額でもありますが、我々庶民目線からすると、林さんは腕一本で一生暮らせる額を稼いだとは言えます。
林昌範のスキャンダル~2007年に起きたわいせつ画像メール騒動とは?
林昌範、わいせつ画像送り付けたとしてファン女性が週刊誌に告発
林昌範さんは、2007年になると、20代の一般女性Aさんより「一方的にわいせつメールを送って来て迷惑している」と週刊誌に告発されています。
Aさんの言い分によると、2006年の秋頃に、Aさんが林さんにファンレターを送ったことをきっかけに2人の間に交流が生まれ、メールでのやり取りが始まったそうですね。
2人の間にトラブルが勃発することとなったのは2007年2月の頃であり、具体的には、林さんがAさんにお色気画像を添付したメールを送ってくることを求めるようになったとか。
Aさんが「そんな恥ずかしい真似は出来ない」と要求を拒否したところ、林さんが一方的に自分の全裸姿などが添付されたわいせつメールを送ってくるようになり、週刊誌への告発に至るようになったというのがAさんの言い分でした。
林昌範、わいせつ画像メール騒動はファン女性の捏造だった?
Aさんの言い分が正しいのならば、最悪逮捕もあり得た林昌範さんの「わいせつメール騒動」でしたが、Aさんの告発内容はかなり嘘が混じっていました。
記事として掲載するために、裏を取ろうと週刊誌記者が関係者に取材にあたったところ、2人は双方合意の元でお互いのわいせつ画像を送り合っていたという、意外な真相が浮上してしまうことになりました。
Aさんが林さんを週刊誌に告発した理由に関しても、林さんからメールでの交流の終わりを宣告されたための意趣返しだったようですね。
最終的には濡れ衣であることが判明した林さんの「わいせつメール騒動」ですが、女性問題で週刊誌沙汰になったことには変わりがなかったため、当時の所属球団だった読売ジャイアンツ側の心象を損ねてしまったことは言うまでもありません。
そのため、2007年オフに肘の手術をした影響で2008年をほぼ棒に振ってしまうことになった林さんは、わずか1年間成績不振に陥っただけでトレード要員にされてしまい、2008年オフに日本ハム・ファイターズへ移籍をする羽目になりました。
林昌範に韓国人説が浮上~実家は千葉・船橋の地主の息子だった
林昌範、名前が原因で在日韓国人の噂が広まる
林昌範さんには、ネット上で在日韓国人説も存在します。
林さんに韓国人説が浮上した理由に関しては、「林昌範」という名前が韓国人に多そうな字面だったことが原因なようですね。
実際に、同時期に字面の似ている林昌勇(イム・チャンヨン)さんという韓国人選手がヤクルト・スワローズに在籍していたこともあり、そのせいで余計にそのような印象を持つ野球ファンが増えたのかもしれませんね。
とはいえ、林さんの実家は江戸時代から千葉県・船橋市で地主をしている家系だそうなので、在日韓国人の方である可能性はほとんどないでしょうね。
林昌範の結婚した嫁は元テレ東アナ・亀井京子~子供は娘・息子の2人
林昌範、2007年に元テレビ東京アナウンサー・亀井京子と結婚
林昌範さんは、2007年12月にテレビ東京の女子アナウンサーであった亀井京子さんと結婚しております。
亀井さんは、大学時代は「CanCam」や「MORE」といったファッション誌の読者モデルをしていたという、今時の女子アナにはありがちな経歴の持ち主でもありました。
テレビ東京に入社後の亀井さんは、「スポーツの魂」や「ワールドビジネスサテライト」の「トレンドたまご」のコーナーに出演していたため、ご存知の読者の方も多いことかと思われます。
2人の馴れ初めに関しては、プロ野球選手や女子アナたちが参加した合コンの場で知り合り、連作先を交換することとなったそうですね。
だが彼女は夜中に仕事の打ち合わせが入っていたので、宴の途中で店を出なければならなかった。タクシー乗り場に向かう亀井アナに林投手が付き添い、2人はその場で連絡先を交換。ここから交際へと発展していったのだ。
ちなみに、結婚して以降の亀井さんは2008年3月31日いっぱいでテレビ東京を退社しており、現在はフリーアナとして活動中の身の上となっています。
林昌範、成績不振が原因で嫁が風水や開運術にハマった
結婚後の林昌範さんですが、2008年オフに日本ハム・ファイターズにトレードに出されただけではなく、2011年オフには成績不振により、その日本ハムから戦力外通告を受けています。
この時の林さんはまだ28歳と若く、復活して戦力になるという期待感が残っていたため、DeNAベイスターズに拾われることとなりましたが、結婚して以降の亀井京子さんが高給取りプロ野球選手のセレブ妻なんて立場に程遠かったことは言うまでもありません。
そんな精神的に不安定になる状況が災いしたのか、結婚後の亀井さんは風水や開運術にハマるようになり、運気を上げて林さんの成績の向上を図れないものかと試行錯誤するようになってしまいました。
観葉植物が悪い気を吸うという話を聞いた亀井は、部屋中に植物を置く。出世魚を食べると仕事運がアップすると聞けば、食卓には必ず鰤(ブリ)を出す。「赤のパンツが健康運を上げる」という情報を得れば、夫のパンツをすべて捨て、赤色だけにした。
ペットの数も尋常ではなかった。犬に始まり、ヤドカリ、ザリガニ、カブトムシの幼虫を30匹。そして、アリ。その理由は、「ペットを飼って林ファミリーにすれば、夫を応援する」と信じているからだという。
トイレをキレイにすると健康運や金運が上がるといわれることから、朝から晩まで磨いているという亀井。トイレには「烏枢沙摩明王」(うすさまみょうおう)という神様がいることを知り、その神様を喜ばせるためにも「トイレに赤い花を飾った方がいい」という教えを守っているようだ。
上記の風水好きのエピソードだけならちょっと危ない人の印象を受ける亀井さんでしたが、林さんのために料理を覚え、「アスリートフードマイスター」の資格も獲得するなど、正攻法でのサポートも手厚い良妻でもあったようですね。
林昌範、2008年10月に長女・2010年9月に長男が誕生
林昌範さん・亀井京子さん夫妻には、2008年10月6日に長女・心優(みゆ)ちゃんが、2010年9月2日には長男・拓海くんが誕生しています。
拓海くんは既に少年野球に打ち込んでいるなど、ワンパクな少年のようですね。
2018年現在、小学4年生と小学2年生になる心優ちゃんたちの通っている学校に関しては、林さん夫妻が特に情報を公開していないため、不明となっております。
ただし、妻・亀井京子さんがお嬢様校として名高い聖心女子学院系列の小学から大学までを卒業していることを踏まえると、林さんの2人の子供たちの通っている学校もそれ相応の名門私立なのではないかと思われます。
林昌範の引退後の現在~家業の自動車教習所の営業部長になっていた
林昌範、実家は従業員100人の自動車教習所・船橋中央自動車学校
林昌範さんの実家は、前述の通り江戸時代から千葉県船橋市で地主を務める名家となります。
そのため、林さんの実家は先祖代々受け継いでいる土地を活用して、不動産会社や自動車教習所などを経営しており、プロ野球選手を引退後の林さんも家業を手伝っています。
現在の林昌範さんは、実家の経営する「船橋中央自動車学校」に勤めており、営業部長の役職も持っているそうです。
「船橋中央自動車学校」は創業50年近い歴史を持つ老舗であり、姉妹校も含めると100人前後の従業員が勤めている、大規模な自動車教習所となっております。
「船橋中央自動車学校」の跡取りとして目下修行中の身である林さんですが、長年野球一筋な人生だったせいで、社会人に必須なスキルが色々と不足していたため、苦労の連続となっています。
「この世界には今年1月に飛び込んだばかりです。最初はパソコンが全然使えなくて、パソコン教室『アビバ』に通って学びました。今は、経理や会計の勉強もしているんですがチンプンカンプンで、必死に勉強しています。でも、本当の苦労はこれからだと思ってます」
あまりにゼロからの再スタートすぎたため、営業部長の肩書なれど部下は0人だという林さんでしたが、昔の人脈を活かして客を呼び込むなど、自分の出来る範囲の事から会社に貢献しているようですね。
「姉妹校である鎌ケ谷校のそばに、日ハムの二軍の施設があるんです。で、聞けば今の高校生は卒業しないと免許が取れない。高卒でプロ入りして忙しい若手選手たちが免許を取れるよう、教習所との橋渡しをしています。やっぱり、野球選手が電車通勤する姿はちょっと寂しいじゃないですか。いい車に乗って、子供たちの憧れの的になってほしいんです」
林昌範、野球解説者としても活動していた
「船橋中央自動車学校」の跡取りとして現在修行中の林昌範さんですが、野球評論家としても活動中です。
野球評論家としての林さんの仕事は、「週刊ベースボールONLINE」のコラム連載と「AbemaTV」での野球中継の解説の仕事が柱となっています。
林さんは、2018年2月に学生野球の指導資格の方も回復させているため、経営者修行が一段落ついたら、高校野球などの指導にも携わりたいという想いがあるのかもしれませんね。
林昌範について総まとめすると…
・林昌範は名前の字面から在日韓国人説が浮上したが、実家は江戸時代から続く千葉県船橋市の地主の家系である。
・林昌範は2007年12月、テレビ東京のアナウンサーだった亀井京子と結婚した。
・林昌範には子供が2人おり、2008年10月に長女、2010年9月に長男が誕生している。
・林昌範は2017年12月29日に現役を引退。現在は家業である自動車教習所・船橋中央自動車学校の営業部長職に就いている。
プロ野球選手としては挫折を味わう機会も少なくなかった林昌範さんだけに、第二の人生では、経営者として大きな成功を掴んで欲しいものです。
林さん一家に今後も幸せな日々が続くことを祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。