稲川英希さんといえば、稲川家の3代目ながらも稲川会の後継者レースに敗れて引退を余儀なくされた元ヤクザとなります。
この記事では、稲川英希さんの経歴とプロフィール、内堀和也さんを激怒させた事件、結婚情報、そして引退理由や現在をまとめました。
この記事の目次
稲川英希のプロフィール…祖父や父親が大物ヤクザのサラブレットだった
稲川英希(いながわ ひでき)
生年:1976年
稲川英希、祖父は稲川会の創設者・稲川聖城だった
稲川英希さんの祖父に関しては、稲川会の創設者であり、山口組3代目組長・田岡一雄さんと並び称された大物ヤクザ・稲川聖城さんとなります。
若い時分に柔道に打ち込んでいた経験から腕っぷしには自信があった聖城さんは、戦前から地元・神奈川県横浜市で博徒として活躍しており、網島一家の代貸(No2)になるほどでした。
戦後は、現地で暴れる愚連隊を鎮圧したことをきっかけに、静岡県熱海市を拠点とする山崎屋一家の縄張りを引き継ぎ稲川組を結成した聖城さんは、出口辰夫さんら「横浜愚連隊四天王」を引き連れて勢力を拡大させて行くことになりました。
その後、日本極道界の顔にまで成長した聖城さんは、関東に拠点を置く有力暴力団の親睦団体である「関東二十日会」発足の立役者となった他、山口組とも積極的に交流を深め、4代目組長・竹中正久さんや5代目組長・渡辺芳則さんの後継人にもなっています。
稲川英希、父は稲川会3代目会長・稲川裕紘だった
稲川英希さんの父親に関しては、稲川会の3代目会長となった稲川裕紘さんです。
稲川聖城さんの長男であり世襲の立場であった裕紘さんですが、人懐こい性格をしていたため組内でも人望があったとも言われております。
聖城さんと同じ融和路線だった裕紘さんは、住吉会や極東会といった関東の有力組織との共存体制を深めていった他、日本最大の暴力団抗争と言われた「山一抗争」の調停役としても活躍していました。
山口組からも一目置かれる実力者だった裕紘さんは、山口組5代目組長・渡辺芳則さんと五分の兄弟盃を交わしていたことでも有名となります。
稲川英希、本人は実業家を目指すもヤクザとなっていた
稲川英希さんに関しては、典型的なボンボン育ちだったと言われており、神奈川県小田原市にある相洋中学校・高校に通っていた頃は、ロールスロイスで送迎されていたとの伝説も残っています。
また、少年時代から小田原競輪場へ通い詰めていた英希さんは、大口買いをしすぎて地元の警察にマークをされたこともあったとか。
稲川会三代目の実子の稲川英希はヤクザになる前のガキの頃に小田原競輪場でオッズが変わるほど車券の大口買いをして警察から地元の稲川会系事務所に「見たことないやつが滅茶苦茶車券買ってるんだが」と電話がかかってきてその組のものが競輪場行って「あれは若です」と言ったという。
— ソビエト社会主義共和国連邦 (@chibajyou_sakur) October 16, 2014
その他、非行歴などは聞かない英希さんですが、バイカーチーム「ジョーカーズ」と行動を共にしていた時期もあるとの噂も存在しており、それなりにヤンチャはしていたようですね。
東海大学を卒業後は、実業家を目指して英国留学までしていた英希さんでしたが、そちら方面では挫折をしたのか、24歳の頃にヤクザに転身することになりました。
ヤクザ転身後の英希さんについては、岡山県笠岡市に拠点を置く浅野組に修業に出されていたようですが、我慢出来ずに途中で帰ってきてしまったとか。
とはいえ、親バカだった稲川裕紘さんは、そんな息子の醜態を咎めることはなかったようで、27歳になると稲川会本部長に抜擢されるなどとんとん拍子で出世を続けていたようですね。
その後、2005年に自分の城である稲川一家を立ち上げることとなった英希さんですが、400人近い組員の大半を稲川会系の他組織から引き抜くなど、やりたい放題だったと言われております。
稲川英希の武勇伝…内堀和也に理不尽な暴力を振るい激怒させた
稲川英希、後藤忠政を格下扱いしていた
稲川英希さんに関しては、六本木のキャバクラで居合わせた山口組系後藤組元組長・後藤忠政さんに対して、自分のテーブルまで挨拶に来るように要請したとの武勇伝もあります。
後藤さんといえば、「伊丹十三襲撃事件」で世間を震撼させたこともある武闘派ヤクザの筆頭格であり、英希さんの現役時代は山口組若頭補佐に就任していたビッグネームでした。
そんな後藤さんに対して英希さんが不遜すぎる態度を取った理由については、父・稲川裕紘さんが後藤さんの恩人的立場にあったことが大きかったようですね。
362 :名無番長:2016/10/17(月) 17:46:41.99 0
六本木の雅に行ったら後藤が飲んでて、若い衆に挨拶に来いって言いに行かせたのだろ
そりゃ英希かりゃすりゃ2日に一回は必ず熱海に来て、三代目に胡麻すってたの見てるからな
三代目が五代目に頼んでくれて補佐に上がれたんだし
英希にもチヤホヤしてたから、英希の頭の悪悪さなら勘違いする
本来ならば、稲川会と後藤組との抗争にまで発展してもおかしくなかった一件でしたが、裕紘さんから受けた恩の手前ぐっと怒りを堪えた後藤さんが、英希さんのテーブルまで挨拶に行く大人の対応を見せたと言われております。
稲川英希、内堀和也を理不尽な理由で殴打して暗殺されそうになったこともある
稲川英希さんは、当時稲川会の理事長補佐だった内堀和也さんに暗殺をされそうになった過去もあったようですね。
この時の騒動の発端は、2000年代中盤頃に稲川会関係者の慶弔時の場で起こったトラブルが原因でした。
他の幹部たちより遅れて式場に到着した英希さんは、内堀さんより「おう、若」と声をかられたことに激高し、「俺は若じゃねえ、本部長だ!」と言い放つとその場で殴打してしまったそうですね。
衆人の前で赤っ恥をかかされた形となった内堀さんは、山口組若頭・高山清司さんに泣きつき、復讐を要請したと言われております。
その後、高山さんが派遣したヒットマンたちに命を狙われることとなった英希さんでしたが、御曹司を暗殺されるわけにいかないと奮起した稲川会のヒットマン狩りにより、危機を脱することが出来たとか。
稲川英希は後継者争いに敗れて引退した…暴挙の理由は長橋歳季だった?
稲川英希、稲川会の後継者争いに敗れて引退した
順調だった稲川英希さんの極道人生ですが、2005年5月に父・稲川裕紘さんが病死したことをきっかけに暗転しています。
裕紘さん亡き後の稲川会のトップは、稲川会系京葉七熊一家総長・角田吉男さんが引き継ぐことが既定路線だったと言われております。
しかしながら、反角田派の稲川会系大場一家総長・長橋歳季さんに母・信子さんがそそのかされてしまった結果、英希さんは20代の若さで稲川会の後継者レースに名乗りを挙げる羽目になってしまったそうですね。
継魂さん ご苦労様です
— 宮武良直 Yoshinao Miyatake 💐:*. (@akosstyle) September 18, 2019
稲川会の「当代の取り決め」で
三代目姐さんが長橋さんにそそのかされず 我慢して 角田四代目を認めて 英希氏がおとなしくしていれば 30代だろうが 極道歴が数年だろうが 五代目は確実に英希氏だったのです! 笑
「当代の取り決め」→「身内 他人 身内 他人」
稲川会の4代目レースについては、裕紘さんの側近だった稲川会系岸本一家総長・岸本卓也さんや稲川会系碑文谷一家・熊谷正敏さんが英希さん派についたことから、組を二分する対立へと発展することになりました。
2006年7月19日、京葉七熊一家五代目総長・角田吉男を稲川会四代目とする継承式が横浜市の稲川会系組事務所で行われた。同時刻、静岡県熱海市の稲川会本家において、稲川英希が「五代目」を継承する儀式を執り行った。
引用:稲川英希
とはいえ、組の分裂を嫌った祖父・稲川聖城さん(当時:稲川会総裁)が角田派を支持したことで、最終的には角田さんが稲川会の4代目会長に就任することになったとか。
稲川英希、ケジメのつけ方には諸説あった
後継者争いに敗れた後の稲川英希さんについては、2007年3月に極道の世界から引退する羽目になっています。
英希さんの引退理由については、組織に混乱をもたらせた責任を取らされて引退に追い込まれたとの説もあれば、本来は指詰めで済んだところを拒否して引退したとの説もあるようですね。
また、英希派だった岸本卓也さんが極道引退(後に復帰)に追い込まれた他、熊谷正敏さんも直参組長から降格させられる羽目になりました。
稲川英希の結婚情報…現役時代に結婚はしていなかった?
稲川英希さんの婚姻情報については、結婚していたとの情報は存在しないため、少なくとも現役時代は独身だったのではないかと思われます。
稲川英希の現在…復帰を望む声もあるが消息は不明だった
稲川英希さんの現在に関しては、カタギに戻った後に犯罪を起こしたとのニュースも聞かないため、正式な消息は不明となっています。
しかしながら、稲川聖城さんの代から受け継がれている静岡県熱海市にある大豪邸も健在な他、祖父や父親からの遺産も踏まえると、「経済的にはまったく不自由していないのではないか?」との見解が主流的となっています。
そんな英希さんのセカンドキャリアに関する情報については、神奈川県葉山町にある別邸に住みながら、熱海市内で建築業を営んでいるとの噂が存在するようですね。
稲川英希についてまとめてみると…
稲川英希さんに関しては、稲川家の3代目というサラブレットでありながらも、仁義を軽んじる性格が仇となり、最後は失脚して引退に追い込まれてしまった人物ということになります。
英希さんのセカンドキャリアが素晴らしいものであることを祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。