ドラマ「飛び出せ!青春」や「くいしん坊!万才」などで知られる俳優の村野武範さんの現在が話題です。
この記事では村野武範さんの若い頃の画像や活躍、結婚した嫁や息子や娘4人の子供、末期がんからの快復や先進医療を受けた病院、自宅、現在の活動などについてまとめました。
この記事の目次
村野武範のプロフィール
村野武範のプロフィール
生年月日:1945年4月19日
出身地 :東京都清瀬市
身長 :176cm
血液型 :A型
村野武範(むらの・たけのり)さんは1960年代の終わりから活躍を続けるベテラン俳優です。
村野武範さんは若い頃は1972年から1973年にかけて放送され大ヒットした学園青春ドラマ「飛び出せ!青春」での熱血教師役での主演で一躍大スターとなり、以降は映画やドラマ、バラエティ番組、CMなどで引っ張りだこの活躍となりました。
特技は料理でグルメとしても知られ、フジテレビの国民的料理番組である「くいしん坊!万才」の7代目レポーター(くいしん坊)を1988年1月から1990年12月まで約3年間務め、お茶の間でも人気の高い存在でした。
そんな村野武範さんですが、2015年にステージ4まで進行した末期がんが見つかるも闘病して克服した経験が現在話題になっています。
この記事では、村野武範さんの若い頃の活躍や画像、結婚や嫁、子供などの家族、がん闘病や治療にあたった病院などを中心に紹介していきます。
村野武範の若い頃① 早稲田大学時代は劇団に所属
村野武範さんは東京都清瀬市の生まれで、元々は材木屋を営む地域有数の資産家で実家は萱葺きで土間と囲炉裏がある古い家だったそうです。
ただ、村野武範さんが生まれた頃には、祖父が祖父が博打にのめり込んで財を失っており、地方公務員だった村野武範さんの父親が養子に入って家計を支えていたそうです。
村野武範さんは兄と3人の姉がいる5人兄弟の末っ子で、両親は共に放任主義で「勉強しろ」と言われた事は1度もなかったのだとか。
中学生時代は演劇部に所属し、NHK教育の「芸術の窓」など子供番組に数回出演しています。都立板橋高校時代には、当時の大人気俳優だった石原裕次郎さんに憧れるなど、若い頃から芸能活動に興味を持っていました。
高校卒業後は早稲田大学商学部へと進学。当初は商社マンか外交官を目指して商業英語会という英語サークルに入ったものの1年生の夏までに嫌になり、一つ上の姉に「勉強は向いていないんだから、自分のやりたい事を見つけた方がいい」とアドバイスされ、早稲田大学内の劇団「こだま」に入団。
大学3年生の時には、学生演劇の限界を感じたとして「こだま」を退団し、プロの劇団である「風」に入団し、大学4年生の時には劇団NLTの演劇教室にも通っています。
村野武範の若い頃② ドラマ「走れ玩具」の主演で俳優デビュー
村野武範さんは、早稲田大学卒業後の1969年に劇団「文学座」の俳優養成所である「文学座附属研究所」に第8期研究生として入所。
その年にオーディションを受けて11月放送のNHKドラマ「走れ玩具」の主役の座を勝ち取り、プロの俳優としてのデビューを飾りました。
村野武範さんはこれがテレビドラマ初出演だったため、緊張のあまり普通に歩く演技で10回もNGを連発したり、つい舞台のような調子で声を大きく出しすぎてしまいスタッフに「マイクがあるから普通の声で」と注意を受けたりしたのだとか。
村野武範さんはこのデビュー作に思い入れを強く持たれていて、長くこのフィルムを手元で保管されていたそうです。
この作品をきっかけに、村野武範さんはテレビドラマや映画の役をもらえるようになったそうで「僕にとっては切っても切り離せない作品」と振り返られていました。
村野武範の若い頃③ 映画「八月の濡れた砂」で脚光を浴びる
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村野武範さんは1971年にベトナム戦争を描いた映画「この青春」に真面目な夜間高校生の役で出演。これが不良少年をテーマにした作品で知られていた藤田敏八監督の目に留まり、村野武範さんは、同年8月公開の日活映画「八月の濡れた砂」に主人公4人のうちの1人に抜擢されました。
無軌道に欲望のままに生きる若者4人を描いた作品で、村野武範さんはその1人、高校を中退した野上健一郎の役を演じています。村野武範さんはこの作品で脚光を浴び、一躍人気を上げています。
村野武範の若い頃④ 学園ドラマ「飛び出せ!青春」でスターに
村野武範さんの若い頃の出世作となったのが、1972年から1973年にかけて日本テレビ系で放送され大ヒットした学園青春ドラマの金字塔「飛び出せ!青春」でした。
村野武範さんは「飛び出せ!青春」で、熱血教師の河野武役を演じました。村野武範さんが演じた河野武は落ちこぼれが集まる架空の高校「太陽学園」に赴任した新人英語教師で、学校内でも特に劣等生が集まるサッカー部の顧問に就任し、持ち前の熱さとチャレンジ精神でサッカー部を勝利に導くというストーリーでした。
ドラマ「飛び出せ!青春」は大ヒットとなり、村野武範さんも俳優としてブレイクを果たしています。当時は村野武範さんを本当の教師だと勘違いして「うちの高校に来てください」とファンレターをもらったり、「太陽高校」を実在の高校だと勘違いして入学したいとの問い合わせがあったりもしたのだとか。
村野武範さんも当時の若者からのアイドル的な人気を獲得し、高校生の集団に囲まれて路上でサインをしているうちに、人数がどんどん増えてしまい、駆けつけた警察官に叱られた事もあったのだそうです。
また、「飛び出せ!青春」は村野武範さん演じる河野武の教師らしくない長髪の当時としては斬新な髪型が話題になりましたが、これは村野武範さん本人による役作りによるものでした。
村野武範さんはドラマの撮影開始前、監督やプロデューサーから「教師らしく短髪の爽やかな髪型にしろ」と注意を受けたそうなのですが、「生徒と見分けがつかないような若者教師という設定なのだから、この髪型で良い」と譲らなかったのだそうです。
プロデューサーは無理矢理、村野武範さんを床屋に連れて行って髪を切らせようとしたそうなのですが、そこでも村野武範さんは断固として髪を切る事を拒否し、「視聴者から、もし一通でも頭が汚い、おかしいという投書があればすぐに丸坊主にするので、とりあえずやらせて欲しい」と言い張って監督とプロデューサーを説得。
結果としてそうした投書は1通も届かず、むしろ河野武は既存のイメージにとらわれない魅力的なキャラクターとして人気を呼びドラマの大ヒットへとつながったのでした。
村野武範の若い頃⑤ 「くいしん坊!万才」などバラエティでも人気者に
村野武範さんは「飛び出せ!青春」での大ブレイク以降も映画やテレビドラマなど多数の作品に俳優として出演。その一方でテレビのバラエティ番組での活躍も増やし、特に司会者として人気を得ました。
1988年1月からはフジテレビの料理番組「くいしん坊!万才」のレポーター(7代目くいしん坊)に起用され、1990年12月まで3年弱に亘って勤めお茶の間の顔となりました。
村野武範さんは実は大の料理好きでグルメで知られ、「くいしん坊!万才」への抜擢もその縁によるものでした。
村野武範さんが料理好きになったきっかけは、30代の頃に磯釣りにのめり込んだ時に、自分で魚を捌くようになり、それならば自分で料理もしようと基礎から料理を勉強された事だったそうです。
村野武範さんが料理をして家族に振る舞ったところ、嫁の麻美さんや子供らから「美味しい」、「お父さん才能あるんじゃない」ととても褒められ、それに嬉しくなった村野武範さんは料理にハマっていったそうです。
「くいしん坊!万才」への出演の1年前の1987年には、テレビ朝日系「こんにちは2時」で、「村野武範のおしかけ料理」という料理コーナーも担当し、この番組から「村野武範のアイディア料理BOOK」という料理本も発売しています。
このように大の料理好き、グルメである村野武範さんは東京赤坂の溜池山王に割烹「ぐるめダイニング むらの」をオーナーとしてオープンさせています。
村野武範の結婚した嫁は一般女性の麻美さん
村野武範さんの嫁は麻美(まみ)さんという一般の女性です。
2人が出会ったのは村野武範さんがまだ俳優としてデビューする前の、お互いが大学生だった頃で、自動車教習所で偶然知り合い、お互いに一目惚れだったそうです。
しかし、嫁の麻美さんの方が先に自動車教習所を卒業してしまったため、村野武範さんの方から連絡を取り猛烈にアプローチをして交際が始まったのだとか。
数年の交際を経て、村野武範さんは俳優としてデビューし、その翌年の1970年10月、村野武範さんが25歳の時に結婚されています。
結婚してすぐ、村野武範さんは俳優として一気に人気を上げ、一躍スターになりました。その裏には嫁の麻美さんの支えがあったようです。
村野武範さんは2015年、70歳の時にがんを患い、余命いくばくもないとの宣告を受けるも、嫁の麻美さんが懸命に先進医療を受けられる病院を探し、その病院での治療によって快復し現在も元気に過ごされているとの事です。
村野武範さんのがん闘病や治療を受けた病院については後述します。
また、村野武範さんは若い頃から酒や煙草が好きだっために腎臓や肺を患っており、60歳頃からは慢性腎炎で病院に通い75歳の時には医師から「このままでは腎不全になるので、人工透析か腎臓移植が必要」と宣告されます。
この時の病院では70歳以上の方の腎臓移植手術はしていないと言われ、村野武範さんは「人工透析で3日も病院に縛りつけられるのは耐えられないから、もう人生は終わりだな」と思ったそうです。
しかしこの時も、嫁の麻美さんが70歳を超えていても腎臓移植手術を受けられる病院を見つけてきてくれ、村野武範さんは腎臓移植を受けて快復されています。この時、腎臓のドナーとなったのは村野武範さんの一番上の娘さんでした。
村野武範さんの娘さんや息子さんら子供については次の見出しで紹介します。
村野武範の子供は息子と娘の計4人
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村野武範さんは嫁の麻美さんとの間に4人の子供が生まれています。
子供の構成については息子が1人で娘が3人で、一番上の子供は1971年12月に誕生した娘さんです。村野武範さんの子供4人はいずれも芸能活動や芸能関係の仕事はされておらず一般の方だという事です。
一番上の娘さんが生まれた日は、ちょうど村野武範さんの出世作となったドラマ「飛び出せ!青春」の撮影のクランクインの日だったそうです。
村野 その時、僕はもう結婚していましたからね。で、忘れもしないんですけど「飛び出せ│」のクランクインは予告編の撮影だったんですが、その日に長女が女房から飛び出してきたというね(笑)。
村野武範さんが腎不全で腎臓移植を受けた際にドナーになったのがこの一番上の娘さんでした。村野武範さんは娘さんから「私の腎臓片方あげる」と言われた時、「こんなじじいにやるなんて、もったいなからいらないよ」と1度は断られたそうなのですが、娘さんに「お父さんが元気じゃなくなるのは私たちが嫌だから」と説得されて、腎臓移植を受けられたのだそうです。
うちは子どもが1男3女なんですが、40代半ばの長女が「私の腎臓片一方あげる」って言うんですよ。「こんなじじいにやるなんて、もったいないからいらないよ」って言うと、「お父さんが元気じゃなくなるのは私たちが嫌だから」って。それでもらいました。
村野武範さんが嫁の麻美さんや子供ら家族に愛されている事が伝わってくるエピソードです。
村野武範さんも嫁の麻美さんや子供達には深く感謝の気持ちを持たれているのだそうです。
がんの時も女房が病院を探してくれたし、長女は腎臓を提供してくれるし、家族には頭が上がりません。
村野武範のがん発覚と治療
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2015年5月、70歳になったばかりの頃、村野武範さんは近所の居酒屋に家族で行った帰り道で首筋に小豆大の小さな突起がある事に気がつきました。
なんとなく気になり、近くの総合病院を受診すると「風邪でしょうから、しばらく様子を見ましょう」と言われます。しかし咳や鼻水、発熱などの風邪の症状が全くない事をおかしく思い、村野武範さんはかかりつけの内科病院で再度受診したところ、医師に「大きな病院で精密検査を受けた方がいい」と言われたそうです。
そしていくつかの病院精密検査したところ、下の付け根が原発のがんで、リンパ節に3、4か所転移がある中咽頭がんである事が判明。末期がんである事を示すステージ4で、首筋のしこりもがんの転移だったそうです。
村野武範さんが「余命はどれくらいですか」と医師に尋ねると「それは聞かない方がいいですよ」と教えてくれなかったそうです。それで、村野武範さんは「俺の余命は2、3ヶ月かもしれない」と思われたそうです。
そのままその病院に入院する事が決まり、放射線と抗がん剤で治療を行うため、喉の痛みで食べ物が食べられなくなり、胃ろうによって栄養を取れるようにする事や、抗がん剤で髪の毛が抜けたり、口内炎で味覚障害が出たりするといった説明を受けたそうです。
村野武範さんは絶望的な気分になったそうなのですが、帰宅後に嫁の麻美さんが、インターネットで調べてみたところ陽子線治療という先進医療が良いらしいとの情報を知り、福島県にあるその治療を取り入れている病院へ行ってみないかと提案されたそうです。
村野武範さんは嫁の麻美さんの提案を受け入れ、福島県郡山の病院へと行ったところ、医師から「うちで治療できますよ」と言われ、ホッとされたそうです。
村野武範さんはこの病院に2ヶ月半入院して陽子線治療を受け、治療の効果が出てがん細胞は消滅。再発や転移もなく現在も元気に過ごされています。
村野武範さんが受けた陽子線治療は、保険適用外で高額な治療費がかかったそうですが、がんが判明する2年ほど前に、村野武範さんは先進医療特約が入った保険に加入しており、費用はカバーでき実費のみで済んだのだそうです。
村野武範が陽子線治療を受けた病院
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村野武範さんが中咽頭がんの陽子線治療を受けた病院がどこかにも関心が高いようです。
村野武範さんはこの病院について「福島県郡山市」の病院である事を明かされています。
それでも女房に背中を押されて、3か所の病院でそれまでの検査資料を出してもらって、1週間後に福島県の郡山へ行きました。
福島県郡山市にある陽子線治療の設備を備えた病院という事から、村野武範さんが中咽頭がんの治療を受けた病院は「南東北がん陽子線治療センター」ではないかと思われます。
村野武範の自宅
村野武範さんの自宅は公開されていません。これまでにテレビ番組の自宅紹介コーナーなどにも出演された事はないようです。
村野武範さんは出身は東京都で、現在も俳優として活動を続けられている事から、自宅は東京都内に構えられている可能性が高いと思われます。
村野武範の現在
出典:https://post.tv-asahi.co.jp/
村野武範さんは2023年7月の現在は78歳を迎えられていますが、俳優やタレントとして元気に活躍を続けられています。
直近のテレビ出演では、2023年4月9日に放送の日本テレビ系バラエティ「行列のできる相談所」に出演されています。それ以前には、2022年7月24日放送の「ヒロミ☆あさこの昭和平成の懐かしスターを直撃!令和のバカ売れ商品をお届けSP」にゲスト主演。2019年4月放送の「BS歌謡スクエア」では司会も担当されています。
また、村野武範さんはメディアのインタビューや講演会などの仕事を多く受けられているようです。
ただ、俳優としては、2017年3月11日に放送された土曜ワイド劇場「深層捜査 ドクター大嶋二郎の事件日誌」への出演が最後となっています。村野武範さんは高齢という事に加え、現在も定期的に病院で検査を受けているとの事なので、長期的な撮影が必要な連続ドラマや映画などへの出演は控えられている可能性がありそうです。
まとめ
今回は、映画「八月の濡れた砂」、青春学園ドラマ「飛び出せ!青春」などの代表作で知られる俳優の村野武範さんについてまとめました。
村野武範さんは若い頃は早稲田大学の劇団「こだま」を経て、老舗劇団の「文学座」に所属。NHKドラマ「走れ玩具」の主演でデビューし、「八月の濡れた砂」、「飛び出せ!青春」でブレイクしスター俳優となりました。
その後は、映画やドラマ、バラエティ番組で活躍し「くいしん坊!万才」のレポーターでお茶の間での人気も得ました。
村野武範さんは、俳優としてブレイクする直前の1970年10月に結婚。嫁は大学生時代に自動車教習所で知り合った麻美さんという一般の女性で、数年の交際を経て結婚されています。
村野武範さんの子供は、嫁の麻美さんとの間に4人で、息子さんが1人と娘さんが3人です。一番上の子供である娘さんは1971年12月に生まれています。
村野武範さんは、2015年、70歳の時にステージ4の中咽頭がんが発覚。一時は死を覚悟するも、嫁の麻美さんが探してきてくれた病院で先進医療の陽子線治療を受けて快復し、現在も元気に活躍されています。
村野武範さんが陽子線治療を受けた病院は、福島県郡山市にある「南東北がん陽子線治療センター」だとみられています。
現在も村野武範さんは元気に活躍されており、主にテレビのバラエティ番組や、講演、メディアインタビューなどで活躍されています。