寛仁親王殿下の第二子・瑶子さま評判が良い皇族ですが、顔が変わった・メイクが濃いと話題です。
今回は瑶子さまの学歴・経歴、家系図や家族、結婚歴や剣道の腕前、激変した顔やメイク、青いドレスの真相、現在の仕事や公務を紹介します。
この記事の目次
瑶子さまは三笠宮寛仁親王の次女
出典:sankei.com
瑶子女王
生年月日:1983年10月25日
身分:女王
敬称:殿下
お印:星
瑶子さまは三笠宮寛仁親王の次女です。ご身分は「女王」です。
女王は、天皇から見て嫡男系嫡出で三親等以遠の女子に与えられる身位です。
瑶子さまは大正天皇のひ孫であり、現在の天皇とは再従妹(はとこ)の関係で、6親等になりますので、「三親等以遠」となり「女王」の身位になります。
近年はいろいろと皇族に対する風当たりが強くなっていますが、瑶子さまはあまり目立たない存在ながらかなり評判が良く、皇室ウォッチャー・皇室ファンからは人気が高い方です。
瑶子さまは公務でもとても評判の良い方ですhttps://t.co/oX84GvSWrq
— みずのみこ (@bluemoonstone17) December 27, 2020
https://twitter.com/sodachizakari_/status/1204912142001946625
三笠宮家の瑶子さま 皇族として初めてミャンマーご訪問 スー・チー氏と懇談も(フジテレビ系(FNN)) – Yahoo!ニュース
— わしこ (@pandahero881) December 12, 2019
これぞ公務だと思う https://t.co/0RajcQY1Cv
次からは、瑶子さまがどのような皇族なのかを詳しく見ていきましょう。
瑶子さまの学歴・経歴
出典:arabnews.jp
瑶子さまは1983年10月25日、三笠宮寛仁親王と信子妃の第二子として、渋谷区にある日本赤十字医療センターでお生まれになりました。
幼稚園は最初は松濤幼稚園に通われていましたが、途中から学習院幼稚園に移られています。
・小学校:学習院初等科
・中学校:学習院女子中等科
・高校:学習院女子高等科
・大学:学習院女子大学国際文化交流学部日本文化学科(2006年卒業)
瑶子さまは今時の皇族には珍しく、生粋の学習院育ちのご令嬢なんです。最終学歴は学習院女子大学卒業になります。
2003年の大学在学中に成年を迎えた瑶子さまは、第125代天皇明仁(現在の上皇)さまから勲二等宝冠章(宝冠牡丹章)を受けられました。
その後は、宮中行事や祭祀に出席していますし、公務にも積極的に参加されています。
瑶子さまの家系図
瑶子さまの家系図はこちらです。
瑶子さまは大正天皇のひ孫にあたられる方です。
大正天皇の子供であり、昭和天皇の弟である三笠宮崇仁親王が「三笠宮家」を創設し、崇仁親王のご長男である寛仁親王が「寛仁親王家」として独立されました。
しかし、寛仁親王は後継者を設けないまま亡くなられたため、寛仁親王家は三笠宮家(本家)に合流し、瑶子さまは三笠宮家の最年少皇族となります。
・昭和天皇:大伯父
・上皇陛下:従伯父
・天皇陛下:はとこ
このような関係になります。
現在の天皇陛下とは6親等離れていますので、一般的に言えば「遠縁」、「遠い親戚」です。
ですが、皇族・宮家が少なくなっている現在、瑶子さまやその姉である彬子女王も皇族としての公務・宮中行事に参加されています。
瑶子さまの家族
父親は三笠宮寛仁親王
出典:nikkei.com
三笠宮寛仁親王
生年月日:1946年1月5日
没年月日:2012年6月6日
身位:親王
敬称:殿下
お印:柏
出生:神奈川県三浦郡葉山町
瑶子さまの父親は三笠宮寛仁親王です。三笠宮崇仁親王殿下の第一子として1946年に誕生されています。
当時の天皇であった昭和天皇は伯父にあたり、大正天皇は祖父になります。
父親の崇仁親王殿下は放任主義だったため、当時の皇族のイメージとはかけ離れた自由な中で育ったようで、高校生になると髭を伸ばし始めます。
そして、それ以降ずっと髭を蓄えているため、「ひげの殿下」の愛称で親しまれています。
なんと寛仁親王殿下は「徹子の部屋」にも出演したことがあるんです。
しかも「高校生になるとチンピラのようにふるまい、高校1年生あたりからタバコを吸い、飲酒に至ってはさらに若い頃から始めていた」なんて語っています。
さらに、病気もたくさん患っていて、1990年以降は病気との闘いの日々でした。
・アルコール依存症
・顎の骨折
・肺炎
・不整脈
アルコール依存症では入退院を繰り返していましたし、がんの治療・手術は発見から16回にも上りました。
また、咽頭がんの治療で声を失い、晩年は電気咽頭を首に当てて公務を行っていました。
2012年1月に咽喉のガンが再発していて、長時間の手術を受けたものの、同年6月に薨去されました。
母親は寬仁親王妃信子
出典:sankei.com
寛仁親王信子
生年月日:1955年4月9日
出身:東京都渋谷区松濤
身位:親王妃
敬称:殿下
お印:花桃
瑶子さまの母親は寛仁親王妃信子さまです。
麻生セメント会長の麻生太賀吉の三女として生まれ、大学はイギリスに留学します。大学卒業後は自身の出身幼稚園の松濤幼稚園で、英語教師として働いていました。
寛仁親王からはなんと16歳の時に求婚されています。寛仁親王は当時26歳でした。
26歳が16歳に求婚・・・。今の感覚では考えられません。
ただ、当時もまだ信子さまが若すぎるという理由でご成婚は見送られ、8年後の信子さまが24歳の時にご成婚となりました。
・日本赤十字社名誉副総裁
・日本童謡学会名誉総裁
・日本ばら会名誉総裁
上記のような役職に就かれて公務を行っていましたが、2004年からは体調を崩されて静養されています。2013年からは公務に復帰されました。
姉は彬子女王
彬子女王
生年月日:1981年12月20日
身位:女王
敬称:殿下
お印:雪
瑶子さまの姉は彬子女王です。彬子女王は寛仁親王の第一子としてご誕生されています。
学問研究に専念されている方で、イギリスの名門大学であるオックスフォード大学マートン・カレッジに留学し、日本美術史を専攻しています。
その後、2010年1月にはオックスフォード大学大学院博士課程を修了し、博士号を取得しています。オックスフォード大学の博士課程。凄すぎます。
博士号を取得したのは皇族としては秋篠宮殿下に続く2人目で、女性皇族としては初。さらに海外大学の博士号は皇族として初めてのことでした。
また、オックスフォード大学大学院での研究がまとまった2009年秋に帰国した後は、公募採用で立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェローに就任。
2012年からは、法政大学国際日本学研究所客員所員にも就任しました。
その後も、公務をしながら自身の研究活動行い、2020年には千葉工業大学特別教授および千葉工業大学地球学研究センター主席研究員(非常勤)に就任されました。
さらに、スポーツ振興にも力を注いでいます。
瑶子さまの母方の家族もすごい
瑶子さまのご家族は皇族ですので、「家柄が良い」というレベルを超えているのですが、母方の家族もすごいんです。
瑶子さまの血筋・家系を見ると、日本のサラブレットであることがわかります。
先祖は大久保利通
出典:kodomo.go.jp
大久保利通
生年月日:1830年9月26日
没年月日:1878年5月14日
出身:鹿児島県
活動:政治家
瑶子さまの高祖父の1代前(母親の信子さまの高祖父)は、なんとあの大久保利通です。
大久保利通はご存じのように明治維新の立役者で「維新の三傑」と称される人物ですよね。
高祖父は麻生太吉
麻生太吉
生年月日:1857年8月26日
没年月日:1933年12月8日
出身:福岡県飯塚市
活動:実業家、炭鉱業者
瑶子さまの高祖父は麻生太吉です。
現在の麻生グループのもとになった麻生商店を開き、その他石炭鉱業連合会会長や九州水力電気社長、衆議院議員などを歴任した人物です。
曾祖父は吉田茂
吉田茂
生年月日:1878年9月22日
没年月日:1967年10月20日
出身:東京都
活動:政治家、内閣総理大臣
瑶子さまの曾祖父は、あの吉田茂です。吉田茂は太平洋戦争中は外交官として過ごしていましたが、日本の敗戦後は外務大臣に就任し、1946年5月には内閣総理大臣に就任しました。
吉田茂は総理大臣就任中、日本国憲法の公布、サンフランシスコ平和条約の締結などの実績を残し、戦後日本の復興を礎を築いた政治家です。
「和製チャーチル」とも呼ばれ、戦後で混乱していた日本を強いリーダーシップで導いていた人物でした。
吉田茂なくして、日本の復興は語れないほどの政治家です。
伯父は麻生太郎
出典:bunshun.jp
麻生太郎
生年月日:1940年9月20日
出身:福岡県飯塚市
所属:自由民主党
活動:政治家
瑶子さまの母方の伯父は、元内閣総理大臣の麻生太郎です。瑶子さまの母親である信子さまの兄が麻生太郎なんです。
麻生太郎は第92代内閣総理大臣で、そのほか外務大臣や総務大臣、財務大臣などを歴任していて、現在も衆議院議員を務める自民党・政界のドンと言われる政治家です。
瑶子さまは結婚していない
出典:iaud.net
瑶子さまは1983年生まれで、2022年で39歳になりますが、まだ結婚はされていません。
ご婚約や交際の報道もありません。
「かつては、『結婚してあたたかい家庭を作りたい』とおっしゃっていました。しかし、亡き父・三笠宮寬仁親王への敬愛が強すぎるためか、いまでも男性の噂はまったく聞こえてきません」(皇室ジャーナリスト)
「父親の寛仁親王殿下が理想の男性」と語っていたこともあるようです。
瑶子さまは剣道5段の有段者
出典:ameblo.jp
瑶子さまは剣道5段の腕前です。学習院初等科5年生の時から剣道を始め、ずっと剣道を続けられて、大学時代は副主将を務めています。
剣道を生かした公務も多いようです。
・2005年:愛知万博で剣道のデモンストレーションに参加
・2006年:全国家庭婦人剣道大会に出席
皇族の方は皆様振る舞いがきれいですが、特に瑶子さまは凛とした美しさがあります。これは剣道の鍛錬からきているのかもしれません。
大学卒業後は、学習院初等科の剣道部でボランティアで指導を行っているそうです。
瑶子さまの顔は整形?メイクで激変?
瑶子さまの顔は20歳の成年会見の時から顔がかなり変わっています。
こちらが20歳の時の瑶子さまの写真です。
確かに、現在のお顔立ちと全然違います。あまりにも違うため整形したのでは?とも言われています。
また、時々で鼻の形も変わるので、整形疑惑が出ているんですね。20歳の時の会見の瑶子さまの鼻はペチャっとした横に広い鼻です。
でも、30代になった瑶子さまの鼻は細くてシュッとした鼻をしているんです。
出典:asahi.com
顔も違うし鼻の形も違うから、やっぱり瑶子さまは整形なのか?と思うかもしれません。
でも、瑶子さまの場合、鼻の形は表情によって大きく変わるようです。下の画像は2019年の時の瑶子さまです。
出典:sankei.com
笑っていると、鼻が横に平たく広がっていることがわかりますね。
真剣な顔をしている時は鼻は細くシュッとしているけれど、笑うと鼻が横に広がるようです。誰でもその傾向はありますが、瑶子さまはそれが特に目立つようです。
また、顔が違うのもメイクの影響でしょう。成年会見の時はナチュラルメイクですが、その後はしっかりとメイクをされています。
特に、アイメイクには気合を入れて、こだわっていることがわかります。
メイクしたことでとてもきれいになられていますので、メイクをかなり研究しているようです。
瑶子さまが1人だけ青のドレスを着用した理由とは?
2019年の皇室行事である「新年祝賀の儀」では、瑶子さま1人だけ青のドレスを召されていました。
皇后の雅子さまをはじめとした女性皇族が一堂に集まる場面で、女性皇族はみんな白のドレスだったのに、瑶子さまは鮮やかな青のドレスだったんです。
そのため、瑶子さまはとても目立っていらっしゃっていて、「なぜ、青のドレスなのか?皇室に対して反抗心があるのか?」と噂になりました。
なぜ、瑶子さま1人だけ青のドレスだったのか?その真相はわかりませんが、この新年祝賀の儀では、女性皇族は白のドレスを着なければならないという決まりはないようです。
出典:youtube.com
こちらは2021年の新年祝賀の儀です。皆さん白以外のドレスを着ていらっしゃいます。
そのため、2019年の新年祝賀の儀は、たまたま偶然に瑶子さまだけ青のドレスになってしまったということだけだと思われます。
瑶子さまの現在① 公務や仕事
瑶子さまは現在、公務と仕事を両立されています。
お仕事は、2006年から2012年まで日本赤十字社で嘱託職員としてフルタイムで働いていました。
その後は一般財団法人国際ユニヴァーサルデザイン協議会総裁や社会福祉法人友愛十字会総裁に就任されています。
また、父親の寛仁殿下と母親の信子さまがご病気で静養中、さらに姉の彬子さまが英国留学中は、フルタイムで働きながら三笠宮家(寛仁親王家)を代表してご公務に励まれていました。
瑶子さまはご自分の言葉で話され、公務に対して誠意をもって取り組んでいらっしゃるので、非常に評判は良いんです。
瑤子さまのスピーチ
— しゅららぽん (@Js72hN1SrmfE96v) October 11, 2020
とても感動します
このスピーチは皇族に生まれ寛仁親王の薫陶を受けてお育ちになったから出来るもの。何よりご本人も自覚されて生きてこられたからこそ
神武に繋がる精子を持ってても出来ないの#女性皇族に継承資格を
IAUD総裁瑶子女王殿下 https://t.co/SPvS8AnmRd
また、2019年12月には即位礼正殿の儀で来日したミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問に招待されて、ミャンマーを私的訪問しています。
形式上、「私的訪問」としていますが、国家顧問からの招待ですので、ほぼ公務のようなもの、むしろ非常に重要な公務だったと言えるでしょう。
瑶子さまの現在② 新型コロナから回復
出典:sankei.com
2022年2月7日、瑶子さまは喉の痛みを訴えられ、2月8日にPCR検査をしたところ、新型コロナウイルスへの感染が確認されました。
同日、宮内庁病院に入院しましたが、肺炎が判明したため、2月9日には東大病院に転院しています。
皇族として初めての新型コロナウイルス感染であり、まだ30代とお若いのに肺炎を発症したことで、世間を驚かせました。
コンピューター断層撮影法(CT)検査で肺炎が確認されたため、9日午後に東大病院に移られた。のどの痛みとせき以外に症状はないという。
引用:三笠宮家の瑶子さま、肺炎確認され東大病院に転院…姉の彬子さまは検査で陰性 : 皇室 : ニュース : 読売新聞オンライン
のどの痛みと咳以外の症状はなかったとのことですが、CTで肺炎像が確認されたため、「中等症Ⅰ」と診断されたとのことです。
ただ、重症化することはなく、入院から1週間後の2月16日には退院されました。
宮内庁によりますと、当初は喉の痛みやせき、発熱の症状などがありましたが、その後、体調が改善し、16日午前に退院されたということです。
皇族の方は周囲の宮内庁職員も含め、人一倍感染対策は行っていたはずですので、瑶子さまの感染で、新型コロナウイルスの感染力の強さを思い知らされることになりました。
ただ、無事に退院されて本当に良かったですよね。
瑶子さまのまとめ
瑶子さまのプロフィールや学歴・経歴、家系図や家族、結婚の有無や剣道の腕前、顔のメイクや整形疑惑、青いドレスを着用した真相、現在の仕事や公務、コロナ感染などをまとめました。
瑶子さまは積極的に公務を行っていますが、ご結婚はされないのでしょうか?その点は気になります。