秋篠宮妃紀子さまの父親で、小室眞子さんの祖父の川嶋辰彦さんが「中皮腫」のため死去されました。
この記事では川嶋辰彦さんの家系図や父や母、祖父などの家族、結婚した嫁や子供や孫、自宅の場所や韓国との関係や皇室怒鳴り込みの噂、現在の緊急入院報道と死去の報道などについてまとめました。
この記事の目次
- 川嶋辰彦(紀子さま父親・小室眞子さん祖父)のプロフィール
- 川嶋辰彦の家系図
- 川嶋辰彦の家族① 父親は元高級官僚の川嶋孝彦
- 川嶋辰彦の家族② 母親は元大阪市長娘・川嶋紀子(かわしま・いとこ)
- 川嶋辰彦の家族③ 父方の祖父は元学習院教授の川嶋庄一郎
- 川嶋辰彦の家族④ 母方の祖父は元警察官僚で元大阪市長の池上四郎
- 川嶋辰彦の結婚した嫁は満州鉄道技術者の娘・和代さん
- 川嶋辰彦の子供① 長女は秋篠宮妃紀子さま
- 川嶋辰彦の子供② 長男は獣医で東京農業大学農学部准教授の川嶋舟さん
- 川嶋辰彦の孫① 小室眞子さん(秋篠宮家長女・眞子さま)
- 川嶋辰彦の孫② 秋篠宮家次女・佳子さま
- 川嶋辰彦の孫③ 秋篠宮家長男・悠仁さま
- 川嶋辰彦の自宅は都内のマンション
- 川嶋辰彦は韓国との関係が懸念された事も
- 川嶋辰彦が皇室に怒鳴り込みをかけたという噂もあった
- 川嶋辰彦の現在① 緊急入院が報じられる/持病が悪化も病名は非公表だった
- 川嶋辰彦の現在② 2021年11月4日に死去の報道…死因は「中皮腫」
- 川嶋辰彦の現在③ 2021年11月6日に自宅で家族葬
- まとめ
川嶋辰彦(紀子さま父親・小室眞子さん祖父)のプロフィール
川嶋辰彦のプロフィール
生年月日:1940年4月20日
没年月日:2021年11月4日
出身地:東京府東京市豊島区(現在の東京都豊島区)
川嶋辰彦さんは、秋篠宮家妃の紀子さまの実父で、現在小室圭さんとの結婚で話題を集めている小室眞子さん(秋篠宮家長女・眞子さま)の祖父にあたる人物です。
川嶋辰彦さんは、東京大学経済学部卒業、東京大学大学院経済学研究科修士課程修了、ペンシルベニア大学大学院博士課程修了の輝かしい学歴を持つ経済学者です。
これまでに、ペンシルベニア大学大学院専任講師、学習院大学経済学部教授、国際応用システム分析研究機構主任研究員、学習院大学東洋文化研究所長、学習院海外協力研修プログラムの企画・実施責任者などを歴任され、現在は学習院大学の名誉教授を務められていました。
そんな川嶋辰彦さんですが、2021年10月に緊急入院した事が報じられ、同年11月4日に逝去された事が報じられました。
今回はこの川嶋辰彦さんの華麗な家系図や家族、その他、話題になったエピソードなどを中心に紹介していきます。
川嶋辰彦の家系図
上は、川嶋辰彦さんの家系図です。
家系図を見ながら、川嶋辰彦さんの家族についてまとめていきます。
川嶋辰彦さんの父や母、祖父、結婚した嫁などの近しい家族についてはこの後の見出しで個別に紹介していきます。
ここでは先に、家系図を見ながらそれ以外の家族について簡単に触れておきます。
川嶋辰彦さんの弟(三男)の川嶋行彦さんは経営学者で、東京国際大学の教授です。また姉妹2人はそれぞれ大学教授に嫁いでおりの宮子さんの旦那さんは、白梅学園短大教授を務めた小菅茂雄さん、豊子さんの旦那さんは専修大学教授を務めた佐藤英一郎さんです。
川嶋辰彦さんの母方の池上家は武士の家系で、曽祖父の池上武輔は会津藩士でした。また、母方のもう1人の曽祖父・小菅智淵は、元々は幕臣の武士の出身で、戊辰戦争では幕府側として戦い、幕府滅亡後の新政府では帝国陸軍将校として活躍しました。工兵隊の創成者としても知られています。
また、家系図で川嶋辰彦さんの嫁の和代さんの家系を辿ると、和代さんの父親の杉本嘉助は満州鉄道の総局副参事の肩書を持つ幹部技術者でした。また、母親の栄子さんの父親の服部俊太郎も満州鉄道の機関区長を務めた技術系の幹部でした。
川嶋辰彦の家族① 父親は元高級官僚の川嶋孝彦
川嶋辰彦の父親・川嶋孝彦のプロフィール
生年月日:1897年2月23日
没年月日:1958年2月23日
出身地 :富山県富山市(本籍地は和歌山県)
続けて、上の家系図に記載した川嶋辰彦さんの家族について順番に見ていきます。
川嶋辰彦さんの父親の川嶋孝彦さんは、戦前から終戦後にかけて内閣統計局長として先進的な統計制度の導入をその時々の政府に働きかけ、戦後の統計制度改革の端緒を開いた高級官僚でした。
内閣統計局長を辞任後は、参議院人事委員会専門員や国会図書館専門調査員などを歴任され、1958年2月23日に61歳で亡くなられています。
川嶋辰彦の家族② 母親は元大阪市長娘・川嶋紀子(かわしま・いとこ)
川嶋辰彦の母親・川嶋紀子のプロフィール
生年 :1907年
没年月日:2002年12月10日
出身地 :大阪府大阪市
川嶋辰彦さんの母親は、紀子(いとこ)さんという方で、6代目大阪市長として知られる池上四郎の6女でした。
孫は秋篠宮妃の紀子(きこ)さまですが、紀子さまの名前は、この祖母のような女性になるようにとの願いによって名付けられたそうです。
川嶋紀子さんは、孫の秋篠宮紀子さまを深く愛されており、文仁親王との成婚の前には、皇室への畏敬に溢れた候文という伝統的な形式を用いた手紙を認められた事でも話題になりました。
趣味は絵画で、雲を題材にした美しい風景画を多数残されており、その作品を収蔵した「川嶋紀子雲の絵美術館」が山梨県北杜市で運営されています。
川嶋辰彦の家族③ 父方の祖父は元学習院教授の川嶋庄一郎
川嶋辰彦の父方祖父・川嶋庄一郎のプロフィール
生年月日:1870年4月14日
没年月日:1947年2月12日
出身地 :和歌山県有田郡山保田組板尾村(現在の有田川町)
川嶋辰彦さんの父方の祖父の川嶋庄一郎は、和歌山の農家の家に生まれますが、幼い頃から非常に優秀な人物だったようで、当時のエリートコースである東京高等師範学校を卒業されています。その学力優秀さが有力地主で資産家であった川嶋家の目に留まり、長女の志まと結婚して婿養子となり、跡取りとして迎えられています。
東京高等師範学校卒業後は、師範学校の教諭を経て、東京高等師範学校研究科を卒業して学習院教授に任命され、その後は、佐賀県と奈良県の師範学校校長を歴任。その後は地元の和歌山県に戻り、晩年まで教育者として公職に携わりました。
川嶋辰彦の家族④ 母方の祖父は元警察官僚で元大阪市長の池上四郎
川嶋辰彦の母方祖父・池上四郎のプロフィール
生年月日:1857年5月11日
没年月日:1929年4月4日
出身地 :陸奥国耶麻郡(現在の福島県会津若松市)
川嶋辰彦さんの母方の祖父は、6代目大阪市長として知られる池上四郎です。
川嶋辰彦さんの祖父の池上四郎は、会津藩士の池上武輔の息子として生まれ、会津戦争の時には、父や兄らと共に会津若松城に籠城しています。
明治政府確立後は、勉学に励んで警察組織に採用されて出世し、千葉県警察部長、兵庫県警察部長を経て、1900年に大阪府警察部長に就任しています。以降13年にわたって同市警察部長を務め、その清廉な性分と自ら現場に立って陣頭指揮をとる行動力で大阪市民からの信任を集め、1913年に大阪市長に就任しています。
その死後、その功績を讃える大阪市民によって銅像が建立されています。
川嶋辰彦の結婚した嫁は満州鉄道技術者の娘・和代さん
川嶋辰彦さんは東京大学経済学部在学時に知り合った和代さんと結婚されています。
川嶋辰彦さんの嫁の和代さんは、旧姓を杉本といい、父親は満州鉄道に務める技術者で、和代さんも幼い頃は満州国の奉天で育っています。
終戦後、中国人が技術者であった和代さんの父親の協力を求めたため、一家は現地にそのまましばらく残り、終戦から2年後の1947年にようやく日本へと戻って、その後は静岡県で育っています。
和子さんは帰国後、静岡英和女学院から、昭和女子大学短期大学部へと進学し、そこで、当時東大生であった川嶋辰彦さん出会い、数年間の交際を経て結婚されています。
川嶋辰彦と嫁の和代さんとの馴れ初めと結婚
川嶋辰彦さんは東京大学に在学されていた頃、駒場祭の費用を捻出するために、同級生らとともにダンスの講習会を主宰されており、その講習会に、当時、昭和女子大学短期大学部に在学中だった和代さんが生徒として訪れたのが馴れ初めになったそうです。
川嶋辰彦さんの嫁の和代さんは、短大を卒業後は地元の静岡へと戻り地元企業で働き始めていますが、その後も川嶋辰彦さんとの交際は続き、川嶋辰彦さんが東京大学大学院へと進んだ頃に結婚されています。当時、川嶋辰彦さんはまだ貧しい学生だったという事で、結婚式は会費制のささやかなものだったそうです。
川嶋辰彦の子供① 長女は秋篠宮妃紀子さま
川嶋辰彦の長女・秋篠宮紀子さまのプロフィール
生年月日:1966年9月11日
出生地 :静岡県静岡市駿河区
出身地 :アメリカ・ペンシルベニア州
ここまででも触れていますが、川嶋辰彦さんの子供(長女)は、秋篠宮妃の紀子さまです。
紀子さまは、川嶋辰彦さんが東京大学大学院の経済学研究科修士課程を修了した1966年に誕生されています。
その後、川嶋辰彦さんはアメリカのペンシルベニア大学へと留学されたため、紀子さまも家族でアメリカのペンシルベニアへと渡り、同地で6歳まで過ごされています。
紀子さまは、その後も父親の川嶋辰彦さんの仕事の都合でオーストリアにも渡られ、そこで英語やドイツ語を習得されています。
1979年に帰国後、学習院女子中等科に編入学し、学習院女子高等科を経て、1985年に学習院大学文学部心理学科へと入学し、この頃に同大学の1年先輩だった秋篠宮文仁さまと出会われています。
そして、1990年6月29日に、紀子さまと秋篠宮文仁さまは正式に結婚されました。
川嶋辰彦の子供② 長男は獣医で東京農業大学農学部准教授の川嶋舟さん
川嶋辰彦さんの2人目の子供は長男の川嶋舟(しゅう)さんです。
川嶋舟さんは、東京大学大学院の農学生命科学研究科獣医学専攻の博士課程を修了された獣医師で、現在は東京農業大学の農学部の准教授を務められています。
福島県いわき市で獣医として働かれているときに知り合ったという、相馬中村神社の宮司の長女で禰宜を務める田代麻紗美さんという方と結婚され、子供1人(川嶋辰彦さんにとって孫)に恵まれていますが、2012年11月に離婚されています。
川嶋辰彦の孫① 小室眞子さん(秋篠宮家長女・眞子さま)
川嶋辰彦の孫・小室眞子さんのプロフィール
生年月日:1991年10月23日
出生地 :東京都千代田区千代田皇居・宮内庁病院
川嶋辰彦さんの孫については、今更いうまでもありませんが、秋篠宮家に嫁がれた紀子さまの3人の子供達がいます。
川嶋辰彦さんの孫の1人、小室眞子さんは、秋篠宮家の長女で、2021年10月に法律事務所に勤める一般男性の小室圭さんと結婚された事で現在話題になっています。
学習院女子高等科を卒業後に国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科へと進学され、小室圭さんとはこの大学時代に知り合われたようです。
川嶋辰彦の孫② 秋篠宮家次女・佳子さま
川嶋辰彦の孫・秋篠宮佳子さまのプロフィール
生年月日:1994年12月29日
出生地 :東京都千代田区千代田皇居・宮内庁病院
川嶋辰彦さんの孫の1人、佳子さまは秋篠宮家の次女で、
学習院大学文学部教育学科へと入学されましたが、中途退学されて、姉の小室眞子さんと同じ国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科へと改めて入学されています。
大学卒業後の2021年5月からは、 一般財団法人全日本ろうあ連盟の非常勤嘱託職員として勤められています。また、結婚されて皇籍を離れた姉の小室眞子さんから引き継ぐ形で、同年10月からは日本テニス協会名誉総裁に就任されています。
川嶋辰彦の孫③ 秋篠宮家長男・悠仁さま
川嶋辰彦の孫・秋篠宮悠仁さまのプロフィール
生年月日:2006年9月6日
出生地 :東京都港区南麻布・愛育病院
川嶋辰彦さんの孫の1人、秋篠宮悠仁(ひさひと)さまは、秋篠宮家の長男です。
2021年11月の現在はお茶の水女子大学附属中学校に3年生として在籍されています。茶の水女子大学には共学の附属高校はないため2022年4月からどこの高校へ進学するのかにも注目が集まっています。
川嶋辰彦の自宅は都内のマンション
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川嶋辰彦さんの自宅についても見ていきます。
1990年に子供の紀子さまが秋篠宮家へと嫁いだ当時、川嶋辰彦さんは学習院大学の教授として、学習院大学の職員用の宿舎アパート「学習院第5共同住宅」に、嫁の和代さん、子供の紀子さまと舟さんの家族4人で住われていました。
この当時の川嶋辰彦さん一家の自宅だった学習院共同住宅は家賃3万3千円の3LDKの質素な住まいだった事から、紀子さまが秋篠宮文仁さまとご婚約された際には、紀子さまは「3LDKのプリンセス」、「現代のシンデレラ」などと報じられました。
秋篠宮ご夫妻が結婚した1990年当時、学習院大の教職員用共同住宅に住んでいたため、紀子さまは「3LDKのプリンセス」などと呼ばれた。
ただ、現在は当時の川嶋辰彦さんの自宅だった学習院第5共同住宅は既に取り壊されています。
川嶋辰彦さんの現在の自宅については、2021年9月の週刊女性の記事から、「都内のマンション」である事がわかっています。
週刊女性は紀子さまのご両親が暮らす都内のマンションを訪れた。
この、現在の川嶋辰彦さんの自宅の都内のマンションですが、川嶋辰彦さんが代表を務めていたNPO「草の根国際協力研修プログラム」の事務所マンションが東京都千代田区のマンションとされている事などから、自宅マンションの場所は皇居に近い千代田区内ではないかと噂されています。
川嶋辰彦は韓国との関係が懸念された事も
紀子さまの父親として知られ皇室と連なる存在であった川嶋辰彦さんですが、過去には週刊誌報道などで韓国との関係が懸念された事もありました。
週刊新潮など、一部週刊誌などの報道によれば、川嶋辰彦さんは、新潟県上越市でパチンコチェーン「三井企画」を経営する三井慶昭社長と親密な関係にあるという事でしたが、この三井慶昭社長の本名は「金慶昭」で、いわゆる在日韓国人の方だと言われています。
川嶋辰彦さんはこの三井慶昭社長と、2人で韓国を訪れていた事もあるようで、皇室利用につながるのではないかとの懸念が宮内庁に広がっているとの報道も一部から出ていました。
また、このルーツが韓国だという三井慶昭社長が、自身が役員として在籍する在日本大韓民国民団新潟県本部の総会で、他の役員と言い争いになり、激昂して暴力事件を起こし警察沙汰になったとの内容も報じられています。
三井社長が身を置く在日本大韓民国民団新潟県本部の関係者は、5年前にあった総会で、三井社長が他の役員と言い争いになった“事件”をこう振り返る。
「激高した三井さんがテーブルを越えて足を振り上げ、その役員を蹴ってけがを負わせたとして、役員から被害届が出されたのです」
また、川嶋辰彦さんと韓国がらみの騒動といえば、2007年6月に発覚した「朝鮮総連本部ビル売却問題」で名前の上がった最福寺住職の池口恵観と、川嶋辰彦さんが密会していたとの報道が出た事がありました。
これも実は、在日韓国人の三井慶昭社長が経営する三井企画が関連しているとも書かれています。
川嶋氏の交遊をめぐっては、朝鮮総連本部ビル売却問題で名の挙がった池口恵観氏と川嶋氏の密会が、2008年に報じられたこともあった。この2人を結びつけたのも、三井企画の古参役員とされる。
川嶋辰彦が皇室に怒鳴り込みをかけたという噂もあった
川嶋辰彦さんは韓国に関わる事以外にも、過去には色々と問題行動が噂されてました。
紀子さまが秋篠宮家へと嫁がれて6年目の1996年、週刊新潮が川嶋辰彦さんが皇室に怒鳴り込みをかけたという衝撃的な内容を報じました。
当時の記事によると、この怒鳴り込みの発端となったのは、その年の4月に秋篠宮文仁さまにはタイに愛人がいるとの疑惑が週刊誌で報じられた事だったそうです。
女性誌などはさらに踏み込んで、皇室に近い人の声として、タイを再三訪問されるのは、「現地に親しい女性がいるから」と紹介。「紀子さま、ご心痛」とまで、話は広がったのである。「秋篠宮さまは、リアクションの大きさが相当こたえたようですよ。皇宮警察の若い警官に、記事が出ていた新聞や週刊誌をわざわざ買ってこさせて、お読みになったほどです」と、宮内庁担当記者。
こうした記事が複数の週刊誌などで報じられた事で、1996年4月に川嶋辰彦さんは1人で皇居を訪れ、秋篠宮さまの女性関係を問いただすために怒鳴り込みをかけたのだそうです。
ただ、当時、秋篠宮文仁さまを取材していたという現地のジャーナリストによれば、「女性の影は見えなかった」との事で、そもそも愛人疑惑自体の信憑性が低いようです。
現地ジャーナリストによるとこの間、「女性と言えば、タイ外務省の通訳(写真右端)がついただけで、“親しそうな女性”の影すら見えなかった」
また、実は川嶋辰彦さんは紀子さまと秋篠宮文仁さまが結婚される前にも、皇室に怒鳴り込みをかけたとも言われています。
皇室ジャーナリストの江守敬治さんの著作「秋篠宮さま」によれば、結婚前に紀子さまは秋篠宮文仁さまの子供を中絶しており、それに怒った川嶋辰彦さんが「娘をどうしてくれる」と怒鳴り込みをかけ、当時の天皇陛下が渋々結婚をお許しになられたのだとか。
全て真実かどうかは分かりませんが、いくつかの週刊誌や書籍「秋篠宮さま」に、川嶋辰彦さんが何度か皇室に怒鳴り込みをかけた事が書かれている事は確かです。
川嶋辰彦の現在① 緊急入院が報じられる/持病が悪化も病名は非公表だった
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川嶋辰彦さんは2021年11月現在は81歳を迎えられていましたが、同年10月19日に東京都内の病院に緊急入院した事が報じられていました。
同26日には、小室眞子さんが結婚した小室圭さんと共に、川嶋辰彦さんの入院先の病院をお見舞いに訪れたとの報道もされていました。
26日に結婚した秋篠宮家の長女眞子さん(30)と小室圭さん(30)が29日夕方、祖父川嶋辰彦さん(81)が入院中の都内の病院に見舞いに訪れた。川嶋さんは眞子さんの母秋篠宮妃紀子さまの父。今月19日に体調を崩して緊急入院していた。小室さんが川嶋さんの見舞いに訪れたのは初めてとなる。
川嶋辰彦さんの容態について「以前からの持病が悪化した」という報道がありました。
現在の病状はわからず、以前からの持病が悪化したとも言われています。
川嶋辰彦の現在② 2021年11月4日に死去の報道…死因は「中皮腫」
緊急入院が報じられていた川嶋辰彦さんでしたが、2021年11月4日の11時55分に、入院先の東京都中央区の病院で亡くなられた事が報道されました。享年は81歳でした。
秋篠宮妃紀子さまの父で学習院大学名誉教授の川嶋辰彦(かわしま・たつひこ)氏が11月4日午前11時55分、東京都内の病院で死去した。81歳だった。
川嶋辰彦さんの死因について、11月5日に宮内庁が「中皮腫」(中皮細胞から発生した癌のこと)と公表しています。また、入院先は「聖路加国際病院」であったようです。
紀子さまの父で学習院大学名誉教授の川嶋辰彦さんは、4日午前11時55分、聖路加国際病院で亡くなりましたが、宮内庁は5日、死因が「中皮腫」だったことを明らかにしました。
また、葬儀は故人の遺志により、ごく近い親族のみの家族葬で行い、6日夕方、秋篠宮ご夫妻や、佳子さま、悠仁さま、ご一家が川嶋邸を訪問されるということです。
川嶋辰彦の現在③ 2021年11月6日に自宅で家族葬
川嶋辰彦さんの葬儀について、死去から2日後の2021年11月6日に川嶋辰彦さんの自宅で家族葬が執り行われ、秋篠宮さま、紀子さま、佳子さま、悠仁さま、眞子さんと夫の小室圭さんが参列されました。
秋篠宮妃紀子さまの父で学習院大学名誉教授の川嶋辰彦さんが11月4日、中皮腫のため亡くなった。81歳だった。同6日には、川嶋さんの自宅で家族葬が執り行われ、秋篠宮さま、紀子さま、佳子さま、悠仁さまが参列された。また、10月26日に結婚された川嶋さんの孫である小室眞子さんと夫の圭さんも参列した。
まとめ
今回は、秋篠宮妃紀子さまの父親で、小室眞子さんの祖父としても注目されていた経済学者の川嶋辰彦さんについてまとめてみました。
川嶋辰彦さんの家系図は、会津藩士と高級官僚の家系で、家族としては父親に内閣統計局長を務めた川嶋孝彦、母方の祖父に6代目大阪市長の池上四郎などが知られています。
結婚した嫁の和代さんは満州鉄道の技術者を務めていた父親のもとに生まれ、帰国後に川嶋辰彦さんと結婚され、子供の紀子さまを儲けられています。
孫は、紀子さまの子供である、眞子さま、佳子さま、悠仁さまがいます。また、長男の川嶋舟さんにも子供がいるので、少なくとも4人の孫がいる事になります。
紀子さまが秋篠宮家に嫁がれたことで、皇室に連なる存在だった川嶋辰彦さんですが、過去には皇室への怒鳴り込みや韓国との関係などが取り沙汰された事もありました。
そんな川嶋辰彦さんでしたが、現在、2021年11月4日に81歳で亡くなられた事が報じられており、死因は「中皮腫」であったそうです。