そのまんま東として活躍していた東国原英夫さんはタレント・政治家・芸人などさまざまな肩書きを持ちますが、他にも3回もの結婚をしているのをご存知ですか。
この記事では、東国原英夫さんの結婚・離婚歴を当時の嫁や出来事とともにまとめています。
東国原英夫のプロフィール
名前:東国原英夫(ひがしこくばるひでお)
別名義:そのまんま東
出身地:宮崎県都城市
生年月日:1957年9月16日
出身高校:宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校
出身大学:専修大学経済学部経済学科卒業、早稲田大学第二文学部社会人間系専修卒業
所属政党:無所属→日本維新の会→無所属(現在)
東国原英夫さんは、たけし軍団の芸人「そのまんま東」として活動後、宮崎県都知事・衆議院議員を務めてきた政治家でもあります。
1982年にデビュー以降、長らくそのまんま東として芸能界をフィールドに活躍してきた東国原英夫さんですが、2007年に師であるビートたけしさんの許しを得て(この時師弟関係を一度解消)、宮崎県知事に立候補し当選、この時から本名に改めて政治家として活動し始めます。
その後は、宮崎県知事を2011年1月20日の任期満了に伴い辞職し、その3ヶ月後には都知事選に立候補しますが、当時の石原都知事に圧倒的な差(90万票差)をつけられ落選。
2012年12月の衆議院総選挙に、日本維新の会から出馬し当選していますが、2013年12月には党の変容を指摘し、それが受け入れられなかったことから離脱、議員辞職も同時に行っています。
現在は東国原英夫名義のまま、テレビなどに多数出演しています。
東国原英夫の1回目の結婚・離婚(元嫁:片平夏貴さん)
東国原英夫さんの1回目の結婚相手は、片平夏貴さんです。
1985年に結婚し1989年に離婚しています。二人の間には一人の子供がいますが、離婚後は片平夏貴さんが引き取って育てました。
片平夏貴
芸名:片平夏貴(かたひらなつき)
別名義:片平みきよ(結婚前)/東みきよ(結婚後)
(※現在の芸名は、離婚後から)
本名:片平貴美代
出身地:宮崎県えびの市
生年月日:1961年12月10日
職業:フリーアナウンサー・タレント
二人の馴れ初めは、片平夏貴さんがビートたけしさんのファンで、たけしさんもいるドラマで共演したことからです。
師匠であるビートたけしの追っかけだった女性と結婚していた事実を公表した。
この日は作品にちなみ、自身の秘密を告白することになった東国原氏。「隠していたわけではない」が、これまであまり触れてこなかった、「1番目の奥さん」について告白した。
この日のイベントでは、「今はお幸せに暮らしているので」と実名もイニシャルにも言及するのは避けたが、お相手はフリーアナウンサーやタレントとして活動していたKさん。たけしと共に出演したドラマでの共演をきっかけに知り合い、結婚した。
片平夏樹さんとの婚姻期間中に、東国原英夫さんは事件を起こしています。
たけし軍団が1986年に講談社を襲撃した、「フライデー襲撃事件」です。
これは、ビートたけしさんの交際相手(当時)に対する過剰取材への抗議の襲撃でした。
東国原英夫さんは、襲撃の際、一番最後にエレベーターに乗ったため出る時には先頭になってしまい、当時「先陣を切る東」と報じられています。(ただ、この襲撃にはあまり乗り気ではなかったと後々告白。)
フライデー襲撃事件後は、半年間の芸能活動の自粛を経て復帰していますが、その間に東国原英夫さんは「ビートたけし殺人事件」という推理小説を執筆しており、これがドラマ化もされます。
このドラマに出演した女優に後の再婚相手となるかとうかず子さんも出演しており、片平夏貴さんとの離婚のきっかけには、彼女の存在があったと言われています。
ただ離婚理由については、東国原英夫さん自身は以下のように述べています。
新婚生活は、たけし軍団がフライデーに殴り込んだ1986年のフライデー襲撃事件でヒビが入っていったという。
たけしから電話で呼び出され、妻に「『ちょっと行ってくるね』と言って知らずに出かけたのがフライデーだった。そこから4、5カ月帰らず、(家に)帰ったら荷物がなかった」と当時を振り返った。
さらに決定打となったのは、謹慎明けの88年に、小説「ビートたけし殺人事件」を出版したこと。「見たことのない印税が入って、遊びまくって、また家(うち)に帰らなくなった」と離婚に至った理由を赤裸々に告白。「若気の至りです」と反省していた。
どちらにしろ、色々苦労かけていたようですね・・・。
その後、片平夏貴さんは力士の舞の海秀平さんとの熱愛も報じられましたが、結婚せず独身のままだと見られています。
東国原英夫の2回目の結婚・離婚(元嫁:かとうかず子さん)
片平夏貴さんとの離婚後、翌年1990年に再婚したのが、2回目の結婚相手かとうかず子さんです。1990年に結婚し2006年に離婚しています。
二人の間には、1990年に男児、1993年に女児が誕生しており、離婚後はかとうかず子さんが親権を持ちました。
かとうかず子
芸名:かとうかず子
別名義:かとうかずこ
本名:加藤 和子
出身地:愛知県名古屋市
生年月日:1958年2月20日
職業:女優
かとうかず子さんと東国原英夫さんとの出会いは、やはり「ビートたけし殺人事件」での共演です。
2人は、89年1月放送のドラマ「ビートたけし殺人事件」(TBS)の共演で出会い、東の猛アタックが功を奏して交際に発展。翌年3月にゴールインした。
東国原英夫さんは、かとうかず子さんとの婚姻期間中もさまざまな問題を起こしています。
1997年に後輩男性の頭部を殴り怪我をさせたとして1999年に傷害容疑で書類送検、1998年にはイメクラの未成年女性との淫行問題が発覚し警察からの事情聴取を受けています。
さまざまな不祥事を起こし、旦那さんが芸能活動を謹慎したり、その間の早稲田大学入学があったりとしている最中には、かとうかず子さんが家計を支えたと言います。
度重なる苦労をかけられていたかとうかず子さんが何故離婚しないのか、と周りにも見られていましたが、遂に2006年の東国原英夫さんの政界進出を機に離婚します。
「政界進出という東の夢についていけなかった」と説明した。東は故郷宮崎県の知事選出馬に意欲をみせているとされるが、かとうは「私は九州に行くことは選べませんでした」と、結婚生活16年目の別離を決断したという。
「50歳になろうという人がやりたい分野で戦おうと思ったら、やったらいいと思います」と政界進出に理解を示しながらも「一生懸命変わっていく彼を友達として応援できても(妻としては)手伝えない。一緒にやれたらベストだったのかもしれないですけど、九州に行くことは選べませんでした」と打ち明けた。
慰謝料、かとうが親権を持つ子供2人(15歳長男と12歳長女)の養育費はもらわないという。「これから女優として働かないといけない」と覚悟をみせ、最後には「自分の夢に向かって頑張ってください」と東にエールを送っていた。
かとうかず子さんも、東国原英夫さんとの離婚後は独身のままです。
東国原英夫の3回目の結婚(現嫁:春香さん)
かとうかずこさんとの離婚後は、たびたび復縁したいと漏らしていた東国原英夫さん。
しかし、3度目の結婚を2014年9月16日に発表しています。お相手はかとうかず子さんではなく、20歳年下の一般女性です。
東国原さんは、現在の嫁が林家パー子さんの若い頃に似ていると言っていましたが、どうでしょうか。画像をご紹介します。
名前:春香(はるか)
生年:1977年
嫁の春香さんの詳細プロフィール
1977年長崎県(彼女の母の実家)生まれ、その後、彼女の父(宮崎県串間市出身)の転勤により富山県富山市に移住。
同市内の小中学校を卒業、富山中部高校からお茶の水女子大学進学。同大学卒業後一般企業に就職。若い頃には、アルバイトでモデルの仕事をやっていたらしい。
約10年前、彼女の父親が故郷である宮崎にUターンする際に彼女も宮崎に帰省し両親と同居。
2008年~2009年にかけて、宮崎県庁や宮崎市役所等に非常勤(22条職員)として勤務。その後、医療関係事務等を経て現在家事手伝い。
引用:入籍の報告
東国原英夫さんは、春香さんと2011年の都知事選落選後の激励会で出会い、その後、自身の母親の介護を通じて結婚を決意したと言っています。
母は当時、要介護3の状態でかつ高齢なこともあり、病気は中々治癒・完治しませんでした。その間、彼女は実に献身的かつ甲斐甲斐しく、母を看病・介護してくれました。その姿に、感謝・感動・胸を打たれ、「この人と一緒にいれたらな~」と思いました。
私も50代後半となり、今後の人生(老後の人生)等を真剣に考える時期になり、将来不安(独居や介護、孤独死等)は、社会問題だけでなく、身近な問題として考えざるを得なくなりました。そういう要因もあり、結果的に結婚を決意しました。
プロポーズの言葉は、彼女が母の介護をしてくれているとき、耳元で「将来、僕の介護もしてくれないか?」と頼んでみたら、「はい、喜んで」と返事が返って来ました。
私は、結婚つまりプロポーズの言葉として「介護してくれないか」と言ったつもりだったのですが、介護職員初任者研修資格を有する彼女は、「ただ単に介護をして欲しい」と思っていたらしいです(笑)
その後の言葉は「僕が死ぬとき、最後に目を閉じるとき、君の顔を最後の映像にしたい」。
引用:入籍の報告
結婚する前から相手の母親の介護をしてくれるなんて、かなり出来た人・・・なのでしょうか。
東国原英夫さんは、結婚発表後の2015年1月5日に放送された「私の何がイケないの?」に夫婦揃って出演し、自身の親の介護問題や新妻の春香さんへの要求が度が過ぎているとして、ものすごく批判されています。
嫁の春香さんは、東国原英夫さんの母親であるタミさんのために週2回義実家に通い介護していますが、当の息子は東京拠点にタレント活動し、帰っても介護はしないそうです。
春香さんが週に2回、鹿児島県曽於市から車で1時間半かけて東国原氏の実家に通い、介護を行っている。春香さんは学校にも通って介護の資格も取得。人の手を借りなければ歩けないタミさんに代わりに、数日分持つ食事を用意したり、タミさんの体を拭いたり、脚をマッサージしたりするなど、まめまめしく対応する。しかしタミさんは認知症も始まっており、春香さんの名前を忘れることもある状態だ。
一方で、東京を拠点としてタレント活動を続ける東国原氏。春香さんとは別居婚状態で、月の半分だけ地元に戻る。ところが、親に顔を見せるのは4カ月に1度程度で、親の体には「恥ずかしくて触れない」と顔をしかめる。
その上、嫁の春香さんに対して東国原英夫さんが家に帰る時には和服で迎える事など、過度な要求をしています。
東国原氏が夕食は午後8時ぴったりと決めていて「(8時を)過ぎると『まだか』と怒る」ことや、自宅では着物を着るように言われていること、ポテトサラダのハムのサイズまで「0・8センチ×2・0センチ」と決めていることなど、亭主関白ぶりが明かされ、スタジオの女性ゲストからはブーイングの嵐となっていた。
春香さんは、「私の何がイケないの?」のスタジオに和服で登場し「高級クラブのホステス?」などとも見られてしまいましたが、そんな事情もあったようです。
これはただの亭主関白という言葉で片付けられるものでもないと思いますが・・・。
ネットでも東国原英夫さんに対する批判が、放送から1年たった今も続きます。
東国原が、立派知事だったかはわからんが、自分の痴呆症の母親を嫁に全部面倒を看させて、その嫁さんに感謝の意も示さない貴方を私は、人として?だと思う。
— トラトラ (@toransendo1242) 2016年5月19日
東国原は殆ど嫁に面倒掛けてるのに、介護を語るな。
— Foukiko (@peonia90) 2016年4月17日
自らの口で親の世話するのはイヤだって言ってたじゃないか。
悪気もなく嫁に任せっきりで、語る資格は無い。
もしかしたら、嫁と言う名のプロ介護士兼家政婦なのか⁉︎
まとめ
東国原英夫さんの元妻であるかとうかず子さんは、現嫁の春香さんに対して、こんな言葉を投げかけています。
9月に再々婚したばかりの元夫に対してコメントを求められると「お幸せに!」とサラリ。「私はもう十分経験させていただきました」と、次はあなたの番だと言わんばかりに新妻へ“エール”を送った。
もう二度と自分は、そこには戻りたくないと言わんばかりの言葉です。
人間そうそう変わるものでもありませんので、かとうかず子さんもかなり苦労したのかもしれません。
東国原英夫さんは、2回離婚し3回も結婚をしているので、女性にモテる何かを持っているのかもしれませんが、これまでの結婚・離婚の流れを見ていると、家族というよりも自分のやりたいことに正直すぎる男性のように思えます。
大いなる目標を持つ男性は確かにモテそうですが、周りの女性にしたら1,2度ならまだしも、それが続くと大変な苦労を伴いそうです。