低身長で喜劇役者として活躍していた白木みのるさん。若い人にはあまりなじみがないかもしれませんが、白木みのるさんが亡くなっていたことが判明しました。
白木みのるさんのプロフィールや身長・性別・年齢、なぜ小さいのか?小人症の噂、家族や経歴、藤田まことさんとの絶交の理由、死去と死因などをまとめました。
この記事の目次
白木みのるは低身長の俳優
出典:twitter.com
白木みのる
生年月日:1934年5月6日
没年月日:2020年12月16日
出身:島根県八束郡八束村(大根島)
身長:140cm
所属:吉本興業
活動:喜劇俳優
白木みのるさんは低身長の喜劇俳優です。
1950年代からテレビで活躍し、1960年代にはテレビコメディーの「てなもんや三度笠」に藤田まことさんの相棒の珍念役で出演してお茶の間の人気者になりました。
低身長と美声が特徴で、明るいキャラクターで喜劇役者として長年活躍していました。
白木みのるの身長や性別・年齢
白木みのるさんの身長や性別、年齢を見ていきましょう。
白木みのるの身長
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白木みのるさんの身長は140cmです。日本人の成人男性の平均身長は171.6cmですので、かなり身長が低かったことがわかります。
しかも、後述しますが、白木みのるさんを全国区にした『てなもんや三度笠』に出演していた時は、身長が140cmよりも小さかった可能性が高いです。
『てなもんや三度笠』に出演した時は、白木みのるさんは28歳でしたが、身長が140cm以下だったら、子役に間違われるのも仕方がないかもしれません。
白木みのるの性別
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白木みのるさんの性別は男性です。ただ、女性に間違われることがありました。なぜなら、白木みのるさんは身長が低いだけでなく、声が高かったからです。
成人男性とは思えないくらい声が高く美声で、しかも身長が低かったために、男性と思われることがなく、女性と思われることが多かったようです。
しかも、お顔立ちも丸顔で女性的ですよね。白木みのるさんは女優の藤田弓子さんや芸人のやす子さんに似ていると言われています。
だから、女性に間違われることもありました。ただ、白木みのるさんは正真正銘の男性です。
白木みのるの年齢
白木みのるさんは1934年生まれです。前述のように『てなもんや三度笠』がスタートした1962年には28歳になっていました。
『てなもんや三度笠』では、白木みのるさんは藤田まことさんの相棒として出演していましたが、白木みのるさんと藤田まことさんの年齢が同い年か否か問題が発生しました。
2019年に『てなもんや三度笠』のディレクターだった澤田隆治さんが、白木みのるさんは澤田隆治さんと藤田まことさんと同い年であると発言しています。
しかし、白木みのるさんは1934年5月6日生まれ、藤田まことさんは1933年4月13日生まれですので、実際は白木さんが藤田さんの1歳年下になります。
ただ、白木みのるさんが藤田まことさんと同い年だと勘違いしていたわけではありません。
白木みのるはなぜ小さい?小人症?
白木みのるさんは身長が140cmでした。成人男性の平均身長171.6cmと比べると、かなり小さいですよね。白木みのるさん小人症という噂もあります。
白木みのるさんはなぜ小さいのか?小人症なのか?を見ていきましょう。
白木みのるは小人症
白木みのるさんは小人症です。小人症とは、顕著な低身長を示す病態のことで、関西医科大学香里病院のホームページには低身長(小人症)は次のように定義されています。
低身長(成長障害)とは同性同年齢の子どもの平均身長と比べて、身長が低い、あるいは成長の速度が遅い場合をいいます。
確かに、白木みのるさんは身長140cmですから、同性・同年齢の人と比べると、著しく身長が低いと言えます。Wikipediaの小人症の「小人症の著名人」の欄にも、白木みのるさんの名前が挙がっています。
このことから白木みのるさんは小人症であったことは間違いないと思います。
白木みのるはなぜ小さい?
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白木みのるさんは、なぜ小さいのでしょうか?白木みのるさんがなぜ小さいのか?その理由は明らかにされていません。ただ、白木みのるさんを小人症と仮定すると、なぜ小さいのかを推測することができます。
小人症の原因には、次のようなものがあります。
・特発性低身長
・胎内発育不全性低身長
・成長ホルモン分泌不全性低身長症
・染色体異常、骨の病気、その他病気が原因による低身長
白木みのるさんは身長が低いだけでなく、声が高いことも特徴でした。成人男性でも声が高い人はいますが、白木みのるさんの場合は声変りをしなかった。つまり、第二次性徴を迎えなかった可能性が高いです。
また、吉本新喜劇の舞台に出たり、健康で過ごされていたことなどからも、白木みのるさんの低身長の原因は成長ホルモン分泌不全によるものと思われます。
成長ホルモン分泌不全だと、低身長になりますし、さらに第二次性徴にも影響が出てきます。
また、インターネット上では、白木みのるさんは幼い頃に頭を打ったから、成長ホルモン分泌不全が起こったという情報もあります。
小さい頃、頭を打ってから成長が止まったみのる。だから、ヘルメットをプレゼントとはみのるの提案だろう。
この情報はどこまで本当かどうかがわからないので、真偽は不明ですが、当時は現代のように成長ホルモンを投与して身長を伸ばす(成長を促す)という治療法もなかったでしょうから、白木みのるさんは身長が伸びないまま大人になったと思われます。
白木みのるは大人になってから身長が伸びた?
白木みのるさんは大人になってから身長が伸びた可能性があります。というのも、『てなもんや三度笠』に出演していた時の身長と、年齢を重ねて70代になってからの身長は違うように見えるからです。
実際に画像で白木みのるさんの身長を比較してみましょう。「てなもんや三度笠」の時の画像を見ると、白木みのるさんは藤田まことさんの胸くらいしか身長がありません。藤田まことさんの身長174cmですから、白木みのるさんの身長は120cmないくらいのように見えます。
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次に、2007年に白木みのるさんが藤田まことさんと共演した時の写真を見てみましょう。白木みのるさんは藤田まことさんの肩くらいまで身長があるように見えます。
この時、もしかしたら白木みのるさんは何か台に乗っていた可能性はありますが、それにしても「てなもんや三度笠」の時よりも、身長が伸びたように見えますよね。
実際にこんな記事もありました。
当時は身長が110センチほどと非常に小柄で、ニックネームは「ベイビー」。ときには子役と間違えられるほどだったが、藤田まことさんや財津一郎(88)らと絶妙な掛け合いを見せ、人気を博した。
どうやら、白木みのるさんは歩いて身長が伸びたようです。
現代と同じ講談社で発行している「月刊健康ウォーキング」という雑誌の記事だったんですが、そこにこんな見出しが躍っていたんです。
「腰痛が消え、背が30センチ伸びた俳優・白木みのるさん『毎日歩けば奇跡が起こる』」
なんと!? 白木さん、背が30センチも伸びていたんですか?
もちろん、歩いただけでなく、成長ホルモンを注射したり、そのほかの治療をしたのだと思いますが、大人になってから身長が30cm伸びたのはすごいですよね。
白木みのるの家族
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白木みのるさんは4人家族で育ちました。
昭和35年の「週刊平凡」 に白木みのるさんの家族写真がありました。
・父親
・母親
・白木みのる
・弟
写真を見る限り、父親と母親はごく普通の身長をしています。昭和35年(1960年)時点で、白木みのるさんの年齢は26歳です。弟さんの年齢はわかりませんが、晩年の白木みのるさんの面倒は弟さん夫婦が看ていたという情報がありますので、白木みのるさんとは年齢が離れた兄弟だったのかなと思います。
そうでないと、この写真で弟さんも小人症の可能性が出てきてしまいます。ただ弟さんの顔つきを見る限り、小人症ではなく、本当の子供っぽさがありますので、年齢が15歳くらい離れた弟さんなのかもしれません
白木みのるの経歴
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生い立ち~芸能界入りまで
白木みのるさんは1934年に島根県八束郡八束村に生まれましたが、父親の仕事の関係で日本と満州を往復する生活で、子供の頃は小柄な体を生かせる騎手を目指しましたが挫折しています。
しかし、中学時代からその美声を買われて、地元の山陰地方を中心に、流しのミュージシャンと一緒に歌謡ショーに出演していました。その後、地方ドサ回りをしている歌謡劇団にスカウトされ、近畿地方を中心に巡業し、代役として大阪のキャバレーにも出演していました。
その時、大阪劇場の支配人に才能を見出されて、「ミサイル小僧」という芸名で、大阪劇場の専属歌手になります。この頃に、白木みのるさんは芸名をいろいろと変えていて、「少年田端」「十勝一男」「十代一夫」「ミサイル小僧」「正司彰夫」などの芸名を持っていました。
白木みのるさんは23歳の時(1957年)、吉本興業にスカウトされました。この時、自分で「白木みのる」という芸名を考えて、これ以降は「白木みのる」として活動します。
1959年からはミヤコ蝶々の「あっぱれ蝶助無茶修業」のレギュラーになります。これをきっかけに、白木みのるさんはミヤコ蝶々さんの弟子になりました。さらに1961年からは「スチャラカ社員」のレギュラーとなり、人気となります。一時期松竹芸能への移籍の話がありましたが、病気で入院したために、移籍話はなくなり、吉本興業に残ることになりました。
『てなもんや三度笠』で大ブレイク
そして、白木みのるさんを全国区の有名喜劇俳優にしたのが、テレビコメディーの『てなもんや三度笠』です。白木みのるさんは珍念役で出演し、藤田まことさん・財津一郎さんと絶妙な掛け合いを展開し、『てなもんや三度笠』は最高視聴率64・8%を記録する超人気番組となりました。
この活躍で映画やCMなどにもたくさん出演するようになっています。この頃は、西川きよしさんを付き人にしていて、弟子には青芝フックさん、石倉三郎さん、室谷信雄さんらがいました。このメンツを見るだけでも、当時の白木みのるさんの人気がすごいことがわかります。
それ以降の活躍
「てなもんや三度笠」で大ブレイクした白木みのるさんは、吉本新喜劇にも300本以上出演しましたが、「てなもんや三度笠」が終了すると、吉本興業を退所して、1975年には松竹新喜劇座を立ち上げます。
また、テレビよりも舞台への出演にシフトし、島倉千代子さんや三波春夫さんの舞台に出演したり、北島三郎さんの歌謡ショーにも出演し、1年のうち160日間は北島三郎さんの特別講演の舞台に立っていて、それを30年以上続けていました。
その他、次のような芸能活動をしています。
・キングジム「テプラ」のCM
・Mr.ChildrenのアルバムのCM
・NHKの朝ドラ「てるてる家族」
・トリック2
・テルマエロマエⅡ
2014年のテルマエロマエⅡに出演以降は、芸能活動はされていません。
白木みのるはNHKと大喧嘩
白木みのるさんは、NHKと大喧嘩していたことで有名です。
「てなもんや三度笠」で大人気となった白木みのるさんでしたが、民放のテレビ番組には多数出演していても、NHKに出演することはありませんでした。その理由は、NHKが白木みのるさんの出演を許さなかったからです。
NHKは「白木が出ると視聴者に不快感を与える」という理由で、白木さんへの出演オファーを出さなかったのです。おそらく、白木みのるさんは低身長だったため、NHKは障害者だと思ったのでしょう。だから、「不快感を与える」として出演を許しませんでした。これ、今考えると完全な差別ですよね・・・。
これを知った白木さんは激怒し、NHKの受診料を払わなかったほか、自宅のテレビでNHKが見られないようにするために、電気屋さんを読んで自宅のテレビでNHKのチャンネルを削らせたとのことです。ここまで徹底するのはすごいですが、NHK側からそんな差別を受けたら、激怒するのは当然です。
ただ、2003年に雪解けを迎えます。2003年のNHKの朝ドラ「てるてる家族」に白木みのるさんが出演したんです。この出演が白木みのるさんの初めてのNHK出演でした。
白木みのるが藤田まことと絶交した理由
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白木みのるさんは藤田まことさんと絶交していたと言われています。なぜそのようなことになったのかを探っていきましょう。
白木みのるは藤田まことと絶交
白木みのるさんと藤田まことさんは、『てなもんや三度笠』で共演し、相棒として人気となりました。『てなもんや三度笠』は1962年~1968年まで放送されていて、最高視聴率は67.5%の超人気番組でしたから、盟友と言っても良い関係のはずでした。
それなのに、白木みのるさんと藤田まことさんは絶交していたようなんです。絶交した理由は明かされていませんが、白木みのるさんのコメントなどからある程度推察することができます。
「てなもんや」当時は、公開番組だったこともあって、役者たちはピリピリと緊張した中でのリハーサルが続き、毎回大変だったと話してくれた。
引用:追悼・白木みのるさん 楽屋にはSWの「ヨーダ」が並んでいた 「よう似ていると言われるんです。かわいいでしょ」(夕刊フジ) – Yahoo!ニュース
「“てなもんや”と言えば藤田」という風潮が面白くなく、藤田さんとは疎遠になっていたが、この時に和解を果たしている。
引用:白木みのるさん 2年前に死去していた 「てなもんや三度笠」で藤田まことさん相棒役(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース
「てなもんや三度笠」は公開番組で、収録が非常に大変だったために、現場はピリピリしていて、白木みのるさんもかなり大変な思いをしていた。ただ、その人気に自分は大きく貢献しているという自負があったから、大変でも頑張れた。
だけど、世間は藤田まことさんばかりを持ち上げたから面白くなくて、2人の関係は悪化していき、ピリピリした中で売り言葉に買い言葉のような形で、絶交になったと思われます。
2007年には仲直り
白木みのるさんと藤田まことさんは絶交していましたが、2007年時点では仲直りをしていました。
2007年には「御堂筋パレード2007」が行われ、白木みのるさんと藤田まことさんは一緒に共演し、仲良さそうな様子を見せていました。
藤田まことの死去にはコメントを出していた
藤田まことさんは2010年に76歳で亡くなっていますが、藤田まことさんの死去に際し、白木みのるさんはコメントを出しています。
2人がメーンの番組だから一緒に戦っていかないといけなかった。毎週大変だったが、そのうち視聴率も上昇、お互い助け合ってそこまで行けたんだろうと思う。ずっと「あにい、あにい」と言って慕っていました。76歳だなんて、あまりにも短い。もっと活躍してほしかった。
「あにい、あにい」と慕っていたということは、やはり基本的には仲が良かったけれど、ちょっとした拍子で仲違いをして絶交していたということですね。それで、原因が「ちょっとしたこと」だったし、時間が解決してくれた形で、2人は和解したのでしょう。
藤田まことさんが亡くなる前に、和解できて本当に良かったと思います。
白木みのるは結婚していた?
白木みのるさんは結婚していません。生涯独身を貫いていました。結婚しない理由について、週刊新潮のインタビューで次のように答えています。
「結婚を考えたことはないです」と言い、白木はその理由について「僕は寸法が足りなくて、一人前の人間じゃないからね、女性も困るだろうと思っていました」と述べている
白木みのるさんは、自分の身長の低さをコンプレックスに感じていて、それを理由に結婚しなかったようです。結婚したいと思う女性はいたのか?それともいなかったのかはわかりませんが、なんとなく切なく感じてしまいます。
白木みのるは実業家としても大成功
出典:twitter.com
白木みのるさんは喜劇俳優として大成功し、テレビ出演が減っても、北島三郎さんなどの演歌歌手の舞台に出演していましたので、メディア出演は少なくても、仕事に困ることはなかったようです。
さらに、白木さんは実業家としても大成功を収めていたんです。
白木みのるさんは不動産投資で大成功していたのです。「芸能界はいつまでできるか分からん」として、きちんと貯金をして、それを元手に早くから不動産投資を始めたそうです。
兵庫県芦屋市内に自分用のマンション1棟、弟夫婦用の一軒家を持ち、鳥取県内には両親のために建てた別荘、さらに淡路島にも約1万坪の土地、ハワイにも別荘地を所有。
引用:約1万坪の土地、ハワイにも別荘地…白木みのるさん 資産家の悠々自適の老後― スポニチ Sponichi Annex 芸能
両親のために300坪の家(別荘)、超高級住宅地の芦屋市に弟夫婦のための一軒家を立てるなんて、家族思いですね。さらに、土地を持っているし、ハワイにも別荘を持っているそうです。これらの不動産を持っているだけで、超資産家であることがわかります。
でも、白木みのるさんはただの資産家ではありませんでした。1995年の阪神大震災の時には、自宅が全壊した女子学生に自分のマンションを無償で提供するなど、社会貢献もしています。
老後はこの資産を元手に悠々自適な生活を送っていたようで、西川きよしさんやレツゴー三匹の方たちが自宅に遊びに来たり、近所の人と気さくに挨拶をしたり、自宅近くの商店街で世間話をしたりしていたそうです。さらに、趣味で自主製作映画の鑑賞会を開いていたとのことで、まさに理想的な老後を送っていたと言えます。
白木みのるの死去と死因
白木みのるさんは、2020年に亡くなっていたことが、2022年11月に判明しました。
2015年ごろから体調を崩すことが多くなり、同じ芦屋市内に住んでいる弟さん夫婦が面倒を見ていましたが、2017年秋から老人ホームに入って過ごしていたとのことです。
テレビ番組「てなもんや三度笠」などで活躍した喜劇俳優の白木みのる(しらき・みのる、本名柏木彰=かしわぎ・あきら)さんが約二年前に死去していたことが関係者への取材で分かった。死亡日時や死因など詳細は非公表
死因や具体的な志望日時は明らかにされていませんが、86歳で亡くなっていますので、老衰に近いような死因だったのかもしれません。
週刊新潮は2022年7月の時点で、不動産登記簿から白木みのるさんの死去を把握していましたが、親族が認めなかったためにこの時は記事にできなかったとのことです。
白木みのるのまとめ
白木みのるさんプロフィールや身長・性別・年齢、なぜ小さいのか?小人症の噂、家族や経歴、藤田まことさんとの絶交理由や結婚の有無、死去や死因をまとめました。
年齢的なこともあり、近年はその活躍を見る機会は減っていましたが、亡くなっていたとは驚きです。ご冥福をお祈りします。