高市早苗さんの夫で日本初「ファースト・ジェントルマン」である山本拓さんが話題です。
この記事では山本拓さんの大学など学歴や若い頃の経歴、最初の妻(前妻)との結婚歴と息子や娘ら子供、現在の嫁・高市早苗さんとの馴れ初めと結婚と離婚の原因と復縁で再婚、現在についてまとめました。
この記事の目次
山本拓(高市早苗の夫)のプロフィール
山本拓のプロフィール
生年月日:1952年7月7日
出身地 :福井県鯖江市
山本拓(やまもと・たく)さんは、元衆議院議員(当選回数8回)です。
現在、山本拓さんが注目されているのは、2025年に日本史上初の女性総理大臣となった高市早苗さんの夫であるためです。
山本拓さんは日本初の「ファースト・ジェントルマン(首相の夫)」として注目を浴びており、若い頃の政治家としての経歴や学歴、過去の結婚歴や最初の妻(前妻)との息子や娘ら子供、高市早苗さんとの馴れ初めや1度離婚している件の原因や復縁し再婚した経緯、2人の自宅、現在は脳梗塞の後遺症で車椅子生活であり高市早苗さんが介護をしている件などに関心が集まっています。
ここでは、そんな山本拓さんについて詳しくまとめていきます。
山本拓(高市早苗の夫)の若い頃の学歴や経歴

最初に、山本拓さんの若い頃の学歴や経歴について見ていきます。
山本拓の若い頃の学歴と経歴① 生い立ち〜大学まで
山本拓さんは1952年7月7日に福井県鯖江市に生を受けました。父親は後に鯖江市長や福井県議会議長を務めた山本治さん、祖父も福井県議会議員を務めた山本雅雄さんという、実家はまさに政治家一家でした。
このような家庭環境が、山本拓さんのその後の人生に大きな影響を与えたのは間違いないと思われます。
山本拓さんの学歴については、地元の鯖江市立神明小学校、鯖江市中央中学校を経て、福井県立武生高等学校(現在の偏差値は65)に進学。そして、高校卒業後、上京し法政大学文学部(現在の偏差値55〜57.5)へ入学されています。大学では文学を専攻しながらも、政治家一家に生まれた事も影響してか、山本拓さんの関心は常に国家や社会のあり方に向けられていたようです。
山本拓の若い頃の学歴と経歴② 社団法人鯖江青年会議所理事長を経て政治の道へ
法政大学卒業後、山本拓さんはすぐに政治の道へと進んだわけではありませんでした。社会勉強と地域貢献のためか、社団法人鯖江青年会議所の理事長を務められています。
山本拓さんはこの活動を通して、地域社会が抱える課題や人々の声を直接聞く経験を積み、政治家としての素地を養っていきました。そして、満を持して福井県議会議員選挙に出馬し、当選。
2期にわたり県議として活動し、地方政治の舞台で着実にキャリアを積み上げていきました。
山本拓の若い頃の学歴と経歴③ 衆議院選での初当選と高市早苗を加えた新党結成

福井県議としての実績を携え、山本拓さんは1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で福井県全県区から出馬し、見事初当選を果たしています。ここから、山本拓さんの国会議員としての激動のキャリアが幕を開けました。
山本拓さんは初当選後、順風満帆な道を歩むかと思いきや、当時の政界再編の大きな渦に飲み込まれていきます。1994年(平成6年)、山本拓さんは新井将敬さん、柿澤弘治さんらと共に自民党を離党。当時、保守系無所属だった高市早苗さんを加えて「自由党(柿澤自由党)」を結党します。
山本拓の若い頃の学歴と経歴④ 新進党結党への参加と衆院選落選
その後、山本拓さんは元首相の海部俊樹氏を党首とする自由改革連合を経て、新進党の結党に参加するなど、所属政党を次々と変えていきました。この行動は、自身の政治信条に忠実であろうとした結果なのか、あるいは時代の流れを読んだ上での決断だったのか、その真意は本人にしか分かりません。
しかし、1996年(平成8年)の衆院選では新進党から出馬するも落選。翌年には福井県知事選挙に無所属で挑戦しますが、現職に大差で敗れるという苦杯もなめています。
以降、山本拓さんはしばらくの間政治浪人生活を送る事になりました。
山本拓の若い頃の学歴と経歴⑤ 自民党に復党し国政に返り咲き2021年まで活動

しばらく国政から離れた後、山本拓さんは自民党に復党。2003年(平成15年)の衆議院議員総選挙で国政への返り咲きを果たしました。
その後は自民党の議員として、農林水産副大臣(第1次安倍内閣)や、衆議院の北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、懲罰委員長といった要職を歴任。2021年の選挙で落選となるまで通算8期にわたり衆議院議員を務め上げ、特に農政や地方創生、拉致問題などの分野でその手腕を発揮しました。
地元福井では「人情味のある政治家」として知られ、地域に密着した活動を続けてきました。
山本拓(高市早苗の夫)の結婚歴…最初の妻(前妻)は一般女性
高市早苗さんとの結婚が広く知られている山本拓さんですが、実はそれ以前に1度結婚歴があります。
山本拓さんのの最初の妻(前妻)は一般の女性であり、プライバシー保護の観点からか、その名前や職業、顔写真などは一切公表されていません。
結婚の時期は、山本氏が福井県議として活動を始めた1980年代初頭頃と推定されています。地元・福井での出会いがきっかけと考えられ、政治家としての道を歩み始めた若い頃の山本拓さんを支える重要な存在であったことは間違いないと見られています。
山本拓(高市早苗の夫)と最初の妻(前妻)の子供は息子1人と娘が2人
山本拓と前妻の息子・山本健のプロフィール
生年月日:1984年2月18日
出身地 :福井県鯖江市水落町1丁目
山本拓さんはこの最初の結婚で、山本氏は息子1人と娘2人の計3人の子供に恵まれました。
山本拓と前妻の子供① 息子・山本拓は福井県議会議員
子供のうち息子さんは、後に父と同じく政治の道を志すことになる山本建(やまもと・けん)さんです。山本健さんは現在は福井県議会議員を務められています。
多忙な政治活動の傍ら、若い頃の山本拓さんがどのような父親であったかを示す具体的なエピソードは少ないですが、息子の山本健さんが父親の後を継ぐような形で福井県議会議員として活動している事などから、深い絆がある事が窺えます。
息子の山本健さんは結婚しており子供は息子(山本拓さんにとっては孫)が1人います。

山本健さんの息子さんは2007年11月に誕生した蓮さんという方で、当時、高市早苗さんはウェブサイトで初孫が生まれたとして喜びのブログを掲載されていました。(高市早苗さんは山本拓さんとの結婚時3人の連れ子の母親に)
11月3日の夜、選挙区に居た私に長男から電話が入りました。「産まれたよ!男の子。お医者さんに、元気過ぎるって言われた。おばあちゃんだね。エヘヘ・・」。
46歳で「おばあちゃん」になったことに少々ショックを感じつつも、電話を切った後、嬉し涙が溢れました。出産予定日を過ぎても誕生する気配のない長男夫婦の子供のことを案じながら過ごしていましたので、ホッとしました。
山本拓と前妻の子供② 娘2人は田中涼子さんと高山杏子さんだと言われている
山本拓さんの子供達のうち2人の娘については、長女が「田中涼子」さんという方だと言われています。

新潟の方と結婚して子供が1人いるとの情報がありますが、真偽は定かではありません。
また、山本拓さんの娘のうち次女は高山杏子さんという方だと言われています。

高山杏子さんも結婚しており、子供が2人いるとの情報がありますが、こちらも真偽は定かではありません。
山本拓(高市早苗の夫)と最初の妻(前妻)の離婚
山本拓さんはこの最初の妻(前妻)とは、離婚したのか、あるいは死別したのかは公には明らかにされていません。
2004年に高市早苗さんと再婚していることから、それ以前に結婚関係が解消されていたことは確かです。
最初の家族とのエピソードが語られる事はなく、多くがベールに包まれたままですが、山本拓さんの人生を語る上で欠かすことのできない重要なポイントである事は確かです。
山本拓(高市早苗の夫)の現在の嫁(妻)・高市早苗との馴れ初めと結婚

山本拓さんと高市早苗さんの馴れ初めと結婚についても詳しく見ていきます。
後に結婚、離婚、そして再婚という類例のない道を共に歩むことになる2人の馴れ初めですが、国会の廊下でした。当時、2人は同じ自民党の派閥である清和会(森派)に所属していましたが、深く言葉を交わす機会は少なかったといいます。
2人の関係が大きく動いたのは、2003年(平成15年)のことでした。この年の衆議院議員総選挙で、高市早苗さんはまさかの落選を喫します。国会を去ることになり、失意の中にいた高市早苗さんを励ましたのが、山本拓さんからの電話だったそうです。
さらに、落選に伴い事務所を閉じることになった高市早苗さんは、実弟である秘書と事務所の備品の引き取りを、政治家仲間であった山本拓さんに依頼します。
この一連の出来事が、2人の運命を決定づける馴れ初めとなりました。事務所の備品を引き取った山本拓さんは、2004年6月、高市早苗さんに電話をかけ、こう告げたといいます。
「真剣に結婚相手を探しておられるんでしたら、僕もバツイチですので、立候補しますよ」
そして、有名な「ぜひ、高市さんも引き取らせてください」というプロポーズの言葉へと続きました。
当時、2人は交際期間0日。このあまりにも突然のプロポーズに高市早苗さんは驚きますが、これを貴重な縁と捉え、1週間後には受け入れることを決意します。こうして2004年9月、2人は婚姻届を提出。政界の「パワーカップル」が誕生した瞬間でした。

出典:https://www.nikkansports.com/
結婚当初は、初婚だった高市早苗さんが山本姓となり、戸籍上は「山本早苗」となりました。
前述の通り、山本拓さんには3人の連れ子がおり、高市早苗さんはいきなり3人の子供を持つ母親となりましたが、インタビューなどで「子供たちの学校行事に参加したり、家で一緒に食卓を囲んだりする時間を大切にしていた」と語っており、良好な関係を築いていたことがうかがえます。
山本拓(高市早苗の夫)の現在の嫁(妻)・高市早苗の突然の離婚とその原因

電撃的な結婚後、「政界のおしどり夫婦」とも呼ばれ、順調な結婚生活を送っているかに見えた山本拓さん高市早苗さんですが、2017年7月19日、結婚から約13年で突如、離婚を発表します。
世間に大きな衝撃を与えたこの離婚について、2人は連名で「私生活面では円満に楽しく過ごしてまいりましたが、互いの政治的スタンスの違いが大きく、それぞれに信念を貫いて政策活動に没頭したいという結論に至りました」と離婚原因を説明しました。
この離婚の原因となった「政治的スタンスの違い」とは、具体的に何を指すのでしょうか。当時、高市早苗さんは安倍晋三総理の側近として総務大臣などを務める安倍派の中核メンバーであったのに対し、山本拓さんは二階派に所属し、過去には石破茂さんを支持するなど、必ずしも安倍政権と一枚岩ではありませんでした。
夫婦であっても、所属する派閥や支持する政策が異なれば、家庭内での衝突は避けられなかったのかもしれません。山本拓さんは離婚後、「夫婦でいるとグループ間で警戒される」とも語っており、政治家同士の結婚の難しさをにじませています。
一部報道では、山本拓さんの方から離婚を切り出したとされています。高市早苗さんは後のインタビューで「主人の我慢の風船が破裂したのでしょう……。とにかく私が至らなくて、鈍感だったということです」、「離婚の原因は、主人に嫌な思いをさせてきた私にある」と、自らを責めるような発言もしています。
しかし、決して不仲が原因の泥沼の離婚ではなかったことも、2人のその後の関係が証明しています。離婚後も互いを「同志」として尊敬し、良好な関係は続いていました。
山本拓(高市早苗の夫)の現在の嫁(妻)・高市早苗の再婚(復縁)

出典:https://www.dailyshincho.com/
山本拓さんと高市早苗さんの離婚から4年後の2021年、日本の政界を揺るがす大きな出来事が起こります。菅義偉総理の退陣表明を受け、自民党総裁選が行われることになり、高市早苗さんが出馬を決意したのです。
この時、誰よりも早く、そして力強く高市早苗さんを支えたのが、元夫の山本拓さんでした。
山本拓さんは高市早苗さんの推薦人となり、長年の政治家経験で培った人脈を駆使して、彼女のために票集めに奔走します。総裁選の最中、小泉進次郎さんが高市早苗さんの政策を批判した際には、即座に公開質問状で反論するなど、まさに「ボディーガード」のような働きぶりを見せました。
この総裁選での共闘が、2人の心を再び強く結びつけたとされています。さらに、同年秋に行われた衆議院議員総選挙で山本拓さんが落選。これにより、離婚の原因であった「政治家同士の対立」という障壁が物理的になくなったことも、復縁を後押ししたと考えられています。
そして2021年12月、2人は再婚を発表。離婚した同じ相手と再び結ばれるという、まさに前代未聞の展開でした。
さらに驚きだったのは、再婚に際して、今度は山本拓さんが高市姓を選択し、戸籍上の本名が「髙市拓(たかいち・たく)」となったことです。選択的夫婦別姓の導入には反対の立場を取る2人ですが、この柔軟な決断は、互いの生き方やキャリアを最大限に尊重し合った結果と言えるでしょう。60代を迎え、老後の人生や互いの健康、介護なども見据えた上での、深い愛情と信頼に基づく決断だったのかもしれません。
山本拓(高市早苗の夫)の現在の嫁(妻)・高市早苗の自宅
元衆議院議員である山本拓さんは現在、脳梗塞の後遺症により車椅子生活となり、自宅での日常生活では、妻(嫁)の高市早苗さんの介護を受けている事が公にされています。
それも関連してか山本拓さんと高市早苗さんの自宅についても関心が集まっているようです。
山本拓さんと高市早苗さんの自宅についての詳しい情報はプライバシーやセキュリテイ上の観点から公開はされていません。
ただ、政治家(公人)という立場において、自宅に関してのある程度の情報は明らかにされているため、それを基に推測していきます。
山本拓さんは福井県鯖江市の出身で、ここを地盤として政治活動を展開していました。そのため、議員時代は鯖江市周辺に自宅、あるいは事務所を兼ねた住居を構えていたと考えられます。
また、国会議員であった期間は、公務のために東京・赤坂にある衆議院議員宿舎も自宅として活用していたと推測されます。
そして現在、山本拓さんは妻(嫁)である高市早苗氏と生活を共にしていると強く推測されます。
その理由としては、すでに触れているように山本拓さんは2025年に入ってから脳梗塞に倒れ、現在は高市早苗さんが介護をしているとの報道があります。この状況から、山本拓さんと高市早苗さんは同じ自宅で同居している可能性が極めて高いと考えられます。
高市早苗さんの自宅については、奈良県奈良市の住宅街に建つ戸建て住宅である事がわかっていますが、2025年11月現在は公務のために東京赤坂の衆議院議員宿舎で生活しており、同宿舎はバリアフリー化が進められているとの情報もあるため、同宿舎で生活している可能性も考えられます。
なお、高市早苗さんは総理大臣就任から1ヶ月以上も公邸への引っ越しがされていない理由ですが、「仕事に追われている」と説明しており、多忙のために引っ越しをする余裕がないためのようです。
山本拓(高市早苗の夫)の現在

出典:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/
山本拓さんの現在ですが、ここまででも触れているように、2025年脳梗塞に倒れ、右半身不随の後遺症が残りました。現在は車椅子での生活を余儀なくされ、妻である高市早苗さんが多忙な政務の傍ら、献身的に介護を担っていると報じられています。
高市早苗さんは講演会などでその介護生活の一端を語っており、その姿勢は多くの人々に感銘を与えています。
そんな中、2025年秋、妻・高市早苗さんが女性初の自民党総裁、そして内閣総理大臣に就任したわけですが、これに伴い、山本拓さんは日本の憲政史上初となる「ファースト・ジェントルマン(首相の夫)」となりました。この歴史的な瞬間に、山本拓さんはメディアの取材に対し、「目立たず『ステルス旦那』として支えたい」と控えめに語りました。
その言葉には、妻への深い敬意と、自らの役割を静かに全うしようとする覚悟が込められているとみなされています。
同年秋の叙勲では、旭日大綬章を受章。総理大臣官邸で行われた親授式では、妻である高市早苗首相から、車椅子の夫・山本拓さんへ勲記が手渡されるという象徴的な場面が見られました。
現在は、病と闘いながらリハビリに励む日々を送っています。自宅での生活の詳細はプライバシーに関わるため明かされていませんが、高市早苗さんや家族のサポートを受けながら、穏やかに過ごしていると考えられています。
元衆議院議員としての豊富な政治経験と知識、そして誰よりも深く妻を理解する存在として、これからも陰ながら高市早苗さんを支え続けていくのだろうと思われます。
まとめ
今回は、高市早苗さんの夫であり日本史上初の「ファースト・ジェントルマン(首相の夫)」として注目を浴びている山本拓さんについてまとめてみました。
山本拓さんの学歴は法政大学文学部を卒業しており、若い頃より、政治一家の出身として政治の道へと入り、国会議員として8期の長きにわたり国政を担いました。
山本拓さんは私生活では高市早苗さんとの結婚前に結婚歴があり、最初の妻の存在が明かされています。前妻は一般の方のようで詳細は明かされていませんが、子供が3人(息子1人娘2人)生まれており、息子の山本健さんは政治の道へ入り現在は福井県議会議員を務められています。
山本拓さんと高市早苗さんの結婚は2004年で、高市早苗さんが選挙に落選した時期に山本拓さんが支えた事が馴れ初めになったとされています。
2025年、山本拓さんは脳梗塞に倒れ、後遺症から車椅子生活となり、現在は高市早苗さんが自宅で介護をしていると報じられています。




















