小林麻央さんとの夫婦愛で日本中を感動の渦に巻き込んでいる市川海老蔵さんですが、過去には「灰皿テキーラ事件」という黒歴史となる騒動を起こしています。
この記事では、海老蔵さんの「灰皿テキーラ事件」に関する情報をまとめてみました。
この記事の目次
市川海老蔵のプロフィール
本名:堀越寶世(ほりこし たかとし)
出身地:東京都
生年月日: 1977年12月6日
身長:176cm
デビュー時期:1983年
最終学歴:堀越高等学校卒業
屋号:成田屋
所属事務所:市川團十郎事務所
歌舞伎界一の名門と言われている成田屋の当主として、伝統芸能を受け継いでいく立場の市川海老蔵さんですが、ドラマや映画の世界でも活躍をされている方です。
本業である歌舞伎を疎かにしないためか、海老蔵さんのドラマや映画の出演本数などは少ないものの、2003年には大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」の主役・宮本武蔵を演じるなど、印象深い活躍が続いています。
そんな海老蔵さんですが、2016年6月に、妻である小林麻央さんが末期の乳がんであることをカミングアウトしたことをきっかけに、国民的な注目を集めることになりました。麻央さんは、闘病の日々も虚しく、2017年6月に永眠されてしまいましたが、懸命に妻の闘病生活を支え続けていた海老蔵さんの姿は、日本中の感動を呼びました。
市川海老蔵「灰皿テキーラ事件」の詳細
通称「灰皿テキーラ事件」が起こったのは、2010年11月25日未明だったと言われています。西麻布の「バルビゾン27」と呼ばれている商業ビルにて、知人男性グループと酒を飲み明かしていた市川海老蔵さんが、その知人男性の同伴者より暴行を受けたというのが、「灰皿テキーラ事件」の簡単なあらましです。
芸能人が集まるところには、当然金の臭いを嗅ぎつけた闇社会の人間も集まるということで、バルビゾン27に関しても、半グレ系の資本の店舗も少なくなかったようですね。
問題となる「灰皿テキーラ事件」が起こった店舗は、ビル6階にあるダーツバー「フィオレット」だったと言われています。
市川海老蔵は半グレ集団たちと酒を飲んでいた?
「フィオレット」にて、市川海老蔵さんと酒を飲み明かしていた知人男性グループに関しては、関東連合の元リーダーである石元太一さんとその取り巻きだったと言われています。
高校を卒業してカタギに戻る伝統的な暴走族組織とは違い、暴力団にこそ籍は置かないものの、六本木や新宿周辺で夜のビジネスを牛耳るようになっていた関東連合は、ある意味暴力団より厄介な存在だったと言えます。
そんな裏の世界の住人たちと伝統芸能の名門である成田屋の御曹司が知り合いだったことも凄い話ですが、それ以上に凄かったのは、そんな石元さんに海老蔵さんが絡み酒をして、散々横柄な態度を取ったことなります。
関東連合元リーダーに絡み酒をした市川海老蔵!
海老蔵さんは、ベンチプレス120kgを誇るマッチョマンとして名高い人物です。半グレ相手にも物怖じせずに、横柄な態度を取っていた海老蔵さんですが、自分の腕っ節の強さに自信があったからこその行動だったのかもしれませんね。
「灰皿テキーラ事件」当日のダーツバー「フィオレット」での市川海老蔵さん立ち振舞いですが、それは酷いものがあったようです。
とはいえ、これが「灰皿テキーラ事件」の原因となったわけではなく、藤井さんに軽くあしらわれた海老蔵さんは不機嫌となり、今度は石元さんに絡み酒を始めたと言われています。
海老蔵さんの絡み酒に関しては、石元さんの髪の毛を掴んだり暴言を吐いたりと、まさにやりたい放題だった模様ですね。絡み酒がどんどんエスカレートしていった海老蔵さんは、タバコの吸い殻の入った灰皿にテキーラを入れ、石元さんにそれを飲むように強要します。
これがこの騒動が「灰皿テキーラ事件」と言われる所以となった行為であり、海老蔵さんが暴行を受ける直接の原因ともなった行為でもありました。
石元さん自体は横柄な態度の芸能人との酒の席は慣れたものだったようで、海老蔵さんの横暴な言動にも我慢出来ていたようですね。一方で、兄貴分をコケにして好き放題に暴れていた海老蔵さんの姿に、リオンさんの堪忍袋の緒が切れてしまったという展開になります。
日米ハーフであるリオンさんの腕っ節の強さは相当なものだったようで、海老蔵さんは文字通りその場でボコボコにされて、土下座をして許しを請う状況に追い込まれたと言われています。
「灰皿テキーラ事件」を通報したのは妻・小林麻央だった?
伊藤リオンさんにボコボコにされた市川海老蔵さんの怪我の具合ですが、命に別状はないものの、全治2ヶ月と診断を受ける重傷となりました。
しかし、腹などを蹴飛ばされた場合は、最悪内蔵破裂で死んでいた可能性もあったことを考慮すると、顔だけの負傷で済んだことは不幸中の幸いだったと言えるのかもしれません。
石元太一さんには、海老蔵さんに暴行する意思がなかったためか、そのままリンチまでには至らずに開放された海老蔵さんは、タクシーを飛ばして命からがら自宅へと戻ります。変わり果てた姿で朝帰りした亭主を迎い入れた小林麻央さんが、すぐさま事件を警察に通報したことは言うまでもありません。
市川海老蔵「灰皿テキーラ事件」後に悪評が次々に露呈した
歌舞伎界の頂点に立つ名門成田屋の御曹司というだけではなく、絶大な集客力を誇る人気歌舞伎役者だったことが、海老蔵さんを増長させてしまった原因だったのかもしれませんね。
「灰皿テキーラ事件」をきっかけに、これまで報道されていなかった市川海老蔵さんの負の一面がマスコミを賑わし始めました。
スポーツ紙にすら、酒が入ると誰彼構わず絡み始めるという酒癖の悪さの他にも、「俺は人間国宝だぞ!」と周囲に凄むという傲慢すぎる一面を報道されるなど、事件以降の海老蔵さんの世評はまさにストップ安状態にまで陥ります。
酒の席で歌舞伎役者の市川海老蔵さんがからんできた際、小柄な赤星選手が腕相撲の勝負を挑まれたそうです。そこで、鳥谷さんが『僕がやります』と買って出て瞬殺、海老蔵さんを黙らせた……というものです。
さらには、酒の席で野球選手に絡んで軽くあしらわれたという情けないエピソードまで暴露された海老蔵さん。これまでの狼藉ぶりにより、各方面から相当に恨みを買っていたせいか、「灰皿テキーラ事件」以降の海老蔵さんは、しばらくの間、マスコミからの大バッシングを受け続けることになりました。
市川海老蔵「灰皿テキーラ事件」の謝罪会見
市川海老蔵さんの謝罪会見が行われたのは、事件から2週間ほど経過した2010年12月7日となりました。海老蔵さんが公の場に姿を現すのは、事件後初という状況下での謝罪会見だったため、世間の注目は海老蔵さんの顔の状態に集まりました。
事件後即病院に入院した海老蔵さんは、手術を受けることで顔面の修繕に成功していたようですね。
身体的には大事には至らなかった「灰皿テキーラ事件」ですが、海老蔵さんの芸能活動には当然大きな影響が出て来ます。酒場で自身の狼藉ぶりにより暴行被害に遭うという、同情の余地なしの不祥事により、海老蔵さんは出演CMの全降板と芸能活動の一時自粛へと追い込まれました。
1月3日より東京・ル テアトル銀座で予定していた海老蔵の座頭公演『初春花形歌舞伎』含め、今後の出演について迫本社長は「多大な迷惑をかけたことを重くみて、期限を定めず、見合すとした」と説明。11月30日より幕開けした京都・南座での『吉例顔見世興行』は、片岡仁左衛門と片岡愛之助が海老蔵の代役を務めたが、1月公演の中止だけでなく無期限での出演見合わせが決定した。
夫の芸能活動復帰を支えた小林麻央の献身愛
ちなみに、麻央さんが謝罪行脚をしたのは、2011年6月の話であり、麗禾さんが生まれる前月のことでした。
「灰皿テキーラ事件」当時の市川海老蔵さん夫妻には子供はいませんでしたが、小林麻央さんは事件と前後して長女・麗禾さんを妊娠しています。
ただでさえ不安やストレスが募る初妊娠時なのに、夫は仕事を失い、世間では夫へのバッシング報道がばかり続くという最悪の状況下に置かれた麻央さんですが、持ち前の芯の強さを発揮します。本来なら実家に帰ってもおかしくはない状況だった麻央さんでしたが、塞ぎ込む海老蔵さん励まし、海老蔵さんの再起をそばで支え続けました。
麻央さんの献身ぶりには、うるさ型の多い梨園関係者の間ですら賞賛の声が上がったと言われており、海老蔵さんがすんなりと歌舞伎界に復帰出来た要因とも評されるほどでした。
「それまでは、希実子さんは彼女を頼りなく思うところもあったそうです。しかし、皮肉にも暴行事件での対応が、梨園の妻として姑の信頼を勝ち取ったのです。麻央さんにがんが見つかったときは、“私がなればよかったのに……”と言ったくらいですからね」(成田屋のご贔屓筋)
市川海老蔵「灰皿テキーラ事件」関係者のその後① 石元太一は服役中
「灰皿テキーラ事件」関係者のその後ですが、石元太一さんは、2012年9月に六本木のクラブにて、集団事件を起こしています。
目出し帽をかぶったり、サングラスをして顔を隠した男10人が店に入り、店の奥のVIP席にいた飲食店経営の藤本亮介さん(31)に鉄パイプのようなもので襲いかかった。犯行時間はわずか1分~数分で、無言で藤本さんをメッタ打ちにした末に、無言のまま逃走したという。藤本さんは病院に搬送されたが、頭蓋内損傷で死亡が確認された。
石元さんらが起こした事件とは上記の事件となります。実はこの事件は、人違い殺人事件だったというオチまであり、関東連合の抗争相手と間違われて襲われた藤本亮介さんは、まさに殺され損としか言いようがない状況です。その藤本さんを襲った10人組の1人に石元さんがいました。
この事件後、詐欺容疑で別件逮捕された後、本命の藤本さん殺人事件で再逮捕された石元さんですが、2016年6月に懲役15年の実刑が確定しています。
東京・六本木のクラブで飲食店経営の藤本亮介さん=当時(31)=を暴行し死亡させたとして傷害致死罪などに問われた暴走族「関東連合」(解散)元リーダー、石元太一被告(34)について、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)は被告の上告を棄却する決定をした。懲役15年とした2審東京高裁判決が確定する。決定は15日付。
市川海老蔵「灰皿テキーラ事件」関係者のその後② 伊藤リオン
伊藤リオンさんに関しては、「灰皿テキーラ事件」にて市川海老蔵さんを暴行したことにより、2010年12月10日に警察に逮捕されています。
歌舞伎俳優市川海老蔵(33)が殴られ全治2カ月のけがを負った事件で、警視庁は10日夜、傷害容疑で職業不詳、住居不詳の伊藤リオン容疑者(26)を逮捕した。警視庁によると「殴ったことは間違いありません」と容疑を認めている
その後、懲役1年4ヶ月の実刑判決を受けたリオンさんですが、模範囚だったため1年の刑期で仮出所を果たしました。リオンさんの仮出所した時期に関しては、2012年3月でしたので、タイミング的には前述の「藤本亮介さん殺人事件」などにも参加出来た状況でした。
しかし、石元太一さんの判断により、そちらにリオンさんが参加させられることはなかったようですね。仮出所後のリオンさんですが、一時期は宮城県仙台市を拠点とする暴力団に籍を置いていた時期もありました。
暴力団を破門されたとなれば、「既にリオンさんはこの世にいないのではないか?」と心配される方もいるかもしれません。しかし、フィクションの世界とは違い、現実社会では、暴力団を破門されたからといって、組関係者からどうにかされるということはないようですね。
現在のリオンさんですが、関東連合時代の仲間たちと行動を共にしているようで、一緒に旅行をしている姿などが、SNSを通して確認されています。
まとめ
近年の市川海老蔵さんの姿を見ていると、人間変わろうと思えば、何歳からでも変われるモノだということを実感します。小さな子供を2人残して、無念の死を遂げてしまった小林麻央さんですが、今の海老蔵さんならば、麻央さんの分の愛情も注ぎ込み、子供たちを立派に育て上げることが出来ると思われます。
海老蔵さんが麻央さんを失った悲しみの淵から立ち直れる日が来ることを祈りつつ、この記事を終了させて頂きます。