「怒羅権(ドラゴン)」は中国のマフィア・半グレ集団として日本で有名で、現在はチャイニーズドラゴンとも呼ばれています。
「怒羅権」設立の経緯や歴史の他、メンバーの組織図、芸能人や関東連合との関係、そして事件やその後・現在についてまとめてみました。
この記事の目次
怒羅権(ドラゴン)とは
怒羅権、1988年に設立された中国残留孤児2世3世グループ
半グレ界のビッグネームである「怒羅権」ですが、1988年に東京・葛西で結成された中国残留孤児2世や3世のアウトロー集団となります
当時葛西には、「常盤寮」という中国残留孤児向けの受け入れ施設があり、「常盤寮」近辺にある葛西中学には残留孤児2世たちが多く通っていたそうですね。
とはいえ、1980年代後半は今とは真逆な不良全盛期だったため、中国育ちゆえに日本語が不自由だった残留孤児2世たちは不良のいじめのターゲットにされてしまい、毎日殴られたりと酷い扱いを受けていました。
そんな中で、自衛目的で反抗心や腕っぷしの強い男子たちの一部が集まり結成されたのが「怒羅権」だったそうで、初期のメンバーは12人ほどでした。
怒羅権、グループ名の由来とは?
「怒羅権」に関しては、結成当時はカタカナで「ドラゴン」と名乗っていたそうですね。
とはいえ、当時の不良の流行に倣って壁にチーム名を落書きする際に、日本語が不自由ゆえにチーム名を間違えるメンバーが続出したため、当て字で「怒羅権」と名乗り始めることになりました。
最初はカタカナで「ドラゴン」と名乗っていたんですよ。他の不良集団みたいに、壁に落書きとかしていたんですが、日本語ができないんでよく間違える。「トラコン」とかね(笑)。漢字ならわかるっていうんで、当て字で「怒羅権」となったわけです。
また、2011年には怒羅権をチャイニーズドラゴンとカタカナ表記するよう警視庁が通達しています。
怒羅権、武闘派路線のきっかけは「浦安事件」
「怒羅権」に関しては、結成当初は同世代の少年たち同様に不良に憧れるメンバーばかりだったようですね。
そのため、バイクを盗んで無免許運転を繰り返す暴走族集団だったものの、特別に凶悪ではありませんでした。
そんな「怒羅権」が武闘派路線を取ることとなったきっかけについては、1989年に起こった「浦安事件」がきっかけだったと言われております。
千葉県・浦安市まで遠征に出かけた「怒羅権」は、帰り道に地元の暴走族から待ち伏せにあい大乱闘となりましたが、刃物を振り回して応戦したメンバーが殺人事件を起こしてしまい、逮捕されるといった結末を迎えています。
あくまで襲撃された側だった「怒羅権」としては、正当防衛の認識があったため、仲間が殺人罪で逮捕されたことはかなり不満の残る処分だったらしく、以降は警察を敵と認識して復讐に走るようになりました。
怒羅権、メンバーを殺された復讐から暴力団と闘争
「浦安事件」をきっかけに、パトカーや交番を襲撃する武闘派アウトローとなった「怒羅権」ですが、1990年になると、今度は暴力団との抗争も開始しております。
「怒羅権」が暴力団との抗争を開始することとなったきっかけについては、焼き肉屋で暴力団員と揉めたメンバーが乱闘の最中に圧死してしまったことが原因でした。
殺された仲間の復讐を誓った「怒羅権」は、報復として組事務所に襲撃をかけるなどして、東京アウトロー界で伝説を作ることになりましたが、警察と違って反撃をしてくる暴力団相手の抗争は、何人もの死者が出るほどハードなものだったようですね。
怒羅権、スカウトされヤクザに転身するメンバーも
武闘派アウトロー集団として、最盛期は800人ものメンバーを抱えていた「怒羅権」でしたが、暴力団と抗争する一方で、スカウトを受けて暴力団員へと転身するメンバーも出てきます。
「怒羅権」のメンバーたちが暴力団より一目置かれた理由については、一声かければ数十人単位で後輩を動員出来る組織力などが重宝がられたようですね。
暴力団員となるOBが増えるに従い「怒羅権」の性質も変化して行き、街のアウトロー集団というよりは、暴力団のシノギを請け負う実行部隊へと変貌することになりました。
・覚せい剤密売
・振り込め詐欺
・クレジットカードの偽造
・パチンコの裏ロム販売
・在日中国人経営店舗からのみかじめ料徴収
・風俗店経営
・強盗
・偽装結婚や不法就労の斡旋
怒羅権(ドラゴン)の組織図~メンバーには人民解放軍出身者もいた
怒羅権、2013年に準暴力団指定
「怒羅権」があっけなく暴力団に取り込まれることとなった背景には、金欠なメンバーたちが多かったため、OB経由で回って来るシノギ話が魅力的だったとか。
ちなみに、あまりに闇社会で暴れすぎた結果、「怒羅権」は2013年より準暴力団認定を受ける立場になっています。
ちなみに「怒羅権」の詳しい組織図はネット上に出回っていないようです。
怒羅権、影のボス・大偉こと佐藤威夫
東京アウトロー界伝説の半グレ集団である「怒羅権」ですが、表立ったリーダーとは別に、影のボスと呼ばれる人物も存在したようですね。
「怒羅権」を事実上統括していたと言われている人物に関しては、組織内では大偉(ターウェイ)と呼ばれていた中国残留孤児2世の佐藤威夫(中国名:リウ・ウェイ)でした。
大偉は、中国共産党の元幹部だった父親と残留孤児だった母親の元に、1966年に生まれた日中ハーフだったと言われておりますが、中国では「小日本鬼子」と蔑まれ、いじめを受ける毎日だったとか。
その後、17歳になると人民解放軍に入隊した大偉でしたが、性に合わなかったのか数年程度で辞めてしまったようで、20歳の時に母親らと一緒に来日しています。
来日後の大偉は、23歳の時に友人だった「怒羅権」のメンバーと一緒に中国向けの貿易会社を設立するなど真面目に働いていたものの、次第に違法ビジネスに手を染めるようになってしまったようですね。
「怒羅権」のシノギに関与するようになった大偉は、持ち前のビジネスセンスを駆使してチームを掌握し、フィクサー的な立場で闇社会で大暴れをすることになりました。
「大偉は新宿歌舞伎町でおよそ100人のメンバーを従え風俗店などの経営に乗り出した。さらにパチンコの裏ロム販売、窃盗品の販売など非合法な商売も手掛けた。そして勢力は葛西、錦糸町、上野にも及んでいった。傘下のグループから上納金を受け取っていたが、指示の出し方が巧みだから尻尾をつかませない。頭が切れる印象だった」(元警視庁幹部)
怒羅権影のボス・大偉、現在は中国に帰国していた
長きに渡り「怒羅権」の影のボスとして君臨していた大偉ですが、2005年2月に覚せい剤の所持と使用で逮捕され1年半ほど服役。
その後は警察の監視の目をすり抜けて活動し、再逮捕されることもなく2008年1月頃に中国へ帰国したと言われております。
大偉が日本で築いた利権を手放して帰国した理由については、服役中に別のメンバーに取って代わられてしまい、「怒羅権」内での権力を失ってしまったからではないかとの説も存在するようですね。
帰国後の大偉は、中国で都市開発や鉄鉱石の採掘・製鉄といった表のビジネスに専念し、北京市郊外にある高級住宅街にプールとサウナ付きの豪邸を建てているとか。
中国での大偉の成功の秘訣は、日本時代に中国人留学生を支援し続けたことで築いたネットワークが大きかったという話になっています。
ちなみに、大偉には組織内で小偉(シアオウェイ)と呼ばれている実弟の右腕がいましたが、そちらの人物の消息については特に触れているメディアもなく、詳細は不明となります。
怒羅権(ドラゴン)と日本の半グレ集団・関東連合の関係性
時として警察や暴力団と敵対しながら勢力を広げていった「怒羅権」ですが、同じ東京アウトロー界のビッグネームである「関東連合」とは、友好的な関係にあったと言われています。
「怒羅権」が「関東連合」と敵対しなかった理由については、在日中国人系の半グレ集団の中でも出身地域により派閥があり、闇社会の利権を巡って縄張り争いをしていた背景がありました。
ちなみに「怒羅権」は、裏ボスである大偉が中国の東北地方出身だったこともあり、東北閥的性質が強かったグループのようで、福建出身のグループや上海出身のグループなどと対立していたようですね。
怒羅権(ドラゴン)と芸能人の関係~りゅうちぇる元所属事務所創設者は怒羅権OB?
怒羅権、芸能界でも暗躍していた
半グレ系勢力というと、「関東連合」の存在もあり芸能界と親密なイメージがありますが、「怒羅権」に関しても芸能界で勢力を築いているとの噂が存在するようですね。
「怒羅権」の芸能界進出は2000年代初頭には始まっていたらしく、横浜支部のOBが大手芸能事務所のケツモチをしている関係上、「横浜怒羅権」関係者があちこちの芸能事務所に出入りしている姿が確認されています。
また、タレントのりゅうちぇるさんが以前所属していた「スターレイプロダクション」の設立者・中村創さんも「怒羅権」OBとの情報があります。
怒羅権、俳優・布施博を襲撃した過去
「怒羅権」は、過去に俳優の布施博さん暴行事件も起こしています。
布施さんが「怒羅権」関係者に襲われたのは1999年12月のことだったようで、江戸川区内の路上を車で徐行運転していたところ、「怒羅権」メンバーの張栄興らに車のトランクを叩かれるなど嫌がらせを受けました。
そのため、びっくりをした布施さんが車を降りて抗議したところ、逆上したメンバーたちから殴る蹴るの暴行を受けてしまったそうですね。
現行犯逮捕されても良さそうな事件でしたが、張栄興らは暴行後に逃走に成功し、逮捕されたのは2000年4月になってからでした。
怒羅権(ドラゴン)のその後~20億円を巡り分裂状態になっていた
大偉が帰国後の「怒羅権」のトップに立ったのは、住吉会系の暴力団員も兼任していた馬場義明だったそうですね。
1980年生まれの馬場は、東京のアウトローたちが最も凶悪だった世代と被っており、本人も喧嘩相手に青龍刀やチェーンソーを振り回すほどの狂犬だったため、「怒羅権」の先輩たちからも恐れられていたとか。
そんな馬場は、振り込め詐欺や還付金詐欺などの陣頭指揮を執り、20億円ものお金を稼ぎ出す頭脳派の一面も持っており、シノギをさせても一流な男でした。
とはいえ、20憶というお金は「怒羅権」メンバーたちにとっても目がくらむような大金だったようで、馬場を追い落として利権を手にしようという動きが組織内で活発化するといった悲劇も生みました。
組織内での下克上の動きに勘付き疑心暗鬼となった馬場は、自分の右腕だったはずのNo2まで疑い始め、2016年に暗殺未遂騒動を起こしてしまい求心力が低下。2017年3月には、馬場派の幹部が路上で銃撃を受けるといった劣勢状態まで追いやられました
その後の馬場は、2017年7月と2018年2月に銃刀法違反(加重所持)で警察に逮捕されています。
怒羅権(ドラゴン)の現在~メンバーが度々事件を起こす
怒羅権への不正融資発覚で西武信金に業務改善命令
「怒羅権」の現在については、2019年になると、「西武信金不正融資騒動」に関わっていたことが発覚しています。
「西武信金不正融資騒動」とは、西武信用金庫がリスクの高い投資用不動産向け融資にのめり込み過ぎていたことが金融庁から問題視され、立ち入り検査が実施された一件でした。
その結果、100件以上の資料改竄が発覚したため、金融庁より西武信用金庫に「業務改善命令」が下り、落合寛司理事長を含む理事3人が引責辞任する騒動となりました。
西武信用金庫が「怒羅権」関係者に融資をした原因については、立川南口支店の支店長を任されていた牛山淳一常勤理事が、「怒羅権」幹部の妻が経営するスナックの常連だったことがそもそもの始まりでした。
スナック経営者の女性を信用していた牛山さんは、紹介された客を含めて10人前後に総額40億円弱を融資したそうです。
「怒羅権」関係者に融資した40億円はどれも焦げ付きはなく、順調に返済されていたものの、金融庁の方針はあくまで反社勢力との取引撲滅だったため、「業務改善命令」を下される一因となりました。
「怒羅権」関係者は不正らしい不正はしておらず、優良といえば優良な顧客だったようですが、反社勢力にくみした時点で社会的な制裁が待っているという一例となってしまいました。
怒羅権創設メンバー・汪楠が『ザ・ノンフィクション』に出演
出典:http://chiraura.livedoor.biz
怒羅権の創設メンバーだった汪楠(ワン・ナン)さんが、2019年9月22日に放送されたフジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』に出演し話題を呼びました。
現在は過去の過ちを反省し、全国の受刑者に本を送る活動や出所者の「第二の人生」を支援する活動を続けているそうです。
【レビュー】「首を切り落とそうとした」男が…半グレから再起させた“言葉”の力#ザ・ノンフィクション #ザノンフィクション #半グレ集団 #半グレ #怒羅権 https://t.co/uLHXxW8rPv
— 【公式】マイナビニュース (@news_mynavi_jp) September 21, 2019
フジTV ザ.ノンフィクション 半グレをつくった男
— KEI (@0619_kei) September 22, 2019
怒羅権 日本を恨んで、そして超犯罪まで犯して日本社会を敵対。
なんで持ち上げてんだ…
怒羅権初代総長・ジャン・ロンシンが傷害事件で逮捕
2019年4月、「怒羅権」の初代総長で中国籍の佐々木秀夫(本名、ジャン・ロンシン)ら2人が傷害事件を起こし逮捕されています。
2人は28日午前0時すぎ、江戸川区の東京メトロ葛西駅前の路上で、内装業の男性(49)に肩がぶつかったと言いがかりをつけ、顔を殴るなどしてけがをさせた疑いがもたれています。2人は事件前に、近くの店で酒を飲んでいたということで、取り調べに対し、ジャン容疑者は「酒を飲んでいたこともあり覚えていません」と容疑を否認しています。
怒羅権、振り込め詐欺などでメンバーが度々逮捕
怒羅権のメンバーは、振り込め詐欺に加担していたことも発覚しています。
詐欺事件の被害者に被害回復を持ちかけて現金をだまし取ろうとしたとして、警視庁組織犯罪対策2課は詐欺未遂容疑で、韓国籍で東京都渋谷区笹塚、無職、朴剛領容疑者(21)ら19~32歳の男11人を逮捕した。組対2課によると、朴容疑者ら6人は容疑を否認し、5人は認めている。
朴容疑者ら大半が中国残留孤児の2、3世で構成される不良グループ「怒羅権(ドラゴン)」の関係者で、いずれも振り込め詐欺でだましの電話をする「架け子」とみられる。港区や豊島区のアジトからは約7000人分の詐欺被害者らの名簿などが見つかっており、組対2課は実際に金を詐取したケースもあるとみて全容解明を進める。
その他にも怒羅権メンバーは問題を起こし、定期的に逮捕されているようです。
警視庁組織犯罪対策2課は、東京都新宿区歌舞伎町で中国人観光客の男性2人に暴行を加えてけがをさせたとして、手塚勤鷹こと李勤倹容疑者(34)=練馬区上石神井・中国籍で職業不詳=ら34~36歳の男3人を傷害容疑で逮捕した。調べに対し、李容疑者は「覚えていない」と容疑を否認している。3人はいずれも準暴力団「チャイニーズドラゴン」の構成員や関係者。逮捕容疑は昨年12月14日午後10時ごろ、新宿区歌舞伎町の雑居ビルの通路に中国人男性=(48)=ら2人を連れ込み、頭を踏みつけるなどの暴行を加えて1カ月のけがをさせたなどとしている。歌舞伎町の路上で外国人観光客を狙って「女性と遊べる」などと声をかけ、現金をだまし取る詐欺行為を繰り返していたとみられる。
米国から覚醒剤約7・2キロ(末端価格4億3200万円相当)を密輸したとして、警視庁は10日までに、覚醒剤取締法違反(営利目的輸入)の疑いで、準暴力団「チャイニーズドラゴン」メンバーで職業不詳の末永芳男容疑者(47)=東京都江戸川区=と、イラン国籍の無職アハマディアン・ナセル容疑者(38)=足立区=を再逮捕した。
池袋で乱闘騒ぎを起こす
出典:https://misokkasu.com/
2022年9月には東京都池袋のサンシャイン60のレストランで乱闘騒ぎを起こしています。
報道によると、チャイニーズドラゴンのメンバー約100人がフランス料理店を貸し切り、ある幹部の出所祝いのパーティーをしていたとのことですが、対立するグループの約20名が合流し、すぐに乱闘に発展したとのことです。
店からの通報を受けた警察官が現場に到着すると、負傷者1名のほか数人を除いて、出席者はいなくなっていたようですが、テーブルがひっくり返り料理や皿は床に散乱、レストランの扉も破壊されているなど短時間ながら乱闘がすさまじい状態だったことを物語っていたといいます。
「その日は18時から“準暴力団”に指定されているチャイニーズドラゴンのメンバーら約100人が集まり出所祝いのパーティーを開いていました。最大400人収容できる会場ですが、この夜は団体の貸し切りでした。18時半頃、会場に別のグループとみられる男性らが到着するとすぐに殴り合いが始まり、それをきっかけに約10人が大立ち回りを演じたようです。従業員の通報を受けて警視庁巣鴨署員が駆け付けた時には、軽傷の20代男性一人が残っていただけで会場はもぬけの殻。」
引用:《チャイニーズドラゴン乱闘騒ぎの全真相》出所してきた主役に別派閥の男が殴りかかり、約10人が大立ち回り…「もぬけの殻の会場は料理やビール瓶が散乱し、テーブルはひっくりかえっていた」
パーティーに参加していた大半が現場から蜘蛛の子を散らしたようにいなくなっていただけでなく、負傷したという一名もその後行方が分からなくなったようです。警視庁が関与したメンバーらの特定を急ぎ傷害容疑も視野に捜査を進めていると報じられていました。
また、チャイニーズドラゴン=怒羅権のように報じるメディアもありましたが、関係者によると100人規模でパーティーを開いていたのはチャイニーズドラゴンの怒羅権とは別の派閥で、後から乗り込んでいったのが怒羅権のメンバーたちだったようです。
「確かに、その日に池袋で出所祝いは行われていた。出席者の中には『怒羅権』のメンバーがいたかもしれない。しかし、その主役であるAは、怒羅権の幹部でもメンバーでもない。強盗で10年以上、服役していた、何の関係もない不良だよ。むしろ、乗り込んでいったほうが、本物の怒羅権だ」
怒羅権についてまとめると…
・怒羅権は2013年に準暴力団指定を受けた頃から、メンバーの逮捕報道が相次いでいる
・怒羅権と芸能人の関係は深く、りゅうちぇるの元所属事務所の創設者は怒羅権OBといわれている
「怒羅権」に関しては、対抗勢力にハメられて壊滅状態になってしまった「関東連合」とは違い、未だに強い勢力を誇っているものの、内部分裂が起こるなど組織としての曲がり角には来ているようですね。
また、準暴力団認定されて以降は、関係者が銀行などから融資を受けることも難しい立場となっており、経済活動にも影響が出て来ていると言えます。