トリノオリンピックで金メダルを獲得した荒川静香さんといえば、現在にまでいたるフィギュアスケートブームの立役者の1人です。
この記事では、荒川静香さんの両親や結婚した夫と子供など家族情報の他、イナバウアーなど現役時代の様々なエピソードに関してまとめてみました。
この記事の目次
荒川静香のプロフィール
名前:荒川静香(あらかわ しずか)
出身地:東京都品川区
生年月日:1981年12月29日
身長:166cm
学歴:早稲田大学卒業
トリノオリンピックで金メダルを獲得した荒川静香
荒川静香さんといえば、歴史的大惨敗に終わりかけていたトリノ五輪最終日にて、同五輪における日本勢初メダル(金メダル)を獲得したことで、一躍スターダムに上り詰めたフィギュアスケーターです。
2006年当時の日本では、浅田真央さんや安藤美姫さんといった天才少女たちにスポットライトが集まっていたこともあり、過去に世界フィギュアスケート選手権優勝の実績がありながらも、トリノ五輪までの荒川さんの知名度は大変に低い状況でした。
そんな中でも、平均視聴率31.8%を記録したトリノ五輪フィギュアスケート女子FPにおいて、ノーミスの滑りを見せて、見事金メダルに輝いた荒川さんは、五輪特需を一身に受ける身となりました。
流行語大賞に選ばれたイナバウアー
トリノ五輪後の荒川静香フィーバーの一例には、荒川さんがトリノ五輪で見せた「イナバウアー」という技が、「2006年流行語大賞」の大賞に輝いたことが挙げらます。
イナバウアーは、フィギュアスケートの技で足を前後に開き、つま先を180度開いて真横に滑る技である。1950年代に活躍した旧西ドイツの女性フィギュアスケート選手、イナ・バウアーが開発したのでその名が冠された。
引用:イナバウアー
その他、シンボルアスリートとして荒川さんがCM出演していた「金芽米」に、視聴者からの問い合わせが殺到し、五輪特需分だけで500トンもの売上があったとも言われております。
2005年度から始まったCM出演制度。肖像権はJOCが管理した上で、JOCのスポンサー企業のCMに優先的に出演できるようにして(スポンサー企業以外のCM出演も可)、JOCから協力金(年間1000〜2000万円程度)としてギャラを支払っている。なお、次世代のシンボルアスリートを対象にしたネクストシンボルアスリート制度も導入された。
荒川さんの五輪特需は、新規のCMオファーが殺到するという形でも現れ、トリノ五輪後の荒川さんは、資生堂「TSUBAKI」を筆頭に多くのCMに出演することにもなりました。
まさに、五輪におけるシンデレラストーリーを実体験することとなった荒川さんですが、トリノ五輪にて悲願の金メダルを獲得するまでには、少なくない数の挫折を経験しております。
荒川静香の競技人生~16歳で長野五輪に出場するも惨敗
5歳でフィギュアスケートを始めた荒川静香
父親の転勤により、1歳の時に宮城県仙台市に引っ越すこととなった荒川静香さんは、5歳の時からフィギュアスケートを習い始めています。
小学3年時に複数の3回転ジャンプをマスターするなど、天才少女ぶりを発揮した荒川さんは、日本スケート連盟からも有望視されるようになり、小学5年時には「野辺山合宿」と呼ばれている、小中学生対象の(フィギュアスケートの)強化合宿メンバーに選ばれております。
そして、中学1年時に全日本ジュニア選手権(U-19)で初優勝を遂げた荒川さんは、その後全日本ジュニア選手権を3連覇したうえ、中学3年時に特例で全日本選手権に出場し、2位という偉業を達成することになりました。
しかしながら、世界ジュニア選手権では、最高位が7位と「世界の壁」に泣かされる立場だった荒川さんには、「天才少女」としてマスコミのスポットライトが当たることはありませんでした。
16歳で長野五輪に出場した荒川静香
荒川静香さんは、高校1年の冬に、日本で開催された長野五輪に出場しております。
当時の日本フィギュアスケート界は低迷期を迎えており、女子シングルの五輪出場枠が1枠しかない中、見事全日本選手権に優勝して出場権をゲットした荒川さんでしたが、五輪本番では13位と惨敗したうえ、続いて初出場した世界選手権でも22位と挫折を味わうこととなりました。
以降も日本選手権の表彰台常連ながら、世界での活躍が出来ない日々が続いた荒川さんは、AO入試を利用して早稲田大学に進学します。
世界選手権初優勝!現役続行を決意した荒川静香
2002年のソルトレイク五輪では、村主章枝さんとの代表争いに敗れて、五輪への出場権を獲得出来なかった荒川さんは、大学を卒業後は競技を引退し、プロスケーターに転向する予定でした。
悔いを残さないような現役ラストイヤーを迎えようと、練習拠点をアメリカに移した荒川さんは、2003-2004シーズンの世界選手権において、自身初の優勝を達成します。
過去2度の出場経験のあった世界選手権では最高位が8位だったこともあり、まさにサプライズとなった世界選手権優勝効果は大きく、所属先予定だったプリンスホテルの好意もあり、一転して現役続行となった荒川さん。
こうして迎えた2006年のトリノ五輪にて、見事金メダルを獲得し、一躍日本スポーツ界の英雄となった荒川さんですが、デビュー早々にスターとなり、10代で世界選手権優勝を達成している浅田真央さんや安藤美姫さんとは違い、晩成型の人物だったということになります。
荒川静香の家族情報~父・晃市はNTT東日本幹部
お金持ち家庭が多いフィギュアスケート選手
平昌五輪の銀メダリストである宇野昌磨さんの実家がIT系企業を経営していたりと、お金持ち家庭出身者が多いフィギュアスケーターたち。
荒川静香さんのライバルだった村主章枝さんなども、父はJALの元パイロットで母は元CAというエリート家庭だったりします。
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フィギュアスケートのトップスケーターにお金持ち家庭出身者が多い理由は、競技を続けるために多額の費用がかかるため、経済的に裕福な家庭でないと難しいといわれています。
荒川静香の父・晃市もNTT東日本幹部のエリートだった
荒川静香さんの実家も、他のトップスケーターたちの例に漏れず、父・晃市さん(写真右端)がNTT東日本幹部だったというエリート家庭だったりします。
しかしながら、荒川さんの学生時代は大企業のエリート社員でしかなかった晃市さんにとって、娘の活動費用を捻出し続けることはかなり難しかったらしく、親戚相手に借金をすることもあったとか。
母・佐知さんも、ゴルフ場でキャディのアルバイトをしながら娘のフィギュアスケート人生をサポートし続けるなど、荒川家にとって、荒川さんの活動費用捻出はまさに一大事業だったことが伺えます。
そんな親の苦労を見て育った荒川さんは両親に大変な感謝をしており、トリノ五輪の金メダルでブレイクして以降は、2007年12月に東京都・目黒に1.2億円の豪邸を建て、両親を呼び寄せて一緒に暮らしています。
その後も2013年6月に、今度は地上3階地下1階の2.5億円豪邸を建てることとなった荒川さんですが、当然ながら両親との同居生活は継続しております。
荒川静香はバイク女子~性格は恥ずかしがり屋で気さくなお姉さん
荒川静香の趣味は大型バイク
荒川静香さんは、大型バイクでのツーリングが趣味なバイク女子だったりします。
荒川さんが、バイク女子となったきっかけに関しては、車の運転中に見かけた女性ライダーが格好良かったからという、ミーハーな思いつきからだったようですね。
女性有名人のバイク女子はかなり珍しかったりするため、東京モーターショーに呼ばれるなど、趣味が実益も兼ねている状況な荒川さん。
荒川さんの現在の愛車であるヤマハ・ボルトも、ヤマハ発動機からプレゼントされたものだとか。
荒川静香は実は恥ずかしがり屋
クールビューティーな容姿から、「強い女性」の象徴のようにも思われている荒川静香さんですが、実際は恥ずかしがり屋な女性だとか。
小学生の時は、ジュニア大会で優勝する度に全校生徒の前で表彰されることが恥ずかしくて憂鬱だったという荒川さん。
親友の元フィギュアスケーターの恩田美栄さんなどからも、「とっつきにくそうな見た目と違って気さくな性格」などと評されている荒川さんは、安藤美姫さんや高橋大輔さんといった後輩たちからも慕われており、人格者として評判だったりしますね。
荒川静香は羽生結弦の恩人~金メダルがスケートリンクを復活させた
荒川静香は閉鎖したスケートリンクを復活させた救世主
荒川静香さんは、日本フィギュアスケート界最大のスターである羽生結弦さんの競技人生を救った恩人ポジションだったりします。
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2000年代前半の日本は不況の影響などもあり、日本各地でスケートリンクが次々と閉鎖されて行くという、スケート競技冬の時代を迎えておりました。
荒川静香さんの少女時代の練習場だったアイスリンク仙台も、経営面の問題により2004年を持って閉鎖となり、仙台市内に練習拠点を置いていた多くのフィギュアスケート関係者がリンク難民となってしまいます。
閉鎖当時10歳だった羽生さんも、アイスリンク仙台を利用していたフィギュアスケーターの1人だったため、利便性の良かったスケートリンクを離れ、仙台市内の別リンクに通う羽目になりました。
スケートリンクへの移動時間の増加により練習時間が減ってしまった羽生さんは、この時期にスランプへと陥ってしまったそうですね。
そんな状況が改善するきっかけとなったのが、五輪の金メダルを手に凱旋帰国を果たした荒川さんの記者会見でした。
記者会見中、荒川さんが「仙台市内のスケート練習環境の悪化を懸念している」という主旨の発言をしたことに対して、宮城県や仙台市側がすぐに反応し、アイスリンク仙台の復活を模索することになります。
その結果、県や市からの補助金効果により運営会社も見つかったことで、アイスリンク仙台は2007年3月に営業再開となり、ホームリンクに戻ることが出来た羽生さんのスランプも終わることになりました。
荒川静香の旦那は外科医~子供がダウン症の噂はガセ
旦那との出会いのきっかけは母・佐知の紹介
荒川静香さんは、2013年12月に、身長180センチの長身外科医・Aさんと結婚しました。
荒川さんとAさんの馴れ初めに関しては、母・佐知さんが知人からお見合いの打診を受けたことをきっかけに、2人が出会うこととなったようですね。
Aさんは、都内の総合病院に勤務するエリート医師だったため、激務のためテレビを見る時間もろくになく、お見合い当初は荒川さんが何者か知らない状況で顔を合わせることとなったとか。
荒川静香の娘のダウン症説はガセネタ
荒川静香さん夫妻の間には、2014年11月に第一子となる長女・Bさんが生まれております。
Bさんに関しては、ネット上では何故かダウン症であるという根拠のない噂が流されていますが、実際のところはBさんに障害などはなく、荒川さんのアイスショーなどに連れてこられては関係者たちに可愛がられている模様ですね。
ちなみに、Bさんの名前が「めいさん」であるという情報もガセネタのようで、荒川さん夫妻が娘の名前に関する情報を公開したことはありません。
荒川静香が第二子を出産
出典:https://www.huffingtonpost.jp/
荒川静香さん夫妻の間には、2021年5月に第二子となる男児が誕生しています。
出典:https://www.nikkansports.com/
荒川静香さんは長男を出産後1ヶ月でトレーニングを再開させたとのこと。出産から3ヶ月後にはアイスショーに復帰し、美しい「イナバウアー」も披露しました。
マスオさん状態の旦那との間に離婚説も
荒川静香さんには、一時期離婚危機説が流れていた時期もありました。
荒川さんに離婚危機説が流れてしまった原因に関しては、結婚後も相変わらず激務が続いて家に帰ってこれないAさんの事情を、ゴシップメディアに拡大解釈されて不仲説を流されてしまったようですね。
また、Aさんが妻の両親と同居をする「マスオさん状態」だったり、数億円の豪邸をポンと買うことが出来る荒川さんとの収入格差があったりしたことも、「Aさんにとっては息苦しい状況なのではないか?」と週刊誌に邪推をされている状況でした。
実際のところは、2人が不仲であるという事実はなかったようで、たまの休みの日には、Aさんが手料理を振る舞ってくれたりと、仲の良い夫婦生活が続いているとか。
荒川静香の現在~スケート連盟副会長となっている
32歳の若さでスケート連盟副会長となった荒川静香
荒川静香さんは、2014年10月に、32歳という史上最年少の若さで日本スケート連盟の副会長となっております。
荒川さんが、32歳の若さで要職まで上り詰められた理由に関しては、スケート競技における五輪金メダリストのレア度が関係してきています。
冬季五輪全体でも少ない日本人金メダリストですが、スケート競技に限定すれば、トリノ五輪の荒川さんで史上3人目(女性では初)の快挙という少なさでした。
さらには、先人の金メダリストである清水宏保さんはタレント業へ転身し、西谷岳文さんも競輪選手となってしまったなどという事情もあり、スケート連盟に残っている金メダリストは荒川さんだけという状況でもありました。
そんなお家事情もあり、若くしてスケート連盟の重鎮となった荒川さんでしたが、就任後初の五輪となった平昌五輪では、フィギュアスケートの男子シングルで羽生結弦さんが金メダル、宇野昌磨さんが銀メダルを獲得するなど、幸先の良い結果が出たと言える状況でしたね。
多方面で活躍する荒川静香
出典:https://www.sponichi.co.jp/
2人の子供の母親となった荒川静香さんですが、子育てで多忙の中、現在もアイスショーへの出演やプロデュース、メディアへの出演など、スケートに関わる仕事を精力的に行っています。
出典:https://twitter.com/
また、2021年に開催された東京オリンピックでは聖火ランナーとして静岡県を走りました。開会式の東京名所を紹介するというコーナーにも登場し、劇団ひとりさんとの共演が話題となりました。
まとめ
・荒川静香はトリノ五輪で見せた「イナバウアー」という技が、「2006年流行語大賞」の大賞に輝いた。
・荒川静香は2013年12月に外科医の男性と結婚。2014年11月に第一子となる長女を、2021年5月に第二子となる長男を出産した。
・荒川静香は2013年6月に、地上3階地下1階の2.5億円豪邸を建設し、実両親、旦那、子供と暮らしている。
2人の子供を抱えながらも、スケート連盟の重鎮としてバリバリ働く荒川静香さんの姿は、キャリアウーマンの星と言えるのかもしれませんね。今後も荒川さんの活躍を見守っていきましょう。
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