世代を越えて『北の国から』という作品で世間に感動を刻んだ名優・田中邦衛が2021年3月に死去しました。
2012年以降は”引退説”、”死去説”などネットで囁かれましたが、田中邦衛のプロフィール、結婚した嫁と娘、そして今現在までを総まとめしました。
この記事の目次
田中邦衛は『北の国から』の名優
ドラマ『北の国から』で全国を感動に包んだ田中邦衛の現在は?
俳優・田中邦衛の名前をテレビ史に刻んだフジテレビのドラマ『北の国から』。
「あ~あ~あああああ~」の主題歌が耳に残っている人も多いフジテレビ系ドラマ『北の国から』。
主演を田中邦衛が務めましたが、葛藤しつつもふたりの子供を見守る暖かい父親・黒板五郎役で多くの人に深く感動を刻み込みました。
こちらが歌手・さだまさしが作曲した主題歌です。
かくいう筆者は『北の国から』放送後翌年に生まれているので観ていないのですが…。
今回のまとめ執筆を機に観てみたいと思います。
それは置いておいて、ここまでひとつのドラマで多くの人の記憶に残らせている田中邦衛という俳優の存在感の大きさを実感するわけですが、ネットで「田中邦衛」と検索すると漏れなく以前から「死去」というキーワードが予測検索されていました。
実際に2021年4月には死去したわけですが、なぜ以前から「田中邦衛死去説」が飛び出したのかじっくり検証していきたいと思います。
田中邦衛のプロフィール
なぜ田中邦衛が死去したと言われていたのか。
田中邦衛は『北の国から』に出演した1981年以降も昼の2時間サスペンスドラマや時代劇など数多くの作品に出演し、名脇役として活躍してきています。
『北の国から』も2002年まで8回に渡ってドラマスペシャルが放送されており、田中邦衛のロングラン作品となりました。
その田中邦衛のプロフィールを簡単にご紹介すると…
本名: 田中邦衛(たなか くにえ)
生年月日: 1932年11月23日
出生地: 岐阜県土岐郡(現在の土岐市)
身長: 167cm
血液型: O型
職業: 俳優
ジャンル: 映画・テレビドラマ・演劇
活動期間: 1955年 – 2012年
ちなみに、一般的にはよく「邦衛」は「くにえい」と聞くことが多い気がしますが、実際は「くにえ」と呼ぶようです。
田中邦衛は2012年に表舞台から姿を消した
田中邦衛、2013年に事実上の引退表明?
田中邦衛が死去したという噂が立つまでは、2013年に浮上した”引退説”も関係しているようです。
田中邦衛の最後の仕事となったのが映画『最後の忠臣蔵』ですが、以降出演は無いものの2012年に『北の国から』で共演した俳優・地井武男の葬儀に姿を見せ、「おいらまだ信じられない」と感情を昂ぶらせていた姿が印象に残っている人も少なくないようです。
田中は「おいら、何度言われても信じられないよ。去年の暮れに来てくれたけど、あれは別れに来たのか? 3ヶ月前の4月に電話をくれたな。手紙もくれた。会いたいよ、地井に会いたいよ!」と悲痛な胸の内を語った。
そして、地井武男の葬儀の後に田中邦衛は表舞台から姿を消してしまいました。
田中邦衛に引退説が浮上
2013年に田中邦衛の”引退説”浮上。
2013年に「週刊女性」の取材を受けた田中邦衛は、「セリフが覚えられない」「体力的に厳しい」という理由からオファーを断っていることを明かしました。
田中邦衛は「引退する」とはっきり表明したわけではありませんが、この後に”引退説”を決定づける発表が田中邦衛の嫁・康子さんからされてしまいます。
「週刊女性」とは別の週刊誌が田中邦衛の自宅へ取材をした際に、嫁の康子さんが夫を守るように遮り「引退はしません、今現在田中邦衛は元気でおります。」と説明したそうです。
しかし、後日電話取材に応じた際には思い直して「現在は体力的に厳しい」とオファーを受けない方向を示唆し、事実上の引退扱いとなりました。
報道で大きく「田中邦衛、俳優を引退」と報じられたわけではないようですが、ネット上ではもっぱら「田中邦衛は引退した」と思われるようになったようですね。
田中邦衛に死去説が浮上…プロデューサーの葬儀に姿を見せなかった理由を嫁が説明
『北の国から』プロデューサーの葬儀に出ず田中邦衛の死去説が浮上。
田中邦衛に”死去説”が浮上した一番の理由は、『北の国から』でお世話になったプロデューサーの葬儀に姿を見せなかったことのようです。
2015年5月26日に『北の国から』のプロデューサーを務めた中村敏夫が亡くなり葬儀が執り行われましたが、多くの同ドラマ出演者が参列する中、主演の田中邦衛の姿はありませんでした。
主演不在の葬儀というのは普通は考えられないため、ネット上では田中邦衛がすでに死去していたためだと推測されたようです。
晩年の田中邦衛と黒板五郎の違いは自分でもわかんなくなってたんじゃなかろうか pic.twitter.com/8pXNEoXmKq
— 生きてても (@haruto987) 2017年4月21日
田中邦衛が中村敏夫の葬儀に参列できなかった理由について、嫁の康子さんが自身の都合によるものだったとして、田中邦衛は元気にしていると説明しました。
田中邦衛は老人ホームに入居していたことを嫁が話す
田中邦衛は老人ホームでリハビリ中だった!
嫁の康子さんの話では、高熱で2週間入院した際に寝たきりにより足の筋肉が衰え歩行が困難になったため一時的にリハビリするために老人ホームに入ったという。
週刊ポスト2015年10月30日号で伝えられた内容によると、田中邦衛は歩行のリハビリのために老人ホームに一時的に入居しているということでした。
「いまはホームで懸命にリハビリをしている最中です。自宅をバリアフリー化する話もあったのですが、本人が“リフォームする必要はない。しっかり(足を)治してから帰ってくる”と言ってるほどで、気弱になっているところは微塵もありません。長く入居することはないだろうと、タオルなどの日用品は全部、施設のものをお借りしているぐらいですから。本人はすぐにでも戻ってくるつもりでいます。
今後については仕事復帰とは言いませんが、(ファンに向けて)近いうちに何らかのご挨拶だけでもさせていただければと考えています。どうか、そっとしておいてください」
リハビリ生活中は、嫁の康子さんと長女の淳子さんと次女が献身的に支え、度々老人ホームを訪れて日中はずっと付き添っていたようです。
同施設には妻と次女が足繁く通い、長い時で5~6時間、日が暮れるまで田中と一緒に過ごしているというが、最近はふさぎ込みがちだという。
しかし、大変なリハビリ生活と自宅で家族と過ごせない日々が続き、田中邦衛は気落ちしていたようですね。
田中邦衛はシャイで子供を叱ったことがないエピソードは有名
田中邦衛は人一倍シャイな性格のため、バラエティ番組はNGで実の子供たちにも面と向かって喋るのが苦手で叱ったことは一度もないというエピソードは有名ですが、家庭内の愛情や絆はとても深いようです。
田中邦衛の自宅は豪邸だと知られていますが、入居している介護付き老人ホームは月額20万円程度のようで一般水準より少し良いくらいの施設と言われています。
田中邦衛の名前で入居すると入居者間で騒ぎとなる可能性があるため、仮名にするなど施設側の配慮もあるという。
2015年10月のインタビューを最後に康子さんからの説明はなく、田中邦衛も復帰していないところから、仕事をするには難しい状況が続いていたのでしょう。
とはいえ、康子さんは田中邦衛に引退という言葉はないことを明かしていました。
田中が休業状態であることを明かす一方で「演技をする夢は夫婦2人でずっと持って生活しています。引退も何も、田中邦衛の人生そのものが役者ですから」と、田中の心情を思い「引退」との明言は避けている。
田中邦衛の結婚や子供(娘・息子)について
田中邦衛の嫁についてチラホラと名前が出ていましたが、田中康子さんといいます。
田中邦衛と嫁は、1961年に映画「若大将シリーズ」で「青大将」という敵役を演じる時に出会っており、その後に交際に発展して結婚したそうです。嫁の顔写真は公開されていません。
田中邦衛の子供は2人いて、2人とも娘になっています。長女は後述するNHK国際部デスクのエリート田中淳子、次女は一般人となっています。
田中邦衛について「息子」という検索ワードが見られますが、息子はいません。1991年公開の「息子」という映画に出演していたので、そちらのことを指していると思われます。
田中邦衛の子供(娘)の田中淳子はNHK国際部デスクのエリート
国際報道2016でキャスターを務めた田中淳子
田中邦衛の長女である田中淳子さんは1964年生まれ、NHKの国際部デスクを現在務めるエリートで、国際報道2016でキャスターを2016年4月4日から2017年3月まで務めたため見知っている人も少なくないかもしれませんね。
俳優の田中邦衛とは違う分野でテレビ人となった田中淳子さんは、国際色豊かな経歴を持っているそうです。
田中邦衛と嫁・康子さんの間に生まれた長女の田中淳子さんは、高校時代はアメリカ・ワシントン州に交換留学生として1年間留学しました。
そして、上智大学外国語学部英語学科に進み、再び渡米してジョージタウン大学国際関係学部に留学。
田中淳子さんは、大学卒業後にNHKに記者として入社しました。
その後、田中淳子さんは国際部からワシントンDC特派員、国際部サブデスク、とキャリアを重ね、シドニー支局の支局長も務めました。
田中淳子はワシントン支局長時代に田中邦衛の子供であることが分かった
それまで田中邦衛の子供であることが表に出ることなくNHK社員として仕事をしてきた田中淳子さんは、2012年に初めて発覚したようです。
2012年に米大統領選を報じ、オバマ大統領の就任式を生中継した際に田中邦衛の子供であることが分かり報じられました。
NHKのニュース番組で米大統領選などの模様を米国・ワシントンから生中継しているNHKの田中淳子記者(48)が、大物俳優・田中邦衛(79)の長女であることが8日、わかった。
シドニー市局長からワシントン支局へ異動し、支局長を3年間勤め上げて帰国した田中淳子さんは、2016年現在は国際部デスクに就任し、2016年4月4日から2017年3月までの間、『国際報道2016』でキャスターを務めました。
ネットでもツイッターなどで田中淳子さんが田中邦衛の子供であることを知り、感慨深い思いになった人も少なくないようです。
NHK新キャスターになる田中淳子・ワシントン支局長のお父さんは田中邦衛なんだぁ...
— きかん坊 (@katatumri) 2016年2月18日
田中淳子記者はお父さんそっくりだね(笑)
— zukunasiino (@22KeQuan) 2016年2月18日
田中淳子支局長、感じがいい。この人はカメラの前で話をするとき、メモを見ない。レポートの原稿が頭に入っていて、その内容も自分で考えて上手に構成している。そんなの、テレビ記者として当たり前のことだが、今の日本のテレビ局の記者はそれができない。民放だけでなくNHKも滅茶苦茶。
— 世に倦む日日 (@yoniumuhibi) 2016年2月18日
世間で娘の活躍が知られたことで、田中邦衛も誇らしい気持ちになっていたことでしょう。
まだ田中邦衛は最後まで嫁の康子さんや淳子さん、次女の3人で支えられて生活していたと思います。
田中邦衛の今現在…2021年3月24日に死去
田中邦衛には以前から死去説が流れていましたが、2021年3月24日に死去が現実のものとなってしまいました。
テレビドラマ「北の国から」や「新選組!」、映画「学校」など、数々の作品で存在感のある役柄を演じて親しまれた俳優の田中邦衛さんが、先月24日、老衰のため亡くなりました。88歳でした。
死因は老衰であったそうで、幸せな死に方であったのかと思います。
まとめ
『北の国から』で時代を築いた名優・田中邦衛の現在の様子や、嫁、子供についてご紹介してきました。
嫁の康子さんの話では限りなく引退している状態だったと思いますが、田中邦衛は”生涯現役”を目標に再び舞台に戻ってくる可能性も否定はできない状況でした
ファンの中には無理せずにゆっくりと家族との時間を過ごして欲しいと思っている人も少なくないと思いますが…。
しかし、2021年4月に死去という残念なニュースな流れました。ご冥福をお祈りいたします。