2001年に起こった「明石花火大会歩道橋圧死事故」ですが、11名もの死者が出る戦後日本史に残る群衆事故となりました。
この記事では、「明石花火大会歩道橋圧死事故」の現場写真と原因、死因の圧死、茶髪の青年に関するデマ、その後と現在もまとめました。
この記事の目次
「明石花火大会歩道橋圧死事故」は11名の死者が出た事故で死因は圧死(現場写真有り)
明石花火大会歩道橋圧死事故、「第32回明石市民夏まつり花火大会」が発端だった
「明石花火大会歩道橋圧死事故」とは、2001年7月21日に兵庫県明石市にある歩道橋内で起こった群衆事故となります。
「明石花火大会歩道橋圧死事故」に関しては、事故当日に大蔵海岸にて開催されていた「第32回明石市民夏まつり花火大会」が発端となりました。
「第32回明石市民夏まつり花火大会」では、午後19時45分より花火を打ち上げる予定だったため、午後18時頃には(大蔵海岸の最寄り駅である)朝霧駅周辺の人出が増え始めていたそうですね。
特に事故現場となった朝霧駅と大蔵海岸を結ぶ歩道橋は、花火の鑑賞スポットの1つだったこともあり、南端(大蔵海岸側)で立ち止まりながら花火を鑑賞している人間も多かったと言われております。
明石花火大会歩道橋圧死事故、歩道橋内で群衆雪崩が起こった
「第32回明石市民夏まつり花火大会」が終わったのは、2001年7月21日の午後8時30分頃でした。
その後、歩道橋の南端(大蔵海岸側)で花火を鑑賞していた人々が北側(駅側)に向けて歩き出したそうですね。
一方で駅側から大蔵海岸側に向かう人々も多く、最混雑時には歩道橋内に6400人もの人間が集まる事態となってしまいました。
そのため、事故当時の歩道橋内は、1平方メートルあたりに13人から15人もの人間が密集した状態となり、あちらこちらで体のぶつかり合いや押し合いが発生し始めたと言われております。
その結果、当日の午後20時45分に歩道橋の南端で最初の群衆雪崩が発生しましたが、この時は20人程度が巻き込まれる程度の小規模な被害で済んだとか。
しかしながら、以降も歩道橋内で押し合いが続いた結果、午後20時50分頃に南端から北側に5m程度の場所で転倒事故が起こったことをきっかけに2度目の群衆雪崩が発生。最終的には数百人規模の人間が巻き込まれる大惨事へと発展してしまいました。
明石花火大会歩道橋圧死事故、死者は11名で死因は圧死だった
「明石花火大会歩道橋圧死事故」では、死者11名、重軽傷者247人もの被害が出ることになりました。
花火大会の見物客が巻き込まれた事故ということもあり、「明石花火大会歩道橋圧死事故」の死者の内訳は「10歳未満の子供が9人、70歳以上の老人が2人」となっており、死因は圧死だったそうですね。
ちなみに、「明石花火大会歩道橋圧死事故」の原因となった「群衆雪崩」については、将棋倒しが全方向に発生してしまう現象のことらしく、一般的には都市部での地震発生時などに懸念される事故となっています。
「群衆雪崩」は、1平方メートルあたりに10人以上密集した場合に発生する危険性が高い事故と言われているため、「明石花火大会歩道橋圧死事故」時の歩道橋内の密集度を踏まえると、起こって当然の状況だったと言えます。
「明石花火大会歩道橋圧死事故」のデマ…茶髪の青年は悪くなかった
「明石花火大会歩道橋圧死事故」では、「茶髪の青年が無理に押したので群衆雪崩が発生した」や「茶髪の青年たちが歩道橋の天井によじ登って騒ぎ不安を煽り立てた」といったデマも発生しました。
こちらのデマが発生した理由については、「第32回明石市民夏まつり花火大会」の現場警備を担当していた警備会社が、責任逃れのために意図的な誤情報を新聞記者に流したという救いようがないものでした。
ちなみに、事故現場となった歩道橋内に茶髪の青年たちは実在したそうですが、実際の彼らが取った行動は決死の救助活動だったそうですね。
ところが後日の調査によれば、実際はその茶髪の青年たちが歩道橋中央での惨事を通報するため、歩道橋のプラスチック壁を破壊して屋根に登り、歩道橋への群衆流入を阻止しようと惨事を皆に伝え、119番で救急車を要請していたことが判明した。
引用:明石花火大会歩道橋事故
そのため、茶髪の青年たちがいなければ、「明石花火大会歩道橋圧死事故」で第3の群衆雪崩が発生していた可能性が高い状況だったように思われます。
「明石花火大会歩道橋圧死事故」はなぜ起こった?その原因…警察と警備会社の杜撰な計画のせいだった
明石花火大会歩道橋圧死事故の原因① 杜撰な警備計画
「明石花火大会歩道橋圧死事故」に関しては、明石市や明石警察署、警備会社の3者の間で事前に練られていた警備計画自体が杜撰だったことでも話題となりました。
「第32回明石市民夏まつり花火大会」の警備計画については、前年の大晦日に行われた「世紀越えカウントダウン花火大会」の警備計画書をそのまま流用したものだったと言われております。
おまけに、「世紀越えカウントダウン花火大会」の警備計画書自体が一般的なイベントやコンサート用の警備計画をコピーしたものだったらしく、有効性がないものでした。
「世紀越えカウントダウン花火大会」の開催時(約5万5000人が参加)にも同様の滞留が起きて軽傷者が出ていた。
引用:こ明石花火大会歩道橋事故
そのため、「世紀越えカウントダウン花火大会」の3~4倍の人出が予想されていた「第32回明石市民夏まつり花火大会」では、あまりにやっつけ仕事すぎた警備計画のせいで事故が起こるのは必然だったのかもしれませんね。
明石花火大会歩道橋圧死事故の原因② 立地条件や歩道橋の構造
「明石花火大会歩道橋圧死事故」に関しては、杜撰な警備計画の他にも歩道橋の立地条件にも問題があったようですね。
会場の大蔵海岸と朝霧駅との間には国道2号が通っており、歩道橋以外の連絡がなかったことが大きな原因の一つであった。この歩道橋以外のアクセス経路としては、朝霧駅東側の踏切や西側の跨線橋があったが遠回りになり、山陽電気鉄道本線の大蔵谷駅や西舞子駅があるものの会場から遠いという難点があった。
引用:明石花火大会歩道橋事故
ただですら人が密集しやすい条件下にあった歩道橋ですが、歩道橋の幅が6mあった一方で階段の幅が3mしかないという構造上の欠陥もありました。
そのため、混雑時ほど階段手前で人の流れが停留しやすい状態でもあったりしました。
明石花火大会歩道橋圧死事故の原因③ 警察側の判断ミスその1
「明石花火大会歩道橋圧死事故」では、警察側の判断ミスも指摘されています。
前述の通り杜撰なやっつけ仕事の典型だった警備計画ですが、それでも歩道橋内に1800人以上の停留者が生じたら入場制限をするという決まり事があったそうですね。
しかしながら、事故当日の午後19時頃に警備会社の方から明石署に(朝霧駅周辺の)入場制限を打診したところ、「人はある程度流れているから」との理由で断れてしまうことになりました。
この時の明石署の判断ミスが、「明石花火大会歩道橋圧死事故」の直接的な原因になったことは言うまでもありません。
明石花火大会歩道橋圧死事故の原因④ 警察の判断ミスその2
明石署が「第32回明石市民夏まつり花火大会」の警備に対しておざなりだった原因には、当時地元を悩ましていた暴走族問題がありました。
そのため、夜店(全180店程度)に関しても歩道橋から続く市道に配置するなど、暴走族の集会や喧嘩を想定しての対策が最優先されていました。
その結果、夜店目当ての見物客まで歩道橋を渡る必要性が生じるなど、余計に人流が集中しやすい構造を作ってしまっていたようですね。
明石花火大会歩道橋圧死事故の原因⑤ 歩道橋内が蒸し風呂状態だった
上記にあげた4つの原因のせいで対抗流が発生し大惨事へと繋がってしまった「明石花火大会歩道橋圧死事故」ですが、事故当日の気候にも問題があったと言われております。
2001年7月21日夜の明石市はとても蒸し暑く、(透明なプラスチックの側壁に覆われる構造だった)歩道橋内は蒸し風呂状態でした。
そのため、歩道橋内の人々には、人波を押しのけてでも外に出たい欲求が生じていたと言えます。
「明石花火大会歩道橋圧死事故」の奇跡とは?…ちょっと良い話もあった
「明石花火大会歩道橋圧死事故」では、良いエピソードもありました。
事故当日の夜に、友人たちと一緒に(花火大会会場である)大蔵海岸に向かっていた大学生・Aさんは、歩道橋内にて群衆雪崩の現場に居合わせてしまいました。
幸運にもAさんたちは群衆雪崩に巻き込まれるのを回避出来たそうですが、後方で「娘が息をしていない」との悲痛な叫び声が聞こえたそうですね。
そのため、振り返ってみると、意識が朦朧とした少女を抱く中年男性の姿が見えたため、Aさんはとっさに救命活動に動き出すことになりました。
逃げ場はなく、周囲の人に肩を借りて歩道橋の屋根によじ登り、父親が持ち上げた女児の手をつかみ、引き上げた。頬をたたくと、女児は意識を取り戻した。歩道橋上では、人々が折り重なって倒れていた。「とんでもないことが起きている」と直感した。5歳くらいの男児も助け上げ、状況がわからずに歩道橋に向かって来る人たちに、「引き返して!」と大声で呼びかけ続けた。
事故後のAさんは、故郷に近い三重県伊賀市で消防士となり、東日本大震災の現場にも派遣されて救命活動に勤しんでいたと言われております。
また、Aさんに命を助けられた身の上となる少女も医療の道を志し、兵庫県神戸市内で看護師をしているとか。
「明石花火大会歩道橋圧死事故」のその後…犠牲者の遺族が民事訴訟を起こしていた
「明石花火大会歩道橋圧死事故」では、犠牲者の遺族のうち9家族が明石市や兵庫警察、警備会社を相手に民事訴訟を起こしています。
こちらの裁判については、2005年に神戸地裁より5億6800万円の賠償命令が下ったそうですね。
一方で刑事裁判の方では、業務上過失致死傷罪の容疑で12人が書類送検され、内5人の関係者(警察官1名、警備会社社員1名、市役所職員3名)が起訴されることになりました。
刑事裁判の方は、最終的には最高裁まで上告する被告も出るほど揉めに揉めたようですが、警察官と警備会社社員に「懲役2年6か月」の実刑判決が下った他、市役所職員3名には「禁錮2年6月・執行猶予5年」の有罪判決が下りました。
「明石花火大会歩道橋圧死事故」の現在…余波を受けて中止になった花火大会も
社会に大きな衝撃を与えた「明石花火大会歩道橋圧死事故」の余波は大きく、「明石市民夏まつり花火大会」はしばらくの間中止になった他、復活後も花火の打ち上げイベントはなくなってしまいました。
また、花火大会に対する自主規制も進み、中には中止になったまま復活しなかった花火大会もあったりしました。
花火大会ねぇ…
— 低浮上仕事多忙💊τακα⊿⊿👻 (@takahiro4846) August 5, 2017
明石(?)の歩道橋圧死事故以来
うちの地元はずっと中止してる
京都で唯一の花火大会やったのに…。
その他、密集対策として平日に開催日を変更して実施される花火大会なども増えているそうですね。
とはいえ、日本の密集対策はまだまだ不十分な状態であり、楽しみにしていたはずのイベントで怖い思いをした女性などは意外に多い状況となります。
お腹、脚、腕、アザできてる。あんな危険な目に遭って、もう二度とiKON行きたくない。意識なくなって落としてきた眼鏡とタオル、もし会場に運良く見つかったとしても、取りに行くのも気が滅入る。
— Atsuko (@563A2) October 24, 2015
名古屋は2部ともに平和やったのに。。。
明石花火大会の歩道橋の圧死事故思い出す。
「明石花火大会歩道橋圧死事故」についてまとめてみると…
「明石花火大会歩道橋圧死事故」については、杜撰な警備計画や事故当日の現場の判断ミスのせいで起こってしまった群衆事故ということになります。
被害者の方々のご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。