2018年に東京都白金で発生したレクサス暴走死亡事故を起こした元特捜検事で弁護士の石川達紘に注目が集まっています。
この記事では石川達紘の学歴や経歴、嫁やNHK勤務の娘などの家族、レクサス暴走事故のその後や現在などについてまとめました。
この記事の目次
- 石川達紘はレクサス暴走死亡事故を起こした元敏腕検事の経歴を持つ弁護士
- 石川達紘の学歴① 出身高校は下松工業高校工業化学科
- 石川達紘の学歴② 出身大学は中央大学法学部
- 石川達紘の経歴① 司法試験に合格し特捜検事として頭角をあらわす
- 石川達紘の経歴② 東京地検特捜部長や検事正などを歴任
- 石川達紘の経歴③ 退官後は弁護士になり大手企業顧問や社外取締役に就任
- 石川達紘の家族① 嫁は普通の主婦
- 石川達紘の家族② 子供は2人で娘はHNK職員で息子は広告代理店勤務
- 石川達紘のレクサス暴走死亡事故のその後と現在① 裁判での発言に被害者は怒り
- 石川達紘のレクサス暴走死亡事故のその後と現在② 遺族とは示談が成立
- 石川達紘のレクサス暴走死亡事故のその後と現在③ 判決を不服として控訴
- まとめ
石川達紘はレクサス暴走死亡事故を起こした元敏腕検事の経歴を持つ弁護士
石川達紘は、2018年2月18日に東京都港区白金で発生したレクサスの暴走死亡事故を起こした元特捜検事の経歴を持つ有名弁護士です。
2021年2月15日に、この石川達紘に「禁錮3年、執行猶予5年」の一審判決が下され注目が集まっています。今回はこの石川達紘の学歴や経歴、家族などについてみていきます。
石川達紘の起こしたレクサス暴走死亡事故の概要
最初にこの石川達紘の起こしたレクサス暴走死亡事故について簡単に振り返っておきます。
石川達紘は、2018年2月15日の午前7時過ぎ頃に、東京都港区白金の北里通り商店街にある金物店に運転していたレクサスLS500で猛スピードで突っ込む事故を起こしました。
石川達紘の運転するレクサスは金物店に突っ込むまでに約320メートルほどの距離を時速100km以上の猛スピードで暴走した挙句、そのまま対向車線方向に進路を変え、ガードレールを乗り越えて歩道に突っ込み、そこを歩いていた当時37歳の建築業の堀内貴之さんを轢いて死亡させました。
その後の報道や裁判記録などによれば、石川達紘は、その暴走事故を起こす直前、その日行く予定になっていたゴルフに同伴する20代の女性と待ち合わせるために渋谷区の路上にレクサスを停車しており、女性の荷物をトランクに積み込むのを手伝おうと車を降りようと右足を車外に出した瞬間に車が動き出し暴走したという事のようです。
検察側は、この時、石川達紘が左足でブレーキペダルを踏もうとしたが、間違えてアクセルペダルを踏みこんだために暴走が起こったとの見解を示しており、一方の弁護側は石川達紘の左足はアクセルペダルに届く状態ではなく、暴走事故はレクサスに何らかの不具合が生じた事により発生したと主張しており、全面的に意見が食い違っています。
後述しますが、石川達紘は「禁錮3年、執行猶予5年」の一審判決を不服として控訴しており、今後、控訴審が行われる予定です。
石川達紘の学歴① 出身高校は下松工業高校工業化学科
まずは、石川達紘の学歴について見ていきます。
石川達紘の出身高校は山口県下松市美里町四丁目にある「山口県立下松工業高等学校」です。1958年に卒業しています。
同高校の現在の最新の偏差値は「47」となっています。
石川達紘の学歴② 出身大学は中央大学法学部
石川達紘は、下松工業高校を卒業後、中央大学法学部へと進学し、1962年に卒業しています。
中央大学法学部の最新の偏差値は「60〜62.5」となっています。
石川達紘の経歴① 司法試験に合格し特捜検事として頭角をあらわす
続けて、石川達紘の経歴について見ていきます。
石川達紘は、大学を卒業した1962年、23歳の時に司法試験に合格。その後、司法修習生を経て1965年に検事に任官しています。
検事任官後は、1976年のロッキード事件の捜査などに関わって頭角を現し、1982年に東京地方検察庁特捜部副部長に任命され、同年の三越事件、1983年に発生した新薬産業スパイ事件、その後のリッカー粉飾決算事件、1985年から1986年にかけての撚糸工連事件、1986年の平和相互銀行事件などに関わっています。
1986年10月には、私大出身者としては史上2人目となる法務省刑事局刑事課長に任命され、1988年には法務大臣官房会計課長に任命されています。
石川達紘の経歴② 東京地検特捜部長や検事正などを歴任
石川達紘は1989年に、東京地方検察庁のナンバー3にあたる東京地検特捜部長に任命され、1990年7月には、仕手集団、光進グループの相場操縦事件を摘発。
この事件に関連して、株取引で儲けた稲村利幸元衆院議員の脱税事件や、住友銀行元行員らの不正な金銭の貸し付け(浮き貸し事件)なども掘り起こし追求しました。
その後、石川達紘は1991年に佐賀地検のトップである佐賀地検検事正を経て、1992年に最高検検事に任命されています。
この1992年の金丸信元自民党副総裁の東京佐川急便からの5億円の闇献金事件で、東京地検特捜部が、金丸信元に事情聴取をせずに略式起訴し罰金20万円で決着をつけた事で、東京地検に対して「甘すぎる」と国民の批判が殺到。翌1993年、東京地検次席検事の地位にあった石川達紘は、旧知の国税庁幹部から金丸信元の脱税の証拠資料を得て、これを材料に最高検察庁上層部を説得し、金丸信元の脱税容疑での捜査逮捕へとつなげ、その指揮をとりました。
この金丸脱税事件の時に得た資料が、ゼネコン汚職事件の発覚にもつながり、石川達紘はこの事件の指揮もとっています。
その後、石川達紘は、1994年に静岡地検検事正、1996年に最高検公判部長を経て、1997年からは東京地検のトップである東京地検検事正に任命されています。
この東京地検検事正時代の1998年、石川達紘は大蔵官僚を収賄容疑で摘発する捜査を指揮し、捜査方針をめぐって法務省幹部らと対立し、1999年に事実上中央から追われる形で福岡高検検事長に任命されています。
その後、石川達紘は2000年に名古屋高検検事長に任命され、2001年に検事を退官しています。
石川達紘の経歴③ 退官後は弁護士になり大手企業顧問や社外取締役に就任
検事退官後の2001年12月、石川達紘は第一東京弁護士会に弁護士登録にして弁護士として開業し主に経済事件の被告人の弁護で活躍しました。
2002年6月、日本興亜損害保険株式会社取締役、及び、パイオニア株式会社取締役に就任。同年8月、特種製紙株式会社役員待遇特別顧問に就任し、2003年6月には、同社取締役、株式会社北海道銀行の監査役、株式会社アイビー化粧品監査役、東鉄工業株式会社監査役などに就任。
2004年6月には、林兼産業株式会社取締役、セイコーエプソン株式会社監査役、株式会社新銀行東京取締役などに就任しています。
2007年には特種東海ホールディングス株式会社取締役、2008年には、東海パルプ株式会社取締役に就任。
この他にも、石川達紘は西武鉄道グループの元オーナー・堤義明氏の顧問弁護士や、株式会社東横インの取締役なども務めていたようです。
この他、石川達紘は2002年4月から2010年3月まで亜細亜大学法学部の教授、2009年4月から横浜薬科大学の非常勤講師なども務めています。
石川達紘の家族① 嫁は普通の主婦
続いて、石川達紘の家族についても見ていきます。
石川達紘は結婚しており嫁がいるようです。石川達紘の嫁の名前や年齢などは不明ですが、週刊現代の取材によれば、石川達紘の嫁は「いたって普通の主婦」だという事です。
奥さんは大物弁護士の妻という感じではなく、いたって普通の主婦です。
週刊現代の記者はこの石川達紘の嫁に取材も試みたようですが、インターフォン越しに「すべて弁護士さんに任せておりますので」と答えるのみだったそうです。
石川達紘の家族② 子供は2人で娘はHNK職員で息子は広告代理店勤務
石川達紘には嫁との間に子供が2人おり、娘はNHKの職員で息子は広告代理店勤務だということが明らかにされています。子供のうち長男は既に結婚しており、何人かは不明ですが学生の子供(石川達紘の孫)も複数人いるようです。
子どもは二人、息子は広告代理店、娘はNHKに勤務していると聞いています。まだ学生の孫たちはショックを受けているでしょうね
NHK勤務だという石川達紘の娘が結婚しているのかどうかは不明です。
石川達紘のレクサス暴走死亡事故のその後と現在① 裁判での発言に被害者は怒り
出典:https://hirahirajunjun.com/
石川達紘のレクサス暴走死亡事故のその後と現在についても見ていきます。
この事故での石川達紘の裁判(一審)が東京地裁で行われていましたが、石川達紘は暴走事故の原因はレクサスの不具合にあったとして無罪を主張しています。
石川達紘は裁判で自分の正当性を主張し「私も被害者」、「私は生かされた」などと発言したという事で、被害者遺族や、被害にあった金物店店主は、石川達紘に対しての怒りをあらわにしているという事が報じられています。
事故の被害者らは石川の自分本位な態度に傷つけられてきた。亡くなった男性の妻は娘と傍聴。法廷で石川が放った「私も被害者だ」「私は生かされた」との言葉に対し、「胸をえぐられる思いでした」と訴えた。 「金物店の男性には誤字脱字だらけの石川の文書が届いたといいます。男性は『心からの謝罪が一度もなく許せない』と怒りを隠しませんでした」
また、石川達紘は免許を返納するつもりはないとの強気な考えも明らかにしたようです。
石川達紘のレクサス暴走死亡事故のその後と現在② 遺族とは示談が成立
石川達紘の裁判での主張に、被害者や遺族が怒っているとの報道も出ていますが、この暴走事故で亡くなった堀内貴之さんの遺族との間には既に示談が成立しているという事です。石川達紘は遺族に1億1000万円の賠償金を支払ったという事です。
また、石川達紘の運転するレクサスが突っ込んだ金物店の店主とは現在も示談交渉が続いているという事ですが、既に損害賠償金5000万円超が支払われているという事です。
判決によると、石川が加入していた任意保険により堀内の遺族には1億1000万円を支払う示談が成立。建物被害者側とは示談交渉継続中だが、5000万円を超す損害賠償金が支払われたという。
石川達紘のレクサス暴走死亡事故のその後と現在③ 判決を不服として控訴
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石川達紘の裁判(一審)は、2021年2月15日に判決公判が開かれ、東京地裁の三上潤裁判長は、「禁錮3年執行猶予5年」の判決を下しました。
しかし、石川達紘はこの判決を不服として即日控訴しています。
弁護側は、この一審判決について、「極めて不当な判決で、到底受け入れる事はできない」とコメントし、「控訴審において、本判決の不当性を明らかにし被告人に対する無罪判決を勝ち取る事とする」と、自信満々な様子を見せているという事でした。
控訴審は、2021年の夏以降に始まるとみられています。今後の展開にも注目が集まっています。
まとめ
今回は、2018年2月に東京都港区白金で運転していたレクサスを暴走させ、男性1人を轢き殺し、そのまま道沿いの金物店に突っ込んで大破させた元特捜検事で弁護士の石川達紘についてまとめてみました。
石川達紘は山口県立下松工業高等学校を経て中央大学法学部を卒業した学歴を持ち、その後の経歴は、司法試験合格後に特捜検事として活躍し、東京地検特捜部長や検事正などを歴任した後に退官し、その後は弁護士として大手企業の社外取締役や顧問などを歴任してきました。
石川達紘の家族はごく普通の主婦だという嫁と、NHKに勤めている娘、広告代理店に勤めている息子がいるという事です。また、現在学生の孫も複数人いるという事でした。
石川達紘のレクサス暴走事故のその後や現在は、第一審判決で「禁錮3年執行猶予5年」の判決が下されています。石川達紘は無罪を主張しており、この一審判決を不服として控訴しています。
また、死亡した被害者の遺族とは既に示談が成立しており、破壊された金物店の店主とは現在も示談交渉中ながら既に損害賠償金5000万円超が支払われているという事です。
石川達紘の控訴審は2021年夏頃に行われる見通しだという事で今後の展開にも注目が集まっています。