柳沢敦さんといえば、2000年代の男子サッカー日本代表を支えた名FWとしてお馴染みの元サッカー選手です。
この記事では、柳沢さんの家族情報の他、伝説のプレーとなってしまったQBK関連のエピソードや引退理由などに関してまとめてみました。
この記事の目次
柳沢敦のプロフィール
名前:柳沢敦(やなぎさわ あつし)
出身地:富山県射水市
生年月日:1977年5月27日
学歴:富山第一高等学校卒業
身長:177cm
職業:コーチ(鹿島アントラーズ)
デビュー時期:1996年
柳沢敦さんといえば、男子サッカー日本代表で一時代を築いた名FWです。男子サッカー日本代表の人気絶頂期とも言える、トルシエJAPANからジーコJAPAN期において活躍した選手なので、中高年層には特に知名度が高い人物だと言えます。
現役時代には、Jリーグ(J1)歴代11位となる108ゴールをあげた他、イタリア・セリエAのサンプドリアやメッシーナでプレーしたこともある柳沢さん。19年に及んだプロサッカー人生において、ずっと1部リーグでプレーし続けたという地味に凄い記録まで持っています。
現役中は、日本では鹿島アントラーズの他にも、京都サンガFCやベガルタ仙台などに所属していた柳沢さんですが、引退後は鹿島アントラーズに戻りコーチとなっております。
しかし、2018年6月に不倫が発覚して自宅謹慎処分となっています。
柳沢敦はモテ男だった?梨花と付き合っていた時期もあった?
サッカー選手といえば、日本のスポーツ界でも1位2位を争う女性人気の高い職業だったりもします。
柳沢敦さんといえば、現役時代は女性人気が高いことでも有名なサッカー選手でした。
サッカー界のモテ男といえば、柳沢さんの鹿島アントラーズ時代の同僚である中田浩二さんが有名だったりします。
中田さんの女性遍歴は豪華すぎて今も語り継がれているレベルであり、歴代彼女には女優の米倉涼子さんや加藤あいさんなどがいます。
柳沢さんも若手時代は、ワイドショーや週刊誌に追いかけられるような芸能人との熱愛を経験していました。
柳沢さんにとって最も有名な熱愛相手はモデルの梨花さんとなります。柳沢さんにとっては、20代前半の一時期の交際相手に過ぎなかった梨花さん。
しかし、熱愛騒動でマスコミを騒がした相手のため、世間的には柳沢さんの歴代彼女の代表格となってしまっております。
注目すべきは第4章。本に実名こそ出ていないが、かつて世間を騒がせたサッカー日本代表、柳沢との恋が書かれている。2人は平成11年6月、当時シドニー五輪予選中だった柳沢が、宿舎を抜け出して梨花と密会デート。これを写真週刊誌に掲載され、柳沢は規則違反で代表を追放された“事件”があった。
柳沢さんと梨花さんといえば、交際期間中に上記の事件を起こして、世間を騒然とさせたことまであります。この騒動のせいで、柳沢さんと梨花さんは一時期はバカップルの代名詞扱いまでされました。
柳沢敦の嫁はモデルの小畑由香里
名前:小畑由香里(おばた ゆかり)
本名:柳沢由香里(やなぎさわ ゆかり)
出身地:神奈川県綾瀬市
生年月日:1979年10月12日
身長:164cm
デビュー時期:1993年
所属事務所:ディスカバリー・ネクスト
柳沢敦さんが小畑由香里さんと結婚をしたのは、2003年12月となります。当時の柳沢さんは26歳となっており、早婚傾向が強いサッカー選手の中では、世間並みの結婚時期だったと言えます。
由香里さんは、ファッション雑誌「JJ」などで活躍していた人気モデルだったため、世間をあっと言わせた結婚となりました。由香里さんに関しては、結婚後も引き続きモデルとして活躍中です。
結婚前後の柳沢さんですが、2003年の夏の移籍期間を利用してイタリア・セリエAのサンプドリアへ移籍しております。柳沢さんのイタリアでのプレーは、2006年2月いっぱいまで続くことになりましたが、残念ながら成功を収めることは出来ませんでした。
柳沢敦の子供は2人いる?
料理本を出すほどの料理上手な小畑由香里さん。家庭では、良き妻であり母であるようですね。
柳沢敦さん・小畑由香里さん夫妻には、現在までに2人の子供が生まれています。
2010年5月に生まれた第一子である長男に関しては、現在は和光小学校に通っているようですね。柳沢さんの長男に関しては、和光幼稚園からのエスカレーター組と言われております。
2人にとって結婚7年目に生まれた長男ですが、これは柳沢さんが由香里さんのモデルとしてのキャリアを尊重した結果だと思われます。結婚時の由香里さんは24歳の売れっ子モデルでしたから、ママモデルになる前にまだまだやってみたいことが多かった年頃だったのは言うまでもありませんよね。
長男誕生後の柳沢さん・由香里さん夫妻には、2012年12月に第二子となる長女が誕生しています。そのため、2人とも妊活をする気になればポンポンと子供が生まれる恵まれた体質だったと言えます。
ちなみに、長女に関しても長男と同じ和光幼稚園に通っているのではないかという噂が流れていたりしますね。
柳沢敦の伝説のQBKとは?W杯のやらかしを振り返る
日本サッカー界が誇る名FWのイメージが台無しになってしまった原因のプレーとなりました。
柳沢敦さんには、ネット上でQBKと名付けられた伝説のプレーがあります。伝説といっても良い方の伝説ではなく、悪い方の伝説であり、珍プレーの類に属するプレーとなります。
柳沢さんのQBKの舞台となったのは、2006年の男子サッカー・ドイツW杯のグループリーグ第2戦である日本対クロアチア戦となりました。第1戦のオーストラリア戦を1-3で落としていた日本にとっては、グループリーグ突破のためには勝利以外は許されない重要な試合でもありました。
問題となった柳沢さんのQBKプレーに関しては、下記の動画をご覧になってください。
0-0で迎えた後半5分過ぎ、がら空きのゴールを目前にした柳沢さんにパスが渡った直後に起こったプレーがQBKです。本来は、そのままゴールへちょこんとボールを蹴り込むだけで日本が先制となったはずが、ゴール隅にいた相手GKに目掛けてシュートしてしまった柳沢さん。
シュートは器用にも相手GKの股の下をすり抜けて、ゴールラインの外へ出ます。俗に言う決定機を潰してしまったことになる柳沢さんのプレーですが、試合が0-0で終わったことで、紛れもない戦犯プレーとなってしまいました。
QBKの由来は試合後のインタビュー
本来は格上のクロアチア相手に、0-0の引き分けという結果は善戦したと言える状況です。
しかし、五輪やスポーツの国際大会に熱くなりすぎるマスコミや視聴者たちにとっては、納得の行かない結果となり、柳沢さんがスケープゴートにされてしまいました。
柳沢敦さんの伝説のプレーがQBKと呼ばれた理由に関しては、クロアチア戦後のインタビューで飛び出した「急にボールが来たので」という柳沢さん本人の発言が原因となっております。
「匿名掲示板2ちゃんねる」のユーザーが名付け親となったQBKですが、本来はネットスラングの1つでしかないポジションでした。
しかし、平均視聴率52.7%を記録した試合の象徴的なプレーという話題性もあり、試合から何年が経過しても振り返られることが多かったQBK。いつしか一般メディアまでもが、柳沢さんの伝説のプレーを説明する際にQBKというネットスラングを使い始め、一般層にも浸透してしまう結果となりました。
QBKのせいでへたれFW扱いされた柳沢敦!
元々、2000年代の男子サッカー日本代表のFWといえば、何かにつけて決定力不足を連呼される損な役回りでもありました。
男子サッカー日本代表のファンの大半は、代表戦以外はサッカーに興味がない視聴者という特徴があります。そのため、代表戦で印象に残る失敗をやらかしてしまった柳沢敦さんは、世間からは「決定力不足のダメFW」とのレッテルを貼り付けられることになりました。
実際の柳沢さんの実績ですが、Jリーグ(J1)371試合で108ゴールという結果を残しています。代表戦に関しても58試合17ゴールという結果を残しており、リーグと代表戦どちらも1シーズン(34試合)換算で10ゴール弱という優秀なペースでゴールを積み重ねていたことになる柳沢さん。
「決定力不足のダメFW」という世間の評価は、QBKによる風評被害そのものという結論になりますね。
ネット上ではいまだに語り継がれるQBK!
男子サッカー日本代表ファンの間では、まさに忘れられない伝説のプレーとなってしまった柳沢さんのQBK。
柳沢敦さんのQBKに関しては、2017年になった現在でもふとしたことでネット上で話題となる特徴があります。
今でも衝撃的に覚えてるのが、2006年ドイツワールドカップの日本vsクロアチア戦ね
— para (@para_cocoa) 2017年8月31日
0-0の中、加地からパスもらった柳沢が外すシーン
その後QBKって呼称されてるけど
今でも え、なんで…ってなる
柳沢はQBKと散々揶揄されてきた訳で。あの大舞台でゴールを決められなくて悔しくない、後悔しない訳がないよ。ただ、それも含めてサッカーなんだろうね。
— はらたいらいさお (@turky_sakuya) 2017年8月29日
今では当時のバッシング的な意味合いというよりは、昔を懐かしむような文脈上で話題になる機会が多いようですね。
QBK以降の柳沢敦のサッカー人生
QBK以降は日本代表に呼ばれなくなった柳沢敦
2006年当時は、29歳とまだまだ余力の残っていた柳沢敦さんですが、ドイツW杯が事実上の代表引退の場となってしまいました。
QBK以降の柳沢敦さんですが、2006年を最後に男子サッカー日本代表に招集されることはありませんでした。これに関しては、当時所属していた鹿島アントラーズでの柳沢さんの成績が低迷していたせいも大きいのではないかと思われます。
2008年に京都サンガFCに移籍した柳沢さんは、移籍1年目にシーズン14ゴールをあげ復活を遂げますが、この年がキャリア最後のシーズン2桁ゴールとなりました。
ちなみに、柳沢さんは2011年にはベガルタ仙台へと移籍することになりますが、どの移籍先にも妻である小畑由香里さんはついて来ています。モデルという職業、本来は東京に残った方が仕事面でも都合が良いように思えますが、由香里さんは優れたモデルの前に良き妻だったということなのでしょうね。
2014年に現役引退した柳沢敦!その引退理由は?
37歳まで現役生活を続けるという、息の長いサッカー人生となった柳沢敦さん。
柳沢敦さんは、2014年にJ1のベガルタ仙台でのプレーを最後に現役を引退しています。Jリーグには2部カテゴリーもありますから、現役生活を続けようと思えば、2部リーグに移籍してのプレーも可能だった柳沢さん。しかし、自身の移籍先について来てくれている家族のことを考えると、ここら辺が潮時と思ったりもしたのかもしれませんね。
そんな柳沢さんの引退理由に関しては、下記のインタビュー記事が参考となります。
「引退を決めた理由…やっぱりサッカー選手はピッチに立ってプレーするのが一番じゃないですか。最後の数年間は、出場機会が減るにつれ、悔しいという気持ちを常に持ってプレーしてました。“まだやれる、まだやれる”って、自分に言い聞かせながら。でも、今までやってきた経験によるイメージと体が噛(か)み合わなくなってきてたんです。
要するに、加齢により自身のイメージするプレーに体がついてこれなくなったことが柳沢さんの引退理由となりました。また、出場機会が減少して、チームに貢献出来なくなったことに対してもどかしく思うという、スターアスリート特有の悩みもあったようですね。
しかしながら、選手寿命が短いと言われているサッカーで19年もの現役生活を続けられたことは、1流アスリートの証明と言えます。柳沢さんの場合は、穏やかな人柄もあって、所属チームから若手への教育係役を期待されていたことも現役生活が伸びた要因だったとも言われております。
柳沢敦の現在!鹿島アントラーズのコーチをやっていたが不倫騒動で自宅謹慎処分
現役時代にお金は散々稼いで来た柳沢敦さんですので、引退後はやりがいを重視しているのかもしれませんね。
ちなみに、現役時代の柳沢さんの最高年俸は6500万円だそうですね。
柳沢敦さんの現在ですが、鹿島アントラーズの方でコーチをやっています。Jリーグの名門クラブのコーチといえば、多くのサッカー選手にとっては夢のようなセカンドキャリアとなりますが、待遇の方は良くはありません。
正確な額は定かではありませんが、鹿島アントラーズのような名門クラブでもコーチの年俸は400~800万円程度と言われております。プロ野球などでも1軍コーチの年俸は1000~2000万円程度と言われておりますから、世間でのイメージほど高待遇の仕事ではないと言えますね。
ジーコにQBKを謝罪した?
コーチ業が薄給でも、高い知名度のためサッカー関連のイベントなどにも呼ばれる機会が多い柳沢敦さん。
現役時代ほどではないでしょうが、それなりに稼いでいることは確かでしょうね。
柳沢敦さんは、当時の男子サッカー日本代表監督であるジーコさんに、ドイツW杯でQBKをやらかしてしまったことを謝罪しています。柳沢さんとジーコさんが再会する舞台となったのは、2017年8月に公開を開始された「夏休み特別企画 ジーコおじさんのこども電話相談」というWEB番組でした。
デジタル技術の活用推進を掲げチャレンジを続けるJリーグが、先ごろ来日していた元日本代表監督ジーコ氏(64)を起用。「夏休み特別企画 ジーコおじさんのこども電話相談」という独自番組を制作した。ユーチューブの公式チャンネルで公開中だ。
「夏休み特別企画 ジーコおじさんのこども電話相談」に関しては、現在でもYouTubeにて公式動画が視聴出来るため、関心のある方は是非ご覧になって下さい。ちなみに、柳沢さんの登場シーンは13分30秒過ぎからとなります。
番組企画内でジーコさんと電話対談することになった柳沢さんは、ジーコさんにドイツW杯でのQBKを公開謝罪しました。
「ドイツのワールドカップのクロアチア戦で、なんであそこで俺はアウトサイドを出してしまったのかと。それが自分の中で一番の後悔です。ジーコさんにドイツのワールドカップが終わってから会えていなかったし、話もできていなかったので、この場を借りて、謝りたい気持ちがあります」と告白した。
柳沢さんからの謝罪を受けたジーコさんは、穏やかな様子で「サッカーには付き物だから気にする必要はない」と返答し、柳沢さんを慰めます。2人の電話対談は、ネット上でも大きな反響を呼び、多くのサッカーファンの胸を熱くさせました。
柳沢敦からクロアチア戦でのミスを謝られて、ジーコはこう言った。「いや、謝ることはなにもないよ」。これは泣ける。胸が熱くなるなあ。 / “ジーコおじさんの子ども電話相談室:Jリーグ.jp” https://t.co/R8nnpRJxwr
— 山口 亮@BuzzFeed (@d_tettu) 2017年8月29日
泣ける、ホントに泣ける
— モーツァルト (@yYsRBkS4izEPXdH) 2017年8月29日
ジーコ、いつまでも熱い人だわ
柳沢のQBKも当時は許せなかったけど、今ならちょっとだけ許す。
ところでジーコはオーストラリア戦解説でもするのかな #daihyo
#サッカー日本代表 https://t.co/Yfo9KDeS6Z
2018年6月に発覚した不倫騒動
柳沢敦さんですが、2018年6月に不倫騒動が発覚しています。4月と5月頃に鹿島の美人サポーターとホテルで密会を繰り返していたようです。
夜の街で見つけたその男の顔は、ほんの数時間前に所属チームが敗戦したとは思えないほどに綻んでいた。現役時代のようなジャージ素材のラフな服に身を包んだ男は、渋谷区道玄坂のホテルに消えた。時刻は深夜0時過ぎ。妻と2人の子どもは、今ごろ自宅のベッドの上だろう……。
「Aさんは鹿島のことが大好きでファンの間でも有名な女性。美人ということもありインスタグラムのフォロワーが一般人なのに1300人ほど。よく練習場で選手にプレゼントを渡したり、写真を撮ったりしています」(前出・鹿島ファンの女性)
この騒動で、柳沢敦コーチは自宅謹慎処分となっています。
柳沢コーチへの処分について
2018年06月05日(火)
■処分内容
規律違反による自宅謹慎処分(期間は未定)
■処分の理由
2018年4月6日、J1第6節湘南戦の前日、遠征先のホテルにてチームに無断で第三者と会っていたため。一部週刊誌報道を受けて本人へ事情聴取を行い、規律違反を認めたため、処分を下した。
まとめ
代表関連の活動に関しては、バッドエンドだった柳沢敦さんですが、サッカー人生自体は良い調子でキャリアを重ねられていると言えますね。
一時期は大バッシングを受けたQBKに関しても、今となっては苦い部分も含めて良い思い出に昇華出来たと言える柳沢敦さん。不倫騒動で奥さんとの離婚も心配されます。
柳沢さん一家の今後の幸せを祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。