格闘家の山本KID徳郁さんですが、2018年8月に消化器系のがんであることを公表、2018年9月18日に亡くなりました。
この記事では、山本KID徳郁さんと元嫁マリアさんの離婚原因や子供、また再婚相手ゆいさんの情報、そして癌で激やせと死去やタトゥーと病気の関係を総まとめしました。
この記事の目次
山本KID徳郁のプロフィール
名前:山本徳郁(やまもと のりふみ)
本名:岡部徳郁(おかべ のりふみ)
生年月日:1977年3月15日
出身地:神奈川県川崎市
身長:163cm
山本KID徳郁、日本を代表するレスリング一家に生まれていた
1977年3月に、ミュンヘン五輪レスリング日本代表選手であった山本郁榮(いくえい)さんの長男として生まれてきた山本KID徳郁さんは、郁榮さんの果たせなかった五輪金メダルの夢を果たすべく、5歳の時からレスリングを開始しております。
ちなみに山本家は、母・山本憲子さんも「日本女性初のレスリングの審判員」という肩書を持つ人物だった他、KIDさんの姉である山本美憂さんや妹・山本聖子さんも幼少期よりレスリングに打ち込むレスリング一家でした。
余談ながら、KIDさんの本名である岡部徳郁の由来は憲子さんの旧姓らしく、母親が一人っ子だった都合上、母方の実家の家系を絶やさないために岡部姓を名乗ることを決意したそうですね。
姉の美憂さんは、1990年代に世界選手権3度の優勝と1度の準優勝を誇る伝説的な選手に育ちますが、女子レスリングが五輪競技に採用されたのが30歳となる2004年からという巡り合わせの悪さにより、五輪出場未経験に終わっています。
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妹の聖子さんに関しても、1990年代後半から2000年代前半にかけて、世界選手権4連覇という偉業を達成しておりますが、肝心の2004年のアテネ五輪では、代表選考会にて吉田沙保里さんに破れて、五輪出場を逃すことになりました。
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天才的な女子レスリング選手だった姉や妹が、時運に恵まれずに五輪出場を逃したことにより、山本3姉弟にとって五輪出場は、届きそうで届かない夢になってしまっております。
山本KID徳郁、1999年はまさに厄年だった
父・山本郁榮さんは幼少期からの体作りも重視していたため、山本KID徳郁さんは、子供の頃からご飯茶碗大盛りの大豆を食べて育つなど、アスリートらしい食生活が求められる環境で育ったようですね。
そのため、山本家ではスナック菓子を食べることが厳禁扱いであったりと、子供らしい食事を食べる経験が少なかったというKIDさんは、成人になって以降は菜食主義者になってしまいました。
そんなレスリングにすべてを捧げる子供時代を過ごしてきたKIDさんは、高校時代には、レスリング大国であるアメリカへの留学も経験しています。
アメリカ時代もレスリングで活躍をし、アリゾナ州王者にもなったKIDさんの元には、アメリカの大学から特待生枠でのスカウトなどもあったようですが、KIDさんは大学進学を機に日本へ帰国する道を選択肢し、山梨学院大学へ進学します。
大学時代のKIDさんは、「全日本学生レスリング選手権大会」で優勝するなど、トップアマとしての実績を残していましたが、1999年の「全日本レスリング選手権大会」では準優勝に終わり、シドニー五輪出場を逃すなど挫折も味わっております。
1999年の山本家は、KIDさんがシドニー五輪出場を逃すという悲報の他にも、母・山本憲子さんが白血病で亡くなるなど、悪いことが立て続けに起こった1年となりました。
山本KID徳郁、五輪出場を逃したことをきっかけに総合格闘家に転身
父子の夢であったシドニー五輪出場を逃した山本KID徳郁さんでしたが、当時はまだ22歳の若さであったため、その後の五輪出場を狙うチャンスは何回もある身の上でした。
一方で、姉・山本美憂さんから総合格闘技のビデオを見せられたことをきっかけに、レスリングの世界以外への関心も抱くようになっていたKIDさんは、山梨学院大学を中退してプロの格闘家を目指すこと決意しました。
当時の美憂さんが総合格闘家のエンセン井上さんと結婚していたため、KIDさんは、プロ格闘技人生の最初の一歩を、義理の兄であるエンセンさんが所属していた総合格闘技団体「修斗」でスタートさせることになりました。
山本KID徳郁、駆け出し時代は1試合のギャラがわずか3万円だった
総合格闘家に転身をして以降の山本KID徳郁さんですが、2000年には「第7回全日本アマチュア修斗選手権大会」で優勝をし、2001年にプロデビューを果たすという順調なキャリアを送ることになりました。
ところが、格闘技ブームに湧いていた2000年代前半の時代ですら、地上波のテレビ中継のあるメジャー団体以外のギャラは激安であり、「修斗」時代のKIDさんのファイトマネーは1試合あたりわずか3万円程度だったそうですね。
そのため、下積み時代には電気やガス、水道を止められた時期もあるほどの極貧生活を味わうこととなったKIDさんにとって、華やかなメジャー団体のリングに上がることは大きな目標でもあったとか。
山本KID徳郁、K-1に参戦して国民的スターとなった
山本KID徳郁さんの総合格闘家人生にとって大きな転機となったのが、2004年より格闘技団体「K-1」へ参戦したことでした。
地上波のテレビ中継のあるメジャー団体のリングに上がることとなったKIDさんは、一躍全国区の人気を得ることに成功します。
2004年2月24日、K-1初参戦となった「K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜」では、そのやんちゃなキャラクターとカリスマ的存在感、ファッショナブルで甘いマスクというビジュアルだけでなく、スピード、パワー、テクニック共に圧倒的な強さを見せ、一気に国民的スターに。
その人気ぶりをTBSから高く評価されたKIDさんは、「K-1」参戦1年目ながらも大晦日の顔の1人に選ばれ、「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」へ参戦することとなりました。
「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」では、当時日本格闘界の顔的存在でもあった魔裟斗さんと戦うこととなったKIDさんは、惜しくも判定負けしたものの、この試合の瞬間最高視聴率が31.6%を記録するなど、人生の絶頂期を迎えております。
山本KID徳郁、北京五輪出場を目指してレスリング界に復帰した
当時の年収が1億5000万円とも噂されていた立場を捨てて、レスリング界への復帰を決めたKIDさんの決断は大変な反響を読んだものの、かつては日本のお家芸と呼ばれていた男子レスリング界はそれほど甘い世界でもありませんでした。
2007年1月に行われた「全日本レスリング選手権」の2回戦にて、右肘を脱臼する負傷を負い敗退したKIDさんは、その後も怪我の回復が遅れ、北京五輪出場を逃すという憂き目にあいました。
山本KID徳郁、怪我に悩まされて格闘家として実質引退状態
北京五輪への出場を逃した後の山本KID徳郁さんですが、2008年より総合格闘技団体「DREAM」に参戦した他、2011年からはアメリカの総合格闘技団体「UFC」にも参戦しました。
しかしながら、30代以降は大きな怪我に悩まされ続けたKIDさんは、「DREAM」参戦以降は満足の行くキャリアを築くことが出来ずに、現在は総合格闘家を実質引退状態となっております。
近年のKIDさんは各種ジム運営に勤しんでおり、指導者や実業家としてのセカンドキャリアを送っています。
また2008年より、大田区馬込にスポーツジムYSA(ヤマモトスポーツアカデミー)、総合格闘技ジムKRAZY BEEを設立。2017年からはKRAZY BEE糸満、KRAZY BEE越谷もスタートしている。
山本KID徳郁の最初の嫁はモデル・MALIA~実は不倫略奪婚だった?
山本KID徳郁、交際開始時のモデル・MALIAには別居中の夫がいた
山本KID徳郁さんは、2005年にモデルのMALIAさんと結婚しております。
MALIAさんはパキスタン人の父親を持つハーフとなりますが、KIDさんとの交際がスタートした2004年時には、横浜マリノスに所属していたサッカー選手・田中隼磨(はまゆ)さんと結婚をしていた上、子供まで生まれておりました。
もちろん、当時のMALIAさんは田中さんとの金銭感覚や生活感覚の不一致という、俗に言う「性格の不一致」により別居中の身でもありましたが、形式上はKIDさんがMALIAさんと不倫略奪婚をしてしまった形となります。
山本KID徳郁は連れ子も可愛がる良きパパだった
山本KID徳郁、MALIAとの間に子供が2人生まれていた
2005年にモデルのMALIAさんと結婚をした山本KID徳郁さんですが、どうやらできちゃった婚でもあったようで、同年に長男(MALIAさんにとっては次男)である愛郁(あいく)くんが生まれております。
続く2006年には長女のありあちゃんも誕生するなど、新婚早々に子宝に恵まれた山本家でしたが、KIDさんはMALIAさんの連れ子である海鈴(かいり)くんも分け隔てなく可愛がるなど、良きパパぶりを発揮していたようですね。
そんなKIDさんには、海鈴くんや愛郁くんと一緒にお風呂に入っている時に、「僕たちが、戦ってるお父さんを守るから」と、2人から自分たちの名前をタトゥーとして体に掘ることをお願いされたというエピソードが残っています。
子供たちの突然のお願いに対して嬉しく思ったKIDさんは、実際に海鈴くんや愛郁くんの名前を胸元にタトゥーとして掘って、総合格闘技のリングで戦うこととなりました。
山本KID徳郁はMALIAに三行半を突きつけられた
山本KID徳郁、2009年にMALIAと離婚
子宝にも恵まれた山本KID徳郁さん・MALIAさん夫妻ですが、結婚5年目となる2009年に離婚をしており、子供たちの親権はMALIAさん側が持つこととなっています。
離婚原因に関してはKIDさんは多くを語っておりませんが、MALIAさんによると、KIDさんの「浮気と金銭感覚の違い」が離婚の大きな理由になってしまったという話です。
MALIAは、山本との離婚原因について「浮気と金銭感覚の違い」と挙げ、実際には「車を何台も買い替え、ぽんぽんと新しいものを買ってきたりもした。一時は家に何台も車があったりして困った」と告白。さらに結婚当初から「元夫が自由すぎてつらかった。言い合いばかりを繰り返し、自分の中で気を張っていて、自分を保つのに必死だった」と振り返り「女性問題が積み重なり、別居するようになった。すぐに別れるのではなく、納得がいくまで考えようと思い、2年くらい別居期間があった」と離婚に至る経緯も説明した。
KIDさんは子供たちの良きパパではあったものの、MALIAさんにとっては良き夫ではなかったということなのでしょうね。
離婚後のMALIAは実業家として成功した
山本KID徳郁さんとの離婚後のMALIAさんですが、現在はブラジリアンワックスのサロン経営などで成功をしており、実業家の肩書も得ています。
一方でKIDさんは、MALIAさんから養育費の支払いが不安定であることをテレビ番組などで暴露されるなど、様にならない一面を露呈させてしまうことにもなりました。
離婚後は、引っ越し程度の慰謝料を受けとるも「お金のことで困った。まずは電卓を購入し、3人の子供を育てる金額を計算した」と苦労しながら起業。養育費についても「元夫は、思いついたときに養育費を払ってくる。言ってきた分の金額を、その時々で受け取っている」と赤裸々に明かしている。
男性関係に関して相変わらず奔放なMALIAさんは、2014年に7歳年下のJリーガー・佐藤優平さんと3度目の結婚を果たしたものの、佐藤さんが東京から地方クラブに移籍したことをきっかけに「遠距離結婚生活」が続いたため、2017年に離婚してしまいました。
結婚後は、佐藤選手の移籍で結婚半年余りで「遠距離結婚生活」になったというMALIA.。「東京と新潟、東京と山形と、別々に暮らす中で互いに家族として十分な時間を保つ事が出来なかった」と明かし、自身も「プロアスリートの妻として彼をきちんとサポート出来ない自分に対しても、もどかしさ、寂しさが日々大きくなっていました」と思いを告白した。
3度目の離婚にめげることもなかったMALIAさんは、同じ2017年に、9歳年下の元Jリーガーのハーフモデルである三渡洲舞人(さんとす まいと)さんと4度目の結婚をしております。
2018年8月には、三渡洲さんとの間に第四子となる次女を出産しているMALIAさんでしたが、ネット上では既に4度目の離婚時期や次の結婚相手に対して注目が集まっている状況です。
MALIAの離婚→再婚→妊娠発表のスピード感、毎回楽しみにしちゃってる自分がいる。不謹慎だけど次の相手はどんなサッカー選手かな、と。https://t.co/LMcAQ2E2pn
— 秋山悠紀 (@yukiakiyama1223) 2018年3月15日
山本KID徳郁は一般女性ゆいさんと再婚をしていた
山本KID徳郁、一般女性ゆいさんと極秘再婚していた
MALIAさんとの離婚後の山本KID徳郁さんですが、2011年11月28日になると、一般女性のゆいさんと極秘再婚をしていたことをインスタグラムにて発表しています。
KIDさんが、極秘再婚の事実を明かした理由は、第三子にあたる次女の千ちゃんが生まれたことをファンたちに公表したかったからのようですね。
総合格闘家の山本“KID”徳郁(37)が再婚していたことが28日、わかった。同日、自身のインスタグラムで第3子女児誕生を報告し「平成26年11月25日 娘誕生 山本 千(せん) Yamamoto Sen 七福神に居そうな女の子w」と写真付で紹介。愛娘の名前も公表した。
ゆいさんのプロフィールや馴れ初めに関しては、KIDさんが情報を公開していないため不明となっておりますが、KIDさんは、過去のとある騒動の時に、ゆいさんの個人情報の一部を週刊誌記者に語っていたりもします。
山本KID徳郁、ゆいさんとのデート中に人助けをした過去があった
山本KID徳郁さんといえば、2012年の4月に都営浅草線五反田駅構内にて、ホームから転落したお爺さんを助けたことでも知られています。
4月12日の終電間近、多くの人でごった返す東京・都営浅草線五反田駅構内の線路に、老齢の男性がホームから転落した。落ちた男性は、額から大量の血を流し、ぴくりともしない。しかし、その場にいた誰もがいつ来るかわからない電車に怯え、何もできずにいた。そこへ割ってはいってきたひとりの男性──人気格闘家の山本“KID”徳郁(35才)だった。素早い動きで、線路に飛び降りると、男性を抱え上げようとした。
「KIDさんの男気に勇気をもらったんでしょうね。ためらっていたサラリーマンたちも線路に降りて、危機一髪、みんなで男性を抱え上げました」(目撃した人)
実はこの騒動の時に、KIDさんはゆいさんとデート中でもあったようですね。
人助けをしたKIDさんが彼女連れだったという情報を聞きつけた週刊誌記者が、後日に取材に出向いた際に、KIDさんはゆいさんに関して下記記事のように語っております。
「彼女です(笑)。最初は友達で、気があって、まぁそこはいいじゃないですか(笑)。つきあい始めたのは1年くらい前かな。26才で飲食店で働いてます。笑いのツボがピッタリ合う、すげぇいい子」
山本KID徳郁、結婚の決め手はゆいさんの献身愛だった
山本KID徳郁さんがゆいさんと結婚した理由に関しては、持病化していた頚椎ヘルニアの治療のために入院した際、ゆいさんに献身的に看病してもらったことが決め手となったようですね。
当時のKIDさんは、病院のベットの上で寝たきり状況になるというかなり心細い状況でしたので、毎日病院に通って来ては、自分の身の回り世話を焼いてくれたゆいさんの優しさに、心の底から惚れてしまったということなのでしょうね。
山本KID徳郁はかなり複雑な家庭を築いてしまった
山本KID徳郁、ゆいさんとの間には子供が2人いる
山本KID徳郁さんとゆいさんの間には、2017年8月になると、第四子となる次男・虎くんも生まれております。
母親違いの子供を2人ずつ作ることとなったKIDさんですが、これも山本家の遺伝子の為せる技と言えるのかもしれません。
姉の山本美憂さんも、1番目の夫である元サッカー選手・池田伸康さんとの間に長男を出産した他、3番目の夫であるアルペンスキー元日本代表選手・佐々木明さんとの間にも次男と長女を生んでいたりもします。
ちなみに美憂さんは佐々木さんとも離婚してしまい、バツ3の身の上となりました。
妹の山本聖子さんも、1番目の夫であるハンドボール元日本代表選手・永島英明さんとの間に長男が生まれた後離婚し、2番目の夫であるMLB選手・ダルビッシュ有さんと再婚しています。
現在の聖子さんは、ダルビッシュさんとの間に次男と三男が誕生している状況です。
幼少期からレスリング一家として切磋琢磨し、プライベイトでも仲良しと知られている山本3姉弟だけあり、異性関係のルーズさも似てしまったということなのでしょうね。
山本KID徳郁の現在~消化器系のがんで闘病も2018年9月に死去
山本KID徳郁、2018年8月にインスタグラムでがんを公表
山本KID徳郁さんですが、2018年8月26日に、インスタグラムにてがんで闘病中であることを公表しておりました。
総合格闘家の山本“KID”徳郁(のりふみ、41)が26日、自身のインスタグラムを更新し、がんで闘病中であることを明かした。
「私事で急なご報告となりますが、私山本KID徳郁はガン治療のために頑張っています。絶対元気になって、帰ってきたいと強く思っていますので温かいサポートをよろしくお願いします!」(原文ママ)と報告し、がんに打ち勝つ決意をつづった。
衝撃のがんカミングアウトの翌日になると、「週刊FLASH」の記事により、KIDさんがグアムで療養生活中であることや2016年頃より消化器系のがんを患っていたという状況まで暴かれることになりました。
「週刊FLASH」記事によると、KIDさんはグアムでは車椅子で移動しているらしく、既に自分の足で歩けないほど体が衰弱しきっている状況でした。
「消化器系のガン治療のため、グアムの病院で闘病生活を送っている。本人はふらついて、歩けないほどだ。日本を離れ、グアムで治療しているのは、周囲の目を気にしてのことだという」(同前)
グアムには、ゆいさんや2人の子供たちはもちろん、山本美憂さんや山本聖子さんも駆けつけて、KIDさんの療養生活をサポートしていると言われております。
山本KID徳郁、がん公表前から激やせぶりで病気を心配されていた
山本KID徳郁さんはあまりの激やせぶりにより、レギュラー出演していたAbemaTVの「格闘技代理戦争」の視聴者の間では、がん公表以前から体調不良説が囁かれておりました。
格闘技代理戦争、最新話見ましたが先週までと比べてKID痩せすぎでは…
— きうちさん (@k2_mma_) 2018年5月27日
パーカー来てるVTR見ると体まで萎んでるように見えますが?
長袖なんでハッキリとはわかんないですがなんか心配ですね
格闘技代理戦争、次は女子ほんまにやるのかな
— Dさん (@D02760586) 2018年7月14日
というかkid途中から痩せて番組にも出なくなったから、どこか悪いのかな
また、2018年6月に、クラウドファイティングサイト「CAMPFIRE」を利用して出資者を募集していた「“神の子”山本KID徳郁と一緒に未来のチャンピオンを発掘する」のプロジェクト中止が発表された際にも、ネット上ではKIDさんの重病説が囁かれていたりもしました。
100 :実況厳禁@名無しの格闘家:2018/06/24(日) 11:18:13.04 ID:YHArp9ts0.net
KIDは多分最近ていうかここ2~3ヵ月以内に病気が発覚した感じだろう自主興行は落選した二人にも出るように勧めてたくらいだしな
104 :実況厳禁@名無しの格闘家:2018/06/24(日) 11:19:41.07 ID:YHArp9ts0.net
次のRIZINで山本美憂が出るんだけど、そこにも顔を出さなかったらもう決まりだね
完全に大病を患っている
恐らく癌だ
115 :実況厳禁@名無しの格闘家:2018/06/24(日) 11:32:46.55 ID:MiHz2UQu0.net
短期間であの痩せ方は異常だったから癌か糖尿か
いずれにしろ重大な病気だろうな
KIDさんの激やせぶりに関する格闘技ファンたちの悪い予感は、まさに的中してしまったと言えます。
山本KID徳郁、がんのステージは未公表だった
山本KID徳郁さんの病状については、これまでに消化器系のがんであるという情報以外は公開されていませんでした。
そのため、KIDさんのがんがどのステージまで進んでいるかは、死去まで不明な状況となっていました。
しかしながら、激やせぶりや車椅子でないと移動出来ないという衰弱ぶりから、「KIDさんのがんは、既にかなり進行しているのではないか?」と勘ぐるネットユーザーたちも少なくありませんでした。
また、グアムは既に医療大麻が合法化されているため、「KID さんは、モルヒネを用いないターミナルケア(終末医療)をするために、グアムで療養生活を送っているのではないか?」というネットユーザーたちの憶測も飛んでいました。
療養生活の場を高度ながん治療が受けられるとも思えないグアムに移したKIDさんの病状に関しては、ネット上では悲観的な意見が多い状況でした。
山本KID徳郁、2018年9月18日に胃がんで死去
がん公表から一か月後、山本KID徳郁さんが亡くなったという衝撃のニュースが入ってきました。
「山本KID徳郁を応援して下さった皆様」とし、「山本KID徳郁(享年41歳6ヶ月)が、本日9月18日に逝去致しました。生前に応援、ご支援をして頂きました関係各位、ファンの皆様に本人に変わり御礼申しげます」と発表。「尚、山本家、家族、友人への取材等はご遠慮頂き、ご配慮頂けますようお願い申し上げます」とした。
なお癌の種類は胃がんであったそうです。
胃がんのため療養中のグアムの病院で亡くなった。41歳だった。
山本KID徳郁が癌になった原因とは?~色々な憶測が飛んでいる
山本KID徳郁はタトゥーが原因でがんになったのか?
山本KID徳郁さんががんになった原因に関しては、ネット上では様々な憶測が飛んでいる状況になっております。
KIDさんといえば、全身を覆うタトゥーが印象的な総合格闘家でもありました。
そのため、タトゥーから肝炎に感染し、肝硬変から肝臓がんになるという王道ルートを辿ってしまったのではないかと勘ぐるネットユーザーたちも多いようですね。
実際の話、タトゥーによる肝炎感染例は近年でも多いらしく、健康被害を憂慮して、未成年がタトゥーを掘ることを禁止する条例が存在する自治体なども珍しくないとか。
「日経ヘルス」2015年10月号では、国立国際医療研究センター国府台病院の肝炎・免疫研究センター長、溝上雅史氏が、今日C型肝炎が若い世代で散見される点について「その多くが、ピアス、入れ墨などによる感染だと考えられる」と述べている。また埼玉県をはじめ、青少年の入れ墨を条例で禁じている自治体が複数ある。そのひとつの茨城県は、ウェブサイト上で「施術の状況によっては、器具から感染症にかかり、健康を害するおそれもあります」と注意喚起をしている。
とはいえ、KIDさんが消化器系のがんとしか公表していない以上は、別の臓器のがんの可能性もあるため、これからの憶測が本当に正しいかどうかは不明と言えます。
山本KID徳郁のがんは遺伝性なのか?
山本KID徳郁さんには、がん体質の一家ゆえに、若くして消化器系のがんに倒れてしまったのではないかという憶測も存在します。
KIDさんの父も姉弟たちもピンピンしているため、一見すると意味不明の珍説に聞こえる憶測ですが、KIDさんは、母親である山本憲子さんを「血液のがん」と呼ばれている白血病で亡くしております。
そのため、「がんと同じ遺伝子異常の病気を疾患した身内がいたということは、KIDさんの家系は、その手の病気にかかりやすい家系なのではないか?」と推理するネットユーザーたちが少なからずいたようですね。
しかしながら現在の医学では、白血病は親から子に遺伝する疾患ではないと結論づけられているため、KIDさんのがんと母・憲子さんの白血病に関連性はない可能性が高いと言えます。
高タンパク質のアスリート食ががんの原因という説もある
山本KID徳郁さんが若くして消化器系のがんに倒れた原因に関しては、アスリート特有の高タンパク質の食事が仇になったのではないかという説も存在します。
南カリフォルニア大学デービス校老年学部の研究チームが、中年期に高タンパク質の食べ物を摂りすぎると、ガンや糖尿病によって早死にする危険性が高まる可能性があるという論文を発表したのだ。
研究チームがさまざまな民族から成る6318名の成人を対象に、過去20年間の既往歴を追跡調査した結果、動物性タンパク質の多い食事を摂っていた人は、ガンで死ぬ確率が、習慣的喫煙者のそれと同じくらい高くなったという。
ちなみに、中年期に高タンパク質の食事を取り続けることは、男性の場合では、肺がんや結腸直腸がんにかかる危険性を高める行為だそうですね。
高いレベルでスポーツをすることは、体に悪いことばかりだという説は良く聞く話でもありますが、アスリートに必須の高タンパク質な食事すら、体には良くないという意外な事実があるということになります。
とはいえ、こちらの説も結局のところは、KIDさんが結腸直腸がんなのかどうなのかという肝心な部分が不明であるため、ただの憶測の領域を出ない状況と言えます。
山本KID徳郁のがんの原因は現状では不明
ネット上では山本KID徳郁さんのがんの原因に関して様々な憶測が流れていますが、KIDさんが何がんなのかが公表されていないため、どれも決定打に欠ける状況のようですね。
もしかすると、このような下衆の勘繰りを嫌って、KIDさんは病状の詳細を公表していなかったのかもしれませんね。
山本KID徳郁について総まとめをすると・・・
山本KID徳郁さんの身に降って湧いたがん騒動。
山本KID徳郁さんのご冥福をお祈りいたします。