1980年に小学生が誘拐され、無事に保護された宝塚市学童誘拐事件が起こりました。
宝塚市学童誘拐事件の詳細や犯人と被害者の関係や動機、事件の判決とその後の映画化、現在などをまとめました。
この記事の目次
宝塚市学童誘拐事件とは
宝塚市学童誘拐事件とは、1980年1月23日に発生した身代金目的の誘拐事件です。
被害者は小学1年生の子供で、身代金3000万円を要求されましたが、無事保護されています。
小学生が誘拐される
1980年1月23日、兵庫県宝塚市在住の小学1年生が誘拐されました。被害者は大阪府豊中市にある私立小学校に通っている小学1年生で、学校から宝塚市にある自宅へ下校途中に阪急中山駅(現在の中山観音駅)誘拐されています。この被害者の父親は歯科医師をしていました。
歯科医師の自宅に身代金要求の電話がかかってきたのは1月23日16時40分ごろです。この時、犯人は歯科医師に身代金3000万円の要求をしました。犯人は誘拐事件のによくある展開そのままに「警察には知らせるな」と被害者両親に伝えましたが、両親は兵庫県警に通報します。
兵庫県警はすぐに捜査に入りました。また、小学1年生の子供の身代金誘拐事件ということで、マスコミ各社と報道協定が結ばれました。20時36分の時点では県警記者クラブに属する一部の新聞社とは連絡が取れませんでしたので、仮協定でしたが、その後本協定が成立しています。
犯人逮捕&無事保護
その後、1月25日までに8回も犯人から電話が入り、身代金の受け渡しの指示がありました。被害者両親は身代金を持って、指示された場所に向かいますが、犯人が警察がいることに気づき、身代金の受け渡しは失敗していました。
犯人は被害者の児童を車のトランクに乗せて最後の身代金受け渡し場所に向かうものの、やはり警察がいることに気づき、取引を断念します。その後、犯人の車のガソリンが尽き、武庫川の堤防に車を停めていたところ、15時前に自動車警ら隊2人に職務質問されました。
警官2人はトランクに入れられている被害者児童を発見し、犯人を緊急逮捕しています。被害者児童は両手両足、口と目にガムテープを貼られていて、衰弱していましたが、誘拐から約47時間後に無事保護されています。
被害者を保護し、犯人が逮捕されたことで、1月25日15時30分に兵庫県警は報道協定を解除しています。
宝塚市学童誘拐事件の犯人の子供は被害者と学校が同じ
宝塚市学童誘拐事件は被害者が無事保護され、犯人も逮捕され、最悪の事態は免れました。そして、捜査が進む中で、犯人と被害者児童との関係や犯人の動機などが明らかになりました。
犯人の子供と被害者は学校の同級生
被害者児童は行き当たりばったりで誘拐されたわけではなく、「歯科医師の子供」ということを犯人が知っていて、身代金を取れると踏んで誘拐されたのです。
なぜ、犯人は被害者児童が歯科医師の子供だと知っていたのか?それは、犯人の息子や被害者児童が同級生だったからです。被害者児童は豊中市の私立小学校に通っていましたが、犯人の息子も同じ小学校に通っていました。
そして、犯人は自宅にあった子供の学校名簿を見て、PTA会長の歯科医師の住所を知り、身代金目的の誘拐を思いついたようです。
自分の親が誘拐犯になったというだけで、子供にとって大きなショックだと思います。それに加えて、被害者が自分の同級生だ知ったら、犯人の子供の心の傷を思うとやり切れないものを感じます。
犯人の動機は借金
犯人が身代金誘拐を実行に移した動機は借金です。
容疑者はサラリーマンをしていましたが、喫茶店経営の夢を持っていて、サラリーマンを辞め、喫茶店のバーテン・雇われマスターの経験をして、その後に大阪市内で自分のお店を出しました。
しかし、知人の頼みで300万円の手形を貸しましたが、知人が返済できないために、知人と一緒に韓国人から2000万円をだまし取ります。しかし、それが暴力団にバレて、喫茶店を閉めて妻子と一緒に箕輪市内で隠れるようにして暮らしていました。
自分の喫茶店の利権や身内からの借金などで、ようやく韓国人に2000万円を返済することができましたが、その後は定職に就くことなく、生活費が足らなくなり、子供の授業料も滞納するようになっていきます。そして、子供の学校の名簿を見て、身代金誘拐をすることを思いついたのです。
生活費がないなら、なぜ子供を私立の小学校に通わせていたのでしょうか。真面目に働いて、子供は公立の小学校に通わせていたら、こんな事件を起こさずに済んだはずなのに・・・。
宝塚市学童誘拐事件の判決
宝塚市学童誘拐事件では事件発生から47時間後に犯人が逮捕され、被害者児童も保護されましたが、その後はどのように裁判が進み、どのような判決が出たのかはほとんど報道されていません。もしかしたら、被害者児童に配慮されたのかもしれません。
そのため、犯人の判決については、2ちゃんねる(5ちゃんねる)での情報のみになります。
宝塚市学童誘拐事件では懲役9年を求刑されましたが、心神喪失状態であったこと、精神疾患を患っていたこと、犯行に至った経緯などを鑑みて、執行猶予付きの判決になったそうです。
ただ、これはあくまでもインターネット上の情報なので、真偽のほどはわかりません。ただ、死刑や無期懲役にはなっていないものと思われます。
誘拐(未成年者略取)では、「無期または3年以上の懲役」となっていますので、「懲役9年」の球形で、心神喪失+精神疾患のコンボなら、執行猶予付きの判決というのは真実なのかもしれません。
宝塚市学童誘拐事件のその後①:読売新聞社にペナルティ
宝塚市学童誘拐事件はその後、読売新聞社にペナルティが課されました。宝塚市学童誘拐事件では、被害者児童の人命第一のために、マスコミ各社は報道協定を結び、事件に関する報道は行いませんでした。
報道協定とは1960年の「雅樹ちゃん誘拐殺人事件」をきっかけにできたマスコミ間の協定で、人命がかかっている場合は報道を一切控えるという取り決め・協定のことです。
この宝塚市学童誘拐事件でも、被害者児童の安全のために、マスコミ各社は報道協定を結びました。
しかし、読売新聞社は勇み足をしました。まず、報道協定が結ばれた後、被害者児童が誘拐された翌日の1月24日9時過ぎ、読売新聞の宝塚直売所に、読売新聞本社・支社の前線待機本部を設置しました。宝塚直売所に待機本部を作ったのは、捜査本部がある宝塚署からも被害者宅からも近く、さらに周辺は人や車の動きが激しくて、読売新聞の記者が出入りしても目立ちにくいからです。
そして、読売新聞社は容疑者逮捕の瞬間をヘリコプターで上空から撮影しました。これは、おそらく前線本部から情報を得ていて、ヘリコプターを飛ばしていたものと思われます。
ただ、この時はまだ報道協定は結ばれていた状態でした。つまり、マスコミ各社は宝塚市学童誘拐事件のことは報道しないと決められていた状態で、報道協定が解除されたのは逮捕後のことです。それなのに、読売新聞社は抜け駆けしてヘリコプターで逮捕の瞬間を撮影しました。
このことで協定違反に問われた読売新聞は、兵庫県警察記者クラブから無期限の出入り禁止処分を受けています。ただ、結局は3ヶ月で出入り禁止処分が解かれたので、スクープを撮ったことと天秤にかければ、それほど重い処分だったとは言えないでしょう。
宝塚市学童誘拐事件のその後②:映画化された
出典:amazon.co.jp
宝塚市学童誘拐事件は犯人逮捕から2年後の1982年に「誘拐報道」というタイトルで映画化されました。
誘拐した犯人側の家族、被害者側の家族、さらには警察と報道機関の間で交差するそれぞれの思惑までをも描き、事件のやりきれなさが迫りくる傑作。
・犯人:萩原健一
・犯人の妻:小柳ルミ子
・犯人の子供:高橋かおり
・被害者児童:和田求由
・被害者父:岡本富士太
・被害者母:秋吉久美子
その他、宅麻伸や藤谷美和子、中尾彬、池波志乃、平幹二郎、伊東四朗などの豪華メンバーが出演しています。主人公は誘拐犯の萩原健一で、読売新聞が出版したドキュメンタリー「誘拐報道」を原作とした映画です。
報道協定を守らなかった読売新聞が「誘拐報道」の原作を出すというところが、報道の難しさを感じますし、マスコミの「転んでもただでは起きない」というたくましさを感じます。
この映画は、主演の萩原健一さんが第6回日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を受賞し、小柳ルミ子さんは最優秀助演女優賞を受賞しました。しかし、なかなかソフト化されない映画でもありました。
1990年にVHSとなり、2015年になってようやくDVD化されています。なぜ、なかなかソフト化されなかったのか?これは一説には児童ポルノに抵触するからではないか?と噂されています。
この「誘拐報道」の中には、萩原健一さんと娘役の高橋かおりさん(子役)の入浴シーンがあります。時代的なこともあり、子役の入浴シーンはあまり隠されておらず、子供の裸が映っているので、そのことで児童ポルノとして扱われてしまったのでは?というわけですね。
宝塚市学童誘拐事件の犯人の現在
宝塚市学童誘拐事件の犯人は、現在も生きていると思われます。宝塚市学童誘拐事件が起こった1980年当時、犯人は33歳でした。ということは、2022年時点で75歳になったと思われます。男性の平均寿命を考えると、まだ生きている可能性が高いです。
また、不確かな情報ですが、2010年にこの犯人は違う事件で逮捕されているようなんです。
和歌山県警田辺署などは2日、資材置き場から鉄板を盗んだとして、窃盗の疑いで和歌山県御坊市、無職中嶋唯佳容疑者(64)を逮捕した。田辺署によると、現場から走り去るトラックを、釣りに行く途中の男性(46)が不審に思い、車で約60キロ追跡したのが逮捕につながった。トラックは鉄板の重みで荷台が不自然に下がった状態だったという。
この逮捕された男性と宝塚市学童誘拐事件の犯人は同姓同名であり、年齢も一致するようです。もし、この人物が宝塚市学童誘拐事件の犯人だとしたら、その後も改心せずに、犯罪を繰り返していたのかもしれません。鉄板を盗むなんて、常習犯がやることだと思うので。
ただ、あくまでも不確かな情報ですので、この人物と宝塚市学童誘拐事件の犯人が同一人物かはわかりません。
宝塚市学童誘拐事件のまとめ
宝塚市学童誘拐事件の詳細や被害者児童と犯人の関係、判決やその後の映画化や現在などをまとめました。
宝塚市学童誘拐事件は、無事に被害者児童が保護されて本当に良かったです。被害者児童のその後も心配ですが、犯人の子供もその後どうなったのか心配ですね。