かつてプロレス界において「帝王」という名をほしいままにし、一時代を築き上げたレジェンド・高山善廣さんですが、2017年5月の試合中の事故で頸髄損傷して全身不随となり現在までリハビリを続けています。
この記事では、高山善廣さんの若い頃の伝説や事故動画、結婚した嫁や子供、そして現在などについて詳しくまとめましたのでご紹介します。
この記事の目次
高山善廣のプロフィール
リングネーム: 高山 善廣
本名: 高山 善廣(たかやま よしひろ)
ニックネーム: 帝王
身長: 196cm
体重: 125kg
誕生日: 1966年9月19日
出身地: 東京都墨田区
所属: 高山堂
プロレスラーの高山善廣さんは、元々ラガーマンで高校時代はラグビー部に所属。当時は湘南の海岸でライフセーバーのアルバイトをしており、一説ではライフセーバーのアルバイト中の事故により右耳がほとんど聞こえなくなってしまったそうです。
高校卒業後の高山善廣さんは東海大学に進学しするも、プロレスに興味を持ち大学を休学して「UWF」と言うプロレス団体に入門。しかし、ラガーマン時代の古傷が再発し、1ヵ月ほどで辞めると言う挫折を味わっています。
高山善廣の若い頃…ドン・フライとの伝説の試合で一躍有名に【試合動画あり】
高山善廣、営業マンからプロレスラーとしてデビュー
高山善廣はアジアと世界のタッグ王座に輝いた
高山善廣さんは東海大学を卒業後に、「フジサンケイグループ」に就職して営業マンをしていましたが、プロレスラーになることを諦めきれず、宮戸優光さんに相談して立ち上げ間もない「UWFインターナショナル」に再入門。そして、高山善廣さんは1992年6月に金原弘光戦でデビューしました。
1997年3月には高山善廣さんは前年に敗北を喫した川田利明さんにリベンジをするためにフリーになって全日本プロレスに参戦し、同団体の正式所属選手となり、その後、高山善廣さんは大森隆男さん、浅子覚さんと「NO FEAR」を結成し、プロレス界史上初となるアジアタッグ王座、世界タッグ王座の同時制覇を達成しました。
高山善廣さんは2000年に全日本プロレスを脱退し、プロレスリング・ノアの旗揚げに参加しました。
そして、2001年に高山善廣さんは格闘技ブームで注目されていたPRIDEに参戦し、個人事務所「高山道」を立ち上げました。
高山善廣とドン・フライの伝説の試合
高山善廣の世間での知名度が急上昇した伝説の一戦
高山善廣さんはそれまでプロレスファンの間だけで知られた存在でしたが、PRIDEに参戦したことで一般的な知名度を獲得するようになりました。
その中でも、高山善廣さんがキャリアの中で最も鮮烈な印象を残すことになった伝説の試合がドン・フライとの一戦でした。
ドン・フライはレスリング全米選手権を制したほどの世界的強豪選手であり、ボクシングや柔道のプロフェッショナルで初期の総合格闘技「UFC」で優勝経験もあり、新日本プロレスに参戦して、アントニオ猪木さんの引退試合の対戦相手を務めるなど日本でも有名なプロレスラーとして活躍していました。
そんな猛者中の猛者であるドン・フライと高山善廣さんの試合は2002年6月23日のさいたまスーパーアリーナで行われ、2人のプロレスラーの壮絶な殴り合いが見る者を圧倒し後々にまで語り継がれる伝説になりました。
この試合について、プロレスの大ファンであるお笑いコンビ「くりぃむしちゅー」の有田さんが、バラエティ番組『有田と週刊プロレスと』において、「観客全員、スタンディングオベーションだった!」と興奮気味に話していました。
この試合により、高山善廣さんはプロレスファン以外からもファンを獲得することとなりました。
PRIDE伝説の試合の1つ
— 片翼の天使 (@I1bbu4xR28GoopT) April 19, 2020
高山善廣vsドンフライが
youtubeで期間限定で高画質で観れます
長い格闘技観戦の中でも
生中継で観れたのは幸せでした
少し興味あるぐらいの人は
試合開始から30秒間だけの
視聴でも十分楽しめると思います‼️
是非観てみてくださいhttps://t.co/uLyC1gm14F
高山善廣の結婚した美人嫁と子供について
高山善廣、嫁は元モデルの奈津子さん
高山善廣の嫁は元モデルで美人
高山善廣さんが結婚した嫁は元モデルの奈津子さんです。1968年7月22日生まれの神奈川県出身で、年齢は高山善廣さんより2つ年下となりますが、奈津子さんとの馴れ初めは大学卒業後に知り合ったと言われています。
2人は2001年に結婚しましたが、現在の頸髄損傷で寝たきりになっている高山善廣さんの食事の介助等をして支えている姿から奈津子さんは良妻のようです。
高山善廣さんがリハビリに励んでいるため、奈津子さんはあえて「頑張れ」と言わないようにしていると言われています。
高山善廣に子供は息子が1人
高山善廣の一人息子はジャイアント馬場の命日に生まれた
高山善廣さんと奈津子さんの間には息子が1人いるようです。2007年1月31日生まれで、名前は義弘(よしひろ)くんで父親と異字同音のようですね。
前述のように高山善廣さんは全日本プロレスに所属していた時期がありましたが、創立したジャイアント馬場さんが亡くなったのは1999年1月31日と義弘くんの誕生日と重なり不思議な縁があるようです。
父親と同様に車とチョコが大好きなようで、義弘くんはミニ四駆が大好きで「2015全日本模型ホビーショー」においてタミヤのミニ四駆レースに参戦した経験も。
ちなみに高山善廣さんの愛車はアメリカ車の70年式シボレー・マリブで、28歳の時に購入したそうです。
愛車CHEVROLET MALIBU
— Yoshihiro Takayama (@Takayamado) December 20, 2018
⇒ https://t.co/ygsSYKNkTe #アメブロ @ameba_officialさんから
高山善廣の試合中の事故…脊髄損傷により全身不随に【事故動画あり】
高山善廣が試合中の事故で頸髄損傷
プロレスファンに衝撃を与えた高山善廣の頸髄損傷事故
2017年5月4日に行われた「DDT豊中大会」において、高山善廣さんはヤス・ウラノさんに前方回転エビ固めをかけようとした際に、マットで頭部を強打し、そこにヤス・ウラノさんの全体重がかかってしまったため頸髄を損傷してしまいました。
高山善廣さんはすぐに大阪市内の病院に搬送されましたが、翌日の検査の結果で頸髄損傷および変形性頚椎症と言う診断をされ手術を受けることになりました。
その後、週刊誌「週刊文春」が2017年8月に高山善廣さんの容体について報道した内容では、首から下が動かず自力での食事や排泄が困難であり、大阪市内の病院で入院していると言うことでした。
なお、事故直後の手術後には高山善廣さんは自力呼吸ができない上に、心臓停止してしまう非常に危険な状態にも陥っていたことがわかっており、奇跡的に一命を取り止め自力呼吸ができるようになったと言うことでした。
しかし、担当した医師からは回復の見込みは無いと言われるほどの絶望的な状況だったようです。
事故から現在のリハビリ様子までは下記の動画で確認できます。
高山善廣の親友・鈴木みのるが募金呼びかける
高山善廣さんの深刻な状態を受けて、DDTが中心となって支援団体「TAKAYAMANIA」が設立されました。
設立会見に出席した高山善廣さんの親友である鈴木みのるさんは、「UWF」時代の先輩である前田日明さんや高田延彦さんに涙を流しながら支援を呼びかけました。
そして、この日参戦した後楽園ホール大会の鈴木みのるさんのグッズ販売コーナーに高山善廣さんを支援する募金箱を設置し、その翌日からは新日本プロレスや全日本プロレスなど各団体も自作の募金箱を作って設置し高山善廣さんの支援を後押ししました。
「TAKAYAMANIA」の旗振り役に名乗りを上げた鈴木は「偽善者」「カネ集め」と誹謗中傷に苦しむことがあったが「でも、俺はそんなの関係なく、友達のために活動を続けているだけだから」と受け入れており、さらに「自分のひとつのライフワークになるのかなと思ってるんで。数年で解決することじゃないのはわかってるから、これからもあいつが戻ってくるまで、10年後も20年後もやるつもりだよ」と決意の程を示した。
鈴木みのるさんは、大会の最後には「みんなのポッケにある10円玉1枚でもいいから、帰りに募金箱に入れていってください」と本人も高山さんの支援を呼びかけました。
高山善廣の現在…因縁の相手ドン・フライとの再会に再起を誓う
懸命にリハビリに励む高山
高山善廣さんは自己統治の様子についてインタビューを受け、死んでいれば良かったと思っていたことを明かしました。
高山:早いね。あの直後は「何で生きているんだろ」って思っちゃった。正直ね、「このまま死んじゃったほうが楽だ」と思った。なんか重くなっちゃうよ、こんな話したら。今でこそ自分の手と足があることは分かるんだけど、意識が戻ったばかりのころは体が全くないと思ったくらいだった。下を向けないから、目でも確認できない。それくらいひどい状態だった。だから「あーあ。ダメじゃん。もう終わりじゃん」しかなかった。そのほうがミッキー・ロークの映画みたいに格好よく終われたじゃん。
高山善廣さんは嫁の奈津子さんにもこうした事を漏らしたことがあったようですが、「子供もいるんだから、そんなこと言わないで!」と強い口調で言われ申し訳なさを感じたと語っています。
その後現在までに、高山善廣さんは懸命にリハビリに励み続け、奇跡の復活を信じてがんばり続けています。
また、番組の企画で伝説の試合をした因縁のライバルであるドン・フライとも再会しています。
最後に高山善廣さんのファンに向けてのメッセージを紹介してこの記事を締めたいと思います。
高山:プロレスラーだけど、ベッドで寝ているだけのオッサンを応援してくれて本当にありがとうございます。いつになるか分からないけど、ファンの人たちの前に出てあいさつをしたい。俺が(1992年6月28日に)デビューした博多スターレーンが終わった(3月31日で閉館)なら、俺もきっちりプロレスラーを終わりたいから。そのために今、リハビリをやっています。
高山善廣についてまとめると…
・高山善廣はPRIDEで戦ったドン・フライとの壮絶なタイマン勝負によりプロレスファン以外にも多くのファンを獲得した
・高山善廣は2001年に元モデルの奈津子さんと結婚し、子供は息子が1人いる
・高山善廣は2017年5月の大会で頸髄損傷の重傷を負って全身不随となったが、奇跡の復活を信じてリハビリに励み続けている
スポーツ選手や芸能人の中には活動中の事故で高山善廣さんのように頸髄損傷や頚椎損傷などで全身不随や半身不随になってしまうケースがありますが、中には復帰する人も少なくない中高山善廣さんのケースは特に重いようです。
それでも、もし高山善廣さんが今後奇跡の復活を遂げて100%でなくてもリングに立つことができたら多くの人に勇気を与えることでしょう。