内柴正人さんといえば、五輪2大会連続金メダルという輝かしい実績を持ちながらも、セクハラ事件により失脚した柔道家です。
この記事では、内柴正人さんの家族情報やセクハラ事件の概要の他、最近公開された獄中手記と仮出所後の現在をまとめました。
この記事の目次
内柴正人のプロフィール
名前:内柴正人(うちしば まさと)
出身地:熊本県合志市
生年月日:1978年6月17日
最終学歴:国士舘大学体育学部卒業
身長:160cm
アテネ五輪と北京五輪で2大会連続の金メダルを獲得するなどの活躍を見せた内柴正人さんは、00年代の日本柔道界を代表する柔道家の1人でした。
引退後は、九州看護福祉大学の女子柔道部コーチと客員教授を兼任していた内柴さんですが、2011年11月に栄光の現役時代に泥を塗るスキャンダルが発覚してしまいます。
内柴さんの身に降って湧いたスキャンダルとは、指導している女子柔道部員へのセクハラ疑惑となります。結果的には、疑惑のまま終わらずに準強姦罪として起訴されて、2014年に懲役5年の実刑判決が確定してしまいましたが、2017年9月15日に仮釈放されています。
内柴正人の家族情報!2歳年下の嫁がいた
小柄ながらもイケメンスポーツマンということで、女性にはかなりモテたらしい内柴正人さん。
内柴正人さんは、2002年に、2歳年下の内柴あかりさんと結婚をしています。この頃の内柴さんは、全日本選抜柔道体重別選手権などでの優勝経験こそあれ、世界選手権のメダルすら取れていない時期でした。
糟糠の妻と言えなくないあかりさんは、色白の美人というだけでもなく、夫を陰で支えるような内助の功を発揮していた女性だったと言われております。
エリート柔道人生のせいか、学生時代から素行に難のある俺様気質だったと言われている内柴さん。勝ち気な性格の女性との結婚だったならば、2011年のセクハラ事件以前に離婚していた可能性も高いと思われます。
内柴正人の嫁は接骨院を経営していた
接骨院を開業するためには、柔道整復師の資格が必要です。
専門学校に通いながら資格を取得するのがポピュラーな方法ですが、3年で400万円の学費がかかると言われている資格となります。
内柴正人さんの妻であった内柴あかりさんは、かつては接骨院を経営していました。もちろん、あかりさんの実家が接骨院を経営していたというわけではなく、不安定な職業である夫をサポートするために開業した接骨院となります。
あかりさんは、接骨院開業のために専門学校に通い、柔道整復師の資格まで取得しています。
柔道整復師とは、骨・関節・筋・腱・靭帯などに加わる急性、亜急性の原因によって発生する骨折・脱臼・打撲・捻挫・挫傷などのけがに対し、手術をしない「非観血的療法」によって、整復・固定などの治療を行うことができる専門家です。
柔道整復師の施術とは、①整復法、②固定法、③後療法の3手技を言います。
引用:柔道整体師とは
あかりさんが接骨院を開業していた場所は、熊本県玉名市にあった夫婦の新居の敷地内であり、いずれは柔道の道場も併設して、内柴さんと2人で切り盛りするのが目標だったようです。
内柴正人の子供は2人!一男一女だった
北京五輪では内柴あかりさんと一緒に、試合会場で内柴正人さんの試合を観戦していた長男・Aさん。
父親の勇姿は、記憶のどこかにいまだに残っているのかもしれませんね。
内柴正人さんには、2人の子供がいます。
第一子となる長男・Aさんは、2004年に生まれており現在中学生となります。ニ世選手の多い日本柔道界なので、本来なら内柴さんの後を継いで柔道家を目指し、天才少年と騒がれていた人物なのかもしれません。
しかし、父親である内柴さんが日本柔道界の顔に泥を塗る大スキャンダルを巻き起こしてしまったため、柔道はやっていないでしょうね。
第二子となる長女・Bさんに関しては、2009年に生まれております。現在は小学生となりますが、母と兄に守られて健やかに育っているのではないかと思われます。
内柴正人のセクハラ事件!被害者は未成年だった教え子
事件当時のCさんは未成年であったとも言われております。
教育者の身でありながら、内柴さんが未成年の飲酒を黙認していたことも問題視された騒動となりました。
内柴正人さんのセクハラ事件ですが、2011年9月に東京・八王子で実施された九州看護福祉大学女子柔道部の強化合宿最終日に起こっています。
強化合宿最終日の夜に、内柴さんは女子部員たち数名を誘って、焼肉店に向かったと言われております。この事件の被害者となった女性Cさんも参加した打ち上げとも言える食事会は盛り上がり、女子部員たちも酒が進んでしまったようです。
その後、二次会としてカラオケ店に向かった内柴さん一行は、そこでも酒を飲みながら盛り上がり、Cさんも泥酔状態となってしまいました。前後不覚状態となったCさんに関しては、内柴さんが宿泊先のビジネスホテルまで連れて帰り、宿泊部屋まで無事送り届けました。
本来なら引率者としての責任を無事果たしたという場面ですが、そこで性欲が生じてしまったのが内柴さんの運の尽きとなります。
合意もなしに、泥酔状態の教え子を相手に行為に及んでしまった内柴さんは、その後Cさんから訴えられるという事態に陥りました。
内柴正人は何故合意なしの行為に及んでしまったのか?
体育会系の世界は、男女ともに肉食系が多いと言われています。
ただし、全員がそうではないことに気が付かずに暴走してしまった結果、内柴正人さんは身を滅ぼしてしまったと言えますね。
内柴正人さんと九州看護福祉大学女子柔道部の面々に関しては、フランクな付き合いだった部員も少なくなかったことは確かなようです。
大学の近所の居酒屋などに、女子部員たちをつれて飲みに来ている内柴さんの姿は、良く見かける光景だったと言われています。地元の柔道関係者たちからは、「柔道の教え方も上手く、イケメンな内柴は女子柔道部員たちからも慕われていた」との評価も残っていたりもしました。
実際、内柴さんと親密な仲の女子柔道部員なども何名かいたとも言われております。そのため、女子柔道部員たちとの近すぎる距離感が、内柴さんの倫理面に悪影響を及ぼしてしまったことは確かでしょうね。
内柴正人は教え子からの告発を否定!しかし大学側から解雇された!
行為の際に双方の合意があったか否かの問題は、水掛け論になってしまいがちな話題でもあります。
しかし、内柴正人さんのセクハラ事件においては、泥酔状態だったCさんが性行為に合意をすることは不可能だったと考えるのが客観的な判断でしょうね。
内柴正人さんのセクハラ事件が世間に発覚したのは、2011年11月となります。九州看護福祉大学側はCさんの訴えを聞き届け、事件が公になる以前から内柴さんを自宅謹慎処分にしていた模様です。
五輪金メダリストの不祥事に関しては、内柴さんや大学にマスコミの取材陣が群がる形となりましたが、内柴さんはマスコミを相手に「合意の上の性行為」と身の潔白を主張します。
しかし、2011年11月29日に大学側が設けていたセクハラ事件の調査委員会の判断が下り、内柴さんは大学を解雇処分となってしまいました。
九州看護福祉大(熊本県玉名市)の女子柔道部コーチでアテネ、北京両五輪の男子柔道金メダリストの内柴正人客員教授(33)がセクハラ行為をしたとされる問題で、九州看護福祉大は29日、内柴氏を懲戒解雇処分にしたと発表した。
裁判で明らかになった内柴正人事件の衝撃の事実
合宿中に関係を持った教え子は他にもいた?
ちなみに、裁判中の内柴さんは、一貫してCさんとの行為には合意があったことを主張していました。
セクハラ事件に関しては、起訴された内柴正人さん。しかし、金メダリストの名声は大きかったようで、支援者たちの経済的援助により、6人もの弁護士を雇っての裁判となりました。
内柴さんのセクハラ事件の裁判では、衝撃の事実が次々と明らかになっております。セクハラ事件の起こった合宿最終日の内柴さんですが、実はCさん以外の女子柔道部員・Dさんとも関係を持っていたことが明らかとなっています。
しかも、Dさんは合宿中はCさんの隣室に宿泊していたようで、内柴さんはCさんとの行為後、Dさんの部屋にも乱入して関係を持った模様ですね。Cさん同様に打ち上げに参加していたためか、内柴さんが室内に乱入した際には、Dさんは既に就寝中でした。
そのため、こちらも合意なしの行為となり、Dさん側も1度は警察に被害届を出すなどかなりの揉め事へ発展しました。しかし、Dさんは内柴さんに恋愛感情を告白した過去があったうえ、内柴さんとの行為中に抵抗をしなかった自分への嫌悪感から、最終的には被害届を取り下げています。
内柴正人は部内に愛人がいた?さらには他の女性との間に隠し子も?
セクハラ事件以前から、家族を裏切り続けていた事実が発覚してしまった内柴正人さん。
内柴正人さんの乱れた性に関しては、裁判中に九州看護福祉大学女子柔道部内に愛人がいたことも明らかとなっております。しかも、愛人Eさんとは、セクハラ事件の舞台となった合宿中にも関係を持つほど大胆な関係だったようです。
裁判中には、その他にも別の女性Fさんとの間に隠し子がいたことまで発覚してしまった内柴さん。Fさんの素性に関係しては、プライバシー保護のため明らかになっておりませんが、内柴さんは隠し子を認知して、養育費もきっちり支払っていたと言われていますね。
妻や子供がいながら、複数の女性と浮気をするモラルのなさが、教え子に強引に性的関係を迫るまでの暴走に繋がってしまったのでしょうね。
懲役5年の実刑判決が下った内柴正人!
6人もの弁護士を雇っても実刑判決は回避出来なかった内柴正人さん。
内柴正人さんのセクハラ事件ですが、2014年4月に懲役5年の実刑判決が確定しております。
既に2013年には東京地裁により同様の実刑判決が下っていた内柴さんは、最高裁まで上告して判決を覆そうと試みたものの見事に失敗した形となります。
東京地裁より有罪判決が下った時点で、日本柔道界からは永久追放処分を受けていた内柴さんにとっては、最後の希望が打ち砕かれた瞬間でした。
セクハラ事件発覚後の内柴正人の家族のその後
長男がイジメを受けて内柴あかりは離婚を決意した
内柴正人さんのセクハラ事件における内柴あかりさんの心労は、想像を絶するものだったことは確かでしょうね。
内柴正人さんの妻である内柴あかりさんですが、2012年11月に内柴さんと離婚をしています。
セクハラ事件発覚当初は、内柴さんの無罪を信じて支援をして行く姿勢だったあかりさん。しかし、裁判中に次々と明らかになる内柴さんの乱れた女性関係ぶりに心が折れてしまった部分もあることは確かでしょうね。
あかりさんが内柴さんとの離婚を決意する決定打となったのは、当時8歳だった長男が、セクハラ事件を理由に学校でイジメを受けたことだったようです。
あかりさんに関しては、2012年8月には、セクハラ事件発覚以降閑古鳥が鳴いていた接骨院を閉鎖して、母子揃って熊本を離れたと言われております。
その後のあかりさんたちの消息に関してですが、武士の情けとして週刊誌などでも続報がないため、現在は何をしているのかは不明だったりします。しかし、柔道整復師の資格を持っているあかりさんですから、子供2人を守りながら幸せに暮らしているのではないかと思われます。
内柴正人が2017年12月に仮出所
獄中手記には出所後の野望が書かれていた
内柴正人さんの現在に関しては、2017年12月中に仮出所をしました。
腐っても鯛ということで、内柴さんの周辺では、仮出所後のために色々な人間が動き出していました。
内柴正人さんの仮出所後の身元引受人となっている実業家の光成英一朗さんは、内柴さんから受け取った手紙を獄中手記という形で、マスコミに公開しています。
内柴さんが光成さんに送った手紙の数々には、柔道への想いや仮出所後の夢に関して色々な内容が書かれていました。
内柴さんのセクハラ事件の被害者となったCさんにとっては、未だ傷が癒えない部分もあるでしょうし、内柴さんの社会復帰に複雑な心情を抱いていることは想像出来ますし、理解も出来ます。
しかし、服役を終えた時点で公的には罪を償った形となる内柴さんだけに、社会復帰に対するマスコミや大衆による過度のバッシングは控えるべき話題ではあります。
<柔道では永久追放なので、柔術で勝負します。柔術専門の方々、どうぞ、私を潰してください。歳も39だし、ブランク6年以上。潰す価値もありませんが、お願いします>
内柴さんの仮出所後の夢に関しては、やはり柔道系列の格闘技に携わりたいという願いが強いようです。そのため、「REAL FIGHT CHAMPIONSHIP」という総合格闘技興行を主催している山田重孝さんなどが、内柴さんが柔術のアマチュア大会へ参加出来るように段取りを整えています。
山田さんには、将来的には内柴さんがプロ格闘家に転向するプランなどもあるようですから、「プロ格闘家内柴正人誕生」のニュースが流れる日も来るのかもしれませんね。
また、光成さんも自身の経営する会社に柔道部を設立して、内柴さんを指導者として迎え入れる予定となっております。
内柴さんの仮出所後に関しては、かなり恵まれた環境が用意されていたと言えますね。
内柴正人の現在!仮出所後の活動まとめ|キルギス柔道連盟総監督に就任
仮出所後の内柴正人さんですが、柔術に転向し地元熊本で働きながら練習を開始しています。
その後、2017年11月には柔術のアマチュア大会に参加し、2階級で優勝しました。
そして、2018年7月29日、内柴正人さんがキルギス柔道連盟総監督に就任することが発表されました。
柔道でオリンピック(五輪)2大会連続金メダルを獲得し、柔術家に転向した内柴正人(40)が、中央アジアのキルギス柔道連盟総監督に就任した。29日、内柴のマネジメント会社が発表した。
内柴正人さんがキルギス柔道連盟総監督に就任となった経緯を、内柴さんの所属していた神奈川県にある柔術道場「ALAVANCA」の代表・山田重孝氏が語っています。
実は、ウチの道場の練習生の知人にキルギスの元柔道家がいまして、内柴にキルギスで柔道を教えてほしいという話が来たのです。2024年の五輪に向けて選手を強化したい、そのため監督になってほしいということでした。最初は半信半疑でしたが、2月にキルギスに私と2人で行くと、そこでは、現地の柔道関係者が大歓迎してくれました
事件を起こしたものの、内柴正人さんの実力は高く評価されているようです。
まとめ
本人的には、「まさかこんなことで…」という軽い気持ちの行為で、実刑判決まで下ってしまった形となった内柴正人さん。
内柴正人さんに関しては、海外で柔道指導者となって、自分を追放した日本柔道界を見返してやりたいという心情が綴られている手紙もあったようです。しかし、国内で支援者たちがこれだけの環境を整えてくれている以上は、あえて海外へ移住する必要もないため、仮出所後は日本ベースでの活動になると思われます。
セクハラ事件を反省し、人間として生まれ変わったか否かの部分は、仮出所後の自身の行動で示すしかありません。
仮出所後の内柴さんが支援者たちを裏切る行為がないことを祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。