1999年3月17日に沖縄県国頭郡大宜味村で安室奈美恵さんの母・平良恵美子さんが義弟・平良謙二により殺害される衝撃的な事件が起きました。
安室奈美恵さんの母親殺害事件の経緯と真相、犯人の動機について総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
「安室奈美恵実母殺害事件」実母・平良恵美子が惨殺される・・・
「安室奈美恵実母殺害事件」1999年3月17日に実母・平良恵美子が惨殺される
トップスターの実母が殺害される衝撃事件
事件は1999年3月17日、安室奈美恵さんの実家近くで起きました。
実母の平良恵美子さんと再婚した夫・辰信さんが道路を横断中に辰信さんの実弟・平良謙二が車で二人を轢き、さらにUターンして車を前後させて何度か轢いた後にナタのような凶器で恵美子さんの顔を数回切りつけて殺害しました。
国民的歌姫・安室奈美恵の実母が殺害された事件の概要
まずは安室奈美恵さんの母親・恵美子さんが殺害された状況と安室奈美恵さんのその後の行動について概要をまとめたのでご紹介します。
事件が発生したのは1999年3月17日午前10時40分頃でした。
当時安室奈美恵さんは21歳と成人したばかりであり、母親・恵美子さんも48歳と若く父親がイギリス人であることからハーフであり美人だったようです。
恵美子さんは再婚した夫・辰信さんの実弟である平良謙二に車で轢かれた上で顔をナタで何度も切りつけられ、病院に救急搬送されましたが午前11時48分に死亡が確認されました。
平良謙二は犯行から4時間後に地元の山中で農薬を使った服毒自殺を図り死亡しているところが確認されました。
安室奈美恵さんは事件の前年である1998年に元旦那・SAMとの子供である長男・温人(はると)くんを出産しており、12月から芸能活動を再開したばかりでした。
しかも事件が起きた3月17日はニューシングル「RESPECT the POWER OF LOVE」の発売日であり、当時安室奈美恵さんが出演することが決まっていたアサヒ飲料「nice One」のCMの発表イベントも控えていましたが開催はキャンセルされました。
「安室奈美恵実母殺害事件」マスコミの報道が過熱
国民的歌姫である安室奈美恵さんの実母が殺害されるというショッキングな事件に、マスコミは被害者感情を無視するように亡き実母・恵美子さんと義理の弟・平良謙二の日頃からのトラブルを取り上げて殺害の動機について報じていました。
あまりにマスコミの報道が過熱するあまり、安室奈美恵さんはプロモーションなどを行えず心理的に追い詰められていましたが、事件を受けて長期休業が発表されると誰しもが予想する中で、安室奈美恵さんは3月29日に音楽番組『HEY!HEY!HEY!(フジテレビ系)』に生出演して世間を驚かせました。
安室奈美恵さんは当時仕事への責任感から気丈に振舞っていましたが、2000年1月に自身の公式ホームページ上で引退することも考えていたと明かしました。
しかし、多くのファンからの励ましが殺到して元気づけられたため、”安室奈美恵”として期待に応えていくことで立ち直ることができたと綴っています。
そして、『HEY!HEY!HEY!』で歌った歌が力強さを感じさせる「RESPECT the POWER OF LOVE」であったことから、安室奈美恵さんは歌うことで勇気づけられたことを明かし、他の歌だったなら泣いてしまって歌えなかったかもしれないと語りました。
「安室奈美恵実母殺害事件」事件の詳細を時系列で総まとめ
「安室奈美恵実母殺害事件」1999年3月17日 – 母が殺害される
出産の幸せの直後の地獄を体験した安室奈美恵
安室奈美恵さんは前年に温人くんを出産し幸せの渦中にあったにも関わらず、産休復帰直後に実母を殺害されるという地獄を味わいました。
事件当日の3月17日にシングル「RESPECT the POWER OF LOVE」が発売され、この日は朝から情報番組などで安室奈美恵さんのPVなどが紹介されていました。
午前10時40分
そこに辰信さんの実弟である平良譲二が車で最初に恵美子さんを轢き、辰信さんは驚いて恵美子さんを助けようと駆け寄りましたが、Uターンして突っ込んできた平良譲二の車を避けきれずボンネットに打ち上げられ軽傷を負いました。
平良譲二はさらに車をUターンさせて恵美子さんを轢こうとしたため、辰信さんは恵美子さんを電柱の影に避難させましたが、車を降りてきた平良譲二はナタを持っていたため辰信さんは落ちていた鉄パイプで応戦しましたが、複数回恵美子さんの顔を切りつけられました。
周辺住民が騒ぎに気づいて集まってきたため平良譲二は車で逃走を図りました。
午前10時47分
午前10時50分
午前11時17分
午前11時48分
午後0時20分
安室奈美恵さんはすぐに実姉に連絡しましたが繋がらなかったため、イベントを目前に控え非常に落ち着かない様子だったようです。
午後1時10分
午後1時30分
安室奈美恵さんは関係者から恵美子さんが事件に巻き込まれて殺害されたことが伝えられ、予定されていた全ての仕事をキャンセルした上で沖縄に向かおうとしましたが、不運にもこの時期は修学旅行シーズンでチケットの入手に手間取ることになりました。
安室奈美恵さんはこの事件が発生しなければ、20日に稲嶺惠一沖縄県知事を訪問するために沖縄に帰郷する予定が入っていました。午後1時45分
事件現場から5kmほど離れた山中で平良譲二の車が発見され、中には殺虫剤の粉末などが見つかり平良譲二は意識不明の状態で病院に搬送されました。午後2時50分
安室奈美恵さんが何とか沖縄行きの航空券を取得できたため、羽田空港にはマスコミ関係者が大勢集まり始めました。
午後3時30分
午後3時40分
安室奈美恵さんはSAMさんに支えられながら羽田空港に到着しましたが、すでに空港構内には150人あまりのマスコミ関係者が集まっており、騒ぎに気づいた周辺の一般人も集まてきたため前進することが困難な状態になっていました。
中には安室奈美恵さんの表情を撮ろうと強引にカメラを近づけてきたカメラマンがいましたが、SAMさんがそのカメラを払い除けました。
安室奈美恵さんは押し寄せるマスコミ関係者らにもみくちゃにされて転倒し、SAMさんに支えられて搭乗手続きに向かいましたが、抑えていた感情を抑えられなくなり泣きじゃくっている姿が撮られてしまいました。
午後3時55分
しかし、安室奈美恵さんへの直接的な取材はNGとなったものの、同乗したカメラマンらにより小型カメラで盗撮が続けられ、それはテレビで報じられました。
安室奈美恵さんはこの時のことを振り返り、普段は広報役となってくれるマスコミもさすがに嫌いになりかけたと語っています。
午後4時10分
病院に搬送されていた犯人・平良譲二の死亡が確認され、自殺と断定されました。午後6時50分
安室奈美恵さんは那覇空港に到着しましたが、すでにマスコミ関係者で溢れかえっていたため空港側の配慮で関係者用の出入り口から空港を出て車に乗り込み、人ごみに囲まれながらもパトカーに先導されて警察署に向かいました。
午後8時03分
その後、安室奈美恵さんは別室にて警察から事件の説明を聞きましたが、その間一切言葉を発せず無言でした。
午後8時40分
「安室奈美恵実母殺害事件」1999年3月18日 – 実家にて仮通夜
全国で事件の概要が伝えられ世間に衝撃を与える
事件が起きた翌日にテレビや新聞などでトップニュースとして伝えられ、世間に大きな衝撃を与えました。
警察は平良譲二を恵美子さんの殺人罪と辰信さんの殺人未遂罪として書類送検し、犯行動機についても発表しましたがマスコミは懐疑的でありその他の動機に関するあらゆる可能性を報じていました。
そして恵美子さんが事件直前に執筆していた「約束〜わが娘・安室奈美恵へ〜」の、安室奈美恵さんの成長と家族のストーリーをテレビで紹介したため、全国の書店で一日に6万部あまりの注文が殺到し、在庫が尽きていたため出版社は対応に追われていました。
午前10時30分
午後1時00分
午後2時05分
実家の周辺にはスタッフと警備員が厳重に配置されており、報道陣は実家から50m以内に立ち入れないようになっていました。
午後3時50分
恵美子さんの棺が実家に到着し、同時に夫の辰信さんも到着しましたが犯人の実兄ということもありスタッフは辰信さんには安室奈美恵さんと会うのを控えてもらうように伝え、家の中に入れず外にいました。
しかし、家の外で悲しみに暮れている辰信さんの姿を見かねて安室奈美恵さんの配慮で中に招かれました。午後6時00分
仮通夜がしめやかに執り行われ、奈美恵さんを茫然自失で見つめ続けていた安室奈美恵さんは大粒の涙をこぼし、姉と一緒に手に持っていた白い布で母親の顔に落ちた涙で血痕を拭いてきれいにしてあげました。
午後7時15分
1999年安室ちゃんに悲惨な事件が起きたこと。
— きみ(@niigataJDアムラー♥ (@amuro920kimika) 2017年8月12日
辛いのに1週間後にはTVにでてたこと。
タトゥーに込められた思い。
全部含めて安室ちゃんは強い…
乗り越えてもきたものがおおきすぎる、#安室奈美恵 pic.twitter.com/LxbBy1Eq2K
「安室奈美恵実母殺害事件」1999年3月19日 -実母・恵美子さん出棺
テレビの報道がさらに安室奈美恵を追い詰めた
テレビでは安室奈美恵さんを慰めるどころか恵美子さんが三角関係でもつれていたという事実無根の話しで盛り上がり、安室奈美恵さんは猛烈に批判して名誉毀損で法的手段も辞さないことを発表しました。
この頃仙台ではglobeのライブが行われていましたが、小室哲哉さんが安室奈美恵さんの深い悲しみを慰めるようにプログラムには無かった「Don’t wanna cry」をピアノ演奏しました。
午後2時09分
この時マスコミ関係者は完全に取材ができないように規制されていました。
午後3時10分
火葬中は一度火葬場を離れていましたが、火葬が終わり戻ってみると母の姿が骨に変わってしまったことに安室奈美恵さんは涙を流しながら遺骨を拾っていました。
午後6時25分
安室奈美恵さんの引退が表明されましたが実母の殺害事件や離婚を乗り越え、息子を大学にまで進学させていて母としてもほんとに強い女性なんだなって思いました。
— つちけんの正直しんどい (@DECADE10KENN) 2017年9月21日
メンヘラは見習うべきです。
「安室奈美恵実母殺害事件」1999年3月20日 – 告別式
告別式にマスコミや野次馬が殺到
20日の午後2時から告別式を予定しており、マスコミ関係者や野次馬が式場に殺到していました。一方でこの日安室奈美恵さんが出演予定だったオーディション番組には代わりにKiroroが友情出演していました。
午後0時20分
午後1時40分
安室奈美恵さんはSAMさんと対面する形で座っており、始終無表情で悲しみをこらえている様子が伺え、隣で始終涙していた姉を気遣う様子も時折見せていました。
安室奈美恵さんは自分の名前を呼ばれると奈美恵さんの遺影の前で7秒間頭を下げ、涙を見せることなく気丈に振舞っていました。
小室哲哉さんや安室奈美恵さんの実父も告別式に参列しており、式が終わると安室奈美恵さんはSAMさんとともに足早に会場を後にしました。
午後5時00分
そして、その後も辰信さんは週刊誌などの取材を何度か受けていました。
@zikokukan 安室奈美恵氏に関しては母君が惨殺されるという事件がありました。氏が生まれてから7848日のことです。普通、血の濃い母と娘であればもう少しきれいな、7888であるとか7800日のような日数が出てくると考えます。縁の薄い母子だったのかもしれません。#安室奈美恵
— 時刻館 (@zikokukan) 2015年10月14日
「安室奈美恵実母殺害事件」1999年3月20日 -悲しみをこらえ仕事に復帰
ファンから励ましの声が多く届く
安室奈美恵さんの所属する事務所やファンのホームページ上で非常に多くの人から励ましの手紙やメールが届きました。
- 同日に放送されたNHKの音楽番組『ポップジャム』では事件に配慮して安室奈美恵さんの部分をカットして放送されましたが、『うたばん(TBS系)』ではカットされずにテロップを挿入する形で放送されました。
午後3時25分
その中で、安室奈美恵さんの言葉もあり、兄姉や遺族と話し合った結果仕事を頑張ることが恵美子さんも望んでいることだと考えている旨が綴られていました。
「安室奈美恵実母殺害事件」1999年3月21日以降
3月27日
3月29日
司会を務めるダウンタウンの松本人志さんと浜田雅功さんもさすがにこの時ばかりは緊張した様子でどういう風に安室奈美恵さんと絡めばいいか答えが無い様子でしたが、松本人志さんが「いやー!これは絡みづらい」と敢えてバラエティのノリで反応すると、「おっちゃんたちには何もできひんけどな…」と心情を慮る優しさを見せていました。
安室奈美恵さんは「すいません、ご心配をおかけしました。元気です」と笑顔で挨拶をすると新曲「RESPECT the POWER OF LOVE」を歌い上げました。
実は、番組が始まる直前に松本人志さんが安室奈美恵さんに「俺が助けたるからな。絶対に辞めたらあかんで」と声をかけていたようで、それが安室奈美恵さんの心の支えとなり生放送の出演を乗り切れたのかもしれません。
安室奈美恵さんは当時『HEY!HEY!HEY! 』に54回という最多出演記録を持っており、ダウンタウンの二人にとってはどのアーティストよりも同志という感覚が強く、信頼関係で結ばれていたと言われています。
安室奈美恵さんは続けて『ミュージックステーション(テレビ朝日系)』にも生出演し、途中で涙ぐんで音程を外すこともありましたが最後まで歌い切りました。
5月4日
12月31日
安室奈美恵さんは事件のあった年の『第50回NHK紅白歌合戦』で恵美子さんが殺害された日に発売された様々な感情が込められているであろう新曲「RESPECT the POWER OF LOVE」をゴスペルバージョンで歌いました。
安室奈美恵さんは恵美子さんが殺害された事件を受けて、2002年に左腕上腕部に母親を想ったタトゥーを入れています。
JUN.30 in 1950
my mother’s love live with me
Eternally in my heart
R.I.P
MAR.17 in 1999
1950年6月30日(母親の生年月日)
母の愛は私と一緒に生きている
私の心の中で永遠に
rest in peace(安らかに眠れ)
1999年3月17日(母親が亡くなった日)
それからも安室奈美恵さんは日本を代表する歌姫として絶大な人気を維持し続けてきましたが、ついに2018年9月16日を以って芸能界を引退することを所属事務所の公式ホームページを通じて発表しました。
安室奈美恵で1番印象残ってるのは母親の事件のあった直後に出たヘイヘイヘイで浜田の第一声が「いやー!これは我々絡みづらい!」だったやつ
— 許さず (@yurusu) 2018年8月3日
#安室奈美恵 さんの引退表明を巡る反応の二極化。引退が社会的事件になるような大衆アイドルは、もう存在しないのかもしれません。https://t.co/taRZb7tSJh
— 毎日新聞 (@mainichi) 2017年10月13日
「安室奈美恵実母殺害事件」ショックのあまり引退を考えていた安室奈美恵
極力事件に関するコメントは避けてきた安室奈美恵
安室奈美恵さんは事件に深く思い起こしたくないからか取材に対してコメントは控えてきましたが、その中でも週刊誌以外の雑誌ではコメントしたこともありました。
事件のあった1999年9月号の「JUNON」で安室奈美恵さんは事件当時のマスコミのプライバシー侵害するような心無い取材や質問に対してどのように感じたかを聞かれ、「参りましたねぇ~あれには。マスコミが嫌いになりそうでしたよ」と答えましたが、子供の笑顔に救われていることを合わせて語っていました。
2005年1月の「UK TIMES」で受けたインタビューでは、安室奈美恵さんは恵美子さんが殺害されたことで地獄の底に突き落とされた心地だったようですが、息子のためにも頑張らなければならないこと語っており、SAMさんとは離婚してしまったものの現在まで第一線で活躍してきた原動力として温人くんの存在がいかに大きかったかが伺えます。
2006年に開催されたツアー「namie amuro BEST tour “Live Style 2006」のパンフレットの最後のページには安室奈美恵さんの言葉が英文で掲載されており、母親と一緒にデビュー15周年を迎えた喜びを分かち合いたかったこと、その喜びが天国の母親に届くことを願って歌うことが綴られていました。
2008年5月12日号の雑誌「AERA」では、安室奈美恵さんは「安室奈美恵」でいること自体が辛く引退しようとも考えたこと、しかしどん底を経験したこでこれ以上は落ちることは無いと考えたら楽になってきたことをインタビューで答えました。
安室奈美恵の母親が殺されたとき、本人がavexに事務所辞めたい旨の話したら辞めれると思うなよって言われた直後にあの事件が起きて、警察も犯人死んでるんでって早々に捜査終了して幕引いてネット上で様々な憶測が飛んでた記憶あるけど今調べたらそういうサイトも書き込みも全て消え去ってた
— 今井メロディ (@nykz_) 2017年9月21日
「安室奈美恵実母殺害事件」犯人・平良謙二の動機とは?真相を調査
動機① 平良謙二の結婚が平良恵美子の反対で破談に?
結局平良譲二の真の動機は分からず終い
警察から動機の推察は「亡き母・平良恵美子と平良謙二の日頃からのトラブル」があったことと発表されましたが本人である平良譲二が自殺してしまい動機を語る者がいないため真実は闇に葬られてしまいました。
事件後に会見を開いた辰信さんは、平良譲二には当時結婚をしたいと考えていた女性がいたが、恵美子さんと一緒に反対していたため破談となり、それを恨みに思って犯行に及んだ可能性について言及しました。
平良譲二の動機は限りなくこの怨恨によるものだと思われます。
動機② 平良謙二と平良恵美子に金銭トラブルの噂も
また、平良謙二と平良恵美子さんの間にネットでは金銭トラブルがあったと推察していますが、この証拠はありません。
沖縄は金のあるやつが金のないやつに融通するのが当然という文化がある
安室の親戚になったんだから金に困らないはず→断られたから殺した
安室がトップスターになったから金あるだろ貸せ→母親断る→殺される
多分こんな流れだから安室は自分を責めて骨板見えそうなほどガリガリになってて可哀想だった
引用:http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1458316119/
真相は闇に葬り去られた
しかし、平良謙二が自殺してしまった以上他に動機があったのか自供することもできず、真相は闇に葬り去られてしまいました。平良謙二の犯行動機を確定的のように報じているメディアもありますが、本人の自白がない以上、憶測にしか過ぎないのが現状です。
安室奈美恵の母が惨殺された事件がエグすぎる…加害者が自殺したため犯行の動機は不明、真相は永遠に藪の中か http://t.co/cjwYPmQYJr #matome
— NEWS Now (@news_now_bot) 2013年5月25日
もうすぐ引退される😞💧泣
— @Serina (@yun01softbankne) 2018年8月4日
安室奈美恵さんの
「Just you and I」です💗
君を愛してる時間は
君を抱きしめる思いは
色褪せない pic.twitter.com/xSbSqaC6sS
なにわ淀川花火大会☆
— OsakaBobファミリー【公式】 (@Bobfamily_ogtb) 2018年8月4日
ラスト前の曲は、安室奈美恵さんの「HERO」!
引退の前にアムロちゃんー!って会場めっちゃ沸いてたよー!!#なにわ淀川花火大会 #淀川花火 #花火 #安室奈美恵 pic.twitter.com/6y83gFSNuP
「安室奈美恵実母殺害事件」について総まとめすると…
・犯人の平良謙二は、平良恵美子さんを殺害後に山中で農薬を使った服毒自殺を図り死亡した。
・安室奈美恵はショックのあまり芸能界からの引退も考えたが、仕事を頑張ることが母親への供養と考え、3月29日に歌番組の生放送に出演した。
1999年3月17日に日本を代表するトップスターである安室奈美恵さんの実母が殺害された事件「安室奈美恵実母殺害事件」について総まとめしてきました。
当時安室奈美恵さんは全盛期であり国民の注目を一身に集める中で地獄に突き落とされ、どのような感情を抱いていたのか誰も知ることはできないでしょう。
しかし、安室奈美恵さんは歌手として頑張り続けることが亡くなった恵美子さんへの弔いであり、最愛の一人息子である温人くんを育てていくために選択したことでもありました。
安室奈美恵さんは2018年9月16日に芸能界をついに引退してしまいますが、これまでに残してきた楽曲はずっと歌われ続けていくことでしょう。