バルセロナオリンピック柔道金メダリストとして知られる古賀稔彦さんが死去され悲しみが広がっています。
古賀稔彦さんの偉大な経歴、実家や家族、2度の結婚と嫁、3人の子供(息子2人と娘)、フライデー不倫騒動、癌での死去や死因は何がんだったのかなどについてまとめました。
この記事の目次
古賀稔彦のプロフィール
古賀稔彦のプロフィール
生年月日:1967年11月21日
没年月日:2021年3月24日(享年53歳)
出身地 :佐賀県三養基郡北茂安町(現在のみやき町)
身長 :169cm
体重 :78kg(現役時公式データ)
血液型 :A型
古賀稔彦(としひこ)さんは、1992年のバルセロナオリンピックの柔道男子71kg級金メダリストなど、数々の偉大な成績を残された柔道家です。
現役時代は、豪快な一本背負いで国民的な人気を博し「平成の三四郎」の異名でも呼ばれていました。
2000年に現役を引退後は指導者として後進の育成に力を注ぎ、全日本柔道代表の強化コーチや環太平洋大学女子柔道部の総監督を務めるかたわら、私塾「古賀塾」を開き、地元の子供達に柔道を指導し、これからの柔道界を支える人材を多数育て上げました。
数々の偉業を残された古賀稔彦さんでしたが、2021年3月24日に53歳という若さで死去されました。
古賀稔彦は53歳の若さで死去
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柔道家として数々の偉業を残されてきた古賀稔彦さんでしたが、2021年3月24日、53歳という若さで死去されています。死因は「癌」と発表されています。
92年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダリストの古賀稔彦さんが24日朝、神奈川県川崎市内の自宅で亡くなった。53歳だった。死因はがんだったことを、所属の日本スポーツエージェントが発表した。
関係者からの情報によれば、古賀稔彦さんは2020年に癌の手術を受け自宅で療養中だったという事です。
1992年バルセロナ五輪の #柔道 男子71㌔級金メダリストで、24日にがんのため53歳で死去した #古賀稔彦 さんの葬儀・告別式が29日、川崎市内の寺院で営まれた。 pic.twitter.com/obWzHgs6fS
— サンスポ五輪パラ (@sanspo2020) March 29, 2021
古賀稔彦の死因の癌は何がんだったのか?腎臓がん?情報まとめ
古賀稔彦さんの死去の報道時、死因は「癌」とだけ発表されており、具体的に何がんだったのかといった公表はされていません。
古賀稔彦さんは2020年3月に腎臓の片方を摘出したと報道されており、「腎臓がんではないか?」とネット上で言われているようです。
そして、古賀稔彦さんは完璧主義者だったそうで、色々な抗がん剤を試したそうです。しかし、がんが転移して、2021年になると腹水がたまるなど、症状が悪化していきました。
古賀さんはがんを患い、昨年3月には腎臓を片方摘出していた。それでも周囲が気を使わないように「オレ、がんになっちゃったよ」と明るく語っていたという。手術後の昨年夏には大好きなお酒も飲み始め、知人には手術痕を見せるなど、前向きに治療を続けたおかげで一度は快方に向かった。
ただ古賀さん自身が「完璧主義者なので」(同関係者)、現状に満足しなかったと言い、各種の抗がん剤を試すなどしてしていたが、がんが転移。今年に入って腹水がたまるなど、症状が悪化していったという。これを機に自宅で療養して人と会わなくなった。だが体調は戻らず、24日午前9時9分に亡くなった。
また、デイリー新潮は「若すぎる病死(腎臓がん)」とハッキリと報道しているので、腎臓がんで確定なのかもしれません。
享年53。「平成の三四郎」と呼ばれた柔道家、古賀稔彦の若すぎる病死(腎臓がん)に衝撃が走った。
可哀想に…
— ちえぴpcrはダメ🇯🇵文化を残そう (@usagi328tomato) March 29, 2021
完璧主義だから抗がん剤いろいろ試したって。
抗がん剤危険だって誰も教えてあげなかったのかな…
最期まで三四郎の矜持貫いた古賀稔彦さん〝闘魂秘話〟病床で猪木氏の体調を気遣う(東スポWeb) – Yahoo!ニュース https://t.co/fnavu8Rk3S
古賀稔彦さん、酒豪だったのか。酒が癌の原因かはわからないけど、酒は怖いな。 https://t.co/NqaIXpmzwo
— すーさん (@XlaZnvea8H0pmws) April 2, 2021
日本柔道の古賀稔彦さんが腎がんで亡くなられた
— 快丸 (@wi2MJDqfjO5z01T) March 29, 2021
私と同じ腎がんなのでとてもショック!
それでもまだ治療法があるので前向きに頑張ろう💪
古賀稔彦の経歴
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古賀稔彦さんは小学1年生の頃に柔道をはじめ、世田谷区立弦巻中学校に進学して上京し、私塾「講道学舎」でも柔道の技を磨きました。中学卒業後は世田谷学園高等学校へと進学し、中・高時代を通じて数々の全国大会の個人戦、団体戦を制覇した経歴を持ちます。
高校卒業後は、日本体育大学体育学部武道学科へと進学。大学在学中の1988年ソウルオリンピックで五輪初出場を果たしました。
1990年の全日本柔道選手権大会(無差別級の大会)では、当時は75kg前後の軽量級であったにも関わらず、重量級の選手を次々破って決勝戦に進出し、小川直也さんに敗れはしたものの、体重差を物ともしないその強さから国民的な人気を獲得しました。
1992年のバルセロナオリンピックでは日本選手団主将を務め、直前の練習中に膝を負傷する不運に見舞われながらも、その逆境を跳ね返して71kg級で金メダルに輝きました。
続く、1996年のアトランタオリンピックにも出場し銀メダルを獲得しています。
2000年の現役引退後は指導者となり、2004年のアテネオリンピックで愛弟子の谷本歩実さんが金メダルを獲得した際に決勝戦勝利後に古賀稔彦さんと抱き合って喜ぶ姿は繰り返し報道され全国に感動を与えました。
その後の経歴は、2007年から環太平洋大学柔道部の総監督に就任。
2008年からは日本健康医療専門学校校長に就任されています。
晩年は私塾「古賀塾」にて幼児から大学生まで幅広く柔道を指導し、人間性も含めて多くの人材を育て上げました。
古賀稔彦の実家
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古賀稔彦さんの出生地は「福岡県久留米市」なのですが、小学2年生の頃に、公式に出身地としても紹介されている「佐賀県三養基郡北茂安町(現在のみやき町)」に引越し、現在も実家はそこにあります。
古賀稔彦さんはこの実家で育ち、幼少時代から中学進学と同時に上京して柔道の私塾「講道学舎」に入門するまでの間、この実家で柔道に打ち込まれていたという事です。そのため、この実家での古賀稔彦さんの柔道にまつわるエピソードも数多く残されています。
小学生時代の古賀稔彦さんは、実家近くにある千栗八幡宮の146段の石段を毎朝7往復して足腰を鍛えられたのだそうです。
現役時代、佐賀県北茂安町(現みやき町)の実家近くにある千栗(ちりく)八幡宮に案内された。古賀稔彦さんは146段の石段を仰ぎ見て「ここが私の原点です」。体が弱かった小学生の時に駆け上がり、駆け下りては夢を広げた。
また、実家のあるこの地域では、運動部に所属する今の子供達の間にも、感謝の気持ちを大切にするという古賀稔彦さんの精神が育まれているという事でした。
古賀稔彦の家族① 1度目の結婚の嫁は一般女性の里美さん…不倫フライデー後に離婚
続けて、古賀稔彦さんの家族や結婚、嫁などについてもみていきます。
古賀稔彦さんは2度結婚されていて、1度目の結婚の嫁は一般女性の里美さんです。
この古賀稔彦さんの元嫁の里美さんは国士舘大学の柔道指導者の娘さんで、自身も柔道をされており3段の腕前だったそうです。
古賀稔彦さんと元嫁・里美さんは高校時代から交際し、1994年7月に結婚されています。
古賀稔彦の不倫疑惑フライデー報道後に離婚
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しかし、「FRIDAY」1996年3月22日号に、「[平成の三四郎]古賀稔彦 金メダル捨てた“不倫愛”」というタイトルの古賀稔彦さんの不倫疑惑についての記事が掲載され、それから程なくして離婚してしまいました。不倫の真偽は不明ですが、フライデーの記事の内容によれば、古賀稔彦さんは当時の嫁の里美さんが佐賀県にまで足を運び、癌(悪性リンパ腫)を患っていた古賀稔彦さんの父親の看病をしている間、別の女性と東京のホテルで密会していたという事でした。
古賀稔彦の家族② 2度目の結婚の嫁は一般女性の早苗さん
その後、古賀稔彦さんは2度目の結婚をされています。古賀稔彦さんの2度目の結婚の嫁は、一般女性の早苗さんです。
古賀稔彦さんの2度目の結婚の嫁の早苗さんは、古賀稔彦さんと同じ日本体育大学出身の女性で、スポーツインストラクターの仕事をされていました。
古賀稔彦さんは、この2人目の嫁の早苗さんとの間に3人の子供に恵まれています。古賀稔彦さんの3人の子供については後半で改めて紹介します。
古賀稔彦の家族③ 父親は古賀稔朗さん
写真左側のサングラスの男性が父親の古賀稔朗さん
古賀稔彦さんの父親は、古賀稔朗(としあき)さんです。柔道の経験者で鉄工の職人をされていました。
幼少期の古賀稔彦さんの柔道のトレーニングにも熱心に付き合ってくれたそうで、鉄工職人の技術で、実家の庭に鉄骨を埋め込んで、その土台をコンクリートで固めた打ち込み練習用の器具を作ったり、石段での走り込みトレーニングにも毎朝付き合ったりしてくれたとのエピソードが明かされています。
古賀稔彦さんの父の古賀稔朗さんは、1996年2月18日に55歳の若さで亡くなられています。死因は癌(悪性リンパ腫)だったようです。
古賀稔彦の家族④ 母親の愛子さん
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古賀稔彦さんの母親は愛子さんです。2021年4月の現在79歳で古賀稔彦さんの実家のある佐賀県みやき町でご健在です。
最愛の息子である古賀稔彦さんに先立たれた際にはメディアの取材に応じられています。母の愛子さんによれば、古賀稔彦さんは母を心配させまいと、自身が病気である事を愛子さんにも隠していたのだとか。
愛子さんによれば、古賀稔彦さんと最後に話したのは亡くなる直前の2021年2月だったそうです。元気な声だったという事で、母を心配させまいと古賀稔彦さんは元気に振る舞われていたのではないかと思います。
最後に話したのは2月上旬、地元商店で販売する古賀さんの好物丸ぼうろを贈った際の電話だった。「『届いたよ、ありがとう』って、元気そうな声だった。もう息子の声が聞けないのはさみしい。まだ心の整理がつかない」と目を潤ませ「みなさんに支えられて幸せな人生だったと思う」と続けた。
古賀稔彦の子供① 息子(長男)の古賀颯人さん
古賀颯人のプロフィール
生年月日:1997年9月13日
出身地 :神奈川県川崎市
身長:174cm
血液型:A型
古賀稔彦さんには、2度目の結婚相手の早苗さんとの間に3人の子供(息子が2人、娘が1人)いて全員が柔道家です。
古賀稔彦さんの息子のうち長男の古賀颯人(はやと)さんは、3歳で柔道をはじめ、小学6年生の時に全国小学生学年別柔道大会50kg級で優勝。小学校卒業後に親元を離れ愛知県の柔道の名門校・大成中学へと進学し3年生の時に全国中学校柔道大会で優勝しています。
大成高校へと進学後は、全日本カデ柔道体重別選手権大会で優勝、金鷲旗で3位、インターハイ2位などの成績を残されています。
高校卒業後は日本体育大学に進学し、2年生の全日本学生柔道体重別選手権大会で個人戦、団体戦でのダブル優勝を飾っています。
大学卒業後は慶應義塾高校の教諭となり柔道部の顧問にも就任されています。
古賀稔彦の子供② 息子(次男)の古賀玄暉さん
古賀玄暉のプロフィール
生年月日:1998年12月19日
出身地 :神奈川県川崎市
身長 :168cm
血液型 :B型
古賀稔彦さんの息子のうち次男の古賀玄暉(げんき)さんも3歳で柔道をはじめ、兄と同じく親元を離れて大成中学へと進学し3年生の全国中学校柔道大会55kg級で優勝。
大成高校進学後は、1年の時の全国高校選手権60kg級で優勝し鮮烈なデビューを飾ると、2年生では全日本カデ柔道体重別選手権優勝、東アジア選手権2位、世界カデ柔道選手権大会で個人戦、団体戦のダブル優勝、アジアジュニア優勝。3年時にはロシアジュニア国際で優勝を飾っています。
高校進学後は、兄や父と同じく日体大へと進学し、2年生時に全日本ジュニア、世界ジュニアで優勝。3年生時に、アジアパシフィック柔道選手権優勝、講道館杯で2位などの成績を残されました。
大学卒業後は強豪柔道部を持つ旭化成に就職し、2024年開催のパリオリンピック日本代表を目指されています。
古賀稔彦の子供③ 娘の古賀ひよりさん
古賀ひよりのプロフィール
生年月日:2000年9月12日
出身地 :神奈川県川崎市
身長 :153cm
古賀稔彦さんの3人目の子供は娘で長女の古賀ひよりさんです。古賀ひよりさんも幼少時から柔道に打ち込んでおり、中学時代には全国中学校柔道大会52kg級で準優勝し、岡山県の創志学園高校へと進学後には、全日本カデ柔道体重別選手権大会準優勝、全国高等学校柔道選手権大会で準優勝などの成績を残されています。
高校卒業後は環太平洋大学へと進学し、2019年のアジアジュニア選手権大会の57kg級での優勝を飾っています。
まとめ
今回は、バルセロナオリンピックでの逆境を跳ね返しての金メダル獲得などの数々の偉業を成し遂げた「平成の三四郎」こと柔道家の古賀稔彦さんについてまとめてみました。
古賀稔彦さんは、小学生時代から柔道をはじめて学生時代から頭角を現し数々の全国大会を制覇した経歴を持ち、大学入学後は体重差を物ともしない強さで国民的な人気を獲得しました。
バルセロナオリンピックでの金メダル、アトランタオリンピックでの銀メダルなどの偉大な成績を残したのちに現役を引退し、その後は指導者として後進の育成に力を注がれてきました。
古賀稔彦さんは2度の結婚を経験されており、2人目の嫁の早苗さんとの間に3人の子供に恵まれ、全員が柔道家として活躍され、素晴らしい実績を残されています。息子のうち次男の古賀玄暉さんは2024年のパリオリンピックへの出場も期待されています。
現役時代、引退後を通じて柔道界に数々の功績を残された古賀稔彦さんでしたが、2021年3月に53歳の若さで死去されました。死因は「癌」とだけ発表されていますが、ネット上の情報によると腎臓がんの可能性が高いとみられています。
古賀稔彦さんのご冥福をお祈りします。