テレビ女優第1号の1人でもあり、以降60年以上、表舞台で活躍を続けている黒柳徹子さん。
こちらでは、黒柳徹子さんの若い頃や恋人、結婚しない理由などについてまとめています。
この記事の目次
黒柳徹子プロフィール
黒柳 徹子(くろやなぎ・てつこ)
別名義: トットちゃん(愛称)・チャック(愛称)
生年月日: 1933年8月9日
出生地: 東京府東京市赤坂区乃木坂(現・東京都港区乃木坂)
血液型: A型
職業: 女優、タレント、声優、司会者、エッセイスト
活動期間: 1953年 –
配偶者: 独身(未婚)
事務所: 吉田名保美事務所
黒柳さんは幼少期、注意欠陥・多動性障害・学習障害と推測される問題児として尋常小学校を1年生の時に退学させられています。
その後は私立小学校に転校し、途中第二次世界大戦中には青森への疎開などを経て、東洋音楽学校(現:東京音楽大学)声楽科卒業、慶應義塾大学文学部で聴講生としても学んでいます。
1953年にテレビ女優第1号の1人として合格し、日本放送協会に入局。
女優を目指したきっかけは、オペラ歌手を目指して通っていた音楽学校時代に子ども向けの人形劇を見かけて感動し、子供たちが喜んでいる姿を見て「絵本を上手に読んであげられるこういうお母さんになりたい」と思ったことだったそうです。
その後はマルチタレントとしても活躍し、1976年に開始された冠番組『徹子の部屋』は現在も続く長寿番組に。2011年4月27日放送分を以て、「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」としてギネス世界記録にも認定されています。
また、1981年に発売された著書『窓ぎわのトットちゃん』は、単行本・文庫本を合わせて累計800万部、世界35カ国で翻訳されて日本国内における戦後最大のベストセラーとなっている他、
1984年からはユニセフ親善大使にも就任しており、社会貢献活動・福祉活動などにも貢献しています。
現在は御年84歳になっている黒柳さんですが、現在でも精力的に活躍を続けています。
黒柳徹子の若い頃がかわいい!
最近になり、インスタグラムも開始した黒柳徹子さん。
時折、若い頃の写真を紹介したりなどしており、「かわいい!」と話題になっているようです。
若い頃の黒柳徹子
とてもかわいらしいですね。
若い頃の黒柳徹子
『トットてれび』黒柳徹子役の満島ひかりと
NHK『トットてれび』で満島ひかりさんが黒柳さん役を演じた際には、「ソックリ!」との声も多かったよう。
満島ひかりに似ている?黒柳徹子
こちらの黒柳さんの写真は特に目元が満島さんに似ていると言われていたようです。
髪を下した黒柳徹子
かなり貴重な黒柳さんの髪を下した写真です。
大人っぽく見えますね。
30代半ばに、一瞬やってみた髪型。
ある時、NHKから出て、近くの通りを渡ろうと、1歩前に出た瞬間、
強い風が吹いて、私の髪の毛が顔全体にかぶさり、何も見えなくなった。それと同時に、いきなり左折してきた車が、猛スピードで私の目の前を走って行った!
私が、後ちょっと前に出たら、大惨事になってたと思う。
黒柳さんはこれにより、危ないと思ってこの髪形をやめてしまったそうです。
何事もなければ、この髪形の徹子さんが現在も見れたのかも?
38歳、NY留学中の黒柳徹子
38歳でこのキュートさ!
ニューヨークへ行っても、トレードマークの徹子ヘアは健在だったようです。
NYで振袖姿の黒柳徹子
まるでアート作品のようなこの写真には、公開されるや否や絶賛の声が相次いでいます。
この写真はイースターのパレードに参加したときに撮影したもので、「パレードに参加してたニューヨークの人たちみんなが、一緒に写真を撮りたいって、大変なことになったの。翌日のニューヨークの新聞に、無名の私が、大きく掲載されてました(笑)」と黒柳。色鮮やかな振袖は、ニューヨークへ旅立つ前に母親から贈られたものだという。
ツイッターでは一時、「若い頃の黒柳徹子さんが綺麗すぎる」とある画像が拡散されていましたが、この画像はまったくの別人で『ウルトラマンセブン』でアンヌ隊員を演じたひし美ゆり子さんであることがわかっています。
これが「若い頃の黒柳徹子」として大いに広まった画像なんだが、いったいどうやって間違えたんだか、デマがどこまで通用するかの社会実験だったとしか思えない。間違うとしたら能年さんとだろ? 違う? ところで何処だったかで辻仁成の顔が石田衣良になっていて、暫くのあいだ気付かなかった。 pic.twitter.com/hFtxfRtA3L
— 津原泰水 (@tsuharayasumi) 2017年2月11日
黒柳徹子と飯沢匡は恋人だった?2人の間には隠し子説も
黒柳徹子と飯沢匡の関係
飯沢 匡(いいざわ・ただす)
本名: 伊澤 紀(いざわ・ただす)
生年月日:1909年7月23日
死没: 1994年10月9日(85歳没)
出身地:和歌山県和歌山市
最終学歴: 文化学院美術科
飯沢匡さんは日本の劇作家、演出家、小説家で、黒柳徹子さんが女優としてやっていく決心をしたきっかけの人物となっています。
テレビ女優第1号の1人として20歳の年にNHKに入局した黒柳さんですが、当時はNHK専属女優であるにも関わらず最初の一年間はほとんど仕事がもらえなかったそうです。
黒柳さんの特徴でもある早口の喋り方は毎日周囲から叱られており、「個性を出すな」と言われていた黒柳さんは個性のなさそうな同期生の口真似をしていたと言います。
その後、1954年に開始されたラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』で黒柳さんは初の主演番組を務めていますが、黒柳さんのその個性を認めて起用したのが脚本を担当していた飯沢さんだったそうです。
NHK内でオーディションがあって、トン坊の役に合格したのです。その時、脚本をお書きになった飯沢匡(ただす)先生に「私の個性が邪魔だとよく言われますので、なるべく個性を引っ込めて一生懸命やります」と言ったら、飯沢先生は「君のその個性が欲しいからお願いしてるんで、そのままでいてください。直しちゃダメですよ」とおっしゃったんです。このときは本当にうれしかったですね。あの一言がなければ、私はNHKを辞めていたでしょう。
黒柳さんはこのように語っており、飯沢さんがいなかったらいまの黒柳さんはいなかったかもしれませんね。
これ以降飯沢さんと黒柳さんは師弟関係にあったと言い、極めて親密な関係だったと言われています。
また、黒柳さんが半生をかけて取り組み、1989年のスタートから毎年1度のペースで2016年で第30弾まで迎えている『海外コメディ・シリーズ』の発案者も飯沢さんとなっています。
黒柳が長年大切にしてきたこのシリーズは、昭和を代表する劇作家、飯沢匡の発案だったという。「飯沢先生がね、『黒柳くんはちょっとふつうの日本の家にはいない感じがするので、君は洋ものをやりなさい』って。私が演じてみると、どうもみなさん、外国の作品を観るときの身構えた気持ちがいらないみたいなのね。それに『黒柳徹子が演じてる』ってことも、だんだん忘れてしまうんですって。」
黒柳徹子と飯沢匡は不倫関係だった?隠し子説も?
飯沢匡さんは、黒柳徹子さんとの恋仲が囁かれた唯一の人物であるとも言われています。
当時飯沢さんはすでに既婚者でしたが、2人はその後40年ほどに渡り深い仲だったとも言われており、中には隠し子の噂もあったようです。
黒柳さんには24歳年の離れた末弟がいますが、そうすると黒柳さんの母親は40代後半で産んだことになるため当時としてはかなり珍しいとされており、実は黒柳さんが産んだ隠し子が末弟となっているのではという見解のようです。
このように、彼が隠し子なのかどうかの真偽は不明なのだが、気になるのはここで徹子の相手だと囁かれた男性についてだ。当記事によると、その人物は劇作家の飯沢匡氏。飯沢氏は94年に85歳で亡くなっているが、記事では”出会いから死去するまでの約40年間、ふたりの関係はつづいた”としている。そして、ふたりが出会って関係を深めた時期と末弟の誕生が符号する──というのだ。
「20歳以上、年の離れた末っ子の実弟が本当は黒柳さんの隠し子ではないかという話が出回ったんです。きっかけは、98年1月、外資系航空会社の社員だった実弟の貴之さんが覚醒剤使用で現行犯逮捕され、その存在が広く知れ渡ったから。当時は月刊誌や週刊誌で隠し子説が報じられましたが、黒柳さん自身は記者会見で否定。それでも、NYへ1年間留学していた時期が怪しいなんて声が囁かれた。
24歳年が離れているということは黒柳さんが24歳のときに産まれていますので、黒柳さんの38歳での留学が怪しいというのは全く辻褄が合わなくなっていますが、この末弟の勤務先では「黒柳徹子の隠し子ではないか」というのは有名な話だったそうです。
また他にも複数の知人により、末弟の自宅のリビングには多くの黒柳さんの写真が飾ってあったことや、隠し子のことについて本人に尋ねた際には「ノーコメント」と否定も肯定もしなかったことなどが証言されています。
黒柳徹子と熱愛?噂のあった大物芸能人たちがすごい!
黒柳徹子さんは若い頃の恋愛について著書の『トットひとり』の中で語っていますが、22〜23歳のころは何回もお見合いの話もあったようです。
30歳頃まではいろいろあったとも言っていますが、黒柳さんは過去に数々の大物と熱愛一歩手前のような関係になっていたことがわかっています。
◉永六輔
永六輔
放送作家の草分け的存在と言われ、タレント・作家として活躍していた永六輔さん。
黒柳さんは永さんとは60年来の仲でしたが、一緒にご飯を食べに行ったのは1〜2度しかないと語っています。
永さんは2016年7月7日に83歳で永眠していますが、その際の黒柳さんの笑いを誘った弔辞も話題となりました。
会の発起人代表として最初に登壇した黒柳徹子(83)は、「私が死んだときの葬儀委員長をしてくださるといつも言ってらっしゃったのに思惑が外れてもうしわけございませんでした」とあいさつ。さらに、永さんの顎が外れた時のエピソードを披露した。
また、永さんの奥さんである昌子さんが亡くなってからは、2人の間では結婚話もよく挙がっていたそうです。
奥さんの昌子さんが亡くなって14年半、よく1人で頑張りました。旅の名人でも、毎日旅先から何度も昌子さんに電話をしていましたから。1人になって、私と結婚の話も出ましたが、主に、永さんからですが、お互い昌子さんのようにはいかないと分かっていました。
黒柳さんは永さんが亡くなる数日前にも見舞いに行っており、永さんが亡くなったことについては「最後の一撃のような、永さんの死」と語っています。
◉渥美清
渥美清
渥美清さんはコメディアン・俳優で、『男はつらいよ』の寅さん役として知らない人はいないほどの国民的スターでした。
1996年8月4日、68歳で永眠。
『男はつらいよ』の寅さん役として知られ、1996年8月4日に永眠している渥美清さん。
渥美さんと黒柳さんもまた仲が良かったことで知られ、まるで兄弟のようだったと言われています。
林:渥美清さんとも親しくされていて、「兄ちゃん」と呼んでいらした。渥美さんは黒柳さんのこと、「お嬢さん」と呼んでらしたんですね。黒柳さんのこと好きだったんじゃないかって、黒柳さんの著書『トットひとり』を読んで感じましたよ。
黒柳:ふふ、どうもありがとう。山田洋次監督もよくそうおっしゃっていて、冗談に「最後のマドンナは黒柳徹子さんだ」って。
『男はつらいよ』原作・脚本・監督を務めていた山田洋二監督も、渥美さんは黒柳さんが好きなのではと感じるほどの仲だったようです。
◉森繁久弥
森繁久彌
森繁久彌さんは俳優・歌手・コメディアン・元NHKアナウンサーで、昭和の芸能界を代表する国民的名優でした。
2009年11月10日、96歳でこの世を去っています。
森繁さんは、記念すべき『徹子の部屋』第1回目のゲストであることでも知られています。
まだどのような番組になるかもわからなかった黒柳さんに、現在ではすっかり定着した、ゲストが自由に話し楽しむというあのスタイルを示したのが森繁さんだったそうです。
森繁さんは終生、自身に「1回どう?」と誘い続けたと黒柳さんは明かしています。
黒柳さんは、森繁さんが死去する3年前に最後に道端で会ったといい、「道に大きな黒い車があって、中をのぞいたら森繁さんだった。声をかけたら、おじいさんとは思えない力で私をぐいっと車の中に引きずりこんで、『ねえ、1回どう?』って。私、60年前に初めてお会いした時から、最後まで言われ続けた」と一笑。「その時に『今度ね』って言ったら、『君は今度今度って言って、いつまでもダメじゃないか』って。
この会話をして別れたのが、森繁さんとの最後だったと黒柳さんは語っています。
◉赤塚不二夫
赤塚不二夫
赤塚不二夫さんは、「天才バカボン」や「おそ松くん」などで知られる人気漫画家でした。
2008年8月2日に、72歳で永眠。
赤塚さんと黒柳さんは20代の頃の番組共演をきっかけに仲良くなり、以降番組も数年続きよくスタッフも交えて遊んでいたそうです。
赤塚さんも黒柳さんに惚れていたことを、黒柳さんは追悼エッセイの中で明かしています。
その後、大阪でミュージカルに出演中だった黒柳のもとを、ふらりと赤塚さんが訪れた。黒柳が泊まっていたホテルのバーで赤塚さんはいきなり「来ちゃった!」。黒柳が振り返る。
≪いま考えると、あの照れ屋の赤塚さんにしては、かなり、決心して言った言葉だったに違いない。あのとき「来ちゃったって?」と、もし私が聞いていたら、もっと物事が進んでたかも知れない≫
赤塚不二夫を見舞う黒柳徹子とタモリ
赤塚さんは2002年に脳内出血で倒れて以来、意識不明のまま植物状態になっていたことがわかっています。
こちらは2006年に黒柳さんが共通の親友であるタモリさんを誘い、赤塚さんを見舞った時の写真です。
黒柳徹子が明かした結婚しない理由
黒柳徹子さんは、今年の『24時間テレビ』の企画で服飾学校を訪れ学生に自身の人生について語った際にこれまでの恋愛についても答え、若い頃にはいろいろあったものの、その後もタイミングが合わず結婚しなかったとその理由についても明かしています。
黒柳は、過去には外国人男性と、年に1、2度ほどしか会えない遠距離恋愛を40年続いたと告白していた。その恋人が亡くなってしまい、結婚のタイミングを失ってしまったようだ。
そして、学生たちに「結婚するとかしないとかじゃなく、良い恋愛をしてほしい」と語った黒柳。「良い恋愛をすると、別れても、その人が死んでも、いつまでも生きていくことができる」と自身の経験を振り返った。
なんと外国人男性と40年も遠距離恋愛をしていたという黒柳徹子さん。
ですが、交際期間が合致していることなどからこの男性は飯沢匡さんとのことではとも見られているようです。
もし外国人男性であることが本当ならば、黒柳さんは38歳の頃に1年間仕事を休業しニューヨークに留学していますので、もしかするとこのときに出会った男性かもしれませんね。
まとめ
84歳となっても活躍をし続けている黒柳徹子さん。
40年以上の遠距離恋愛を経て恋人は亡くなってしまい、結婚の機会も逃してしまったと明かしていますが、「結婚するとかしないとかじゃなく、良い恋愛をしてほしい」という言葉は自身の経験に基づいた重みのあるものとなっています。
多くの著名人から愛されていたエピソードからも、黒柳さんがそれだけ魅力的な人物であることがわかりますね。
これからも、黒柳さんにはまだまだ元気な姿を見せ続けてほしいですね!