「笑っていいとも」の司会として、また数々のバラエティ番組の司会、俳優、タレントとして日本で知らぬ者はいないと言っても良い芸能人のタモリさん。
タモリさんといえば、サングラスがトレードマークですが、実は彼がサングラスをかけ続けているのは、彼の目が義眼であることが理由だと言われています。
今回はその辺りの情報についてまとめてみました。
タモリのプロフィール
芸名:タモリ
本名:森田一義(もりたかずよし)
出身地:福岡県福岡市南区
生年月日:1945年8月22日
身長:161cm
血液型:O型
最終学歴:早稲田大学第二文学部西洋哲学専修(除籍)
活動期間:1975年-
福岡の名門・筑紫丘高等学校を卒業後、1年の浪人を経て早稲田大学第二文学部入学。
在学中はモダン・ジャズ研究会に所属し、トランペットを演奏されていたこともあり、現在でも母校の早稲田祭などでトランペットの腕前を披露されたりすることも。
学費未納により除籍処分を受けた後は、3年間近く地元の福岡で朝日生命の保険外交員として働かれていました。この時に現在の奥さまである女性と結婚されています。
その後、旅行会社社員やボウリング場の支配人などの仕事をされていた時、後に彼の運命を変えるきっかけともなる芸能界関係者との出会いに恵まれることに。
1972年、渡辺貞夫の福岡でのコンサートのスタッフに大学時代のジャズ仲間がいたことから、コンサート終了後、その友人が泊まっていたホテルで終電がなくなる時間ギリギリまで飲みながら話し込んでいた。
いざ帰ろうと部屋から出た際、やけに騒がしい一室があり、通りがかり様に半開きになっていたドアから中を覗いた。室内では、ナベサダのコンサートに同行していた、山下洋輔トリオ(山下洋輔、中村誠一、森山威男)が歌舞伎の踊り、狂言、虚無僧ごっこなど乱痴気騒ぎをしていた。
そこにタモリは乱入する。中村誠一が被っていたゴミ箱を取り上げるとそれを鼓にして歌舞伎の舞を踊り始めた。山下トリオの面々は「誰だこいつ?」と動揺するが、中村は機転を利かせてその非礼をデタラメ朝鮮語でなじった。
しかし、タモリはそれより上手なデタラメ朝鮮語で切り返し、その後、タモリと中村のインチキ外国語の応酬が始まる。タモリが表情を付けてデタラメなアフリカ語を話し始めた際には、山下は呼吸困難になるほど笑ったという。
始発が出る時間まで共に騒ぎ、タモリは「モリタです」とだけ名乗って帰宅した。
その後、すぐに芸能界入りとはならず、タモリさんはボウリング場の支配人から転職し、地元で喫茶店のマスターをされていたと言われています。
その頃、東京では「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が結成され、同会のカンパによって、遂に1975年6月、タモリさんは再び上京を果たすこととなりました。
福岡を生活の拠点としながらも月1で上京し「素人芸人」として芸を披露する日々を送っていたタモリさんでしたが、漫画家の赤塚不二夫さんと出会うことに。
タモリさんの才能に惚れ込んだ赤塚さんは、当時既に売れっ子だった自分の豪勢な暮らしをタモリさんにも自由に楽しんで良いと許可を出すことで、タモリさんを居候の形で東京に引き止めることに成功。
自身の番組や知人の番組にも出演交渉をし、タモリさんの認知度を高めることに大きく貢献されたと言われています。
その後の活躍ぶりは誰もがご存知のとおりで、現在では多趣味・多芸を活かした、国民的司会者・タレント・芸人として、実に多岐に渡る分野で活躍をなさっています。
タモリの目は失明していて義眼だった…サングラス外した素顔画像あり
タモリさんといえば、サングラスがトレードマークですが、それは過去の失明で義眼となったことも理由だと言われています。
そもそも「義眼」とは?
義眼とは、人工的に制作された眼球のことを指すということは多くの方がご存知のとおりですが、一体どのような目的で使用されているのでしょうか?
眼窩や眼瞼の形状を正常な状態に保つ目的で用いられるそうです。
義眼の写真
これを目に付けるそうです。
眼球が萎縮して視力を失った場合や、眼球を失った場合に眼窩や眼瞼の形状を正常な状態に保つ目的で用いられる。
タモリの素顔や目を失明した経緯について
タモリさんの素顔
サングラスを外した時はこんな感じです。
サングラスを外して目に触れる場面も…
とても義眼には見えませんね。しかし、右目を失明していて義眼を付けている噂は本当のようです。
小学校3年生のとき、下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さって失明。2ヶ月休校して治療したものの、視力は戻らなかった
週刊誌「FLASH」によるとタモリは子供のころに右目にワイヤが突き刺さり失明してしまったという。
1945年8月22日、タモリは福岡の高級住宅地、石垣に囲まれた大邸宅で生まれた。両親は小学生のころに離婚、叔父が父親代わりとなって育てた。 内気で一人遊びばかりしていたタモリ少年だったが、小学4年生の遠足でアクシデントに見舞われる。級友と遊んでいたところ、電柱のワイヤが右目に突き刺さり、失明してしまう。塞ぎ込んでしまう時期もあったが、やがて人を笑わせることに興味を持ち、小学校の卒業式では漫才を披露していたという。
引用:堺正章がタモリに「サングラスぐらい取れよ!」と説教した結果…右目を失明してるのに性格悪すぎだろと話題に(素顔画像・理由あり)2ch「さすがスマイレージの芽を摘んだ男」
小学校の時に片眼を失明されたタモリさんですが、その後芸能界入りをされて直ぐにサングラスをかけていたというわけではなかったようです。
眼帯をしていた時のタモリさん
いや、そのタモリとて、最初からサングラスだったわけではない。上京直後は普通の眼鏡、それがいつしか右目にアイパッチを着用してテレビ出演するようになる。
タモリ本人に言わせれば、アイパッチは何かの番組に出演した際、スタッフから、どうも顔に特徴がないからとつけさせられたという。
ただし、一気にサングラスへと移行したわけではなく、しばらくはアイパッチと併用している。
タモリはサングラスのせいで堺正章に叱責された過去
事情を知らなかったため、業界の先輩として礼儀を教えてあげようとしたのだとは思いますが、堺正章さんもタモリさんのサングラスの理由を後で知って、さぞ驚かされたでしょうね。
堺正章さんとタモリさん
タレント・堺正章が15日、日本テレビ系で放送された「ダウンタウンDX」に出演。デビュー前のタモリに説教をしていたことを告白した。
1975年に博多から上京したタモリ。堺は放送作家から「面白い芸をするヤツがいるから。(ネタを)見てよ」と言われて、タモリと初対面。ものまねネタを見たという。
堺はタモリの芸に全くピンとこず、「九州帰った方がいいんじゃないか」と本気でダメ出し。さらに、後にトレードマークとなったサングラス姿のまま“ネタ見せ”をしたため、ムッとして
「先輩の前で芸やる時、サングラスぐらい取れよ!」と説教したという。
堺正章さんがタモリさんに「サングラスくらい取れよ!」を説教したことに対するネットの反応は…
17: 2014/05/16(金) 00:15:26.72 ID:6BFoJ2gE0.netまあ事情知らなかったからしょうがないのかもしれんけど
タモリのサングラスは伊達で掛けてる訳じゃないからなあ
146: 2014/05/16(金) 00:49:07.12 ID:0x5xx4to0.net昔はサングラスかけてる人はだいたい目が悪かった
なのにこんなこと言う堺の性格の悪さ
2: 2014/05/16(金) 00:12:12.88 ID:/rqYiRJa0.net事情を知らないとはいえ片目が不自由な人によくもまあ
58: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/05/16(金) 00:24:11.71 ID:UM0ysCHK0.net>>小学校3年生の時、下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さって失明。
>>2ヶ月休校して治療したものの、視力は戻らなかった
どれほどの絶望を味わったのか。
それで沢山悩んで一周回って人を楽しませようとする良い影響を与えたのかな。327: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/05/16(金) 02:05:01.07 ID:P4DdjvkB0.netタモさんも義眼だっけ
俺も目の病患ってるから、これはきついお言葉
アイコンタクトがきついな見栄えが大切な場だと、眼帯、サングラスが無理な場だと、お客様など説明してるわ
対人関係が必要になってくるとかなりシビアなのは確か
まとめ
日本を代表する名司会者・大物芸能人のタモリさんの目に関する噂についてまとめてみました。
タモリさんの目は彼が小学生の頃に、既に失明されており、その後も視力が戻ることはなかったとされています。ですので、一生のほとんどを片眼で見て生きてきたということになりますね。
彼の芸風は、誰にも真似できないシュールさの中に個性が光るものとなっていますが、それももしかすると彼が普通の人とは違う「片眼」で物事を見てきたことに起因している可能性も無きにしもあらずかもしれませんね。
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