竹内まりやさんと言えば女性の気持ちを代弁してくれる女性からの支持も多いシンガーソングライターです・
そんな竹内まりやさんは現在何をしているのか?また、旦那である山下達郎さんとの娘とは?今回は竹内まりやさんの現在や家族に関してまとめさせて頂きました。
竹内まりやプロフィール
名前:竹内 まりや(たけうち まりや)
本名:山下まりや(旧姓:竹内)
生年月日:1955年3月20日
自称:シンガーソング専業主婦
出身:島根県簸川郡大社町(現出雲市)血液型:A型。
竹内まりやさんは出雲大社正門前に位置する老舗旅館「竹野屋旅館」の娘として生まれ、世界で通じるようにという父の考えから「まりや」と名付けられました。
高等学校在学中に、AFS交換留学制度によりアメリカ・イリノイ州のロックフォールズ・タウンシップ・ハイスクールに留学。高校卒業後は慶應義塾大学文学部の英文学科へ進学しています。
デビューは1978年11月25日。シングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム「BEGINNING」でデビュー。大学では英文科に進みますが、音楽活動の両立ができなくなり中退してしまいました。
1979年にはシングル「SEPTEMBER」で第21回日本レコード大賞新人賞を獲得し、1980年のシングル「不思議なピーチパイ」は資生堂化粧品CMソングとなりヒット。デビュー当初は安井かずみさん、加藤和彦夫妻、松本隆さんなどが提供する曲を歌っていましたが、自らも作詞・作曲を手がけるようになります。
また、その頃にアレンジャーとして竹内まりやさんの前に現れたのが、山下達郎さんであり、双方がコーラスに起用されるなど、関係がその深くなり、1980年頃から山下達郎さんのマンションで同棲生活を始めました。
出典:http://poipoi01.com/
1981年には喉を痛めてしまった事、アイドル的な活動へのオファーと自身の希望する活動とのギャップに悩み、一時休業を宣言し、1982年に山下達郎さんと結婚し、結婚を機にメディア露出も減りました。しかし、同時に作詞家、作曲家としての活動を開始し、「けんかをやめて」「Invitation」などのヒットを放ちます。
1984年には長女が誕生し、家庭生活を優先し、ライブ活動などは少なくなるものの、山下達郎さんのサポートもあり、シンガーソングライターとしての活動は続け、アルバム「REQUEST」は3年間のロングセールスを記録し、1994年発売の「純愛ラプソディ」も最大のヒット曲となる。
さらに、1992年にはアルバム「Quiet Life」が発売と同時にミリオン・セラーとなり、1994年のベスト・アルバム「Impressions」は売り上げ300万枚を超える大ヒットを飾ります。
2000年からは約18年ぶりに本格的なライブを行う様になり、ライブアルバムやカヴァーアルバムなどをリリース。
2006年には子育てもひと段落し、再び積極的に新譜リリースを行うようになり、2007年に6年ぶりにオリジナルアルバム「Denim」を発表し、オリコンチャート1位を記録。
以降もヒットは続き2014年9月にリリースしたアルバム「TRAD」はオリコンチャート2週連続で1位獲得。第56回日本レコード大賞「最優秀アルバム賞」を受賞。また2015年3月には出雲市から特別功労者として表彰を受けました。
竹内まりやの代表曲は?
竹内まりやさんの代表曲と言っても長い活動の中で、ヒット曲も人気曲も多いです。その中でも特に人気があり、おすすめしたい曲は「今夜はHearty Party」です。
1995年11月にリリースされたシングルで、ケンタッキー・フライドチキンのクリスマス・キャンペーン・ソングとして使用された曲となっています。
またこの曲は当時観ていたドラマ「あすなろ白書」に触発され、歌詞に「キムタク」のフレーズを入れたことから木村拓哉さんの起用をジャニーズ事務所へ打診したところ快諾を得てコーラスと冒頭、間奏の台詞に木村拓哉さんが参加しています。
竹内まりやの旦那は山下達郎
竹内まりやさんは1982年に結婚していますが、竹内まりやさんの旦那さんはあの山下達郎さんです。日本のシンガーソングライターとして、山下達郎さんの名前を知らない人はいないのではないでしょうか。
前述のように、竹内まりやさんと山下達郎さんは仕事を通じて知り合い、その後恋に落ちて同棲生活をしています。
名前:山下 達郎(やました たつろう)
生年月日:1953年2月4日
血液型:B型
出身:東京都文京区本郷
竹内まりやさんの旦那であり、音楽的なパートナーでもある山下達郎さん。山下達郎さんと言えば「クリスマス・イブ」が最も人気の高い代表曲、この曲は日本中知らない人はいないのではないでしょうか。
山下達郎さんと言えば、ポップスやバラードなどの印象がありますが、影響を受けているのはアメリカンポップスやロック。レコード・CDコレクター、オーディオマニアであり、特にロック・R&B・ポップスはアナログ盤はオリジナルを中心に収集しており、所蔵総数は6万枚を超えるそうです。
音楽作りに対する独自の制作姿勢は評判が高く、同じ音楽業界の人間からも「音の職人」とも呼ばれる事もある程。レコーディングではボーカル・バックコーラスのほか、編曲からギター、コンピューターの打ち込み、シンセサイザー、パーカッションまで1人で手掛け、すべての演奏を1人で行っている楽曲もあります。
自身の作品制作とは別に1975年頃から他のシンガー、ミュージシャンへ楽曲提供を始め、近藤真彦さんの「ハイティーン・ブギ」やKinKi Kidsのデビュー・シングル「硝子の少年」や「ジェットコースター・ロマンス」などのヒット曲を生み出しています。
竹内まりやさんとは夫婦というだけではなく、作曲やプロデュース、楽曲アレンジの他、互いのライブにゲストとして出演するなど、夫婦でありながら共同作業者でもあります。
山下達郎の代表曲と言えば!
やはり山下達郎さんの代表曲と言えば「クリスマス・イブ」ですが「Ride On Time」も有名な曲ですね。
こちらの曲は通算37作目のシングルで、1980年5月1日と2003年2月19日にそれぞれ発売されている曲です。木村拓哉さん主演、2003年のTBS系ドラマ日曜劇場「GOOD LUCK!!」の主題歌となっています。
竹内まりやと山下達郎の子供(娘)について
お二人の間には1984年に長女が誕生していますが、お子さんの情報に関しては出回っていません。芸能界デビューしている女性の中で、この子が二人の娘なのでは?という疑惑も多いですが、どれも真実か定かは不明です。
お子さんの情報に関しては少ないですが、お子さんの事に関して山下達郎さんがコメントしているものはいくつかあります。
Q91 父親としての山下達郎は、どんな人物ですか?
「ウチの娘が中学のとき、学校で“両親について、ひとこと書く”っていうのがあって。そのとき娘が書いたのが“ウザイけど、ときどき使える”っていう(笑)。これ、なかなか名言だと思いますよ」
引用:山下達郎100Q
ウザイと思われているという事はそれだけ娘さんを溺愛しているという事でしょう。あまりメディアに出ない山下達郎さんですが、この発言を見ると、お家ではとても優しいパパなのでしょう。
また、山下達郎さんがあまりメディアに出ないのも、家族との時間を大事にしたい為とも言われています。
お子さん自身の情報はありませんが、山下達郎さん、竹内まりやさんどちらからも愛されているのでしょう。愛されているからこそ情報が漏れない様しっかり守っているのかもしれません。
竹内まりやの現在~実家で女将をしている?
現在の竹内まりやさんは…?というと、実は実家の旅館を継いだと言われています。
縁結びの神様として知られ、女子旅の聖地となっている出雲大社の参道にある老舗旅館「竹野屋旅館」が竹内まりやさんの実家です。
竹野屋は1877年に開業し出雲大社の参拝客はもちろん皇族や芸能人なども利用する一流の宿として人気のある旅館でした。しかし、1990年にJR西日本の大社線が廃止され、マイカー利用の観光客が急増し、松江市の旅館も次々とリニューアルし宿泊客はそちらへ流れてしまい、経営が傾き始めてしまいます。
しかし経営が傾いてしまった原因は5代目当主である竹内まりやさんの実兄の振る舞いにもあったそうです。
「有能な従業員も、おかしな発想を押しつけられるのに耐えられず辞めてしまう。従業員の教育もできないので、仲居さんのレベルもどんどん落ちていきました。5代目の女将が親族を連れてきたことで女の戦いが激化し、雰囲気が悪くなったともいわれていますね」(地元記者)
竹内まりやさんの実兄の趣味はジャズと無線などインドア派のオタク気質だそうで、従業員とのコミュニケーションもうまくとれず、また、甘やかされて育った為人に頭を下げる事なども苦手だったそうです。
そんな実家の廃業を心配した竹内まりやさんが2016年秋から立て直しに乗り出し、巨額の資金を投じてスタッフ総入れ替え、全面リニューアルを行い、現在ではオーナーとなっています。
しかし、何故竹内まりやさんがオーナーになろうという考えに至ったのかというと、そこには自分がこれまで旅館に何もしてあげられなかったという後悔の思いがあるからだそうです。
竹内まりやさんは高校生の時にはアメリカに留学し、大学時代に東京で音楽を学び結果的に音楽の世界で成功を収めています。また、音楽に興味を持ったのは5代目である実兄の影響があった為、実兄にも感謝しているのです。
そういった気持ちから、何がなんでも旅館を守りたいという気持ちが強く、本人も「私は本当に自由だった。お兄ちゃんは本当に不自由だった」と話していた事もあるそうです。
いくら出雲大社が有名になったとは言え、地元の旅館や商店は次々と店を閉めてしまう中、5代目である実兄はまがりなりにも竹野屋旅館を潰さずに守ってきたのです。
オーナーになる事に関しては事務所の社長も、旦那である山下達郎さんも応援してくれている為、現在は歌手活動は休業状態で、とうぶんの間は旅館の立て直しに力を入れていくでしょう。
この事がきっかけで引退の噂なども浮上していますが現在の所、歌手活動引退に関しては本人も否定しています。
周囲の反応は?
もともと「シンガーソング専業主婦」を自称するくらい、家庭と両立してマイペースに活動してきて、ファンにもそれで良しとされてきた人だから、これからもマイペースにやるんだと思うよ。
— JUN (@jun_k00) 2017年5月19日
→引退は否定…竹内まりや「旅館業&歌手」の二足のわらじ https://t.co/FOMlIWugLr
確かに竹内まりやさんはこれまでも家庭や子育てを優先しながらもしっかりとシンガーソングライターとして、または作詞家、作曲家として活動をしてきました。
その事を考えると引退という事はないでしょう。ライブ活動や新曲のリリースなどは少なくなってしまうとは思いますが、少なからず音楽には携わっていくでしょう。
昼のワイドショーで竹内まりやが経営難になった実家の老舗旅館を立て直すべくオーナーになったニュース、竹内一族の会議に山下達郎も参加したと聞き、どんな感じで会議に参加してたのか興味津々w
— パプ (@papucon365) 2017年5月18日
確かに山下達郎さんも参加している会議、どの様な会議になったのか気になる所ではありますね。山下達郎さんと竹内まりやさんの二人で切り盛りしていけば、二人のファンで大賑わいになるのでは…?
家族への恩返しとして実家の旅館のオーナーになることを選んだ竹内まりやさん
— Another Sky KIX (@anotherskykix) 2017年5月18日
ファンとしては、そんなまりやさんに恩返しとして竹野屋旅館に泊まりに行きたいですね
竹内まりやさんのファンの方は、竹内まりやさんの楽曲はもちろん、家族を大事にするその温かい性格にも惹かれているのでしょう。
なので、今回の件に関しても寂しい半面竹内まりやさんを応援したい気持ちも強く感じます。
まとめ
実家の旅館を継ぎ、歌手としての竹内まりやさんを見る事はこれから少なくなってしまうでしょう。
しかし、旅館を継ごうと決意した竹内まりやさんの気持ちにはとても優しい気持ちを感じます。
そんな竹内まりやさんだから竹内まりやさんの曲は沢山の人に支持されるのだと思います。
旦那さんである山下達郎さんに関しては特に今回の事がきっかけで何か変わるというわけではないので、これからも夫婦としてはもちろん、良きパートナーとして二人で素敵な音楽を作っていってほしいですね。