袴田巌

袴田事件の真犯人と真相|袴田巌の長女や次女の情報&現在も総まとめ

1966年6月30日に静岡県で4人が殺された「強盗殺人放火事件・袴田事件」の犯人として死刑が確定している袴田巌。この冤罪事件で2018年6月11日に東京高裁が再審請求を棄却して話題になっています。

 

「袴田事件」の詳細と真犯人や真相、袴田巌の長女の死や次女のおぞましい遺体、そして袴田巌本人の現在の状況などを総まとめしました。

「袴田事件」袴田巌のプロフィール

世紀の大冤罪事件「袴田事件」の概要

 

半世紀以上を冤罪で失った袴田巌

「袴田事件」は1966年6月30日に静岡県清水市(現静岡市清水区)で起きた強盗殺人放火事件で、被害者の会社に住み込みで働いていた袴田巌さんが犯人としてでっち上げられ、死刑確定と48年間におよぶ投獄に苦しんできました。

 

袴田巌さんについての詳しいプロフィールはこちら。

 

本名: 袴田 巌(はかまだ いわお)
生年月日: 1936年3月10日
出身地: 静岡県浜名郡雄踏町(現浜松市西区)

職業: 元プロボクサー
階級: フェザー級
称号: 世界ボクシング評議会名誉王者

引用:Wikipedia – 袴田巌

 

現在までに袴田巌さんと冤罪を訴え続けてきた姉・秀子さんを始めとする弁護団は3度に渡る再審請求をしてきましたが、その度に棄却されてきました。

 

3度目は2014年3月27日で、袴田巌さんの拘留および死刑執行停止、そして無罪を勝ち取るための再審請求をしましたが、2018年6月11日に高裁で再審請求が棄却されてしまいました。

 

この「袴田事件」のような半世紀近く経過しても再審請求をするということは世界的にも珍しく、袴田巌さんは死刑囚として世界で最も長く収監されたことでギネス世界記録にも2011年に認定されています。

 

 

詳細は随時ご紹介していきますが、「袴田事件」の概要をまとめると以下の通りになります。

 

1966年6月30日に静岡県清水市で、当時味噌製造会社の専務だった自宅が放火される。

焼け跡からは「専務」「妻」「当時17歳の次女」「当時14歳の長男」の焼死した遺体が発見される。 

事件当時自宅に居なかった「当時19歳の長女・橋本昌子」だけが家族で唯一の生き残りだった。

事件の5年前にボクサーを引退した元フェザー級日本ランカーの袴田巌が同味噌製造会社に勤務しており、社宅の部屋から犯行時に使われたと思われる血の付いたパジャマなどが警察により押収される。

放火と強盗殺人の容疑で袴田巌は逮捕、警察による拷問の上で自白を強要され、その後の裁判で死刑判決が下る。

当時のDNA解析では証拠不十分であり、袴田巌は姉・秀子をはじめとする弁護団により48年間無罪を主張する再審請求が行われてきたが棄却されたものの、2014年に人道的見地から釈放される。

2017年9月に袴田巌の無実を証明するための弁護側のDNA型鑑定について、非公開の証人尋問が行われ、静岡地裁が再審請求開始を認めるも、東京高裁が2018年6月11日に弁護側のDNA型鑑定には疑うべき点があるとして再審請求を棄却した。

 

つまり、袴田巌さんは現在も”死刑囚”のままとなっていますが、何故東京高裁は再審を認めなかったのか、「袴田事件」には真犯人がいるのか等について詳しく総まとめしましたのでご紹介しましょう。

 

 

袴田巌についての生い立ち&経歴

袴田巌は日本記録を持つボクサー

袴田巌さんは中学卒業後からボクシングを始め、アマチュアボクサーとして15戦8勝で、内ノックアウトが7回とハードパンチャーでした。

 

袴田巌さんは1957年には静岡国体で成年バンタム級にも出場しています。

 

袴田巌さんはそれからプロボクサーを目指すために上京し、1959年に岡本不二さんが運営する「不二拳闘クラブ」に所属して1959年11月にプロデビューを果たしています。

 

袴田巌さんはハードパンチを武器にフェザー級の全日本ランキングで6位まで上り詰めましたが、体調を崩して試合に出られなくなり1961年5月にプロボクサーを引退しています。

 

しかし、袴田巌さんの年間試合数は19戦で現在までに日本最多記録を保持し続けており、亀田大毅さんの年間8試合で「神業」と称されていたことから袴田巌さんがどれだけ凄いボクサーだったかが分かります。

 

袴田巌さんはプロボクサーとして再起を図るために静岡県清水市横砂(現・静岡市清水区)にある「有限会社王こがね味噌橋本藤作商店(1972年に「株式会社富士見物産」と改称)」に就職しましたが、これが運の尽きとなりました。

 

1966年6月30日に同社の専務自宅で強盗放火殺人事件「袴田事件」が起き、同年8月18日に袴田巌さんは容疑者として静岡県警察に逮捕されてしまいました。

 

 

袴田巌、「袴田事件」の犯人として逮捕される

 

袴田巌は真犯人に濡れ衣を着せられた?

みそ製造会社の専務自宅は火災で全焼し、焼け跡から長女を除く一家4人の遺体が発見されました。

 

家族全員の焼死体には刃物での無数の刺し痕が残されており、火災は犯人が証拠隠滅を図るために放火したと見られました。

 

静岡県警は強盗殺人・放火犯の行方を探し始め、2ヶ月後の8月に同社の従業員だった袴田巌さんが逮捕されてしまいました。

 

逮捕の決めてとなったのは袴田巌さんの部屋から見つかった犯行で被害者家族の返り血を浴びたパジャマでした。

 

袴田巌さんはずっと無罪を主張していましたが、警察による人道外れた拷問に耐えかねて自白を強要され犯人として逮捕されています。

 

警察が取った45通の自白調書の内裁判所に採用されたのは1通だけだったことからも警察が強引に調書を取っていたことが分かります。

 

ここで、袴田巌さんが受けたと言われる拷問という名の警察の取り調べについてご紹介しましょう。

 

 

袴田巌、拷問を受けて犯人と強制自白させられる

 

警察は袴田巌を殺す勢いで拷問し強制自白させた

警察による袴田巌さんへの取り調べは炎天下で行われ、1日平均で12時間、最長で17時間におよぶなど寝る以外の時間は拷問を受けていた袴田巌さんは精神的に耐えられず濡れ衣を着ざるを得ませんでした。

 

警察は人道外れた取り調べを行っており、袴田巌さんはトイレに行くことも許されなかったため取調室に便器を持ち込んで取調官の前で垂れ流しの状態でした。

 

そして、袴田巌さんはまともな睡眠が取れないように隣の部屋にわめき散らす泥酔者をわざと収容させて満足に睡眠が取れなかったため取調を受ける時には睡眠不足で疲弊してまともな思考状態ではありませんでした。

 

それでも袴田巌さんはやってもいない犯罪を認めるわけにはいかず無罪の主張を続けたため、警察はいよいよ一日中2、3人で警棒殴ったり蹴るなどのリンチを加えながらの取調べとなりました。

 

袴田巌さんは交流期限の3日前に濡れ衣を着る自白をしたことから、このままでは警察に殺されると感じての無念の自白だったのでしょう。

 

当然これらの警察の拷問は違法行為であり発覚すれば関わった警察官全員が逮捕であり懲戒免職では済まないと思いますが、静岡県警の紅林麻雄警部を始めとした取調べに関わった警官が責任を取るようなことにはなりませんでした。

 

こうした隠ぺい体質は日本の暗部であり、現在もこうした無法が続けられていると言われています。

 

 

袴田巌、死刑確定と48年間の獄中生活

 

半世紀近く獄中に閉じ込められた袴田巌

袴田巌さは拷問により強制自白させられて犯人となりましたが、法廷では当然無罪を主張続けたものの1980年12月12日に最高裁判所で死刑が確定しました。

 

袴田巌さんの無罪が実現することが無かったのは裁判官も警察とグルだったからだと言われており、その悪しき習慣は現在も続いています。

 

国家に法律を捻じ曲げられて殺人犯に仕立て上げられた袴田巌さんは、いつ執行されるとも分からない死刑の陰に怯えて生きる日々が始まり、次第に拘禁症状が現れることになります。

 

1967年8月にみそ工場のタンクの中から犯人が使用していたと思われる血の付いた5点の衣類などが発見され、この血痕からDNA型判定で袴田巌さんのDNAと一致したという警察の主張が死刑確定の決めてとなりましたが、このDNA型の一致は警察のでっちあげたことだったと後に判明します。

 

袴田巌さんは48年間という半世紀に近い年月を獄中で過ごし、その内33年間は毎朝死刑執行の宣告に恐怖に怯えながら過ごしていました。

 

 

「袴田事件」袴田巌が48年ぶりに東京拘置所から釈放!

袴田巌、弁護団による2度の再審請求を経て釈放される

年月が経ち裁判官の温情を得た袴田巌

袴田巌さんの実姉である秀子さんをはじめとして弁護団は現在までに3度に渡る再審請求をして無罪を勝ち取ろうとしてきました。

 

1981年に始めて袴田巌さんの弁護団は再審請求を申し立てましたが静岡地裁により棄却されてしまいました。

 

そして時が経過して2008年3月に最高裁でも棄却されましたが、その翌月に弁護団が2度目の再審請求を申し立て、2011年8月に犯人が着ていたという5点の衣類の血痕のDNA型を再鑑定したところ袴田巌さんのDNAと一致しなかったことが判明しました。

 

これを受けて袴田巌さんを犯人たらしめる最大の物的証拠に信ぴょう性が無くなったことから、2014年3月27日に静岡地裁は再審開始を決定しました。

 

この時の裁判長は警察と裏で繋がっているなどは無かったようで、「証拠捏造の疑いがある」と警察に対して強い不信感を示して批判し、袴田巌さんの死刑執行の停止と拘留を解いて釈放するなど異例の措置を下し、袴田巌さんは48年ぶりに東京拘置所から釈放され姉・秀子さんのいる自宅に戻りました。

 

この寛大な温情を示した裁判長は袴田巌さんを釈放したことについて以下のように語っています。

 

2014年、約半世紀ぶりに釈放。静岡地裁の裁判長は釈放の理由について、「拘置をこれ以上継続することは、堪え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得な」と述べた。釈放されて、今年で4年。30歳で逮捕された袴田さんは、既に80代だ。

 

引用:ハフィントンポスト – 獄中半世紀の袴田巌さんに会った 冤罪青春グラフィティ「獄友」も観た

 

つまり、この裁判長は袴田巌さんが無罪であることを内心認めているということになりますが、有力な真犯人の手がかりも無い上に国家の圧力によってこれ以上のことはできなかったのでしょう。

 

晴れて釈放された袴田巌さんはしばらくは拘禁症状に苦しんでいましたが、2014年4月6日には東京都大田区にある総合体育館で世界ボクシング評議会から認定名誉王者のチャンピオンベルトが贈られました。

 

同年5月19日の「ボクシングの日」には後楽園ホールで行われたファン感謝祭に袴田巌さんは元気な姿を見せて贈呈式が行われました。

 

生きて国家と戦い続けてきた袴田巌さんはまさにボクサーらしい不屈の闘志の持ち主であり、それを世界が認めたということになります。

 

 

 

袴田巌、冤罪で人生の大半を奪われ「拘禁症」に陥る

袴田巌は長年「拘禁症」に苦しんでいた

2014年3月27日に再審が認められて袴田巌さんは実に48年ぶり釈放されましたが、姉の秀子さんは外国からの記者団に記者会見を開き、袴田巌さんが「拘禁症」で苦しんでいることを伝えました。

 

袴田巌さんの48年という半世紀近くも人生を奪われたことで、生きるために袴田巌さんは自らの殻にこもって自分を守り続けてきました。

 

拘禁反応(こうきんはんのう)とは、強制収容所や捕虜収容所等の監禁施設、刑務所や拘置所等の刑事施設、精神科の閉鎖病棟等、強制的に自由を抑圧される環境に置かれた人が示す人格の変化を指す、精神医学や心理学における術語。

 

引用:Wikipedia – 拘禁反応

 

姉の秀子さんによれば袴田巌さんは釈放されてからしばらくはおかしな言動を繰り返していたようで、秀子さんも認識できていない様子だったようです。

 

袴田巌さんは不運にも凶悪殺人事件の犯人扱いをされてしまったことで、人格崩壊を起こしかけていた様子が世間にf冤罪の残酷さをまざまざと見せつけました。

 

テレビで見る袴田さんは、時に「尊敬、天才天才」「全世界の支配者・袴田巌」といった言葉を繰り返していた。釈放されてからも自分の作り出した世界を守るように生きる姿は、「冤罪」という取り返しのつかない事態の残酷さを、見る者たちにこれ以上ないほどに突きつけるものだった。

 

引用:ハフィントンポスト – 獄中半世紀の袴田巌さんに会った 冤罪青春グラフィティ「獄友」も観た

 

袴田巌さんが釈放された1ヶ月後となる2014年4月27日に、姉の秀子さんは静岡県庁で近況報告し、拘禁症は回復傾向にあることを伝えました。

 

釈放直後は秀子さんの呼びかけに無反応なことも多かったという袴田巌さんは、外を散歩する時など「外は気持ちがいいなぁ」と言葉を発したり、正常な反応が戻ってきたようです。

 

しかし、袴田巌さんは長い獄中生活から糖尿病も患っているようで、病状は深刻ではないものの治療が続けられているようです。

 

 

「袴田事件」を描いた映画は3度作られた

袴田巌さんの逮捕から獄中生活など、冤罪や死刑制度についてなど日本の司法システムの問題を描いた映画は現在までに3度制作され公開されてきました。

 

1作目は2010年5月29日に公開された映画『BOX 袴田事件 命とは』で、2作目は2016年2月公開の映画『袴田巌 ―夢の間の世の中―』でした。

 

そして、2018年3月24日から公開された映画『獄友』は、袴田巌さんと布川事件で冤罪を受けた桜井昌司さんを始めとした5人の冤罪を受けた人たちの友情を描いています。

 

 

袴田巌、その後の生活について

袴田巌は現在平和な生活を送っている

姉の秀子さんは度々記者会見を開いてきましたが、袴田巌さんが浜松市の自宅で過ごしている様子についても報告していました。

 

秀子さんによれば袴田巌さんは毎日午前5時頃に起床して、食事や休憩以外の時間は部屋中を歩き回り、午後8時頃に就寝しているようです。

 

一日中部屋の中を歩き回っている理由について袴田巌さんは運動だと言っているようですが、秀子さんによれば狭い獄中生活のことを現在でも背負い続けている様子だということです。

 

2018年6月12日付けの袴田巌さんと秀子さんを応援する人のブログでは、ふたりの様子について詳細に報告しており、秀子さんは例え東京高裁で再審が棄却されたとしても袴田巌さんと一緒に暮らせることから悔しくはないと語っているようです。

 

「また頑張るだけだよ!」「私はね、100歳までは元気でいる!巖も!」  秀子姉さんは闘志メラメラ炎です。

 

引用:キッチンガーデン – 帰宅した袴田秀子さん

 

袴田巌さんも秀子さんも100歳まで生きることを目標にしているようで、後15年ほどは人生を大切に生きることができぞうですね。

 

 

「袴田事件」の真相とは?~真犯人は被害者家族の長女の可能性が濃厚?

 

真犯人は限りなく被害者家族の長女

「袴田事件」で唯一生き残りとなったのは「当時19歳の長女・橋本昌子さん」だけでしたが、家族との関係や自殺の日付けなどから限りなく真犯人の可能性が高いと言われています。

 

 

次女の遺体は顔面メッタ刺しで二度焼きされていた!

 

「袴田事件」が起きた事件当時は強盗殺人放火事件であり金銭目当てで袴田巌さんが一家4人を殺害したと報じられていました。

 

会社の専務で「父親」は女遊びが激しく人格的な問題が多かったことから、事件後に周囲の人物は「殺されてもおかしくない」と証言されていました。

 

「袴田事件」が起きた当時に家にいなかった長女はたまたま外出していたわけではなく、一家から勘当されて追い出された身の上にありました。

 

殺害現場からは金銭目当て以外にも明らかに怨恨絡みであることをうかがわせる状況だたことが分かっています。

 

まず、一家4人の死亡状況ですが、「母親」と「次女」の遺体の損壊具合は酷く、母親は体の他にも顔面も刺されており、特に次女は顔面を何度も何度もメッタ刺しにされ、遺体を2度も焼いたあとがあるなど激しい憎悪が感じられます。

 

そして、次女の遺体の下には、袴田さんから買ってもらったビートルズのコンサートのチケットがあったそうです。

 

そのコンサートを数日後に控え、両親からその時に着ていく綺麗な服や靴を両親に買ってもらったそうです。

 

当時の次女と長男の家庭教師によると、長女は1人だけ家族にのけ者にされていたとか…事件の引き金はこの辺りにありそうです。

 

 

被害者家族長女、袴田さん釈放の翌日に死亡の謎

 

 

事件の真相を知っていると思われる被害者家族の長女・橋本昌子さんが、2014年3月28日の午後6時頃に亡くなっているのが自宅で発見されました。

 

享年67歳でしたが自殺だと見られており、奇しくもこの日の前日は袴田巌さんが48年の獄中生活を経て釈放された翌日でした。

 

橋本昌子さんは真犯人であることから、袴田巌さんの動向をずっと観察しており、釈放されたことから自分に嫌疑がおよぶ可能性があると感じて自殺したのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

「袴田事件」袴田巌の現在~3度目の再審請求が棄却される!

 

袴田巌、「袴田事件」東京高裁が再審決定を覆し棄却

 

3度目の再審請求も棄却される

2018年6月11日に東京高裁は秀子さんら弁護団のDNA型鑑定が信ぴょう性に問題があるとして静岡地裁の再審決定を覆して棄却しました。

 

東京高裁が再審請求を棄却したことで、袴田巌さんをずっと支援し続けてきた日本プロボクシング協会のメンバーは翌日に袴田巌さんを再び東京拘置所に戻さないように法務省に訴えました。

 

弁護団は無罪を勝ち取るまでは諦めずに再審請求を続ける構えのようです。

 

再審が認められなかったことで袴田巌さんは現在もなお”殺人犯”扱いで”死刑囚”という冤罪を抱えていることになります。

 

袴田巌さんが冤罪で人生を壊されてしまった「袴田事件」で問題視されていたのは、実刑を受けた人がDNA型鑑定を求めた場合には義務的に鑑定を行う義務を背負うべきというものでした。

 

現在までにDNA型鑑定を行うかどうかは裁判官の判断次第ということになっており、こうした法改正がされない限りは冤罪で袴田巌さんのように人生を奪われてしまう人が後を絶たないようです。

 

袴田巌さんについては現在のところ再収監されるという動きはないようですので、秀子さんは残された人生を有意義に生きることに全力をかけているようですね。

 

高裁の決定には「長年闘ってきたのでごたごたしないし、巌が帰ってきているので悔しさはない。請求棄却も何とも思っていない。100歳まで生きるつもり。巌も長生きさせ、努力して頑張ります」と話した。

 

引用:毎日新聞 – 閉ざされた扉・袴田事件52年

 

 

 

 

「袴田事件」袴田巌について総まとめすると・・・

・「袴田事件」は1966年6月30日に家族4人が亡くなった強盗殺人放火事件である。

・「袴田事件」の被害者である次女は特に遺体の損壊状況がひどく、顔面を何度もメッタ刺しされ、二度も遺体を焼いた跡があった。

・「袴田事件」の真犯人は被害者家族の長女・橋本昌子の可能性が濃厚と噂されている。

・「袴田事件」の犯人にされた袴田巌さんは2014年3月27日に静岡地裁が再審開始を決定したことで、48年ぶりに釈放された。

・「袴田事件」の再審決定が、DNA型鑑定が信ぴょう性に問題があるとして2018年6月11日に東京高裁が静岡地裁の再審決定を覆して棄却した。

 

1966年6月30日に起きた「袴田事件」で冤罪を着せられ現在までに無罪を勝ち取るために戦い続けてきた袴田巌さんについて総まとめしてきました。

 

この「袴田事件」は日本の司法が正常に働いていないことを分かりやすく示した事件であり、日本は法治国家ではないという証拠として現在も注目されています。

 

袴田巌さん以外にもこうした冤罪によって逮捕され、獄中に長く繋がれたことで人生を奪われてきた人はまだまだいるようです。

 

1992年に起きた「飯塚事件」で冤罪を着せられた久間三千年さんはすでに死刑執行されていることからも、この冤罪問題はまだまだ尾を引くことでしょう。

 

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