日本初の銀行オンラインシステムを利用した横領事件「三和銀行オンライン詐欺事件」ですが、犯人は不倫相手の男のために罪を犯したと話題です。
今回は事件詳細、伊藤素子と南敏之との関係、判決や映画化などその後と現在を紹介します。
この記事の目次
三和銀行オンライン詐欺事件とは
「三和銀行オンライン詐欺事件」は、1981年(昭和56年)3月25日に発生しました。
銀行のオンライン端末を利用して架空入金の手続きをし、予め用意しておいた三和銀行(現・三菱UFJ銀行)の4支店分の架空口座に計1億8000万ものお金を入金し横領しました。
この事件の実行犯は、三和銀行の行員だった伊藤素子です。
しかし、伊藤素子は自分が金欲しさに犯罪を働いたのではなく、当時愛人関係にあった南敏之という男のためでした。
女性をだますことをに長けていた南敏之の口車に乗ってしまった伊藤素子は、不正送金によって得たお金のうち、1億3000万円を南敏之に渡しています。
南敏之は「1ヶ月後に必ずマニラに行く」と伊藤素子に伝えて、先に現地に行かせていましたが、それはフェイクであり、南敏之は日本にとどまって家族らと豪遊していました。
マニラに逃亡していた伊藤素子は同年9月8日に現地で拘束され、日本へ移送される飛行機の中で逮捕されました。
1965年から銀行にオンラインシステムが導入されていた
オンラインシステムと言うと、早くてもインターネットが普及し始めた1990年代と思いがちですが、第二次世界大戦中の通信技術から発展し、一般企業にシステムが普及して行きました。
その中で、銀行のオンラインシステムを日本で初めて導入したのが三和銀行でした。
「日本の銀行では、1965年の三井銀行(現・三井住友銀行)を皮切りに、オンラインシステムが採用され始めました。本店と支店がオンラインでつながることで、ATMでの預金の預入れや引出し、自動引き落としサービスなどが実現したのです。
しかし、コンピューターの技術が進んでいくと同時に、コンピューターがらみの犯罪が増えていきます。三和銀行の事件が起きた1980年代は、まさに銀行のオンラインシステムが狙われ始めた時代です。当時はシステムそのものが稚拙でしたし、銀行内でしか使わない閉ざされたシステムでしたから、セキュリティ意識も低かったのです」
当時のオンラインシステムは現在のように洗練されておらず、リアルタイム処理が要求されない業務についてはバッチ処理で行われていました。
また、三和銀行に続いて導入したみずほ銀行は、オンラインシステムの大規模トラブルが発生するなど、近年頻発しているトラブルの原型のようなものが起きていました。
三和銀行オンライン詐欺事件の犯人・伊藤素子のプロフィール
・名前: 伊藤 素子(いとう もとこ)
・生年月日: 1948年11月18日
・家族構成: 両親、兄1人、姉3人
・犯行時年齢: 32歳
・職業: 銀行員(1967年 – )
・勤務先: 三和銀行茨木支店
・犯行日時: 1981年3月25日
・身柄拘束: 1981年9月8日
・逮捕: 1981年9月10日
・判決: 懲役2年6月
伊藤素子は写真からもわかるように、比較的目鼻立ちがしっかりした美人であり、さらに高長身だったことからモデルのようなスタイルの持ち主でした。
地元の高校を卒業後、伊藤素子は「三和銀行オンライン詐欺事件」の現場となった三和銀行茨木支店にて預金係として勤務し始めました。
伊藤素子の経歴と不倫
伊藤素子は美人だったため、多くの縁談が舞い込んでいたと言われていますが、相当なイケメン好きだったため、縁談を受けることはありませんでした。
また、伊藤素子は入社後まもなく、三和銀行に出入りする関係会社のイケメン社員と不倫関係になったため、縁談を受けなかったようです。
伊藤素子は不倫が良くないことだとはわかっていたようですが、ずるずると関係は長引き、12年にもわたって交際していたようです。
この12年の間に、伊藤素子はこの男性の子供を身篭って中絶しており、そうした罪悪感からも自分はまともな結婚はできないと信じ込んでいたと言われています。
三和銀行オンライン詐欺事件を起こした犯人・伊藤素子とイケメン男・南敏之の関係
伊藤素子は不倫を続けながらも、三和銀行に勤務してから12年目に南敏之と出会っています。
南敏之は伊藤素子をたらしこむために、「茨木霊苑」という1万坪もある墓地管理業をしている社長だと信じ込ませました。
すらっとした長身のイケメンで、当時は大型の高級車種であるキャデラックに乗っている”デキる男”風の南敏之に一目惚れをした伊藤素子は、それまでの不倫男性と別れ、虜となりました。
最初の頃は羽振りの良さを見せていた南敏之ですが、本当の姿は多額の借金を抱えた貧乏人だったため、次第に伊藤素子にお金を無心するようになっていきました。
南は如才ない性格で、女あしらいがうまかった。素子さんは、間もなく食事に誘われるが、この時すでに南には魂胆があったのだろう。南は既婚者で、経営していた霊苑は実は南の妻の実家のものだった。だが生来の道楽、女遊び、強欲な金儲けの失敗が祟って、1億円近い負債や借金を抱えていたのである。
詐欺師というのは第一印象をとてもよく見せるものですが、この南敏之という男との出会いが伊藤素子の人生を大きく狂わせました。
伊藤素子は南敏之の口車に乗せられた
伊藤素子は南敏之に無心されるまま、貸した金額は5万、10万、30万とどんどん増えていきました。
収入のいい三和銀行に12年勤めていた伊藤素子は、貯めていた900万円を少しずつ切り崩して渡していましたが、返済されることはなく、さらに無心が続き、ついに貯金も底をついています。
そんな南敏之に対して、さすがの伊藤素子もこのまま付き合い続けることはできないと感じたようですが、ここで、ついに南敏之は三和銀行から金を横領することを頼み込んだのです。
「お前、銀行から金もちだせんやろか。銀行に勤めとるんやから、ええ知恵あるやろ」
当然断るものの、南はまったく引かない。南のしつこさに負けた素子さんは、
「どこかの支店に当座預金さえあれば……そこへ茨木支店から入金して、その後からお金を出したら不可能なことやないわ」
と、口にするが、すぐばれて捕まってしまう、と付け加えると、
「茨木支店で入金の打ち込みをしてすぐ金を引き出し、その足で出国すればいい。二人でフィリピンのマニラに逃げて一緒に暮らそうや」
と、丸め込まれた。
伊藤素子は南敏之と別れたくないという一心から、言われるままに、三和銀行のオンラインシステムを利用した不正な出金に手を染めてしまいました。
三和銀行オンライン詐欺事件の詳細① 犯人・伊藤素子の犯行手口
1981年(昭和56年)3月25日、当時大阪府茨木市にあった三和銀行茨木支店に勤めていた伊藤素子は事件を起こします。
開店と同時にコンピューター端末を操作し、予め準備していた三和銀行の吹田支店、豊中支店、新橋支店、虎ノ門支店の計4支店の架空口座に、1億8000万円もの架空入金をしました。
伊藤素子は金を引き出しに行くために、歯が痛いとの理由で午前10時30分に早退。
吹田、豊中の両支店から現金を一部引き出した後、伊丹空港から飛行機で東京に飛び、新橋、虎ノ門の両支店からも金を引き出しました。
そして、現金5000万円と小切手8000万円の計1億3000万円を南敏之に渡しています。
その後、南敏之から先にフィリピンの首都・マニラに逃げていて欲しいと言われた伊藤素子は、渡された500万を持って、香港経由でマニラに逃亡しました。
南敏之は体よく伊藤素子を利用して追い払えたと思い、得た大金で家族と豪遊していました。
犯人・伊藤素子と南敏之が逮捕された
事件が発生してから約5ヶ月が経過した1981年9月5日頃、三和銀行茨木支店で巨額の金が引き出された横領事件発生したと新聞各紙で報道され始め、世間が知るところとなりました。
伊藤素子はすぐに指名手配され、その3日後となる9月8日に、マニラ入国管理局に身柄を拘束され、日本の成田空港に移送される飛行機内で逮捕されました。
また、大金を得て国内で豪遊していた南敏之も、同日に大阪府県によって逮捕されました。
三和銀行オンライン詐欺事件の詳細② 犯人・伊藤素子と南敏之の判決
1982年1月27日、大阪地方裁判所の判決により、伊藤素子に懲役2年6ヶ月が下されました。
首謀者である南敏之は情状酌量の余地はないとして、懲役5年の実刑判決が言い渡されました。
両者はこの判決に控訴しなかったため、刑が確定しそれぞれ服役しています。
三和銀行オンライン詐欺事件の詳細③ 犯人・伊藤素子は南敏之をかばい続けた 【流行語も生まれる】
伊藤素子は自身の貯金を全て奪われた挙句、横領事件の実行犯に仕立て上げられたことに対して全く南敏之を恨んでいませんでした。
それどころか、事情聴取では南敏之は悪くないと主張し、全ての非は自分にあると言い続けました。
南敏之は多額の借金に追われるうちに人が変わってしまったと擁護し、不倫をしていたことに対して南敏之の妻にも謝罪をするほどでした。
そして、伊藤素子はマスコミのインタビューで、流行語にもなる一言を発するのです。
犯人・伊藤素子の「好きな人のためにやりました」が流行語になった
伊藤素子はマニラで拘束中、マスコミのインタビューを受けました。
その時に少し微笑みながら「好きな人のためにやりました」 と答え、これが当時の流行語となりました。
色恋沙汰の末の横領事件であり、その犯人である伊藤素子が美人だったことから、世間からの注目度は高かったようです。
騙されながらも一途に想い続けていた伊藤素子に恋をする男性も少なくなかったようで、服役中、刑務所には多くのファンレター(ラブレター)が届いていたようです。
伊藤素子はその後、一般男性と結婚した
伊藤素子は模範囚だったため、刑期の満期を待たずに1984年に仮出所しています。
そして、1990年に事件の経緯を承知の上で、一般人男性と結婚しました。
その後、子供をもうけたなど結婚生活については不明ですが、これまで再び伊藤素子の名前は世に出ていないため、平穏な生活をしていると思われます。
三和銀行オンライン詐欺事件の現在① ドラマ化・映画化された
「三和銀行オンライン詐欺事件」発生後、この事件をモデルにしたテレビドラマや映画など、多くの作品が登場しました。
何度もドラマ化されてきた松本清張の長編小説『黒革の手帖』ですが、2017年7月20日にスタートしたドラマでは、武井咲さんが原口元子役を演じて話題となりました。
また、映画「紙の月」も同じく、美しい女が銀行の預金に手を付けて横領してしまう物語です。主演は宮沢りえさんが務めました。
気になった方はぜひ視聴してみてはいかがでしょうか。
三和銀行オンライン詐欺事件の現在② 新法ができた
出典:https://pixabay.com/
「三和銀行オンライン詐欺事件」の以前には、オンラインシステムを利用した横領を罰する法律が存在しなかったため、1987年の法改正で電子計算機使用詐欺罪が新設されました。
電子計算機使用詐欺罪が新設された背景について、わかりやすく説明された文章を抜粋して紹介します。
「『詐欺』とは人が人をあざむくことですが、Aがおこなった架空口座への入金は機械が処理したもので、人間は間に入っていません。この事件では、Aが偽名を使って金銭を入手したことから詐欺罪に問うことができましたが、そもそもの入金作業は当時の法律で裁けなかったのです。
そのため、1987年におこなわれた刑法改正で、『電子計算機使用詐欺罪』なるものが規定されます。これは、事務処理に使用する電子計算機に、虚偽の情報や不正な指令を与えることで利益を得る行為を罰するものです。
最近は時代の流れが速く、法律が想定する社会と、実際の現実社会との間に “隙” が生じることが多いんです。こうした隙間の犯罪を抑制するには、暗号システムの強化など、さまざまな方法で攻めていくしかないのです」
インターネットの普及が進み、多種多様な詐欺事件が発生していますが、今後もAI化、デジタル化が進むにつれてより巧妙な犯罪が発生し、そのたびに法改正が求められることでしょう。
三和銀行オンライン詐欺事件の犯人・伊藤素子の現在
出所した伊藤素子は、一般人男性と結婚してから現在までに一度も表に姿を見せていませんが、生きていれば70歳を超えています。
メディアが伊藤素子の元を訪ねて取材に行ったこともあったようですが、住んでいると思われた家には伊藤素子の一番上の姉だけしかいなかったようです。
さらに、周辺住民に聞いても、伊藤素子の姿を見かけたことは一度もないということでした。
また、伊藤素子が夫と暮らしていると思われる琵琶湖畔にあるマンションにも訪れたようですが会うことは叶わなかったようです。
伊藤素子は現在、静かに余生を送っていると思われます。
まとめ
伊藤素子が起こした、日本初となる銀行のオンラインシステムを利用した横領詐欺事件「三和銀行オンライン詐欺事件」についてまとめてきました。
若い頃は、不倫相手の言いなりになって犯罪もいとわないような色恋に狂っていた伊藤素子ですが、横領事件を起こし、服役する中でしっかりと反省し、未熟な自分と決別できたはずです。
こうした色恋とお金が絡んだ、ある意味、人間味あふれる事件が起きたのも昭和ならではと言えるかもしれません。