挟山事件

狭山事件の真犯人と真相!石川一雄の冤罪や現在も総まとめ

1963年5月1日に埼玉県狭山市にて、当時高校1年生の中田善枝さんが下校途中に行方不明になり強姦・殺害される事件が起こりました。

 

この記事では、「狭山事件」の詳細と冤罪と言われる石川一雄さんの真相、真犯人について詳しくまとめました。

女子高生が強姦・殺害された「狭山事件」とは

1963年5月、高校1年生の中田善枝さんが殺害される

冤罪事件と言われている「狭山事件」

 

1963年5月1日に埼玉県南西部に位置する田園都市・狭山市にて、当時高校1年生だった中田善枝さんが学校から帰宅する途中に行方不明になり遺体となって発見される事件が起こりました。

 

同日の夕方頃に犯人から自宅に20万円の身代金を要求する脅迫状が届けられ、警察は誘拐事件とみて捜査を開始しました。

 

翌2日に警察は犯人が指定した身代金の受け渡し場所に40人の警官を配備しましたが、警察は犯人を目の前にしながらとり逃がす失態をしてしまいました。

 

警察は威信をかけて3日がかりの大規模な山狩りを開始しましたが、4日目に農道に埋められていた中田善枝さんの遺体が発見されました。

 

1963年5月23日に、犯人として特定され逮捕されたのは、遺体遺棄現場近くにある被差別部落に住んでいた当時24歳のとび職手伝い・石川一雄さんで、警察は傷害や窃盗など別件逮捕をした上で自白をさせ、犯人として再逮捕しました。

 

石川一雄さんは裁判により一審で死刑判決、二審で無期懲役判決、1977年に無期懲役判決が確定しましたが、1994年に仮出所し現在も無罪を主張して再審請求中です。

 

狭山事件の時系列

 

【1963年5月1日】

午後3時23分に目撃されたのを最後に、中田善枝さんが行方不明になる。

 

【5月2日】

1日午後7時40分頃に犯人から届けられた脅迫状を元に、警察40人が身代金の受け渡し場所に張り込みをした。

 

【5月3日】

警察が犯人を取り逃がしてしまい、機動隊員や地元消防隊員など160人体制で山狩りを開始した。

 

【5月4日】

10時半頃に狭山市大字入間川の雑木林から麦畑に出たところの農道にて中田善枝さんの遺体が発見された。

 

【5月6日】

被害者宅の元使用人だった男性が農薬を飲んで井戸に飛び込み自殺をした。

 

【5月7日】

産経新聞夕刊で自殺をした元使用人が犯人である可能性は無いことが近親者の証言が掲載される。

 

【5月8日】

現場から無くなっていた中田善枝さんのカバンや時計など遺品の写真が全国の質屋に配布される。

 

【5月11日】

「妖しい3人組を見た」と警察に届け出ていた田中昇さんが自殺を図る。この日に犯行に使われったスコップが見つかる。

 

【5月23日】

早朝に暴行、窃盗、脅迫などの容疑で石川一雄さんが別件逮捕される。

 

【5月25日】

中田善枝さんのノートや教科書などが発見される。

 

【6月13日】

石川一雄さんが恐喝以外の別件逮捕の件で起訴される。

 

【6月18日】

石川一雄さんの自宅が2度目の家宅捜査を受ける。

 

【6月20日】

石川一雄さんが警察に3人による犯行を自白させられる。

 

【6月21日】

中田善枝さんのカバンが発見される。

 

【6月23日】

石川一雄さんの自白内容が単独での犯行に変わる。

 

【6月24日】

石川一雄さんの自白により、自宅から中田善枝さんの万年筆が見つかる。

 

【7月2日】

散歩中の老人が中田善枝さんの時計を発見する。

 

【7月9日】

浦和地方検察庁に石川一雄さんが起訴される。

 

【1963年9月4日~1974年10月31日】

石川一雄さんの一審裁判が1963年9月4日~1964年3月11日に、二審裁判が1964年9月10日~1974年10月31日に行われた。

 

犯人を逃した警察に批判殺到していた

 

「狭山事件」が起きた当時、世間は高度経済成長期であり東京オリンピックを翌年に控え、世界に対して敗戦国からの脱却を印象付ける変遷期でもありました。

 

しかし、同年3月には戦後最悪と言われた誘拐事件「吉展ちゃん事件」が起きており、警察は犯人を取り逃がしたことで世間からの信頼を失墜させていました。

 

そのため、中田善枝さんの遺体が発見された4日には警察庁長官が辞表を提出し、警察全体に何が何でも名誉挽回のために犯人を逮捕しなければならない空気が漂っていました。

 

「狭山事件」犯人・石川一雄の生い立ち~部落出身で無学だった

 

石川一雄、被差別部落の貧農の出身

犯人とされた石川一雄は貧困により学が無かった

 

石川一雄さんは被差別部落の貧農の出身であり、弁護士によれば学歴は小学校5年生までとされていました。

 

しかし、1951年に入間川にある中学校に進学していたものの、ほとんど通学しないまま1954年に卒業を待たず石川一雄さんは除籍となっています。

 

小学校時代の内申点には、石川一雄さんは協調性や正義感が全く無く、悪質ないたずらを主導してやるような何をしでかすか分からない問題児とされていました。

 

石川一雄さんは中学校の除籍の同時期に、保谷にある鉄工所で働き始めましたが、旋盤で指を切断する事故を起こし退職しました。

 

その後、石川一雄さんは農家の子守奉公や靴屋の店員見習いなど職を転々を変わっており、1958年3月には菓子メーカー・東鳩の製菓工場に勤務していましたが、当時の同僚からは非常に気分屋であり嫌になると適当に箱詰めしていたことが証言されています。

 

まともな教育を受けられず、社会性を身につけられなかった石川一雄さんは、警察から脅しを受けて自白強要をされた冤罪だったと言われています。

 

「狭山事件」犯人・石川一雄に冤罪説~真犯人と事件の真相とは

石川一雄は警察に脅されて自白していた

石川一雄は警察に脅されたと言われている

 

前述のように警察は「狭山事件」でも犯人を逃すと世間から致命的な信用失墜をする可能性があったため、何が何でも犯人を逮捕しなければならず、これは国家の威信をかけた国からの絶対命令でもありました。

 

犯人逮捕の足取りを掴めなかった警察は、別件逮捕した石川一雄さんが被差別部落出身のアウトローであることを利用し、1ヶ月に及ぶ留置場での取り調べの中で脅迫し、犯人に仕立て上げたと言われています。

 

これは、中田善枝さんの遺体が見つかり事件が発覚した際に、周辺住民がこぞって被差別部落地域出身者の仕業だと断言していたことも影響しました。

 

また、石川一雄さんは警察での尋問中に、犯人だと認めなければ兄の六造さんを替りに引っ張ってくると脅していたと言われています。

 

石川一雄さんの実家は極貧でしたが、六造さんの仕事が軌道に乗って一家の大黒柱となっていたことから、兄が逮捕されると家族にとって致命的でした。そのため、兄が犯人に仕立てあげられないように、嘘の自白をせざるを得なかったようです。

 

 

石川一雄、部落出身者への差別とマスコミの印象操作

 

 

また、人を人と見ない部落への差別から、マスコミも印象操作をして石川一雄さんが犯人であることを報じました。

 

逮捕されたのは、被差別部落に住む24歳の青年。メディアはこぞって部落を、さも「不気味な場所」であるかのように書き立て、石川氏本人が「異常な人格の持ち主」であるかのような事実ではないイメージをばらまく。石川氏は当然、警察に無実を訴えるものの、聞いてなどもらえない。小学校も途中で行けなくなるという貧困の中で育ってきた石川氏は、知識もなく、自分の身の守り方もわからない。そうして連日続く取り調べの中で、警察から「やったと言えば10年で出してやる」と言われ、罪を認めてしまうのだ。

 

引用:ハフィントンポスト – 共謀罪、そして冤罪54年〜今、狭山事件から考える〜

 

石川一雄さんが冤罪である理由のひとつとして、小学校までしか行っていないため漢字がほとんど書けなかったにも関わらず、犯人からの脅迫状には漢字が多く使われていたこと、漢字を当て字にした高度な細工をしていたことなどが挙げられています。

 

石川一雄、冤罪となった原因のひとつに過去の犯罪歴

石川一雄の周辺人物も犯罪者だらけ

 

石川一雄さん自身も幾度も犯罪を犯した犯罪者でしたが、勤務経験もあった養豚場の被差別部落出身者らもまた犯罪者だらけであり、「狭山事件」の犯人としての説得力を生んでいました。

 

養豚場経営者のIK(当時27歳。被害者と顔見知りで、傷害の前科2犯あり)
養豚場経営者の兄IT(当時33歳。刑務所で服役した過去あり)
養豚場経営者の弟IY(当時19歳。強姦の前科あり)港会(現・住吉会)組員。
養豚場の入口脇に住む大工で1960年6月に強姦未遂・恐喝・窃盗などで検挙されていたTI。
被差別部落出身で養豚場元従業員のTA。港会(現・住吉会)組員。

 

引用:Wikipedia – 狭山事件

 

石川一雄さんが暴力団関係者と付き合いがあったのかはわかりませんが、周辺人物がこれだけの犯罪者揃いだと、例え冤罪だったとしても世間の同情を買うことはできないでしょう。

 

警察もそうした世間の心理を知っていることから、石川一雄さんを「狭山事件」の犯人として仕立て上げるのに躊躇がなかったのかもしれません。

 

石川一雄の冤罪は無学が招いた

石川一雄は警察にまんまと丸め込まれていた?

 

石川一雄さんは警察での取り調べで罪を認めれば刑を軽くするという嘘の口約束をしており、信じきっていたことから死刑宣告される可能性にも笑う余裕を見せていたようです。

 

「男と男の約束」とまで言われた石川氏はこの言葉を信じ切っていたからこそ、死刑判決を受けても平然としていたという。判決前日、弁護士に「あなたはやったといっているけど、証拠をみると、自白が正しいとは思えない。それでも、判決では死刑にされるかもしれない」と言われても、石川氏は「いいんです、いいんです」と笑顔を見せているのだ。

 

引用:ハフィントンポスト – 共謀罪、そして冤罪54年〜今、狭山事件から考える〜

 

石川一雄さんのこうしたやり取りから伺えるのは、明らかに社会性が欠如している証拠であり、元々犯罪者だったことから罪への意識が軽かったのでしょう。

 

石川一雄、真犯人は自殺した元使用人と発言

 

最新の科学的鑑定は脅迫状の筆跡は99.9%の確率で、石川一雄さんのものではないと結論づけています。

 

石川一雄さん自身も2004年2月22日に、自殺した被害者の女子高生の元使用人が真犯人ではと語っていますが、真犯人については諸説あり、真相は闇の中といったところのようです。

 

 「第1番目に自殺した人(被害者宅の元使用人)が犯人じゃないかと、私は今でも思っています」と2014年2月22日に発言している。しかし、被害者宅の元使用人は石川の逮捕前に死亡しているにもかかわらず、「Yさん(被害者)には、申し訳ないことをした。自分があともうすこしがんばっていれば、犯人はつかまったはずだ」とも語っている

 

引用:狭山事件 当事件の犯行に関連する諸説

 

 

「狭山事件」石川一雄の現在~無罪を勝ち取るため再審請求中

石川一雄、1994年12月に仮出所

 

石川一雄さんは逮捕されてから留置所に収監された頃から、仮出所を果たした1994年12月21日までの間、31年7ヶ月を獄中で過ごしました。

 

石川一雄、無実の罪を晴らすため戦い続けていた

 

 

出所後、石川一雄さんは支援を得て無罪を勝ち取るための再審請求を続けてきましたが、2017年5月23日にはほかの冤罪事件で知られる「袴田事件」の袴田巌さんの姉である袴田秀子さん、「足利事件」の菅家利和さん、「布川事件」の桜井昌司さんなどが、再審を求める市民集会の場で集まりました。

 

石川さんが94年の「仮出獄」となってから、もう23年。が、足利事件や布川事件のように、再審で無罪となったわけではない。狭山事件では、鑑定人尋問などの事実調べが42年間も行なわれていないという。だからこそ、こうして再審を求めて集会が開催されるのだ。

 

引用:ハフィントンポスト – 共謀罪、そして冤罪54年〜今、狭山事件から考える〜

 

なお、石川一雄さんは仮出所した2年後の1996年12月21日に、支援者だった被差別部落出身の早智子さんと結婚しました。

 

石川一雄さんは無実の罪をを晴らすまでは両親の墓前に立てないという信念を貫き、早智子さんに支えられて再審請求の戦いを続けてきました。

 

 

石川一雄、冤罪ビジネスで儲けているとの声も

石川一雄は部落解放同盟の冤罪ビジネスで儲けた

 

石川一雄さんは1977年9月8日に千葉刑務所に入りましたが、その獄中生活は真面目なものではなく、愛読書は殺人関係の小説だったと言われています。

 

また、石川一雄さんは刑務所内で学校ではできなかった勉強に励み、読み書きができるようになって短歌を趣味としていましたが、その内容は非常に下衆な内容だったようです。

 

千葉刑務所の周辺には、週1回程度部落解放同盟や中核派、社青同解放派などの支援団体の街宣車が押しかけて、石川一雄さんが冤罪であることを拡声器で主張し続けていましたが、冤罪だと主張することは募金などのお金が集まるため、石川一雄さんには毎月数百万円のお金が入っていたと言われています。

 

石川は「今日は社会党の代議士が会いに来た。面会ではケーキですよ」「今日カンパが300万円届きましてね。これで私の領置金は億を超えました。あなた、出たらぜひ私のところで秘書の仕事をしてください」

などと自慢していたために反感を買い、「冤罪を訴えているが実はやってるんじゃないか」と噂されることもあったと金原は伝えている。また見沢によると、千葉刑務所時代の石川は月額数百万円のカンパを貰い、カンパ金で車やビルを買ったといわれる。しかし石川は「いやあ、今月のカンパは少ねえなあ」と笑い、出所の翌日には700万円のオーディオ機器を買ったという。

 

引用:Wikipedia – 狭山事件

 

石川一雄さんは出所後に実家付近に8階建てのマンションを建てて、多額の不動産収入を得て老後生活を送っていると言われています。

 

こうした冤罪ビジネスとも呼べる儲け方があるため、「狭山事件」をはじめとした冤罪事件を疑う声も一定数あるようです。

 

 

 

「狭山事件」の真相についてまとめると…

 

・「狭山事件」の真相は闇の中であり、石川一雄は警察に自白を強要された冤罪であると主張している

・石川一雄は部落出身でまともな教育を受けなかったため、文字の読み書きが出来なかった

・石川一雄は獄中で毎月カンパを受け取り出所までに億を超えるお金を手にしていた

・石川一雄は1994年12月に仮出所、現在も無実の罪を晴らすため再審請求中である

 

「狭山事件」について真相を詳しくご紹介してきました。

 

石川一雄さんについては「やはり石川さんが犯人ではないか?」との声も少なからずあるようですが、真相は闇の中です。

 

 

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