元プロ野球選手の王貞治さんの次女である王理恵さんですが、現在までにバツ2と、結婚生活が長続きしないことで有名です。
この記事では、王理恵さんの歴代旦那や子供の情報、そして婚約破棄の真相や結婚や離婚の話題などに関してまとめてみました。
この記事の目次
王理恵のプロフィールや経歴
名前:王理恵(おう りえ)
生年月日:1970年3月7日
出身地:日本・東京都
身長:168cm
学歴:青山学院大学文学部英米文学科卒業
王理恵、父・王貞治からはスパルタ教育を受ける
王理恵さんは、ソフトバンク・ホークスの球団取締役最高顧問である王貞治さんの次女として誕生しました。
理恵さんの父・王貞治さんといえば、現役時代は読売ジャイアンツのスラッガーとして国民的スターとなっただけはなく、868本の本塁打の日本記録を現在まで保有しているレジェンドでもあります。
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そんな偉大すぎる父親の元に生まれ育った理恵さんは、かなりのスパルタ教育を受けて育ったこともで知られています。
王家では、大黒柱の王さんが帰宅した際は三つ指をついて出迎える他、現役時代は王さんの打席になるとテレビの前で正座をして観戦するなど、子供の立場からするとかなり理不尽なことが多かったそうですね。
父親ファーストの家庭で育った理恵さんは、幼少期には、泣くと泣き止むまで「父親の邪魔になる」と蔵に押し込められていたことまであったとか。
王家のスパルタ教育ぶりは大学時代にも発揮されており、青山学院大学時代の理恵さんは、門限(大学1~2年時22時、3~4年時23時)に1秒でも遅れると、1週間外出禁止というルールまで押し付けられていました。
一見するとかなり閉塞感のある家庭に育ったと言える理恵さんですが、厳しく育てられた背景には、「嫁に行って恥ずかしい思いをしないように」という王さんの親心がありました。
「娘3人だから、結婚していずれ家を出て行く。その時に恥ずかしい思いをさせたくないから、厳しい教育をした。理というのも、王の里という意味から3人に付けた。どこへお嫁に行っても王家の娘としての立場を忘れずに立派に生きてほしいからだ」
王理恵、王貞治の監督就任をきっかけにタレントへ転身
青山学院大学を卒業後の王理恵さんですが、大手広告代理店である博報堂に入社して秘書室に勤務しておりましたが、程なくして退社しました。
博報堂退社後の理恵さんですが、父である王貞治さんが福岡ダイエー・ホークスの監督に就任したことをきっかけにタレントに転身し、福岡ローカルで「Jump Up ホークス」という番組のリポーターを務めています。
その後、全国区の仕事も増え始めた理恵さんは、情報番組「エクスプレス」のスポーツキャスターとして活躍するなどして、お茶の間でもおなじみの存在となりました。
現在の理恵さんは、日本野菜協会理事となっており、食に関わる講演会や地方自治体のPR業務に引っ張りだことなっております。
王理恵、胃がんで亡くなった母・恭子さんの遺骨が墓から盗まれる
王理恵さんは、最愛の母である恭子さんを2001年に胃がんで亡くしています。
恭子さんの死後、お墓から遺骨が骨壷ごと盗まれるという事件が起こるなど、王家にとってしばらくの間は、色々な心労が重なることにもなりました。
2001年に亡くなってしまった恭子さんの遺骨は、目黒にある寺に埋葬され、安らかに眠りつづけるはずであった。しかし、亡くなった翌年の2002年12月、埋葬されていた墓から遺骨が骨壺ごと盗まれていたのだ。
そして福岡ダイエーホークスが日本一となった2003年、球団事務所に「遺骨を返して欲しければ現金を払え」という脅迫電話が男からかかってきたという。
球団は男の要求を拒否し、王自身も「遺骨を返してほしい。うちにとってかけがえのないもの」と悲痛な表情で訴えたものの、「心の中で(妻は)生きている」と語った。
結局のところ、恭子さんの遺骨が返って来ることはありませんでしたが、大スターである父を苦労して支え続けていた母のことを誰よりも愛していた理恵さんは、現在でも週1~2回ほど恭子さんの墓参りに出かけているそうですね。
王理恵の歴代旦那① 博報堂のエリートサラリーマン
王理恵さんは、1995年に博報堂の同僚の営業マンの男性と結婚をしたものの、わずか2年半で離婚しています。
離婚原因は、理恵さんのわがままや浪費癖だったと言われております。
博報堂は日本を代表する大企業ということもあり、平均年収は1057万円(平成28年度)という高待遇さですが、理恵さんの父親である王貞治さんのいるプロ野球界は、1軍の最低保証年俸ですら1500万円の世界です。
さらに王さんの場合は、1960年代から1980年代にかけてCMに何本も出演しており、現在の貨幣価値で年収が10億円以上あったのではないかと囁かれている大スターとなります。
そんなセレブ家庭に育った理恵さんと元旦那では、経済観念に大きな差があり、結婚生活が長続きしなくても仕方がなかったのかもしれませんね。
王理恵の歴代旦那② テレビ番組プロデューサー
王理恵さんは、2001年11月にテレビプロデューサーの男性と再婚をしております。
番組プロデューサーとは、テレビ番組、ラジオ番組など番組制作の予算調達や管理、スタッフの人事などを司り、制作全体を統括する職業。テレビ番組のプロデューサーはテレビプロデューサー、ラジオ番組のプロデューサーはラジオプロデューサーとも呼ばれる。
引用:テレビプロデューサー
理恵さんの2度目の旦那が、テレビ局勤務なのか制作会社勤務なのかまでは不明となりますが、テレビ局勤務ならば年収2000万円以上も珍しくない職業がテレビプロデューサーです。
再婚時も花形職の男性と結婚をしたと言える理恵さんですが、2度目の結婚生活も長続きはせずに、「性格の不一致」という理由で3年で破局を迎えています。
テレビプロデューサーは、残業が深夜どころか早朝にまで及ぶことも多い激務の仕事となりますから、2人の間には、新婚早々にすれ違いでも多かったのかもしれませんね。
王理恵に婚約放棄の過去~医師の本田昌毅との破局理由は「そばをすする音」
王理恵、2007年に医師の本田昌毅さんと婚約を発表
王理恵さんは、2007年12月に、医師の本田昌毅さんとの婚約を発表した過去もあります。
本田さんは当時、沖縄・那覇市に包茎治療専門医院を開業していた他、東京・六本木にもメンタルクリニックを開業していたやり手の実業家でもありました。
2人の馴れ初めに関しては、2007年3月に、都内の飲食店で理恵さんが食事をしていたところ、同店に歌手の郷ひろみさんを伴って来店した本田さんと知り合い、交流・交際に至ったという話です。
本田さんは横綱時代の朝青龍さんの主治医(精神科)なども務めていたため、芸能関係者に顔が広いタイプの事業家だったのでしょうね。
2007年12月10日から4泊5日で、王貞治さん同伴でハワイに婚前旅行に出かけるなど、仲睦まじい様子を見せていた2人でしたが、同月の25日になると理恵さんが緊急記者会見を開き、結婚の無期限延期を宣言する事態にまで陥りました。
王理恵、本田昌毅さんのそばをすする音が許せず婚約破棄
記者会見中に王理恵さんの口から飛び出した婚約延期の原因に関しては、「(本田昌毅さんの)そばをすする音が気にいらなかったから」という、世間を唖然とさせる理由でした。
出会って1年も経たない内に婚約をしてしまったカップルにありがちなことですが、いざ一緒に過ごす時間が増えると、相手の言動にイライラする部分が増えて、お互いの相性の悪さに気がついてしまったパターンだったようですね。
その他にも、理恵さんが婚約を延期した理由の中には、当時週刊誌を騒がしていた本田昌毅さんの女性患者へのセクハラ疑惑などにより、婚約者の人間性を信じられなくなってしまった部分もあったとか。
理恵さんが結婚延期を本田医師に申し出たのはハワイからの帰国の機中だ。旅行中に積み重なった「小さな疑問点」がふくらんでいた。そして帰りの機中で読んだ本田医師に関する週刊誌記事も多少影響したようだ。記事は、本田医師と女性患者とのセクハラ疑惑を報じていた。
ちなみに、理恵さんが本田さんとの婚約を正式に破棄したのは、2008年の4月のこととなりました。
本田さんはその後、2010年4月に東京国税局より「所得隠し」を指摘されるなど、スキャンダラスな話題が発覚することになりましたから、理恵さんの婚約破棄は正しい判断だったのかもしれませんね。
大相撲の元横綱朝青龍関の主治医だった精神科医の本田昌毅氏(39)と本田氏の関連会社が、東京国税局の税務調査を受け、2008年までの3年間に計約1億円の所得隠しを指摘されていたことが10日、分かった。
経理ミスを含む申告漏れ総額は約3億円で、重加算税などを含む追徴税額は約1億円に上るもようだ。本田氏はすでに修正申告したとみられる。
王理恵の歴代旦那③ 歯科クリニック経営の歯科医
王理恵、2015年にセレブ歯科医と再々婚
王理恵さんは、2015年2月に、フェイスブックにて自身3度目の結婚を発表しております。
今回の理恵さんのお相手は、都内を中心に複数の歯科クリニックを経営する実業家の歯科医であり、身長は170cm程度なものの、口髭が似合うガッチリとした体格のイケメンだとか。
「お相手は、東京を中心に複数のクリニックを展開するセレブ歯科医。現在45歳です。高校時代は野球、大学時代はアメフトで鳴らしたスポーツマン。この日は、新潟にある彼の実家に向かったそうです。親戚一同が集まって結婚のお祝いをしたそうですよ」
2人の馴れ初めに関しては、2011年頃に共通の知人の結婚式で知り合い、2014年の夏の終わり頃から交際に発展したようです。
父である王貞治さんには、2014年の11月頃に2人で挨拶に出向き、結婚の承諾を得ておりました。
ちなみに、理恵さんの現夫はそばよりもうどん派だというオチがついています。
王理恵は3度の結婚歴があるものの子供はいない
これまでに3度の結婚歴がある王理恵さんですが、現在までに子供は生まれておりません。
最初の結婚時が25歳、2度目の結婚時が31歳だったことを踏まえると、結婚生活が長続きしていれば子供も生まれていたように思われますが、それぞれ2年半と3年程度で破局を迎えてしまっているため、妊活の時間も充分ではなかったのでしょうね。
王理恵の現在~父親の王貞治が78歳で再婚を発表
王理恵、父・王貞治の再婚話には猛反対だった
悠々自適に暮らしている王理恵さんにとって、近年の悩みは父・王貞治さんの再婚騒動だったりしました。
王さんは、2006年に胃がんに倒れて胃を全摘出する手術を受けていますが、その闘病生活を支えたくれた女性が、福岡県・中洲で老舗料亭の女将をしていたAさんでした。
王さんとAさんの出会いは1990年代後半にまで遡り、Aさんが女将を務める料亭に王さんが足を運んだことをきかっけに、2人の間に交流が生まれたとか。
当初は、友人としての交流を続けていた2人でしたが、2006年の王さんの闘病生活をきっかけに恋人同士になったと言われております。
2009年から同棲を始めた2人には、2011年頃から再婚話が持ち上がるようになりましたが、理恵さんは猛反対していたようです。
王理恵が父・王貞治の再婚話に反対していた理由とは
王理恵さんが王貞治さんの再婚に反対し続けた理由には、資産家の令嬢らしく、Aさんが父親の財産目当てに近づいてきたのではないかという不安があったりしました。
「しかし、手術後すぐに週刊誌にA子さんとの関係が“事実婚”と報じられると、理恵さんは“父の財産目当てかもしれない”という不安を持つようになったそうです。そのため、一時、王さんと理恵さんの関係は疎遠になりました」(前出・スポーツ紙記者)
その他にも、理恵さんの中には、母・恭子さんの遺骨も返ってきていない状況なのに父親の再婚話が進むことに対して、釈然としない思いなどもあったようですね。
「圓融寺に埋葬してあった恭子さんの遺骨が何者かに盗まれて、いまだに見つかっていないんです。理恵さんは、お母さんの遺骨が戻ってきたとしてもふたりが結婚してしまったら、お母さんが戻る場所がなくなってしまうんじゃないかと心配していたそうです」(前出・スポーツ紙記者)
理恵さんとしても、Aさんが父親を献身的に支えてくれていることは認めており、2人の交際自体には反対していなかったものの、最後の一線だけは超えることを許さなかったと言われております。
王貞治が娘・王理恵の再婚反対の意見に逆らえなかった理由とは
一見すると、娘の反対くらいは一喝して再婚を強行してしまいそうなイメージのある王貞治さんですが、意外なことに次女である王理恵さんの意見を尊重して再婚を自重しておりました。
理恵さんは基本的に親想いな人物であり、王さんが胃がんを患って以降は、野菜ソムリエの資格を取得し、父親の単身赴任先の福岡までやって来ては手料理を振る舞い、王さんの健康管理に気を使っていました。
2009年に王さんが胆のう摘出手術を受けた際にも、Aさんと交代で献身的な看病をしたのも理恵さんでした。
さらには恭子さんの死後、東京・目黒にある実家を守り続けていたのも理恵さんだったようで、いつしか理恵さんは、王さんにとって頭の上がらない存在へと変わっていたようですね。
「理恵さんは2度の離婚を経て、当時は独身。主のいない目黒の自宅を守っていたのも彼女でした。関東で試合があるときは、王さんはここに泊まり、娘との時間を過ごしたのです」(スポーツ紙記者)
王理恵の父・王貞治は2018年5月に再婚を発表
最終的には王理恵さんが折れ、王貞治さんは2018年5月にAさんと再婚しました。
理恵さんが王さんの再婚を認めた背景には、自身が2015年に歯科医師の男性と再々婚して新しい家庭を持ったことで、父親の幸せを認められる心のゆとりが生まれたようですね。
「3姉妹も自立し、特に離婚と結婚を繰り返した理恵さんの歯科医との3度目の結婚は順調そのもの。それに、遺骨がなくなって16年、王さんとA子さんが交際を始めてから10年になりました。最初こそ理恵さんとA子さんに確執がありました。しかし、それを乗り越えて結婚した背景には、王さん夫婦と理恵さんがお互いに幸せな時間を過ごす中で、“それぞれが新しい道を歩み始めよう”という思いが生まれたからだそうです」(前出・理恵さんの知人)
再婚後の王さんが生活拠点を完全に福岡に移したこともあり、目黒の実家も売却されるなど寂しい変化もあったようですが、父娘間の長年の軋轢もなくなり、理恵さんも肩の荷が下りたのではないかと思われます。
王理恵について総まとめをすると…
・王理恵は2001年11月にテレビプロデューサーの男性と再婚するも3年で離婚した。
・王理恵は2007年12月に、医師の本田昌毅さんとの婚約を発表するも、そばをすする音が許せず婚約破棄した。
・王理恵は2015年2月、フェイスブックにてセレブ歯科医師との3度目の結婚を発表した。
・王理恵は3度の結婚歴があるが、子供はいない。
王貞治さんが再婚して以降の王理恵さんは、父親の世話を全面的にAさんに任せるようになり東京にいる時間が増えたようで、全国区でのテレビ露出が増えてきています。
近年の2世タレントブームを踏まえると、理恵さんがタレントとして再ブレイクする日も近いのかもしれませんね。
理恵さんの今後のより一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。