「西鉄バスジャック事件」といえば、2000年に起こり少年法改正のきっかけとなった事件となります。
この記事では、「西鉄バスジャック事件」の詳細に加え、犯人・谷口誠一(ネオ麦茶)の生い立ちや家族情報の他、現在の様子についてまとめてみました。
この記事の目次
- 「西鉄バスジャック事件」の概要
- 「西鉄バスジャック事件」の詳細① 死者1人・重傷者2人を出す惨事に
- 「西鉄バスジャック事件」の詳細② SATにより犯人・谷口誠一を逮捕
- 「西鉄バスジャック事件」犯人・谷口誠一(ネオ麦茶)の生い立ちと家族情報【顔写真有り】
- 「西鉄バスジャック事件」犯人・谷口誠一がネオ麦茶といわれる理由
- 「西鉄バスジャック事件」犯人・谷口誠一(ネオ麦茶)の犯行動機とは?…当初は母校を襲撃予定だった
- 「西鉄バスジャック事件」犯人・谷口誠一(ネオ麦茶)のその後…2006年1月に医療少年院を仮退院していた
- 「西鉄バスジャック事件」の遺族は?家庭崩壊状態に陥った遺族もいた
- 「西鉄バスジャック事件」犯人・谷口誠一(ネオ麦茶)の現在…両親が賠償金を支払い続けていた
- 「西鉄バスジャック事件」犯人・谷口誠一(ネオ麦茶)についてまとめると・・・
「西鉄バスジャック事件」の概要
「西鉄バスジャック事件」は、2000年5月3日午後13時35分頃に、西日本鉄道の高速バス「わかくす号」内で発生した当時17歳の少年・谷口誠一が起こしたバスジャック事件となります。
人質は、運転手を含め22人いましたが、谷口誠一に切り付けられた3人のうちの1人であった当時68歳の塚本達子さんは出血死で亡くなっています。
人質は、運転手を含め22人。バスジャックは15時間半にわたって続いた。山陽自動車道の小谷サービスエリア(広島県)で、福岡県警と大阪府警のSAT(特殊急襲部隊)が隙を見計らって突入し、少年を逮捕。
だが、少年に切りつけられた乗客3人のうち、塚本達子さん(68)=当時=はすでに失血死していたのである。
「西鉄バスジャック事件」の詳細① 死者1人・重傷者2人を出す惨事に
西鉄バスジャック事件、乗客の逃走騒動で被害が拡大した
「西鉄バスジャック事件」に関しては、発生時、谷口誠一を含めて21名の乗客が乗車していたと言われております。
その中には、祖父母に会いに行くために一人旅中だった6歳の少女もいたため、運転手の平野忠さんが「この子だけは降ろしてあげて欲しい」と頼み込んだそうですが、谷口誠一は拒否をしています。
その後平野さんが再交渉をした結果、福岡県と山口県を繋ぐ関門橋の手前で、1人ずつのトイレ休憩が許可されたものの、谷口誠一は「1人でも逃げ出したらここにいる全員を殺す」との警告を発していたようですね。
とはいえ、突然理不尽なバスジャック事件に巻き込まれた乗客たちが命が助かるチャンスを逃すわけもなく、1人目に降りた女性Aさん(40)がすぐさま逃走してしまうことになりました。
Aさんの逃走騒動に激怒した谷口誠一は、宣言通りに乗客に危害を加えることを実行し、たまたま近くに座っていた山口由美子さん(50)が、牛刀で顔や首を切られて重傷を負うことになってしまいました。
ちなみに、無事逃げ延びたAさんは、高速道路沿いにある非常電話から道路公団に「西鉄バスジャック事件」の発生を通報しております。
Aさんからの通報を受けた道路公団は、ただちに西日本鉄道に連絡を取り「わかくす号」が終点に到着していないことを確認すると福岡県警に通報。
福岡県警は「わかくす号」の行く先として予想される山口県警に連絡を入れ、緊急配備が発動されることになりました。
西鉄バスジャック事件、山口県警がわかくす号を追尾するも新たな被害者が
山口県警が中国自動車道を走行する「わかくす号」を発見したのは、午後3時35分頃だったと言われております。
既にバスジャックが始まって2時間が経過していたこともあり、「わかくす号」内では大怪我を覚悟で脱出を試みる人間も出始めており、30歳の女性Bさんが窓から道路に飛び降りるといった荒業を実行することになりました。
その代償に右足を骨折することとなったBさんでしたが、「わかくす号」を追尾中だった山口県警の車両に保護されて事なきを得ています。
一方でBさんに脱出されたことを想像だにしていなかった谷口誠一は、すぐにバスの窓が開いていることには気が付いたものの、近くに座っていた塚本達子さん(68)が逃げようとしたと思い込み、牛刀で首筋を何度も切りつけられてしまいました。
その後、山口県警が「わかくす号」を追尾していることに気が付いた谷口誠一は、午後15時45分に110番通報して「こっちには人質がいる」と警告した後、午後16時9分には「拳銃を用意しろ」と要求していたようですね。
この頃になると、警察に逮捕される恐怖にかられ始めていた谷口誠一は、6歳の少女Cちゃんを自分の近くに座らせて、盾代わりに利用し始めるようになっていました。
西鉄バスジャック事件、人質の一部が解放されるも死者が出た
「西鉄バスジャック事件」に関しては、午後16時15分頃になると、山口県警がバリケードを形成して、「わかくす号」の移動を阻止しようと試みてもいたようですね。
そのため、下松サービスエリア付近で睨み合う形となった「わかくす号」と山口県警でしたが、脱出した2人の被害者たちから激高しやすい谷口誠一の性格情報を入手していた警察側は、万が一のことを考えてすぐに封鎖を解除してしまったとか。
この時の中途半端な封鎖劇は、「わかくす号」の再発進直後に52歳の男性Dさんが窓から飛び降りて脱出に成功するといったサプライズを生んだ一方で、Dさんの逃亡に激怒した谷口誠一が、塚本達子さんに再度の危害を加えて死亡させるといった悲劇も生みました。
塚本さん殺害後の谷口誠一は、17時24分に広島市・高田山トンネル内で「わかくす号」を停車させ、バス内にいた男性客を全員解放しています。
その後、17時50分に広島県警が再度のバリケード形成を試みたたため、今度は大人しく警察側の誘導に従い、山陽自動車道・奥屋パーキングエリアに移動することとなった「わかくす号」ですが、停車後に警察車両に取り囲まれる形となりました。
「西鉄バスジャック事件」の詳細② SATにより犯人・谷口誠一を逮捕
西鉄バスジャック事件、現場に両親が到着するも説得は不調に終わった
奥屋パーキングエリアに停車後の「わかくす号」内では、警察と谷口誠一との交渉が開始されています。
怪我人を解放することと引き換えに拳銃やスタンガン、防弾チョッキを要求した谷口誠一に対して、警察側はあくまで防刃チョッキのみの差し入れに拘ったようですが、最終的には谷口誠一が折れて高取千佳さんら3人が解放されることになったそうですね。
怪我人解放後も交渉が続いた両者でしたが、谷口誠一が「東京・霞ヶ関に行きたい」と主張したため、午後21時37分になると、「わかくす号」はパトカーに先導されて奥屋パーキングエリアを後にすることになりました。
その後、給油のために小谷サービスエリアに停車した「わかくす号」内では、谷口誠一と警察との間に再度の交渉が開始されることになります。
とはいえ、この時の交渉は不調に終わったようで、午後22時34分に人質中最高齢の女性が解放された程度で終わりました。
この頃になると、谷口誠一の両親も小谷サービスエリアに到着したそうですが、日頃の関係が悪かったことも手伝い、代わりに精神科医が説得業務を代行することになったそうですね。
しかしながら、極度の興奮状態にあった谷口誠一を前にしては、さしもの精神科医も打つ手がなかったようで、説得は失敗してしまいました。
膠着状態が続いた事件現場では、日付が変わった辺りのタイミングで「わかくす号」内に食料や毛布、簡易トイレなどが差し入れられたようですが、緊張のあまり食料に口をつける人間もいなかったと言われております。
西鉄バスジャック事件、一瞬の隙をついたSATの活躍で谷口誠一が逮捕された
緊迫感に包まれた小谷サービスエリアの救世主となったのは、大阪府警や福岡県警から派遣された特殊急襲部隊「SAT」でした。
夜間中に「わかくす号」への突入を想定した訓練や図上演習を実施していたSAT隊員たちは、谷口誠一が盾代わりに利用していたCちゃんから離れたタイミングを見計らい、左右の窓を割り、閃光手投げ弾を車内に投げ込みました。
同時に「わかくす号」内に突入した15名のSAT隊員たちにより取り押さえられることとなった谷口誠一でしたが、必死に牛刀を振り回していたのか、警察側にも1人の負傷者が出るなど、簡単な制圧業務ではなかったようですね。
SAT隊員たちの勇敢な行動もあり、2000年5月4日午前5時過ぎに「西鉄バスジャック事件」は解決することになりました。
ちなみに、SAT隊員が突撃した時点での「わかくす号」内には、9名の女性が人質として取り残されていたとか。
「西鉄バスジャック事件」犯人・谷口誠一(ネオ麦茶)の生い立ちと家族情報【顔写真有り】
谷口誠一、怪我が原因で不本意な高校受験となっていた
谷口誠一に関しては、1983年3月に佐賀県に生まれており、農機具販売会社に勤める父親や保健師をしている母親の他に、妹もいたようですね。
小さな頃から小柄で運動が苦手だった谷口誠一は、同級生たちに良くからかわれたらしく、周囲を見返すために勉強に打ち込むようになり、成績の方は学年でもトップクラスでした。
コンプレックスを努力で克服したかのように見えた谷口誠一でしたが、中学3年頃より学校でイジメを受けるようになり、憂さ晴らしで家庭内で暴れるようになっていったとか。
息子の惨状を心配した両親は学校や教育委員会に相談したものの、イジメの事実を認めて貰えない日々が続いていたと言われております。
そんな谷口誠一にとって、学生生活最大のアクシデントが発生したのは中学3年の1月でした。
同級生たちより、当時学校で流行っていた2階窓から飛び降りる遊びに参加することを強いられた谷口誠一は、着地に失敗して腰椎の圧迫骨折という大怪我を負うことになりました。
この時の怪我が原因で病室で高校受験に挑む羽目になった谷口誠一は、志望校を(県下No1の進学校である)佐賀西高校から致遠館高校に落とさざるを得なくなり、大きな挫折感を味わうことになったようですね。
谷口誠一、高校中退後は引き籠り化して「2ちゃんねる」にハマる
谷口誠一が進学することとなった致遠館高校に関しては、当初の目標であった佐賀西高校には及ばないものの、県下で5本の指に入るレベルの名門進学校でした。
とはいえ、同級生たちのイジメが原因で志望校に入学出来なかった挫折感に加えて、怪我の後遺症でコルセットを外せないほど体の回復が遅れていたせいもあり、谷口誠一はすぐに不登校状態になってしまったそうですね。
そのまま高校を中退し引き籠り化した谷口誠一は、両親にねだりパソコンを買ってもらうと、「匿名掲示板2ちゃんねる」にハマり、寝食を忘れるほど熱心に書き込みを続けていたと言われております。
「匿名掲示板2ちゃんねる」では、「キャットキラー」や「ネオむぎ茶」と名乗っていた谷口誠一ですが、人間関係が上手く行かないのはネット上でも同じだったらしく、すぐに他のユーザーたちから馬鹿にされるようになってしまったとか。
ネット上でもイジメられる立場となった谷口誠一は、さらに精神のバランスを崩してしまい、家族へのDV癖も悪化していくことになりました。
そんな息子に対して、母親は警察や病院へ相談するなどしていた一方で、父親は積極的に話かけて夜間に車でドライブに連れていくなど、最大限の努力を続けていました。
しかしながら、父親の涙ぐましい努力は、谷口誠一のためというよりもドライブ中は妻や娘が安全に過ごせるといった本音があったようですね。
とはいえ、自分を病人扱いした母親のことは酷く恨んでいた谷口誠一でしたが、父親とのドライブは良い思い出だったらしく、「西鉄バスジャック事件」の際には、ドライブ中に入手することとなった高速道路の領収書を「僕の宝物です」と乗客たちに見せびらかした一幕もあったとか。
谷口誠一、精神病院に強制入院させられていた
谷口誠一に関しては、2000年3月5日頃より国立肥前療養所へ入院していたようですね。
谷口誠一が国立肥前療養所に入院したきっかけについては、ドライブ中に母親が部屋を捜索したところ、犯行声明文が見つかったことに加えて、ハンマーやナイフといった凶器まで発見されたためでした。
ただちに警察に通報することとなった母親でしたが、当時の社会情勢では事件を起こす前の措置入院は難しいものがあったようで、著名な精神科医である町沢静夫さんに手紙で頼み込み口利きをしてもらったことで、ようやく谷口誠一の入院先が決まることになりました。
入院中の谷口誠一は、自宅とは打って変わったように穏やかな言動で病院スタッフたちに接していた一方で、自分を精神病院に追いやった両親たちに対して絶望と憎悪を募らせていたようですね。
計算通り礼儀正しい少年と病院側に認識させることに成功した谷口誠一は、2000年4月26日になると、入院後初となる外泊許可を勝ち取ることとなりましたが、この時は外で暴れることもなく病院へ帰還しています。
「西鉄バスジャック事件」犯人・谷口誠一がネオ麦茶といわれる理由
谷口誠一が「ネオむぎ茶(ネオ麦茶)」と言われる理由についてですが、掲示板2ちゃんねるに犯行予告の書き込みが残されており、その時に「ネオむぎ茶」というハンドルネームを使っていたためです。
インターネット掲示板2ちゃんねるに犯行予告の書き込みが残されており、その時のハンドルネームからネオむぎ茶事件(ネオ麦茶事件)とも呼ばれた。
引用:西鉄バスジャック事件 Wikipedia
「西鉄バスジャック事件」犯人・谷口誠一(ネオ麦茶)の犯行動機とは?…当初は母校を襲撃予定だった
谷口誠一が「西鉄バスジャック事件」を起こした原因については、自分を見捨てて精神病院へと追いやった両親への復讐心があったことは言うまでもありません。
一方で、谷口誠一に犯行のきっかけを与えたのは、国立肥前療養所に入院中の2000年5月1日に起こった「豊川市主婦殺人事件」だったようですね。
同世代の17歳の少年が見ず知らずの老夫婦を襲い、老女を殺害した「豊川市主婦殺人事件」に対して、谷口誠一は「素晴らしい、自分もこの少年のようになりたい」との手記を残していました。
その後、2000年5月3日に2度目の外泊許可が下りた谷口誠一は、当初は母校の中学校を襲撃した後自殺する予定だったものの、GW中だったことに気が付き、バスジャックへと計画を変更することになりました。
国立肥前療養所から一旦自宅に帰省し、「西鉄バスジャック事件」のための下準備をした谷口誠一は、昼頃になると「2ちゃんねる」に上記の犯行予告染みたスレッドを立てた後、「森林公園へ行ってくる」と言い残して出かけたそうですね。
「西鉄バスジャック事件」犯人・谷口誠一(ネオ麦茶)のその後…2006年1月に医療少年院を仮退院していた
逮捕後の谷口誠一に関しては、当然ながら精神鑑定が実施されており、解離性障害や行為障害症状が確認された他、精神分裂症になる一歩手前だったとか。
裁判の結果、京都医療少年院に送致された谷口誠一ですが、両親との面会を徹底して拒否したり、職員の指示にも従わない問題児だったと言われております。
とはいえ、医療少年院の更生プログラムの甲斐もあり、次第に人間の心を取り戻していった谷口誠一は、2005年頃に被害者の1人・山口由美子さんが面会にやって来た際には、深々と謝罪したそうです。
初めての面会で、加害少年は深々と頭を下げ、山口さんに謝罪した。
「私は彼の背中をさすり、『これまで誰にも理解されずつらかったね』と言いました。そして、『だけど、あなたの罪を許したわけではない。許すのはこれからです。これからの生き方を見ているから』と伝えながら、彼のつらさを肌で感じて涙が溢れてきました」
牛刀で刺された結果、顔や手のしびれといった後遺症も残った山口由美子さんが、わざわざ面会にやって来た背景には、自身の娘も不登校に苦しんでいた時期があったため、不器用で社会に居場所のない少年少女たちに対して同情的な心情が大きかったとか。
その後、2006年1月に、京都医療少年院を仮出所することとなった谷口誠一でしたが、山口由美子さん宛に「西鉄バスジャック事件にまで至った心情」を書き綴った手紙を送っています。
「西鉄バスジャック事件」の遺族は?家庭崩壊状態に陥った遺族もいた
西鉄バスジャック事件、塚本達子さんの長男家庭が崩壊していた
「西鉄バスジャック事件」唯一の死者となった塚本達子さんに関しては、元々は小学教師をしており、事件当時は佐賀県佐賀市で幼児教室を営む教育家だったそうですね。
同じく「西鉄バスジャック事件」に巻き込まれた山口由美子さんも娘の不登校に悩み、塚本さんより育児理論を学んだ1人だったそうで、事件当時は2人でクラシックのコンサートに行く途中でした。
家族の誇りだった塚本さんを理不尽な理由で殺害された遺族たちのショックは大きかったようで、長男・塚本猪一郎さんの家庭では、高校生だった長女がグレて学校を中退してしまった他、中学生だった次女も不登校状態になってしまいました。
塚本家の一大危機の顛末については、父・猪一郎さんが娘たちと真正面からぶつかり、コミュニケーションを深めたことで解決し、長女はカナダ留学をして現地の大学を卒業。次女も専門学校を卒業するなど、無事立ち直ることが出来ました。
西鉄バスジャック事件、谷口誠一が遺族に土下座したとの噂の真偽は?
「西鉄バスジャック事件」に関しては、京都医療少年院で更生した谷口誠一が、塚本達子さんの遺族に土下座して謝罪したとの噂も流れていました。
しかしながら、2018年12月に「週刊新潮」の取材に応じた塚本猪一郎さんの話によると、猪一郎さん一家が谷口誠一と面会したという事実はないようですね。
とはいえ、達子さんには猪一郎さんの他にも2人の子供と夫がいたため、谷口誠一は、そちらの遺族と面会し謝罪をしていたのかもしれませんね。
「西鉄バスジャック事件」犯人・谷口誠一(ネオ麦茶)の現在…両親が賠償金を支払い続けていた
京都医療少年院を出所後の谷口誠一の消息については一切が不明となっていますが、自殺や再犯の噂を聞かないため、上手く社会復帰出来たのではないかと思われます。
一方で谷口誠一の両親については、「西鉄バスジャック事件」直後に母親が保健師を退職する羽目になった他、事件被害者へ多額の賠償金を支払うことになりました。
そして、両親が被害者22人に対し、暫定的な賠償金を支払うことにしたのは、事件から約1年後の2001年4月のことだったという。
「その内訳は、死亡者が550万円で、重傷者2名合せて350万円、軽傷者を含む残りの被害者が1人当たり20万円から40万円でした。総額にして、1380万円にのぼりました」
谷口誠一の両親は、「西鉄バスジャック事件」の被害者たちに対して誠実な対応を続けているらしく、2002年に父親が会社を退職した後は、家を売り払い追加の賠償金の支払いに充てたとも言われております。
その後も両親たちは、塚本達子さんの3人の子供たちに毎月1~2万円程度の賠償金を支払い続けているそうで、まさに償いの日々を過ごしていることになります。
「西鉄バスジャック事件」犯人・谷口誠一(ネオ麦茶)についてまとめると・・・
谷口誠一に関しては、自己本位な理由から「西鉄バスジャック事件」を起こしたものの、現在は更生して社会復帰を果たしていることになります。
「西鉄バスジャック事件」の犠牲者となった塚本達子さんのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。