ココイチの創業者として知られている宗次徳二さんですが、壮絶すぎる生い立ちや実業家引退後の活動が話題です。
今回は宗次徳二さんの経歴や学歴、結婚した嫁や子供など家族、名言集、自宅やバイオリンなど資産、現在をまとめました。
この記事の目次
- 宗次徳二は「カレーハウスCoCo壱番屋」の創業者
- 宗次徳二の経歴&学歴① 壮絶な生い立ち
- 宗次徳二の経歴&学歴② 15歳の時に養父ががんで他界
- 宗次徳二の経歴&学歴③ 20代で独立するも失敗
- 宗次徳二の経歴&学歴④ 嫁が作ったカレー人気を見てココイチ起業を決意
- 宗次徳二の経歴&学歴⑤ ワーカホリックの見本のような実業家だった
- 宗次徳二の経歴&学歴⑦ 実業家を引退後、慈善事業に邁進していた
- 宗次徳二がココイチをハウス食品に売却した理由
- 宗次徳二の名言集
- 宗次徳二の自宅は岐阜の豪邸
- 宗次徳二の資産は?バイオリンのコレクションも話題に
- 宗次徳二の家族:嫁・直美に一目ぼれして結婚
- 宗次徳二の子供:息子はプロゴルファー
- 宗次徳二の現在
- 宗次徳二のまとめ
宗次徳二は「カレーハウスCoCo壱番屋」の創業者
出典:https://kigyoka-shacho.com/
宗次徳二さんとは、「カレーハウスCoCo壱番屋」の創業者です。
ココイチ行ったら絶対頼むやーつ
— ぱなたろ (@pana611) June 20, 2022
チキンカツカレーにトッピングチーズで5甘+はちみー
めっちゃ重いけどめちゃめちゃうまい pic.twitter.com/yxpUPcs4uq
朝ごはんはココイチの夏野菜カレー🍛
— しょーい。 (@syoin_emon) June 14, 2022
夏野菜カレーがココイチで一番美味いと思う。 pic.twitter.com/yOEfmfgNp8
1978年に創業された「カレーハウスCoCo壱番屋」は、カレーの辛さやライスの量の他、トッピングまで選べる斬新なシステムで日本を席巻。
2013年には、「世界で最も大きいカレーレストランのチェーン」としてギネス認定もされました。
2015年になると、ハウス食品のTOBにより宗次徳二さんの手を離れることになりましたが、その時点の売上高は899億円、店舗数は1412でした。
この記事では、そんな一流実業家の宗次徳二さんのこれまでの経歴や家族情報の他、資産情報についてまとめてみました。
宗次徳二の経歴&学歴① 壮絶な生い立ち
実の両親の顔をまったく知らなかった
宗次徳二(むねつぐ とくじ)
生年月日:1948年10月14日
生誕地:石川県
宗次徳二さんは1948年に石川県に生まれますが、実の両親から生後すぐに捨てられ、兵庫県尼崎市内の孤児院で育ちました。
そのため、今でも両親の顔や素性をまったく知らない状況だといいます。
3歳の時、雑貨屋を営む養父母に引き取られましたが、ギャンブル好きな養父の放蕩生活のせいで、すぐに家業が傾き、極貧生活だったそうです。
その後、養父に愛想をつかした養母が失踪するも、養父は生活を改めず、リヤカーで夜逃げしたこともあったと後に語っています。
「アパートや間借り先の家賃が払えず、時には廃屋を転々としながら、電気も水道もない生活を続けました。ローソクの明かりで養父を待ちながら、炊事や洗濯をした。時には、自生していた柿や無花果、野草も食べた。
そんな悲惨な環境下でも懸命に生きた宗次徳二さんは、少しでも家計を助けるためにと、パチンコ屋でシケモク(タバコの吸い殻)やこぼれ玉拾いをしていたといいます。
養父に連れられてパチンコ店にいったとき、彼が床に落ちたタバコの吸い殻をキセルに詰めてうまそうに吸うのを見ました。以来、暇を見つけてはパチンコ店に行き、大人たちの足元をかき分け、シケモクを集めた。日雇いから帰った養父がそれを嬉しそうに吸うんです。
しかし、宗次徳二さんが家の掃除やシケモク拾いを怠った際は、激怒して折檻する癇癪持ちでもあったようです。
宗次徳二の経歴&学歴② 15歳の時に養父ががんで他界
養父は、宗次徳二さんが15歳の時に胃がんで亡くなってしまいます。
ギャンブル好きで生活を顧みず、時には折檻を受けていた宗次徳二さんでしたが、孤児院から自分を引き取ってくれた恩を感じているのか、良い思い出ばかりが記憶に残っているとか。
でも、私は両親が大好きでした。養父は年に一度だけ、職安でもらう年末一時金で、私の好きなリンゴを2個買ってきてくれた。あれはうまかった
養父が病死した後の宗次徳二さんは、養母と同居しています。
ただし、生活費や学費は自分で稼がねばならず、朝5時半に始発電車に乗り、豆腐屋でアルバイトをしていたといいます。
そんな典型的な苦学生だった宗次徳二さんですが、留年することもなく、1967年3月に愛知県立小牧高校を卒業しました。
愛知県立小牧高等学校商業科を卒業後、八洲開発という不動産会社に就職しています。
宗次徳二の経歴&学歴③ 20代で独立するも失敗
八洲開発に入社した後の宗次徳二さんですが、約3年後の1970年2月、大和ハウス工業の名古屋支店に転職しています。
1971年に会社の同僚だった直美さんと結婚。その後の1973年に独立し、不動産仲介会社「岩倉沿線土地」を起業することになりました。
しかし、「岩倉沿線土地」の経営は上手くいかず、生活費を稼ぐために1974年頃から喫茶店を夫婦で営むようになります。
コンビニやファミレスも普及していない時代だったこともあり、喫茶店需要はかなり高かったようで、1975年には2号店も開店するほどの盛況ぶりだったようです。
宗次徳二の経歴&学歴④ 嫁が作ったカレー人気を見てココイチ起業を決意
宗次徳二さんがカレー専門店の起業を思いついたのは、喫茶店で出していた妻・直美さんのカレーライスがお客に好評だったことがきっかけでした。
そして1978年、「カレーハウスCoCo壱番屋」を起業します。
「カレーハウスCoCo壱番屋」の経営は、まさに夫婦で二人三脚の状態だったそうで、アイデアマンな一方で人付き合いが苦手な宗次徳二さんが事業計画を担当。
社交性が高く、姉御肌だった直美さんが、社員教育や資金繰りを担当したそうです。
宗次徳二の経歴&学歴⑤ ワーカホリックの見本のような実業家だった
「カレーハウスCoCo壱番屋」が飛躍した要因とは?
1978年に創業した「カレーハウスCoCo壱番屋」は、わずか10年後の1987年には全国80店舗、20年後の1998年には全国500店舗ものフランチャイズ展開に成功しています。
「カレーハウスCoCo壱番屋」が、ここまで急激に成長した秘訣について、宗次徳二さんが生み出した斬新なシステムのおかげと言われています。
宗次氏は、ご飯の量、辛さ、トッピングを客が選べる仕組みや、社員がのれんわけしてオーナーとなる「ブルームシステム」を構築。バラエティに富んだ味と、質の高い接客で人気を博した。
ワーカホリックの見本のような実業家だった
一代で日本最大のカレー専門チェーンを築き上げた宗次徳二さんですが、現役時代は1人の友人も作らずに働き詰めだったそうです。
店舗が拡大してからも、宗次氏の仕事への情熱は衰えない。朝4時起床、4時45分出社、朝の時間に、「お客様アンケート」1000通以上を読み、店舗の掃除も行った。退社時間は18~23時。休みは年間15日ほどだった。
そんなワーカホリックすぎる働きっぷりで完全燃焼したのか、宗次徳二さんは2002年に53歳の若さで「カレーハウスCoCo壱番屋」の経営から退きました。
後任の社長には、創世記からの生え抜き社員だった浜島俊哉さんが就いています。
質素倹約ぶりも凄かった
ワーカホリックすぎた宗次徳二さんですが、「自分のおカネが人のために動くほうがうれしい」と公言していました。
そのため、成功した実業家にありがちな豪遊エピソードもありません。腕時計も外国の高級ブランドではなく、カシオの1万円前後のGショックを利用していたとか。
また、ブランド品で着飾ることも好まなかったらしく、980円のポロシャツで満足するような質素倹約さだったようですね。
宗次徳二の経歴&学歴⑦ 実業家を引退後、慈善事業に邁進していた
実業家を引退後の宗次徳二さんは、NPO法人「イエロー・エンジェル」を設立しています。
「イエロー・エンジェル」の活動内容は、福祉施設やホームレス支援の他に、クラシック音楽の振興もしているそうですね。
質素倹約がモットーの仕事人だった宗次徳二さんが、クラシック音楽に興味を持ったきっかけは高校時代に「N響アワー」を見て大ファンになったことでした。
宗次徳二さんのクラシック音楽愛はかなり情熱的なようで、2007年には、28億円もの私財を投入し、愛知県名古屋市中区栄に「宗次ホール」まで建設しています。
・「宗次エンジェルヴァイオリンコンクール」の創設
・「宗次エンジェルヴァイオリンコンクール」の上位入賞者への助成金援助やヴァイオリンの無償貸与
・有名演奏家へのクラシック楽器の無償貸与
・経済的理由で進学できない音楽家志望の児童への支援
・小中学校への吹奏楽器寄付
第2の人生でも働き者だった
慈善活動家に転身して以降の宗次徳二さんですが、現在は「宗次ホール」の運営にも携わっています。
そのため、朝4時に起き、「宗次ホール」で雑務に明け暮れるのが日課となっているとか。
ちなみに、宗次徳二さんが担当している雑務は、ホール周辺の掃除や花壇の手入れの他、スタッフたちのまかないまで作っているそうです。
「宗次ホール」は、日本屈指の公演回数を誇る音楽ホールでもあるため、公演前には必ず入口で客の出迎えもしています。
宗次徳二がココイチをハウス食品に売却した理由
2015年になると、宗次徳二さんは保有していた「カレーハウスCoCo壱番屋」の株式を「ハウス食品」に売却しています。
手塩にかけて育てたココイチを売却した理由は、後任の社長となった浜島俊哉さんと「ハウス食品」の間で買収話が進んでいたことにあったようです。
浜島俊哉さんが「ハウス食品」の傘下に入る決意をした背景には、海外市場進出のために、グローバル企業のバックアップが必要不可欠と判断したからと言われています。
経営陣の決断を尊重した宗次徳二さんは、自身が保有する株を手放すことを快く承認。
ちなみに、宗次徳二さんがすんなり納得したのには、昔から「ハウス食品」とは協業状態にあったことも大きかったようです。
「ハウスさんとは、私たち夫婦が(ココイチの前身の)喫茶店をやっていた頃から約40年の付き合いです。店でカレーを出すため、いろんなメーカーのカレールーを試した結果、家内が一番おいしいと言ったルーがハウスさんの製品だった。会社を作ったあとは、微妙なスパイスの調合のリクエストにも応えてくれました。私たち夫婦が追い求めてきた『究極のカレー』を実現させるためには、欠くことのできない存在でした。
宗次徳二の名言集
まさに裸一貫から成り上がった宗次徳二さんですが、独自の経営哲学が話題です。
ここでは、宗次徳二さんの価値観や人柄がわかる名言の数々を紹介します。
店のチェックのとき、店長がほかのお客様よりも、私に先にカレーを持ってきたことがあります。私は厳しく怒りました。お客様が第一。私に気を使ったりするような、間違った判断はいりません。
— 起業家の名言集起業家の名言集 (@we_faf) June 17, 2022
【 宗次徳二 カレーハウスCoCo壱番屋 】
人を育てるには、至らない点を叱るだけでなく頑張っている点を褒めることも大切です
— -人生を変える、深い名言- (@everlastingsay) June 23, 2022
せっかく努力していても、上司から評価してもらえなければ、やる気が続きませんから
宗次徳二
【フリーランスに届けたい経営者の名言集】
— たけし | エンジニア転職支援 (@se_tenshoku) April 19, 2022
私に対して負い目を感じてるな、
引け目を感じているなという人には、
和んでもらうために、
くだらないことを言います。
逆に、自分より強い立場の人には、
気を使うことはありません。
宗次徳二(カレーハウスCoCo壱番屋)
宗次徳二の自宅は岐阜の豪邸
物欲が薄い実業家だった宗次徳二さんですが、夫婦や家族で住む場所ということもあり、自宅だけは豪邸となっています。
ただ、「宗次ホール」が愛知県名古屋市内の好立地にあるにも関わらず、自宅は岐阜県可児市と都心から離れた地に建てるなど、ブランド志向ではないところは一貫していますよね。
ちなみに、可児市の坪単価は13.6万円ということで、ここまでの豪邸でも土地取得にかかった費用は1億円未満だと思われます。
一方で、ゴルフ場や野外プールなどもある家屋の部分は、10億円程度の建設費用はかかっているかもしれません。
宗次徳二の資産は?バイオリンのコレクションも話題に
宗次徳二さんは、ハウス食品に「カレーハウスCoCo壱番屋」の株式(全体の23・17%)を売却したことで、220億円もの譲渡益を得ることになりました。
そんな億万長者である宗次徳二さんは、趣味のクラシック音楽方面に資産を投じているようで、クラシック楽器の名器を多数所有しています。
宗次徳二さんが所有しているクラシック楽器の一覧はこちら→コレクション
宗次徳二さんが所有している楽器の中で、最も資産価値が高いと思われる名器は、1714年に製作されたストラディバリウス「ダ・ビンチ」です。
こちらのヴァイオリンは、2022年6月にニューヨークで競売にかけられた結果、1534万ドル(約20億6千万円)で落札されたもの。
また、ヴァイオリニストの木嶋真優さんに貸与している1699年製作のストラディバリウス「ウォルナー」も、「ダ・ビンチ」に負けず劣らず資産価値があると言われています。
なお、「ウォルナー」は、売却すれば15~20億円の値段がつくとされています。
また、ヴァイオリニスト・宮本笑里さんに貸与しているドメニコ・モンターニャのヴァイオリンは資産価値が2億円。
チェリスト・新倉瞳さんに貸与しているチェロのジョヴァンニ・クランチーノは、1億2000万円の資産価値があるとのことです。
こうしたバイオリンだけでも、40億円近い資産を保有していることになります。
宗次徳二の家族:嫁・直美に一目ぼれして結婚
宗次徳二さんは、前述の通り、1971年に会社の同僚だった直美さんと結婚しています。
宗次徳二さんの一目ぼれだったらしく、宗次徳二さんからアプローチして交際に至ったそうです。
ただし、出会って3か月目にプロポーズをするほど宗次徳二さんが入れ込んでいたようで、直美さんは少々引き気味でもあったとか。
それでもめげずに、退社後に家まで送ったりと積極的に求愛活動を続けた結果、結婚までこぎつけることができました。
のちに裕福になる宗次徳二さん夫婦ですが、不動産業で独立した直後は経営が上手くいかず、さらに喫茶店が軌道に乗るまでは、パンの耳をかじって飢えを凌いでいた時期もありました。
そんな時期も見捨てずに支えてくれた糟糠の妻だけに、宗次徳二さんからの信頼も厚い直美さんは、「カレーハウスCoCo壱番屋」の会長を任されていたこともあります。
宗次徳二の子供:息子はプロゴルファー
結婚2年後に独立して不動産仲介会社を起業して多忙だったこともあって、宗次徳二さん夫妻は妊活に励めない状況が続いていました。
そのため、待望の第一子が誕生したのは、結婚10年目となる1980年3月のことでした。
その後も「カレーハウスCoCo壱番屋」の事業を拡大させるために、夫婦二人三脚で奮闘したこともあり、子供は長男・弘章さん1人だけのようです。
長男・弘章さんは、幼少期からゴルフに打ち込み、高校を卒業後は、名古屋商科大学に進学しています。
大学時代には、日本学生ゴルフ選手権で10位タイになった経験があるなど、トップアマの1人として活躍していたようです。
大学を卒業後はプロゴルファーとなった弘章さんですが、これまでに目立った実績はありません。
そんな弘章さんは、現在はすでに結婚しており、子供もいるそうです。
宗次徳二の現在
宗次徳二さんは現在、コロナ禍で苦しんでいる岐阜県の中部学院大学の留学生たちに食料品や激励金を寄付しています。
宗次徳二さんはかつて、中部学院大学の客員教授を務めていたことがあり、その縁で寄付が実現したようです。
また、2022年2月に始まったウクライナ戦争で、日本に避難してきたチェロ演奏家の母子に楽器を無償貸与したりと、ウクライナの支援活動を開始しているといいます。
また、ウクライナ支援のために開かれるクラシックコンサートの会場として、宗次ホールを提供しています。
なお、宗次徳二さん本人は、自分の死後について「私財は相続させず、奨学金やホームレス支援などにすべて投じます」と語りました。
巨額な資産や財産が、今後どうなるのかにも注目が集まります。
宗次徳二のまとめ
宗次徳二さんは、実の両親から捨てられた上、養父母も激貧という壮絶な生い立ちを経て、「カレーハウスCoCo壱番屋」を創業しました。
ココイチの経営から退いた現在は、慈善活動に励んでいらっしゃいます。まさに器が違うとしか言いようがありません。
今後のご活躍にも期待しましょう。