森進一さんと森昌子さんは1986年に結婚し、3人の子宝にも恵まれましたが、2005年に離婚した元夫婦です。
この記事では、森進一・森昌子元夫妻の離婚原因や、3人の息子たちについてまとめています。
森進一さんのプロフィール
芸名:森進一(もりしんいち)
本名:森内 一寛(もりうち かずひろ)
出身地:鹿児島県鹿児島市
生年月日:1947年11月18日
身長:167cm
高校:鹿児島市立長田中学校卒業
デビュー:1966年
所属事務所:森音楽事務所
森進一さんは、「おふくろさん」「襟裳岬」などの代表曲を持つ大物歌手です。
デビューのきっかけは、1965年に出場したフジテレビ系番組「リズム合戦」で優勝したことで、渡辺プロダクションに所属し活動するようになりました。
デビュー3年目には紅白歌合戦に出場し、2015年度まで連続48回出場(これは紅白の連続出場の最多記録)していますが、デビュー50周年を機に卒業を表明しています。
1979年に渡辺プロダクションから独立していますが、その後も多くのヒット曲を生み出し、活動は順風満帆でした。
1980年代半ば頃からは「じゃがいもの会」を立ち上げ、積極的に社会福祉活動に取り組むようになります。以降、長野オリンピックの委員会理事、在日外国人の支援団体の理事などを歴任しています。
私生活では1980年に女優の大原麗子さんと結婚しましたが、1984年に離婚。
「家庭の中に男が二人いた」と大原麗子さんが発言していましたが、すれ違いによる離婚だと言われています。
そして1986年に森昌子さんと結婚し、3人の子どもが生まれていますが2005年に離婚。
森昌子さんのプロフィール
芸名:森昌子(もりまさこ)
本名:森田 昌子(もりた まさこ)
出身地:栃木県宇都宮市
生年月日:1958年10月13日
高校:堀越高等学校卒業
デビュー:1972年〜1986年、2006年〜
所属事務所:おんがく工房
森昌子さんは、森進一さんの元嫁で、自身も結婚するまで歌手として活動していました。
1971年に日本テレビ「スター誕生」に出場したことからホリプロに所属し、1972年に歌手デビュー。
当時中学生だった森昌子さんですが、山口百恵さん・桜田淳子さんとともに「花の中三トリオ」として注目を集めました。
1973年には女優デビューをし、かつものまね王座決定戦の初代王者になるなど、幅広く活動しています。
1970年代後半からは演歌歌手として本格的に活動し始め、難しい歌もこなせる実力派として認知されるようになりましたが、1986年の森進一さんとの結婚後は芸能活動を引退しました。
3人の子どもも生まれ、幸せそうなご夫婦でしたが、2005年に離婚を発表。2006年から芸能界に復帰しています。
森進一・森昌子元夫婦の離婚原因とは?
1986年に結婚した森進一さんと森昌子さん。二人の馴れ初めは、森進一さんが設立した社会福祉団体「じゃがいもの会」のチャリティショーでの共演からだったといいます。
85年の第1回公演で森昌子(46)と共演して愛が芽生え、翌年に結婚。
以降は3人の子供にも恵まれ、おしどり夫婦として知られていた二人でしたが、2005年に離婚。そんな二人の離婚については、いくつかの原因が言われています。
離婚原因①ジョイントコンサート
森昌子さんは離婚後の2006年に発表した著書「明日へ」で離婚原因について触れています。
昌子は著書「明日へ」で、離婚の原因は進一とのジョイントコンサートで生じたすれ違いと主張。
森昌子さんは、1986年の結婚を機に芸能活動をしていませんでしたが、2001年の紅白歌合戦の出場を機に、限定的に再始動しています。その中には、夫森進一さんとのジョイントコンサートも含まれ、2002年頃から恒例で行っていました。
しかし、これは森進一さんの希望であり、森昌子さんにとっては不本意な活動だったようです。
森昌子さんは2006年の復帰会見で「コンサートでは歌に集中しなければいけないが、家では主婦をしなければいけない。それをうまく両立できなかった」という旨の発言しています。
2002年から夫婦共演していたジョイントコンサート、しかし家庭と仕事との両立がうまくいかずに悩んでいた森昌子さん。ついに心労がたまってしまったのかパニック障害を患い、2005年には緊急搬送される事態となりました。
ただそれも森進一さんの事情のために1日で退院させられたと、自著で暴露しています。
森昌子(47)が、昨年2月の自殺未遂騒動の原因が「パニック障害」だったことを、15日発売の自伝本「明日へ」(幻冬舎)で告白した。
同書によると、昌子はストレスや不安により過換気症候群と呼ばれる一種のパニック障害の発作を起こして緊急入院したが、進一がハワイで友人とゴルフの約束をしていたため、無理に退院させられたと暴露している。
こうやった積み重ねがあり、それに耐えかねた森昌子さんが息子二人を連れて別居し、やがて離婚へと繋がったようです。
昌子は20日に長男の貴寛君(16)と三男の寛樹君(11)を連れて東京・松涛の自宅を出て、都内に新たな住まいを見つけ、転居。夫の進一が「なぜ家を出たいのか」と問うと、昌子は「もういちどひとりで歌いたい。生き直してみたい」と話したという。
離婚原因②息子の教育方針の違い
他に言われる離婚原因の一つには、息子さんに対する教育方針の違いがありました。
森進一・森昌子元夫婦には子供が3人いて、そのうちの長男と三男は2001年頃から2005年頃までジャニーズ事務所に所属し、のちにロックバンドで活動しています。(詳細は後述しています)
しかし「学業優先」の父親と、「芸能活動でも良い」という母親の間には、教育方針の違いがあり、それもまた二人が決別する要因となったのではないかと言われています。
超名門私立高に通う長男について、学業優先に考える進一に対し、妻の昌子は「芸能活動を-」と考えが対立。長男は昨年暮れに同高を退学し、昌子の出身校で芸能コースのある高校に編入したという。こうしたことも、夫婦間の溝を深め、昌子の「家を出たい」という気持ちを強めたようだ。
(※なお上の引用記事でご紹介しましたが、2005年の別居時に昌子さんが息子のうち二人連れて家を出たというのも、芸能活動をしている長男と三男)
離婚原因③森進一さんの持病悪化も影響?
森進一さんは長らくC型肝炎を患っていたましたが、夫婦の別居・離婚が噂される中で、その持病を悪化させてしまいます。その後の治療のためにも、当時まだ妻であった昌子さんにサポートをお願いしたものの拒否され、ついに離婚の決意を固めたと言います。
別居しつつも離婚を引き留めていた森は、持病のC型肝炎が悪化。家族の支えが必要な新たな治療法に取り組むことを昌子に提案したところ「私は勘弁してください」と拒否され、離婚に踏み切ったことも明かした。
引用:森進一、肺がん手術告白!森昌子との離婚理由、息子のTaka(現ワンオク/元NEWS森田貴寛)との確執・和解も明かす【画像あり】
離婚原因まとめ
森進一・森昌子元夫妻の離婚原因を見ていくと、以前からあった子供の教育方針の違いや森昌子さんの意に沿わぬジョイントコンサートの参加要請(パニック障害の遠因?)も重なったことで溝が生まれてしまったと言えそうです。
そして離婚を避けたいと思っていた森進一さんも、持病悪化の際の妻昌子さんの対応に離婚を決意し、二人は2005年4月に正式に離婚発表しました。
おしどり夫婦と言われてきた二人ですが、離婚後はわだかまりがあるような言動も見られ、あまり双方が納得した別れではなかったと言えるかもしれません。
森進一さんは、2006年の新曲発表会見で昌子さん側を批判しています。
森進一(58)が16日、森昌子(47)との離婚劇にからみ、和田アキ子(56)とホリプロを猛烈に批判した。17日に発売される新曲「たずねて小樽」の発表会見を都内で行った際、テレビなどで自身の批判を続ける和田に「話があるなら、直接言いなさい」と“口撃”。昌子の所属するホリプロに対しても「昌子の歌手復帰を商業ベースで考えている」と不快感をあらわにした。
森進一・森昌子元夫婦の息子たちとは?
幼少時代の子供達。
森進一さんと森昌子さんの間には、3人の子供がいます。全員男の子で、離婚時には森昌子さんが長男、森進一さんが次男と三男の親権を持ち、養育権は3人とも昌子さんが持つことで合意。一人あたりの養育費は月13万円とされています。
森昌子さんは、息子たちに対して厳しい子育てをしてきたと発言しています。
「兄弟同士でも絶対に敬語」「子どもを呼ぶ時は1番2番3番」「門限を破ったらセコムでロック」「18歳になったら強制的に自立」などの子育て法が紹介された。
それでは、そんな厳しく育てられてきた息子さんたちを一人ずつご紹介していきます。
長男 森内貴寛(ワンオクTaka)
芸名:Taka
本名:森内貴寛(もりうちたかひろ)
出身地:東京都
生年月日:1988年4月17日
学歴:慶應義塾湘南藤沢高等部中退
デビュー:2003年
所属事務所:アミューズ(2006年〜)
元所属事務所:ジャニーズ(2001年〜2003年)
ワンオクTakaの弟&父と母の情報!家族のエピソードを総まとめ
長男の森内貴寛さんは、人気ロックバンド・ONE OK ROCKでボーカルとして活動しています。今や世界進出も果たしている実力派として話題ですが、Takaさん自身は2001年から2003年にかけてジャニーズ事務所に所属し、アイドルグループ「NEWS」のメンバーとして活動した経歴を持ちます。
長男の森内貴寛さんは2005年の離婚時高校生で、かつ音楽活動のために高校を中退したという彼自身にとっても大きな人生の岐路であったと言えます。
離婚時にTakaさんが母親に向けて言った言葉とは?
そんな時期の親の離婚…なかなか難しい状況下にあったと思われる森内貴寛さんですが、母親には離婚や歌手復帰の後押しをするような言動をしたといいます。
森が離婚したとき、長男は高校生。事情を説明すると、思いがけない言葉が返ってきた。
「今までに見たこともないような真面目な顔をして、『母さんが好きなように生きたらいいよ。もうちょっと大きくなったら、必ずぼくが支えるから』と長男は言いました。泣かせますよね、生意気なこと言って」
不仲説・絶縁説もあった父息子。
現在ではツーショットも披露していますが…過去には絶縁状態にあったと噂されます。
森内貴寛さんは、2003年にジャニーズアイドル「NEWS」として華々しくデビューしましたが、3ヶ月としないうちに脱退し、ジャニーズも退所。
脱退理由は”学業に専念のため”と発表されましたが、実際は普段の素行(女性とのキス画像流出・喫煙疑惑等)を問題視されたためだと言われています。
【ワンオクTaka】森内貴寛のNEWS脱退理由はスキャンダル?彼女・喫煙画像あり【元ジャニーズ】
また父親である森進一さんは学生のうちは学業に専念させたいという思いがあったために、”音楽活動に専念して学校を中退したい”といった息子と折り合いがつかずに勘当したと言います。
高校1年の3月、Takaは高校を辞めた。森はこの時、Takaを勘当している。
「“おまえひとりで生きていけ!”と、息子を家から追い出した。その後、森さんと昌子さんは離婚して(2005年)、彼の親権は母親が持ったので、当時は“父子断絶”なんて騒ぎ立てられました」
その後は、無事和解しているようです。
息子の頑な心も徐々に解けていった。森が還暦を迎えた2008年の誕生日、Takaは森にメールを送ったという。
「“本当はお父さんが誰よりも僕を愛してくれてるって、分かってた”って。毎日いつ寝てるのかわからないほど働いて、家族を養ってくれたことを覚えています、ということも書いてあったらしい。森さん、泣いちゃってね。以後はよくメールしたり、ご飯に行ったりするようになった」
次男 テレビ東京勤務のサラリーマン
次男の森内智寛さんと言われる画像。
次男の森内智寛さんは、テレビ東京につとめています。噂ではコネ入社とも言われています。
2012年頃には番組で、とんねるずに弄られていました。
森進一、昌子元夫妻の次男、森内智寛さん(23)がとんねるずをもてなした。森内さんは、テレビ東京に今年4月に入社したばかりの制作局に勤務する新人AD。ロビーの応接スペースに座った2人にお茶を出すと石橋に「ジョイマンに似てるよね」といじられた。さらに、ものまねを要求され「おふくろさん」を歌った。「お母さんの一番好きな料理は?」と聞かれ、「あまり作ってもらったことがない…」と笑いを取っていた。
三男 森内寛樹(MY FIRST STORYのHiro)
芸名:Hiro
本名:森内寛樹(もりうちひろき)
出身地:東京都
生年月日:1994年1月25日
ジャニーズ事務所所属歴有(2002年〜2005年)
三男の寛樹さんは、長男同様にジャニーズに所属していた過去を持ち、現在はロックバンド・MY FIRST STORYのボーカルとして活動中です。
以前は、2chに対してキレるなどして話題になったことがあります。
森進一Jr.、2ちゃんねるにキレた 「存在意味わからない」「殴りたくなる位ムカつく」
まとめ
■長男・森内貴寛は元ジャニーズの『NEWS』のメンバーであり、現在は大人気ロックバンド・ONE OK ROCKのボーカル。次男の森内智寛はテレビ東京勤務。三男の森内寛樹はロックバンド・MY FIRST STORYのボーカル。
森進一・森昌子元夫妻の離婚原因や子供達についてまとめました。
離婚原因については、元夫婦の間に少し遺恨が残っていなそうな感じにも見えましたが、息子たちはそれぞれ立派に独立しているようです。
歌手のサラブレットである息子たちのうち二人は音楽活動をしていますので、そちらにも今後注目です!