日本人のオーナーシェフとして初めてフランスで三つ星獲得の快挙を成し遂げた小林圭さんのパリの自宅の強盗事件が報じられました。
この記事では小林圭さんの実家の家族や高校や大学、料理人としての経歴。年収や結婚と嫁、子供、パリの自宅の強盗事件や現在などについてまとめました。
この記事の目次
- 小林圭のプロフィール
- 小林圭の実家は長野県諏訪市で「ダイシメ惣菜店」を経営していた
- 小林圭の家族① 父親の秀俊さんは割烹の母親の範子さんは洋食の料理人
- 小林圭の家族② 祖父は和菓子職人であり兼業農家
- 小林圭の家族③ 兄はファイナンシャルアドバイザーの小林晶秀氏
- 小林圭は料理人を目ざすため高校を中退し大学へは進学せず実地で修行
- 小林圭の経歴① 中村徳宏シェフの元で修行を積む
- 小林圭の経歴② 東京の清水郁夫シェフの元で2年修行後に渡仏
- 小林圭の経歴③ 再渡仏しフランスの一流店で経験を積み独立開業へ
- 小林圭の年収
- 小林圭は結婚しており嫁は元パティシエールの知加子さん
- 小林圭と嫁の知加子さんの子供は息子が1人
- 小林圭の自宅はフランスのパリで強盗事件が日本でもニュースに
- 小林圭の現在…東京に新たにレストラン3店舗をオープン
- まとめ
小林圭のプロフィール
小林圭のプロフィール
生年月日:1977年8月29日
出身地 :長野県諏訪市
小林圭さんは、本場フランスを中心に活躍するフランス料理人で、オーナーシェフとしてパリ1区で経営するレストラン「KEI」は、2020年のフランス版ミシュランガイドで三つ星を獲得しました。これは、日本人のオーナシェフとしては史上初となる快挙でした。
小林圭さんの三つ星獲得は日本でも大きく報じられ、2024年には東京に新たにレストランを3つオープンさせるなど活躍されています。
そんな小林圭さんですが、2024年9月26日にフランスの自宅に3人組の強盗が押し入り、嫁の知加子さんが重傷を負ったというニュースが報じられ衝撃が走っています。
小林圭の実家は長野県諏訪市で「ダイシメ惣菜店」を経営していた
出典:https://poiend-pctr.c.yimg.jp/
小林圭さんの実家は、長野県諏訪郡下諏訪町御田町下で「ダイシメ惣菜店」という地元で愛された惣菜屋をご両親が営まれていました。
フランスの「ミシュランガイド」で、諏訪市出身のシェフ小林圭さん(42)がパリで経営するレストラン「Kei(けい)」が、日本人で初めて最高位の三つ星を獲得したことを受け、28日、下諏訪町御田町で「ダイシメ惣菜店」を営む圭さんの両親、小林秀俊さんと範子さん夫婦が、取材に応じた。
小林圭さんが2020年にフランスミシュラン3つ星の快挙を成し遂げた後は、その実家として話題になりましたが、2024年4月に惜しまれつつ閉業しています。
小林圭の家族① 父親の秀俊さんは割烹の母親の範子さんは洋食の料理人
小林圭さんの実家の家族についても紹介していきます。
上でも触れたように、小林圭さんの実家の両親は長野県諏訪にて「ダイシメ惣菜店」を経営されていました。
実は、小林圭さんの父親の小林秀俊さんは元々は割烹の料理人、母親の範子さんも元々は洋食店で料理人をされていたそうで小林圭さんは料理人としてはサラブレッドでした。
「料理」に関心をもったきっかけは、両親にあったように思います。父の仕事は「割烹」で、母は「洋食」。買ってきた出来合いのものを食べていた家庭もあるなかで、うちはすべて母の手料理。とにかく「料理」が身近にありました。
小林圭の家族② 祖父は和菓子職人であり兼業農家
両親が共に料理人である小林圭さんですが、実は祖父も和菓子の職人をしながら兼業農家をされていたそうです。
和菓子を製造していた祖父や、父親の背中を見て育ち
小林圭さんは繊細さで知られる和菓子や、新鮮な食材に幼い頃から親しんでいた事になります。
祖父は兼業農家で、採れたての野菜の味と香りを今でも覚えている。
これも、小林圭さんがフランス料理の世界での成功に関係しているのかも知れません。
小林圭の家族③ 兄はファイナンシャルアドバイザーの小林晶秀氏
小林圭さんには兄が1人いて、10歳の頃から兄と料理をしたりしていたそうです。
10歳頃から兄と一緒に遊び心で料理を作ったりしていました。
そんな小林圭さんの兄ですが、ライフプラザパートナーズのファイナンシャルアドバイザー・小林晶秀さんである事が明かされています。
小林圭は料理人を目ざすため高校を中退し大学へは進学せず実地で修行
小林圭さんは、高校1年生になったばかりの15歳の時にフランス料理のカリスマで「厨房のダ・ヴィンチ」とも称される3つ星シェフのアラン・シャペルのドキュメンタリー番組を偶然見て衝撃を受け「自分もシェフになりたい」という強烈な想いを抱いたそうです。
そして、小林圭さんは料理人を目指すために高校を中退しており、大学へは進学せず、東京、そしてフランスの一流店で実地修行を積まれています。
圭さんは高校を中退後、茅野市のホテルや東京のレストランでフレンチの料理人として働いた後、21歳の時に渡仏。
小林圭の経歴① 中村徳宏シェフの元で修行を積む
上でも紹介したように小林圭さんは15歳の時に料理人を目指すために高校を中退し、大学には進学せずに料理人修行の道へ入りました。
小林圭さんはすぐに行動し、長野県茅野市の「東急ハーヴェストクラブ蓼科」という会員制ホテルのレストランでサービス係を募集しているのを見つけてすぐに面接へ、そこで支配人にサービス係ではなく厨房で働きたいと交渉したそうです。
そこへ偶然、顔を見せたのが中村徳宏シェフで、小林圭さんは中村シェフに「専門学校へ行きながら厨房で働きたいと」という想いを伝えられたそうです。
その場では断られるも、これが守れるならば考えても良いと4つの条件を出されたそうです。
その条件とは、「ファーストフードを食べない」、「親しい友だちと一度縁を切る」、「彼女を作らない」、「スキーとスノーボードをしない」でした。
小林圭さんはこの翌日にすぐに「条件を守るので修行させて欲しい」と電話をしたそうなのですが、中村シェフは「そんなに簡単に人生を決めるべきではない。ちゃんと3日間は考えろ」と諭されたのだそうです。
そして、改めて小林圭さんは3日後に電話をしたところ、厨房で修行する事を認められたのだそうです。
小林圭さんは中村徳宏シェフの元で15歳〜19歳の期間、徹底的に料理の基礎や姿勢、1人の人間としての心構えを叩き込まれたそうです。小林圭さんは「一生分怒られた」とこの当時の事を語られています。
中村徳宏シェフはフランスを愛しフランス人と働いた経験やコンクールに参加した経験を持ち、小林圭さんにもフランス人やフランス料理について熱く語ってくれたそうです。小林圭さんはそれもあって中村徳宏シェフの元で修行をしてすぐにフランスへの憧れを強くし、フランスで修行をしたい、レストランをやりたいとの想いを強く抱くようになったのだそうです。
小林圭の経歴② 東京の清水郁夫シェフの元で2年修行後に渡仏
小林圭さんは19歳の時、師匠の中村徳宏シェフに「フランスで経験を積んだシェフは日本にもいる。いいシェフを紹介するのでまずは東京のレストランで働き、帰国後の足場を作りなさい」とアドバイスを受け、上京して東京のレストランで働かれています。
小林圭さんが紹介されたのは、フランスの名店で経験を積んだ後、帰国後に国内のフランス料理店の料理長を歴任した清水郁夫シェフでした。
小林圭さんは清水郁夫シェフの元で2年弱修行を積み、21歳だった1998年12月にフランスへと渡っています。
小林圭さんはブルターニュのレストランで就労ビザやポストを用意してもらう準備をしてから渡仏しましたが、現地をついてみると全く話が通っておらず、立ち往生してしまったそうです。
小林圭さんは何十軒のフランス料理店を回って、雇ってもらえるよう交渉するも上手くいかず、持っていった15万円も底をつき、3日間をバゲット1本で凌ぐという極限の状態で1ヶ月半フランスに滞在して雇ってくれるレストランを探すも見つからず、1度諦めて帰国されています。帰国した時には栄養失調状態に陥っていたそうです。
小林圭の経歴③ 再渡仏しフランスの一流店で経験を積み独立開業へ
帰国した小林圭さんですが諦めず、1ヶ月間、日本でアルバイトをして再び資金を貯めてから再渡仏しています。
今回は2つ星レストランで働ける事になりましたが、なんと2週間後に閉店。あまりにも不運な展開でしたが、そこで知り合ったスーシェフ(副料理長)が、前に勤めていた店に一緒に行かないか?と救いの手を差し伸べてくれたのだそうです。この経緯は詳しくは語られていませんが、わずか2週間一緒に働いただけであっても、小林圭さんの働きぶりが評価されていたのだと思われます。
小林圭さんはフランス南部のラングドック・ルーション地方の「オーベルジュ・デュ・ヴュー・ピュイ(Auberge du Vieux Puits)」という当時1つ星(現在は三つ星)のレストランで働ける事になり肉部門の責任者を任されました。
その後、小林圭さんはプロヴァンス地方の「ル・プリウレ・ア・ヴィルヌーヴ・レ・アヴィニョン」やアルザス地方の「ル・セルフ・ア・マルレンアイム」などの星付きレストランの厨房で経験を積み、2003年より、フランス料理の重鎮であるアラン・デュカス監修のパリの3つ星レストラン「プラザ・アテネ(Plaza Athénée)」に入り、2年でスーシェフの地位にまで昇進。
その後、小林圭さんは「フランス人がオーナーの店で日本人の自分がシェフに迎えられるのは難しいだろう」と考えて独立を決意。
2008年に店を辞めた小林圭さんはまず、半年間語学学校に通ってフランス語に磨きをかけ、日本の銀行から融資を受けて客席数25、フロア面積80平方メートルのパリの2つ星レストランの営業権を購入し2010年12月に改装工事を始め、2011年3月に自身のレストラン「KEI」をオープンさせました。
小林圭さんの店「KEI」はオープンして1年未満でミシュラン1つ星を獲得すると、さらに5年後には2つ星、そしてさらにその3年後の2020年に超一流の証である三つ星を獲得したのでした。
小林圭の年収
小林圭さんの年収は公開されておらず不明です。
ただ、フランスで三つ星を獲得した一流シェフの地位は非常に高く、相当な額の年収を稼いでいると推測されます。
世界的に名の知られたレジェンドクラスのシェフになると年収は数億円から数十億円に達するケースもあるようですが、小林圭さんは2020年に三つ星を獲得したばかりなので、さすがにそこまでの年収には達していないと考えられます。
とはいえ、小林圭さんは2024年に東京都内に新たに3つのレストランをオープンさせるなど経営は順調な様子で、現在の時点でも小林圭さんの年収は数千万円から1億円はくだらないのではないかと推測されています。
2024年9月、小林圭さんのパリの自宅に3人組の強盗が入りましたが、パリで著名人の自宅を狙った強盗事件が相次いでいるとも報じられており、強盗団も小林圭さんが高年収を稼いでいるとリサーチした上で犯行に及んだのではないかと見られています。
小林圭は結婚しており嫁は元パティシエールの知加子さん
出典:https://cuisine-kingdom.com/
小林圭さんは結婚されていて、嫁は知加子さんという女性です。
小林圭さんの嫁の知加子さんさんは元パティシエール(パティシエ。フランス語では男性と女性で名詞が変わる)で、現在は小林圭さんの店のマダムとしてサービスや総務までこなされているという事です。
小林圭さんと嫁の知加子さんが結婚された時期や馴れ初めなどは明かされておらず不明です。
小林圭と嫁の知加子さんの子供は息子が1人
小林圭さんと嫁の知加子さんの間には少なくとも1人子供がいるようです。
小林圭さんは2020年にフランスのミシュランで三つ星を獲得した際の取材の中で、6歳半になる息子さんがいると明かされています。
小林圭さんの子供は2024年時点で10歳か11歳くらいのはずです。
この機会だからこそ、家族に合わせた生活をしています。6歳半になる息子がいるのですが、これまで2人で散歩することは6年半の間で2回しかなかった。
引用:【A MESSAGE OF HOPE(連載:希望へ、伝言)】 Vol.119 小林圭──こんなことでは負けられません
小林圭の自宅はフランスのパリで強盗事件が日本でもニュースに
小林圭さんはフランスでシェフとして成功されていますが、そのために高年収を得ていると見なされたためか、3人組の強盗にパリの自宅を襲われるという被害に遭ったという事件が報じられています。
この事件時、小林圭さんは不在で、嫁の知加子さんが殴られるなどして全治2ヶ月の重傷を負ったという事です。
フランスのレストラン格付け本「ミシュランガイド」で日本人で初めて最高評価の三つ星を獲得した人気シェフ小林圭さん(47)のパリの自宅に26日朝、強盗とみられる男3人が押し入った。小林さんの妻が殴られるなどして、全治2か月の重傷を負った。小林さんはフランス国外への出張中で、不在だった。
報道によると、小林圭さんの嫁の知加子さんは玄関で強盗に抵抗されたそうで、それで騒ぎに気がついた近所の住民が通報し警察が駆けつけて強盗団は逃走したという事でした。
小林圭の現在…東京に新たにレストラン3店舗をオープン
小林圭さんは現在もフランスのパリ中心地である1区でレストラン「KEI」を経営されています。
小林圭さんは2020年に三つ星を獲得後、2021年に静岡県御殿場市に「Maison KEI(メゾンケイ )」をオープンさせ、さらに2024年に入り、東京のザ・リッツ・カールトン東京内に「Héritage by Kei Kobayashi」、虎ノ門ヒルズ ステーションタワーに「KEI Collection PARIS」、虎屋銀座ビルに「ESPRIT C. KEI GINZA」と、新たに3つのレストランをオープンさせました。
2024年、パリを拠点としている小林シェフだが、東京に「Héritage by Kei Kobayashi(エリタージュ バイ ケイ コバヤシ)」「KEI Collection PARIS(ケイ・コレクション・パリ)」「ESPRIT C. KEI GINZA(エスプリ・セー・ケイ・ギンザ)」という3つのレストランを新たにオープン。
まとめ
今回は、日本人のオーナーシェフとして初めてフランスのミシュラン3つ星を獲得したレストラン「KEI」の小林圭さんについてまとめてみました。
小林圭さんの実家は長野県諏訪郡下諏訪町御田町下で実家の両親は「ダイシメ惣菜店」という惣菜店を経営されていました。父親の小林秀俊さんは元々は割烹の料理人、母親の範子さんは元洋食店の料理人という家族で育ち、小林圭さんは15歳の時にフランス料理のシェフに憧れ、高校を中退して大学へは進まずに料理修行の道へ入りました。
小林圭さんの料理人としての経歴は、15歳から19歳まで長野県の東急ハーヴェストクラブ蓼科でその後約2年間東京の清水郁夫シェフの元で修行し、21歳の時に渡仏。本場フランスの有名レストランで経験を積み3つ星レストラン「プラザ・アテネ(Plaza Athénée)」でスーシェフを務め、その後、2011年にパリの中心地にレストラン「KEI」をオープンさせ、2020年にミシュランの三つ星を獲得しました。
小林圭さんの年収は明かされていませんが、フランスでのミシュラン三つ星シェフの地位はとても高くこれまでに高年収のシェフが多く出ている事や、小林圭さんが日本でのレストランを複数オープンさせるなど経営が順調に見える事から年収は数千万円から数億円はくだらないのではないかとみられています。
小林圭さんは結婚しており、嫁は元パティシエールの知加子さんという女性です。子供は2024年現在10歳か11歳の息子さんが1人いるようです。
小林圭さんの自宅はフランスのパリですが、2024年9月にこの自宅に3人組の強盗が押し入り、嫁の知加子さんが重傷を負ったとのニュースが日本でも大きく報じられました。
現在、小林圭さんはパリでレストラン「KEI」の経営を続けている他、静岡県御殿場市や東京の中心地に複数のレストランを展開されています。