伝説のアイドル・岡田有希子さんの自殺原因とも言われていた俳優の峰岸徹さんですが、現在は故人となっています。
この記事では、峰岸徹さんの若い頃から現在までの経歴、岡田有希子さんの自殺にまつわる様々な噂の他、歴代の嫁と子供など家族情報についてまとめてみました。
この記事の目次
峰岸徹のプロフィールと生い立ち
峰岸徹(みねぎし とおる)
本名:峰岸知夫(みねぎし ともお)
生年月日:1943年7月17日
出身地:東京
身長:173cm
峰岸徹、実家は銀座の料亭で映画好きの少年だった
峰岸徹さんの実家に関しては、銀座で料亭を営んでいたようで、かなり裕福な家の出だったようですね。
幼少期は虚弱体質だったという峰岸さんは、母親に連れられて落語の寄席に出かけたり映画館に入り浸ったりと、文化系の少年として育つことになりました。
その後、当時の映画スターだった石原裕次郎さんやジェームズ・ディーンさんに憧れて俳優を目指すようになった峰岸さんは、暁星中学校・高等学校を卒業後は日本大学藝術学部演劇学科に進学しています。
峰岸徹の若い頃…イケメン俳優として東宝より映画デビュー
峰岸徹、次期看板スター候補として芸能界入り
演劇の名門である日本大学藝術学部に進学して以降の峰岸徹さんですが、当時所属していた富裕層子女たちの遊び人グループ「六本木野獣会」の伝手で、東宝より俳優デビューが決まったため、大学の方を中退しています。
1962年に映画「高校生と女教師 非情の青春」にて俳優デビューを飾った峰岸さんは、1961年に事故死したイケメンスター・赤木圭一郎さんの再来と持て囃され、「六本木の夜 愛して愛して」や「あの娘に幸福を」といった映画に主演することになりました。
とはいえ、端正な顔立ちな一方で演技方面の評判は芳しくなかった峰岸さんは、俳優活動を一時中断し、俳優座や文芸座で研究生となり演劇を学び直していた時期もありました。
その後、1968年に大映と所属契約を交わし芸能界復帰を果たした峰岸さんでしたが、次期看板スター候補という周囲の期待も虚しく、主演俳優として大成することは出来ませんでした。
峰岸徹、中年期は名バイプレーヤーとして活躍
中年期の峰岸徹さんに関しては、バイプレイヤーとして活躍することとなり、1976年に放映された大河ドラマ「風と雲と虹と」では、主人公・平将門を付け狙う源扶役を演じ切り、実力派俳優としての評価を不動の物にしました。
その後の峰岸さんは、1981年に公開された映画版「ねらわれた学園」においても、主人公らの通う学園を支配しようとする宇宙人・星の魔王子役を演じており、あまりの見た目のインパクトから視聴者たちの思い出のキャラになってしまったようですね。
ちなみに『ねらわれた学園』は薬師丸ひろ子主演の実写版なら観た事あります。峰岸徹演じる、“星の魔王子”(※ギャグではありません)が色々な意味でインパクトありすぎて、忘れられません。
— かずもと (@s_kazumoto) November 14, 2013
その怪演ぶりが話題になることが多かった峰岸さんは、1993年に出演したドラマ「高校教師」では、実の娘であるヒロインと近親相姦する画家・二宮耕介役も演じています。
名バイプレイヤーとして数々の代表作を持つ峰岸さんですが、バラエティ方面の仕事にも積極的に進出しており、「ものまね王座決定戦」の審査員を長年務めた他、「ダウンタウンDX」や「人気者でいこう!」といった人気番組にも出演していました。
峰岸徹のスキャンダル…岡田有希子の自殺原因説の真相
人気アイドル・岡田有希子が飛び降り自殺
峰岸徹さんの芸能人生は、アイドル・岡田有希子さんの自殺騒動が深い影を残しています。
愛知県名古屋市生まれの岡田さんは、県下でも5本の指に入る進学校・名古屋市立向陽高等学校に合格するような秀才だった一方で、中学時代より芸能界に憧れを抱き、家族の反対を押し切りオーディション番組に応募するようなアクティブな少女でもありました。
念願が叶い、1984年にアイドル歌手デビューを果たすこととなった岡田さんですが、右肩上がりに人気を伸ばしており、生前最後のシングルとなった「くちびるNetwork」はオリコン週間ランキング1位を獲得し、20万枚を超えるヒットを記録することになりました。
そんな順風満帆な芸能人生を謳歌していた岡田さんでしたが、1986年4月8日になると、所属先だった「サンミュージック」が入居しているビルの屋上から飛び降り、全身を強打して死亡しております。
人気絶頂期にあった18歳のアイドルの突然の自殺騒動は、世間でも大反響を呼び、ファンの後追い自殺が相次ぐといった社会現象まで巻き起こしたそうですね。
本事件は「ユッコ・シンドローム」と呼ばれた。正確な人数は不明だが、自殺から2カ月が経過した6月8日の朝日新聞には「30人を超える若者が自殺している」との記載があり、少なくとも岡田の死後、30~40人が若者が自死を選んだとされている。
岡田有希子、峰岸徹に失恋したショックで遺書を残して自殺?
岡田有希子さんの自殺騒動に関しては、本人の残した遺書により、峰岸徹さんに失恋したショックによる突発的な事件であることが判明したため、峰岸さんの元にはマスコミの取材が殺到しています。
その日記風のノートには、相手の男性の名前(=峰岸徹)はもちろんのこと、彼女が峰岸を思い、そのことがうれしくて、喜ぶさま。一方で、その恋は成就することがないと判断し、真綿でクビを絞められるような苦しみが克明に綴られていたという。
2人の出会いについては、1985年に放映された岡田さん主演のドラマ「禁じられたマリコ」で共演した際に交流が生まれたそうですが、峰岸さん側はあくまで岡田さんを妹のような存在としか捉えておらず、恋愛感情は微塵もなかったようですね。
そのため、付き合ってすらいなかった2人となりますが、より刺激的なスキャンダルの方が売上に繋がるため、「岡田有希子は峰岸徹に弄ばれたショックで自殺した」だの「岡田有希子は峰岸徹の子供を妊娠していた」といった事実に基づかない扇動的な記事がゴシップ誌を賑わすことになりました。
とはいえ、仕事仲間から気配りの出来る優しい性格と評される人柄の良さが功を奏したのか、マスコミからの大バッシングとは裏腹に、峰岸さんが仕事を干されることはありませんでした。
峰岸徹、神田正輝の身代わり説もあった
岡田有希子さんの自殺騒動に関しては、岡田さんの真の失恋相手は俳優の神田正輝さんであり、峰岸徹さんはその身代わりを引き受けただけとの噂も存在します。
岡田有希子の相手は、峰岸徹じゃなくて神田正輝か・・・。
— 多田 (@REDreppuu) May 17, 2013
今更だけど。
ただ、神田正輝も石原裕次郎の尻拭いさせられたんだとしたら?
ほんと、きな臭い世界。
そちらの噂によると、以前より極秘交際していた2人ですが、石原裕次郎さんが自身の愛人だった松田聖子さんを神田さんに宛がうといったアクシデントが発生したそうですね。
所属する「石原プロ」の社長だった石原さんの意向に逆らうことが出来なかった神田さんは、政治的な事情により1985年6月に松田さんと結婚。
その後も神田さんとの極秘交際が継続していた岡田さんでしたが、自殺前日となる1986年4月7日に松田さんの妊娠が発覚したことにショックを受けて精神が不安定になった結果、突発的な自殺をしてしまったとか。
岡田さんの自殺後、上記のスキャンダルが発覚することを恐れた「石原プロ」は、仕事を斡旋することを交換条件に峰岸さんに身代わり役を引き受けさせたという噂となっています。
とはいえ、当時の峰岸さんは既に名バイプレイヤ-として地位を確立していたうえ、世田谷区・成城に自宅を構えており、仕事と引き換えに汚名を被るような境遇ではありませんでした。
そのため、「峰岸徹身代わり説」は、色々な噂が重なりあった末に発生してしまった都市伝説の1つなのではないかと思われます。
岡田有希子の本当の自殺原因
岡田有希子さんの自殺の真相に関しては、スキャンダル発覚を恐れてパニックになって自殺したとの説も存在します。
1986年4月8日の岡田さんは、実は午前10時頃に自宅マンションで自殺未遂騒動を起こしており、救急車で病院に搬送されていたとか。
その後、駆け付けた事務所関係者と一緒に事務所に戻った岡田さんでしたが、自殺未遂騒動を嗅ぎつけたマスコミ関係者が既に事務所ビル周辺をウロウロしているような状況でした。
人気絶頂期のアイドルが自殺未遂騒動を起こしたとなれば、一大スキャンダル化は避け切れずに、今後の仕事への影響も大きくなることは言うまでもありません。
そのため、パニック状態になってしまった岡田さんは、事務所関係者が目を離した隙に衝動的に再度の自殺に走ってしまったというのが、「サンミュージック」側の見解となっているようですね。
番組のインタビューに応じた福田元専務は、岡田さんの1回目の自殺未遂は「(当時関係を噂された)男性への一途な思いから」の行動であり、2回目の自殺は「(自殺未遂で)大変なことをしてしまったから、もう生きてはいけないと思い詰めたのではないか。皆に迷惑かけたという自責の念」などと語り、午前中の自殺未遂が正午過ぎの飛び降り自殺につながったとの見方を示した。
峰岸徹の結婚・離婚歴…元嫁・藍とも子は子供を残して失踪し離婚
峰岸徹、藍とも子との結婚と離婚
峰岸徹さんは、1976年になると、特撮ドラマ「ウルトラマンレオ」の松木晴子役や映画「メカゴジラの逆襲」の真船桂役でお馴染みな女優の藍とも子さんと結婚しています。
2人の馴れ初めに関しては、1975年に放映されたドラマ「プレイガールQ」の撮影中に意気投合し、交際開始から半年ほどでのスピード結婚となりました。
1977年には第一子となる長女が生まれるなど子宝にも恵まれた2人でしたが、芸能仕事をめぐる見解の違いで次第に軋轢が生まれ始めたとか。
具体的には、出産後に脇役でも良いから芸能界に復帰したがっていた藍さんに対して「俳優は自分を安売りしては行けない」と反対したり、CMのオファーに対しても「俳優のやる仕事じゃない」と反対するなど、峰岸さんは昔気質の芸能人だったようですね。
そのため、どうしても芸能界に復帰したかった藍さんは、結婚6年目となる1981年に家を飛び出して、そのまま峰岸さんと離婚しています。
離婚後の藍さんは、安易に引き受けてしまった日活ロマンポルノ系の映画のせいでヌード系の仕事が増える憂き目となり、再起には失敗してしまったようですね。
峰岸徹、再婚した嫁との間に子供が2人生まれていた
離婚後の峰岸徹さんに関しては、岡田有希子さんの自殺騒動があった1986年頃には、結婚を前提に交際をしていた恋人・Aさんがいたようですね。
その後、「岡田さんを弄んだ男」としマスコミから大バッシングを受けることとなった峰岸さんですが、逆境を乗り越えて再婚しており、新たに2人の子供も誕生しています。
ちなみに、前述の岡田さんの自殺騒動があった影響か、峰岸さんが再婚後の家庭について語ることもなかったため、再婚相手がAさんであるかどうかは確認が取れていない状況となります。
峰岸徹の遺言により藍とも子と娘が再会
藍とも子さんとの離婚後は長女を引き取り、男手1つで娘を育てていた時期もあった峰岸徹さんですが、子煩悩で優しい父親だったと言われています。
そのため、離婚後の藍さんと長女は没交渉状態が続き、2008年に峰岸さんが亡くなるまではお互いに会う機会もありませんでした。
とはいえ、病床の峰岸さんが「会いたかったら会ってもいいんだぞ」と遺言を残したことや自身が結婚し子供を産んだことで母親と復縁する決意を固めた長女は、2010年頃に生まれたばかりの娘を連れて藍さんの家を訪ねたそうですね。
また、再婚相手との間に生まれた2人の子供とも関係が良かった峰岸さんは、妻と子供の他、孫にも看取られて亡くなったとか。
峰岸徹の現在…2008年に65歳で死亡、死因は肺がんだった
峰岸徹さんは、前述のように2008年10月11日に肺がんで死亡しています。
峰岸さんの体に異変が発見されたのは2008年4月だったそうで、既に末期がんだったようですね。
横田房七社長(67)によると、峰岸さんは今年4月に末期のがんを告知され、抗がん剤投与を繰り返しながら闘病生活を続けていた。
そのため、闘病期間も半年程度で亡くなってしまった峰岸さんでしたが、死の1週間ほどに容態が急変してしまい、以降は体調が回復することもなかったとか。
峰岸さんの遺作については、2008年に公開された映画「その日のまえに」となっています。
峰岸徹についてまとめると…
・峰岸徹は女優・藍とも子と結婚して子供1人が誕生するも離婚、その後に再婚して子供が2人生まれている
・峰岸徹は岡田有希子の自殺原因として長年噂されてきたが、実際は妹のような存在で交際していた事実はない
・峰岸徹は2008年に65歳で肺がんのため死亡した
岡田有希子さんの自殺騒動により一躍脚光を集めることとなった峰岸徹さんですが、その後も干されることもなく、名バイプレイヤーとして活躍が続いたということになります。
峰岸さんのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。